第四十五話:宝玉採掘その十二
女心の難しさを心の中の師匠に嘆いていたら、いつの間にか時間が過ぎ、もてなしの用意ができたと案内の人が来た。
いつの間にか風呂から上がっていた三浦の爺さんは、至福の表情で寛いでいる。
俺たちは部屋から一段降りてスリッパで廊下に出ると、案内されるがままに二階に上がり、床は板張りで座布団引きだが、料亭の宴会場ようなかなり広い部屋に通された。
部屋にはコの字状に豪華な料理が載った一人用の膳が並べられていた。
壁際に正座して控えている配膳をするのだろう使用人らしき人たちが、和装ではなくて洋装なのが違和感ありまくりだ。
俺と一花の二人が上座へと案内され、部屋の奥側に上座側から藤崎さん、三浦の爺さん、遥の並びで案内されてく。
藤崎さんが気を利かせてくれたようで、遥が俺のすぐ右前の席に座ることになった。
座布団に座って待っていると、間を置くことなく善之助さんと寧々ちゃん、そしてもう一人女の人が現れ、廊下側の席に上座側から善之助さん、女の人、寧々さんの順で座っていった。
あの女の人はたぶん善之助さんの奥さんだろう。
寧々ちゃんは長い黒髪を下して雰囲気が変わっていた。
薄らと化粧もしているようだ。
なんてことを観察している内に、木原と呼ばれていた人ともう一人男の人が廊下側の末席に加わった。
そして使用人の人たちがササッとコの字型の中へと移動し、盃に酒を注いでいった。
盃を持った善之助さんがおもむろに立ち上がる。
「救世の客人に感謝を」
そう言って善之助さんが盃を一気にあおり、奥さんらしき人と寧々ちゃんが続くように、そして上品な仕草で盃に口をつけた。
それを見た俺たちも杯を手に取る。
一花はおしとやかに、遥と藤崎さんは一気に盃をあおり、三浦の爺さんはちびちびと酒を味わっていた。
俺はどうしたかとというと、一応は盃に口をつけてみた。
しかし酒など飲んだことがない俺は、その味を受け付けることができなかった。
昔嗅いだことがあるからわかるが、この匂いはたぶん日本酒だろう。
一応、少しだけ口に含んだ分は飲み干したが、まだ盃に残っている酒を飲みほそうとは思えなかった。
遥や一花はお代わりを注がれ、美味しそうにもう一口飲んでいるから、酒としては良いものなのだろうが、俺にはまだコレの何が美味いのか理解できない。
「空殿の口にここの酒は合わなかったか? ならば代わりを」
「いえ、俺は酒自体あまり好きではないんです。どうぞお構いなく」
「そうであったか。残念だが仕方なかろう」
俺が酒を飲まないと言ったからだろうか、それまで美味しそうに飲んでいた一花と遥がピキリと固まってピタリと飲むのを止めた。
それを見て藤崎さんまで盃を仰ぐ手を止めている。
どうにも俺は、こうやって気を使われることが苦手で、みんなには気にせずに楽しんでほしいと思っている。
原因が俺にあるから何とかしないと、と、思っていたら、三浦の爺さんだけは、気にせず美味そうにちびちびやってくれているからありがたかった。
「申し訳ありません。一花ちゃんたちは気にしないで飲んでいいから。ほら、遥も藤崎さんも」
俺の一言で藤崎さんは再び盃を煽りはじめたが、一花と遥は二度と杯を手にしなかった。
いや、そこまで気にすることないのに、とも思ったが、たぶん今後も俺は酒を飲まないだろう。
二人とも俺の屋敷に住むことになるのだから、というかもう住んでいるから、これでよかったのかもしれない。
そんなことより、俺は目の前に鎮座している骨付きの肉の塊に目を奪われていた。
今日は碌に食っていないし、立ち上る香ばしい匂いが俺の手を自然にその肉に向かわせていた。
迷うことなくガブリと噛りつくと、薄い塩味に香辛料が効いた極上の味で、肉らしいしっかりとした噛みごたえも申し分ない。
特に香辛料の辛味が通り過ぎたあとに、口の中いっぱいに広がる極上の旨みがなんとも素晴らしい。
俺は夢中になってその肉にかぶりつき、その味と噛みごたえを堪能していた。
「どうやら料理の方はお気に召されたようで何より。調理人も喜ぶだろう」
そんなことを嬉しそうに善之助さんは言っていたが、どうやら俺が酒を飲まなかったことを気にでもしていたのだろう。
「この肉は何の肉ですか? 香辛料が効いていてメチャクチャ美味いです」
「ハハハッ、これは十分に熟成させた猪肉。今年の初頭の仕留められたものだ」
半年以上の熟成だったとは、なるほどこの旨みも納得できる。
その旨みをスパイスが引き立てるものだから、これほど美味に感じるのだろう。
味の決め手はこのスパイスと熟成か……
なんてことを考えていたら、一花も遥も目を丸くしてこの肉を味わっていた。
彼女たちが料理を楽しんでくれて、俺はやっと気が休まる思いがした。
うまそうに肉を食う俺たちを見て善之助さんたちも嬉しそうだ。
その後も、噛めばトロけるような肉の煮物やダシの効いた吸い物、シャキシャキと歯ごたえのある葉野菜のお浸しとかその他もろもろを大変美味しく頂くことができた。
食文化に関しては富士大公国より福井の国の方が豊かなのかもしれない。
旅が終わったあとにでも、一花にこの国との交易を進言しようか?
いやいや、そのためにはあの盆地の妖魔を何とかしなくちゃ……
まてよ、あの盆地の妖魔を全部かたせば……
なんてことを考えている内に食事が一段落し、お互いの紹介になった。
善之助さんの隣に座っている女の人はやはり奥さんらしく、初音さんというらしい。
初音さんは、物腰が柔らかそうな女性で、寧々ちゃんの姉と紹介されたとしても少しの違和感なく受け入れられそうな美人さんだった。
顔立ちは寧々ちゃんそっくりで、どちらかといえば寧々ちゃんの方がキリリと引き締まりぎみだ。
そして木原さんと、もう一人高木さんという今は寧々ちゃんの護衛をおもにやっている善之助さんの側近を紹介された。
この時代の人なので歳はさっぱり想像できないが、善之助さんと変わらぬ若さで、筋骨バリバリそうな体格からみても、生粋の武人なのだろう。
その後俺たちの紹介も終わり、皆の箸が止まったところで一花が切り出した。
「あの、善之助様。この場をお借りして私たちの予定をお話ししたいのですが」
「勿論構わぬ」
そう言った善之助さんがパンパンと二回手を叩いた。
すると、使用人の人たちがそそくさと膳を下げはじめた。
それが終わるのを待って一花が口を開く。
「ではまずはじめに、このような宴にお招きいただきましたこと、心よりお礼申し上げます。そして本題ですが、私たちの旅疲れも溜まっております。ですので、明日一日だけ滞在を許されたく存じます」
「では明後日にはここを発たれると」
「そのように存じております。私たちの旅程にも余裕がありませんので」
「致し方ない。余としてはもう少しゆるりとしていって欲しいのであるが、無理を言っては迷惑であろうからな」
善之助さんがものすごく残念そうにそう言ったのだが、寧々ちゃんもかなり露骨に落ち込んでいた。
俺の本心を言うと寧々ちゃんとももう少しお近づきになりたいのだが、そうなってしまうと、君子が危うきにお近づきになりそうなのがゆゆしき問題だ。
「在り難く存じ上げます」
「それで、力石を探しておると聞いたが、どこにあるのか分かっておられるか?」
藤崎さんがさっと地図を取り出し、皆の取り囲む中央に置くと、全員が座布団を引き寄せてそれに近づいた。
「おおよそこの辺りになると聞いております」
「ふむ、平地を通るならば魔の物の巣の奥深くまで入り込まねばならぬな。まさか其方ら」
「ええ、この順路で向かう予定です」
一花が地図上予定コースをなぞると、善之助さんがうなりをあげ、寧々ちゃんをはじめ福井の国側の人は目を丸くしていた。
なぜだか初音さんだけは笑顔で、興味深そうに俺たちを見ていた。
「そんなっ、危険すぎます! 高科様と空様お二人だけなら難しくはないのでしょうが、あの大人数で魔の物の巣を抜けるなど……」
寧々ちゃんが興奮気味に心配してくれたように、危険なことには変わりはないが、それを含めて考えた末のルートだ。
俺たちに考えを曲げる予定はない。
と、そんなことを思っていると。
「うむ、確かに危険だが、よくよく思い出せば空殿たちは東の谷を抜けて我が国へ来訪したのだ。余らが考えるより危険ではないのかもしれぬ」
「えっ!? まさか、それは本当なのですか? 父上」
「余がこの目で確認しておる」
「…………」
心配そうな顔色から驚愕のそれへと色調を変えた寧々ちゃんは、しばし塾考するように愛らしい瞳を閉じていたが、突如カッと目を見開いた。
「高科様、空様、わたくしも連れて行ってください」
突然の爆弾発言に善之助さんをはじめ、俺たち含めて皆が目を見開いた。
しかし、初音さんだけはすぐに柔和な表情にもどった。
「まあ、寧々は空様のことを……」
そしてすぐさま、嬉しそうな顔でさらなる爆弾を投下してくれやがった。
寧々ちゃんは顔面を紅潮させてアワアワとたじろいでいる。
一花の表情が冷笑へと移ろい、遥は不気味な笑みを浮かべた。
君子は危うきに近づかないように心がけていたのに、危うきの方から飛び込んできやがった。
ここはひとつアレだ。
君子は危うきに近づかれて逃げられないのだから、亀のように丸くなって耐え忍ぶしかない。
だからもう俺からは何もしゃべらない。
危うさが去るまで一言だって話してやるもんか。
そんなことをオロオロしながら考えていたら。
「こらこら、初音は話をややこしくするな。寧々は国を想ってそう言ったのであろう?」
「えっ!? そ、そうですわ。当然ではありませんか父上。力石は福井の国にとっても重要な物資ですもの」
この動揺ぶりといい、どう見ても白々しい言い訳にしか聞こえないが、たしかに今の季節まで妖魔に苦労しているのなら、宝玉は喉から手が出るほど欲しいアイテムなのだろう。
強力な妖魔から助けた相手だとはいえ、じゅうぶんに世話になっているのだから、俺たちだけで独占するのは気が引ける気がしてきた。
「そうですね…… 妖魔の襲撃には手を焼いておられるようですし。すこし私たちだけで相談させてくださいませ。明日一日は滞在させていただけるようですから、結果は昼食の折にでも」
「余は構わぬが、寧々はそれで良いか?」
「もちろんですわ」
どうやら一花も俺と同じように考えていたらしい。
そのことに少しホッとした俺は、今がチャンスだとばかりに、完全に話題を別のことに振り向けようと画策する。
せっかく立ちどまってくれた危うさには、彼方へと旅立ってもらいたい。
そのためにも何かいい話題はないか、超高速で考えを巡らせた結果、メシを食っている最中に疑問に思ったことがとっさに口をついた。
「あの、さっき頂いたご馳走はビックリするほど美味しかったんですが、福井の国には魚料理はないんですか?」
「ふむ、空殿は魚料理が所望であったか。だがすまぬ、出し渋ったわけではないが、魚は希少で貴重な食材でな。在庫を切らしておるのだ。余もしばらく口にしておらぬ」
「えっ? 福井の国には海があるじゃないですか」
「海には降りられぬのだ――」
俺がつい口にしてしまった疑問には木原さんが答えてくれた。
彼の話によると、確かに福井の国は海に面しているが、その海岸線は切り立った崖であり、海に出て漁をすることができないらしい。
そういえば、琵琶湖があった日本海側の海岸沿いは、切り立った崖だったなと今更ながら思い出した。
あの崖が福井の国までずっと続いているということだろう。
これはますます福井の国との交易を考えた方が良さそうだ。
元琵琶湖の海岸まで豊田鉱山から道を整備し、海岸に漁村をつくり、盆地の妖魔を何とかしてここまでの道を切り開く。
そうすれば、富士大公国も福井の国も新鮮な海の幸に有りつけるようになる。
ついでに名古屋あたりを中継基地として開発すれば鉱山だって見つかるはずだ。
資金面の問題は残るが、帰ってから陽一さんに相談しよう。
そうしよう。
なんてことを考えていたら宴はお開きになった。
今日は長距離を走ったり戦闘三昧だったりしたから俺も疲れているし、仲間たちも疲れているのは間違いないだろう。
あてがわれた部屋は、気を利かせてくれたのか俺と一花と遥の三人が同室だったのだが、布団に座って話しているうちに、ムフフなイベントなど起こる気配もなく三人とも速攻で深い眠りに落ちてしまった。
俺はまだ、一花とも遥とも同じ寝室で枕を並べたことがなかったというのに、なんて勿体ないことをしたんだ。
というのが、チュンチュンとスズメがさえずる声が聞こえるなかで目覚めて、意識が覚醒したあとの俺の心を支配していた。
しばらくそのまま布団の中で身悶えるように悔しがったあと、美味しい朝食をごちそうになった。
そのあと、昨日の話、寧々ちゃんの申し出をどうするか話し合った。
結果、三浦の爺さんがコッソリ”気”を探っていたらしく、彼女の、というかあの宴の席にいた人たちの戦闘能力は申し分なく、寧々ちゃんとその護衛の二人までは同行させてもよいということになった。
あのおっとりした顔で爆弾発言をカマしてくれた初音さんまでが、戦闘能力に問題なしという爺さんの見立てには驚いたが、よくよく考えてみれば、富士大公国と同じで”気”が強くなければ国主の奥さんにはなれないのだろう。
昼食を頂いたときに同行OKという話し合いの結果を寧々ちゃんに告げたら、それはもう喜んでいた。
あんまり喜びすぎて、一花と遥に白い目で見られていたが、嫌な予感がしたので俺は君子危うきに近寄らずを徹底し、その日はバレないようにコッソリと彼女たちから距離を取り、日がな一日、都の散策をして時間を潰した。
そして翌日の早朝、陽が昇る前、俺たちは準備を万端に整えて都の北門に集合したのだった。
「じゃあみんな、出発と行きましょうか」