第四十話:宝玉採掘その七
海の幸を十分に堪能した翌日、俺たちは海から離れて一路北東へと森に分け入った。
俺たちのすぐ左、すなわち西側には山々が連なっている。
ようするに、今俺たちは森の中を山すそに沿うように北東に移動しているのだ。
ただし、進路が山裾に近づくと、足場が急激に悪くなってきた。
あまり遠回りするのも移動距離が延びるので思案のしどころだ。
「少し予定より時間がかかりそうですな」
もうそろそろ野営場所を決めなければ、という時間帯になって、俺の横を歩く藤崎さんが不意に話しかけてきた。
ゴツゴツした岩にコケがむし、うねった根が足元の自由を制限している。
「はい、これだけ歩きにくいと目的の盆地まで三、四日かかりそうですね。ところで、宝玉はどれくらい必要なんですか?」
目的地への到着が遅れれば採掘の時間が削られるのは当然の理だ。
運よく、到着してすぐに鉱脈が見つかればいいが、そうでなければ厳しい冬山の行軍を余儀なくされる。
今はすこしでも時間が惜しいのだ。
そんなことを言うくらいなら海の幸にこだわる場合ではなかったか……
なんてこと考えたくなるが、男には引けない戦いがある。
俺が何と戦っていたのかは言うつもりもないが、とにかくそういうことだ。
「そうですなぁ、最低でも二百人分でしょうか。欲を言えば四百人分手に入ると楽になるのですが」
「最低二百人分ですか……」
宝玉にどれくらいの質が求められるのか俺には分からない。
くず石まで含めていいならそれほど時間はかからないだろうが、そんな都合がいいことはないだろう。
ならばできるだけ急ぎたいところだが、足場と視界の悪さが、行軍が容易ではないことを物語っていた。
最悪は帰りが冬になることを覚悟して、その方策を模索した方が現実的か?
などなど考えながら、しかし急げるだけは急いで森の中で歩みを進めたのだった。
福井への道が抜けていることを期待し、盆地を目指して森の中の行軍を開始して三日目の昼前、斥候を務めていた兵士が息を切らして戻ってきた。
「報告します。これより二キロほど先に森がひらけた場所があり、その奥に山間の谷を発見しました。目的の盆地に続いていると思われますが、どうやらその谷の奥は”妖気”溜まりのようで、複数の妖魔が徘徊しておりました」
「種別とカテゴリー、数は?」
斥候の報告を受けた藤崎さんは、明らかに苛立たしげにそう問いかけた。
当然だろう、ようやく歩きにくい森を抜けられると分かったばかりだったのだから。
「カテゴリー二から三の山犬が確認できただけで十三体であります」
「ふむ、その程度の妖魔だけならば問題はなかろうが、そんなことはないだろうな」
「おそらく。”妖気”溜まり具合からして、谷の奥は妖魔の巣だと思われます」
「だろうな。とすればカテゴリー五クラスがいる可能性が高い。はて、どうすべきか……」
そう言って考え込んだ藤崎さんの顔は、悩んでいるというよりは苦虫を噛みつぶしたような渋い感じだった。
その様子を静観していた一花が、意を決したように口を開く。
「カテゴリー五の妖魔ならばわたしと空様でなんとかできるでしょう。カテゴリー四クラスならば藤崎と先生、それ以下の小物なら遥さんと小隊長ならば問題ないでしょう」
「なりません一花様。次期国主たる一花様がそのように軽々しく危険な立ち回りをなさりたいなどと」
藤崎さんにたしなめられた一花は、憤慨するように、そして苛立たしげに声を荒げる。
「まさか藤崎、空様おひとりにカテゴリー五の妖魔を押し付けろと言うのですか?」
一花の剣幕に押されるように目を見開いた藤崎さんだったが、その顔からは今までの険しさが無くなり、いつもの冷静さが戻っていた。
「そうは申しておりません」
「ではどうせよと言うのですか藤崎」
一花は困り果てたようにそう言った。
「戦うばかりが本筋ではございません。それに、カテゴリー五が一体だけとは限りませんぞ」
「……わかりました、不要な戦いはできるがぎり回避いたしましょう。しかし、いざとなればわたしも前に出ますよ」
一花の表情から察するに、まだ納得はできていないようだったが、彼女の立場がそれを許さないのは仕方がないことなのだろう。
そう思って俺は一花をフォローしておくことにした。
「じゃぁ、もしカテゴリー五が襲ってきたら俺が前に出ます。一花ちゃんは俺のフォローと全体の指揮を」
「わかりました」
俺の提案に、一花はニコリと微笑んでくれた。
「カテゴリー五が二体以上か、カテゴリー四が対処できないほどいれば撤退ということで先に進みましょう。それでいいですよね、藤崎さん」
そしてようやく、藤崎さんの顔が柔らかいものへと変わった。
「しかたありませんな、それでまいりましょう。カテゴリー三以下の小物は小隊の面子だけでもでどうとでもなるでしょうし、引き際を誤る者もおらんでしょう」
ようやく方針が決まり、俺たちは妖魔が徘徊する谷へと向かう。
報告にあったとおり、森が切れた先は広く開けており、犬型の妖魔が何匹も徘徊していた。
その先には両側を切り立った崖に挟まれたかなり幅の広い谷が見える。
徘徊している妖魔は、谷から漂う薄い”妖気”の範囲からは出ようとしないようだ。
かなり薄い”妖気”だが、それよりもはるかに薄い”気”のレーダーを展開している俺にはそれがわかった。
森の木々に身を隠し、息をひそめて飛びだすタイミングを女小隊長がはかっている。
藤崎さんが言っていたとおり、小物の相手は小隊の仕事だ。
しかし小物とは言っても、相手はカテゴリー二から三に分類される妖魔だ。
一般的な兵士や、それに匹敵する戦闘力がある発掘師からすれば、命をかけて戦わねばならない脅威となる存在である。
それでも、今回の遠征に選抜されている遊撃小隊の実力は抜きんでたものがあるらしい。
彼、彼女らを見守っている一花や藤崎さんの、信頼しきった視線がそれを物語っている。
そんなことを考えていると、草陰から様子を見ていた女小隊長の体が不意に沈みこんだ。
次の瞬間、爆発的な勢いで、しかし音を発することもなく、女小隊長が弾丸のような速度で一番手前にいた山犬へと迫る。
そして圧倒的な速度で振り下ろされた刀は、見事に山犬の首へと吸い込まれ、音を立てることもなくその首を切り落としていた。
他の山犬はその事実にすら気づいていないようだ。
そして女小隊長に呼応するように、小隊の面々もそれぞれが目標としていた山犬へと突っ込んでいく。
しかしさすがに、女小隊長のような一刀両断とまでは至らなかったが、それぞれに不意打ちには成功したようで、ほとんどの者が致命的なダメージを山犬へと与えていたのだった。
その後の連携も見事なもので、わずかに遅れて飛びだした残りの兵士は、まだダメージが浅い山犬を瞬時に見分け、まるで示し合わせていたかのように各々が動いていた。
その様子を満足そうに見渡した女小隊長は、すべての山犬が倒されたのを確認して、まだ森の中にいた俺たちの方へと歩いて来た。
「露払い完了いたしました」
「見事な戦いだった。ご苦労」
と、満足そうに女小隊長をねぎらった藤崎さんは、俺たちの方に振り返った。
「それでは参りましょう」
藤崎さんのその一言で、すでに集結して整列していた小隊が二手にわかれ、俺たちを守るように前衛と後衛について谷の中へと足を進めた。
谷に入ると、幅三十メートルほどの比較的平らな谷底の両側には、きっり立った岩肌の崖が高く続いており、谷底には獣道というか妖魔の通る道が出来上がっていた。
かなり歩きやすいし、曲がりくねってはいないので前方の視界もよい。
その道を歩き続けること一時間、ようやく前方が開けると、そこには岩がゴツゴツと飛びだした荒野が広がっていた。
遠くには囲むように山が見えており、山に囲まれたその一面には草木がほとんど生えておらず、ぽつぽつと動き回るおそらくは妖魔だろうモノが視認できる。
そして、いたるところから”妖気”が漏れ出しているのが俺にはわかった。
「なるほど確かに妖魔の巣だ。これでは生物は生きていけないな」
自然に口をついた言葉だったが、他の者たちも俺同様初めて見る景色に圧倒されているようで、俺の独り言に反応はなかった。
しかしそのとき、先頭を歩いていた女小隊長が振り返る。
「あちらから抜けられると思われます。ここは一気に駆け抜けて出口を目指した方が安全だと思われますが」
たしかに彼女の言うとおり、出口らしき山の谷間が奥の方に見える。
この盆地を徘徊している妖魔はまばらだし、近寄ってきた敵をいちいち相手にするよりは駆け抜けたほうが無難だろう。
そんなことを考えていると。
「確かに中尉の進言は尤も。どう思われますか?」
藤崎さんが一花にそう問いかけていた。
「無駄な戦いは避けた方が無難なのは確かです。その案で行きましょう。ただ……」
この盆地を駆け抜けることを了承した一花だったが、三浦の爺さんに視線を投げかけた彼女は、困ったように考え込んでしまった。
「師匠は俺がおぶって走りましょうか?」
一花が何を考えているのかすぐに察しはついたので提案してみたのだが、三浦の爺さんはそれが気に入らなかったようだ。
「そこまで落ちぶれてはおらん! これくらいの距離、貴様らの足について行くことなぞ容易いことだ」
プンプンと怒りの蒸気を上げるほどではなかったが、その憤慨した様子は、気まずくなってしまった場を和ませるに十分だった。
「わかりました。でも先生、あまり無理をしないでくださいませ。もし辛くなりましたら何時でも言ってくださいね」
一花はそう言っているが、男が一度意地を張ったのだ。
もしキツくなったとしても弱音を吐くことなどないだろう。
これは注意して爺さんの様子を見ておかなければ、と、俺は心のメモ帳に書き込んだのだった。
女小隊長を先頭に、小隊の半分が扇状に距離を取って展開し、その後を俺たちが走りだした。
後方に付いていた残りの兵士たちは二手に分かれた俺たちの横を走っている。
彼、彼女らは、実際には俺たちを守ると言うよりは露払いが仕事なのだが、その役割を実によく心得ているらしく、ときおり襲い来る犬型やイノシシ型の妖魔と本気で戦うようなことはせず、走る速度を殺すことなく切りつけて払いのけることに専念していた。
とどめを刺そうと足を止める者など一人もいない。
そんな感じで大地に飛びだした大岩を縫うように盆地を走り抜けている最中、何度かカテゴリー四相当の虫型の妖魔や、見たこともないような巨大な犬型の妖魔が襲ってきた。
しかしそんなときは、藤崎さんが飛び出しては一刀のもとに切り伏せ、小隊の兵士たちとは次元の違う戦闘力を見せつけていた。
結局、盆地を走り抜ける間、俺や一花、遥に三浦の爺さんが刀を振るうことは無かったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆
福井の国の東。
谷から湧き出てくる妖魔を防ぎとめている部隊に合流した善之助は、疲れ切った兵士たちを鼓舞するように自慢の長槍を振るっていた。
彼が戦線に合流して既に四日目になっている。
「クソッ、キリがない」
カテゴリー三相当の山犬を切り伏せた善之助は、そう呟きながらも明らかに苛立っていた。
谷から湧き出てくる妖魔は、カテゴリー二から四が十体前後の群れを成しているのだが、定期的に襲ってくるわけでもなく、かといって大群で押し寄せてくることもない。
だからといって放置できるレベルではなかった。
報告によれば襲撃は一日に二度から四度ほどで、数日に一体程度レベル四が出現するので、前線の兵士たちに気が休まる暇はない。
現に、善之助は参戦してから二度ほどカテゴリー四相当の妖魔を倒している。
カテゴリー四相当の妖魔は、基本的には百人程度の多数の兵で取り囲んで討伐する必要があり、ケガをする兵も必ず出てくる。
前線には三百程度の兵が配置されてはいるが、どの兵も一週間に一度はカテゴリー四相当の妖魔と相対していることになる。
それ以外にもカテゴリー三以下の妖魔を討伐する必要があるため、いくら善之助とその側近が加勢したとはいっても、兵たちの心労と疲労はすでに極限にまで達していた。
もしカテゴリー四以上の妖魔を通してしまうと、平民たちにそれを防ぐ術はない。
妖魔が谷から出てこなくなるまで、兵たちに安らぎは訪れないのだ。
「この状況が続くのであれば、ケガをした兵や疲労度の高い兵を都の守備隊と入れ替えてはいかがでしょうか」
懐刀の木原にそう進言された善之助は、苛立ちを抑えながらもその考えが正しいことを理解していた。
しかし、そうすればもし万が一妖魔を抜けさせてしまった場合、都の守りが手薄になることは明らかだった。
元来、前線で妖魔を食い止めている兵たちは力の強い者たちから選ばれている。
つまり、都の守りについている兵たちは熟練度も戦闘力も低い者たちなのだ。
しかし、疲弊した兵より戦えるのは当然の理だった。
「よし木原、ケガをした者、疲労が色濃い者から五十名を選んでおけ。都には強い者から百名を連れてくるように伝令を出せ」
「はっ」
木原が兵たちの詰めているテントに走り、その後都への早馬が走り去った。
善之助はその早馬を見届けたのち、妖魔の血にまみれた体を拭おうとテントへ向けて歩き出した。
そんな時だった。
ひとりの兵士が善之助のもとへ青ざめた顔で走り寄ってきた。
物見やぐらに上がっていた見張りの兵だ。
「ほ、報告申し上げます!」
「話せ」
「主の出現を確認いたしました!」
「なっ、ヌシが出ただと……」
このとき善之助は、この上ない絶望感と共に、あまりに慈悲のない天の采配にこれまでにない焦燥と怒りを覚えたのだった。




