第三十三話:旅の準備
藤崎さんが俺の屋敷に相談事を持ってきた翌日。
俺と遥は要請どおり軍本部へと出向いた。
今日の服装は、さすがに発掘師の恰好はマズいと思ったので、遥と相談して濃紺のスーツに慣れないネクタイ姿だ。
遥はシックな紺のフォーマルドレスに白いレースのショールを羽織って俺の左後ろをおしとやかに歩いている。
家にいるときの遥からは想像しにくい振る舞いだ。
で、そんなことはさておいて何のために呼ばれたかというと、あるモノを受けとることと、日程等の打ち合わせ、それと調査隊メンバーの顔合わせをすることになっている。
そういえば、ここに来るのは十か月ぶりか?
なんてことを考えながら、遥と二人で軍本部の正門に来て見れば……
開け放たれている大きな鉄柵門の右側に、直立不動で立つ門衛の顔を俺はよく覚えていた。
いや、忘れるはずがないその顔は、あのとき俺を散々いたぶってくれやがった猫田だった。
一花から聞くのを忘れていたが、どうやら死んではいなかったようだ。
その猫田の方に俺は歩いていく。
すると、猫田の方も俺の顔を覚えていたようで、こっちを見るなり直立不動のまま震えだしやがった。
あの時はあれほど偉そうにしてたのに、今はこの有様である。
文句の一つでも言ってやろうかとも思ったのだが、今の猫田のあまりにも情けない様に、俺の再燃してきた怒りは霧散してしまっていた。
俺は猫田に一べつをくれると、奴の後方に見えるの守衛所、要するに受けつけをするところに遥とともに歩み寄った。
守衛所の受付に座っている男の軍人さんは、怪訝な顔で俺を見ている。
どうやらこの人は俺の顔を知らないようだ。
と、怪訝な顔をされながらも俺は少しだけ安心していた。
あの射殺すような視線を、また浴びせられたらたまったもんじゃない。
「あのぅ、藤崎侯にここに来いと呼ばれたんですけど」
「ちょっと待て」
受付の人は、不機嫌そうにそう言って手元にあった紙束をめくりはじめた。
そして、その中の一枚を抜き出し、緊張の色を用紙を読むその顔にのぞかせた。
「あ、葵空伯爵様であらせられますか?」
「うん、そうだよ」
「案内の者を連れてまいりますッ。し、少々お待ちください」
受付の様子を見ていた遥が、その慌てようにクスリと笑いを零す。
守衛所の奥に慌てて引っ込んだ受付の人が、すぐに若い女の軍人さんを連れて戻ってきた。
「この者がご案内差し上げます」
「ありがとうございます」
一応お礼を言ってニコッと笑顔を見せたら、受付の人はほっと安心したように緊張の色を解いてくれた。
そして、案内の女の人は、なぜだか驚いたように顔を赤くして嬉しそうにしていた。
「では、こちらになります」
一度軽く腰を折って進むべき方向を差し示し、歩き出した案内人の後を遥とともについていく。
前回猫田に連れてこられたときは夜だったので、それほど人を見かけなかったが、今は昼前だけあって結構な数の軍人さんが歩いていた。
そんな軍人さんとすれ違うたびに目があうが、軽く会釈をされる程度で、叙勲式のときみたいな厳しい視線を浴びることはなかった。
どうしてそうなったのかは分からないが、俺としては嬉しいかぎりだ。
女の軍人さんは決まったように少し驚いて、笑顔か緊張した顔で会釈してくれる。
しかも、何人かは案内役の人に羨ましそうな視線を送っているしまつだ。
そんな状況に何度か出くわしたら、さすがの俺でも状況がつかめてきたような気がしてきた。
そう、ついに俺にもモテ期が到来したのである。
おそらくあの大カマキリを倒して伯爵の地位を貰ったことが原因だろうが、理由はどうあれ嬉しいかぎりだ。
なんてことを考えてにやけていたら、遥が俺の脇腹を抓ってきた。
遥から俺の顔は見えないはずなのに、なかなか鋭い。
そんなことをしつつも、案内されてやってきた部屋には、一花をはじめ藤崎さんともう一人、かなりお年を召した白髪頭の老軍人が、ソファに座って話をしていた。
ノックをしてドアを開けてくれた案内の女の人は、その部屋には入らずに、それでは失礼しますと言って帰っていった。
「ささ、空殿、遥殿はこちらへ」
藤崎さんが、俺と遥を空いているソファへと招き、座る前に老軍人を紹介してくれた。
「この方は今回の調査に同行される伯爵級騎士の三浦先生です」
「あ、どうも、俺は発掘師の空です。こっちは発掘師仲間の」
「鴻ノ江遥と申します」
「三浦喜一だ、先生などと呼ばれておるが、ただの知りたがりのジジイだ。此度は無理言って同行を許してもろうた。気軽に三浦の爺さんとでも呼んでくれ」
「三浦先生は私の師匠でもあるのよ。空様も遥さんも折を見て刀術の教えを乞うといいわ」
一花にそう言われながら、三浦の爺さんと握手して分かったことだが、この爺さん、頼りなさそうに見えてとんでもない”気”の使い手だ。
俺や一花よりは少ないが、遥よりかなり多い”気”を隠し持っている。
パッと見では一般人の平均よりも”気”が少ないように思えて、なんでこんな爺さんが軍の高官、それも伯爵級の騎士なんだろうか、と、不思議に思っていた。
ここまで自分の”気”を隠ぺいできるなんて、スゴイとしか言いようがない。
そして、一花はずいぶんとこの爺さんを信頼しているようだ。
しかも考えが固いようにも見えないし、人当たりもよさそうな感じがする。
爵位を貰って俺も刀を持てるようになったことだし、ここはひとつ一花のアドバイスに従ってみるのもいいかもしれない。
いや、これは願ってもないチャンスなんじゃないだろうか。
この爺さんが一花の師匠だというなら、彼女はこの一見ただの爺さんに鍛えられてあの斬撃を身につけたのだろう。
そう考えれば、この機にこの爺さんと仲良くなって鍛えてもらえば、もうあんな苦戦はしないで済むかもしれない。
というか、カテゴリー五? 何それおいしいの? と、余裕をぶっこいても楽勝できそうだ。
しかし、ここまで考えてハタと違和感を覚えた。
確か一花は遥もこの爺さんに教えを乞えばいいと言っていた。
俺は爵位持ちになったからわかるが、遥はただの発掘師だ。
刀や剣は法律で所有できないのでは?
なんてことを考えていたら。
「あの、一花様? わたしは貴族でも軍人でもありませんが、その、三浦様に教えを乞うというのはどういうことでしょうか」
やはり遥も気づいていたらしい。
「私が説明しましょう。先の妖魔異常出現に絡んでのことなのですが――」
概略だけを説明すると、妖魔に対抗するために戦力増強が軍上層部で検討されていたが、その一環として”気”力が高い発掘師に刀剣の所有権を認め、そのかわり、妖魔異常出現時に軍の臨時招集に応じてもらおうということになったらしい。
もちろんそれ相応の報酬は支払われるという。
その結果、特級発掘師にかぎり刀剣の所有を認めることが正式決定され、法律がつい先日改訂されたのだそうだ。
当初の法案では、一級発掘師にも刀剣の所有を認める方向だったが、一部有力者の反対が強く、折衝の末、特級発掘師に限定することになった。
と、藤崎さんが忌々しそうに話してくれた。
ただし、刀剣を所有するからには軍の臨時招集に応じる義務が生じるため、それを承知の上で免許を取得してほしいと付け加えられた。
ちなみに、これは爵位持ちすなわち貴族にも当てはまることで、本来貴族だけが所有していた刀剣所有免許を、特級発掘師も取得できるようになった。
と、理解すればいい。
「ご説明ありがとうございました。ぜひ取得させてもらいたいと思います。それで、どうすれば免許を取得できるのでしょうか?」
藤崎さん曰く、特級発掘師の免状があれば、軍本部に申請して面接を受けるだけだそうである。
貴族の場合は軍本部に申請するだけで、刀剣所有免許を得られるそうだ。
遥は今日、特級発掘師免状を持参するように言われていたのだが、何のために必要なのか不思議がっていた。
で、藤崎さんの説明を聞いて、クスぶっていた疑問が解消したと納得顔だった。
「このまま立ち話もなんです。どうぞお掛けください――」
刀剣についての話が一段落したところで、藤崎さんがようやく今日の本題について切り出してきた。
今回俺が採掘に行こうと思っている場所は、よくよく聞いてみれば完全に未開の地らしいし、そうなると発掘師だけでは危険すぎる。
かといって一花や藤崎さんたち軍人だけでは発掘やその調査に関して何をどうすればいいか分からないし、分かったとしても技量がない。
ということで、宝玉の産地調査に必要な物資と人員、それから日程について昼食をはさんで夕方近くまで打ち合わせをするはめになった。
今回必要なことについてだけであるが、まずはお互いの知識や常識についてすり合わせからはじめて、相互理解を深めた。
そこから今回必要な物資や人員を割り出し、大まかな日程というか必要な日数を検討していった。
「だいたいこんな所ですかね」
「そうですな。それで空殿、物資は我々が準備するとして、出発日時は如何に?」
「俺は明日からでも大丈夫ですが、遥は?」
「わたしは何時でも大丈夫よ」
「ハハハ、お二人ともさすがは発掘師ですな。どうも我々にはそういった機敏さがない」
「というと?」
不思議そうに顔を見合わせた俺と遥に、一花が吹き出しそうになるのをこらえて答える。
「ふふふ、軍みたいに大きな組織は何事にも時間がかかるの。ね、藤崎」
「申し訳ございません、一花様。そういうことですので空殿、四日頂けませんか。それまでに必要な物資と人員を揃えておきます」
「あはは、べつに、無理に急がなくてもいいですよ。俺たちは気にしませんし、いつでもいいですからから」
一花に突っ込まれて恐縮しきりの藤崎さんだったが、よくよく考えてみれば彼女が軍のトップだったりするわけだ。
結局のところ一花は、藤崎さんを責めるつもりはなくて、そういうものだと割り切っているのだろう。
今は戦時ではないのだから。
で、ようやく打ち合わせが終わったということもあり、俺たちがここに呼び出されたもう一つの理由、つまり刀剣の免許について手続きをすることになったわけだが、手続きは渡された用紙に名前を書くだけであり、俺はその用紙一枚、遥は用紙に特級発掘師免状を添えて藤崎さんに預けることになった。
「それでは、手続きの間に見てもらいましょうか」
一花が目線で三浦の爺さんに合図を送った。
すると、爺さんがやおら立ち上がり、大きな桐箱を中央のテーブルに置く。
「空殿、開けてみなされ」
幅七十五センチ、高さ十五センチ、長さ一メートル五十センチほどの霧箱のふたを開けると、そこには大小五本の刀が収められていた。
どの刀も鍔が小さ目で、持ち手には房があしらわれている。
どうやら軍刀のようだ。
「これは?」
「私からのプレゼントです。空様が好きな刀を選んでください。遥さんもどうぞ」
「えっ? こんな高そうなの受け取れないよ」
「そ、そうですよ。わたしたち何もしてないのに」
「軍のお願いを無理やり聞いてもらうんですもの。これくらいの贈り物は安いものです。それに、これは私のコレクションの一部ですから」
素人の俺でも、この箱の中に並ぶ刀が並のモノではないことが容易に想像できた。
いくら一花のコレクションだといっても、はいそうですかと簡単に受け取っていい物ではないような気がする。
遥も俺と似たような考えなのだろうか、答えが出せずに迷っているようだ。
「こういうものは素直に受け取った方が良い。ほれ、姫殿下が困っとるだろうが」
三浦の爺さんにそう言われて一花に目をやると、確かに彼女は軽い困り顔だった。
これがもし藤崎さんや目の前の爺さんの贈り物だったら、俺は絶対に受け取とらない。
どうしてもというなら、買い取るなり借りるなりすると思う。
でも、相手は一花だ。
彼女のことは家族も同然だと俺は思っている。
それならあまり意固地になるのも一花が可哀そうか。
そう思って俺は受け取ることにした。
「わかった。ありがたく使わせてもらうよ。それで一花ちゃん、どれを選んでもいいの?」
俺が折れたことで、一花はほっとしたように笑みを浮かべている。
「ええ、どれでも一振り気に入ったものを。遥さんもよければ」
遥はまだ迷っているようだったが、俺が箱の中で一番長くて太い刀身百二十センチ弱の大太刀を選んで鞘から抜いているのを見て、ようやく決心がついたようで、箱の中では平均的な刀身八十センチほどの太刀を選び取ったようだ。
で、鞘から抜いた刀身をまじまじと見てみると、やはりというかなんというか、反りがあって綺麗な波紋が浮かんでいるさまは、カッコいいという一言に尽きる。
日本男児たるもの、一度は日本刀に憧れるものだろう。
かくたる俺もその例に漏れないのだが、こうやって日本刀を手にしてみると、思わず顔がにやけてしまうのを止めることができなかった。
そんなことをしている内に、手続きを終わらせた藤崎さんがもどり、俺と遥は刀と、刀剣所有免許を頂戴して軍本部を後にしたのだった。