第三十一話:叙勲式
大公宮の広い敷地の横手にある格式の高そうな大きな木造の建物。
パッと見、神社仏閣のようにも見えるが、中に入ればここが迎賓館だということがよく分かる。
和洋折衷ながら格式が高そうな調度品の数々、きらびやかなシャンデリアや床一面に敷き詰められたフカフカの絨毯などなど。
俺たちが案内されたのはその中の一室、大広間だった。
収容人数三百名ほどのかなり大きい広間の奥には、一段上がったところの中央に玉座のような豪華な椅子。
さらにその奥に金屏風。
ホール内には六人がけの丸テーブルとイス。
それがパッと見三十セットは配置されており、各テーブルには三角柱を倒した木製の名札が円形に置いてあった。
なにやら披露宴のホールのように見えなくもないが、どうやら席は決まっているらしい。
もしかしたらこれも一花の演出なのか?
なんてことを考えもしたが、その考えも数秒ののちには中断を余儀なくされた。
以前にも感じたことがあるこの感覚、すなわち強烈なデジャヴが俺を襲った。
その正体は、俺へと向けられた射殺すような視線の集中砲火。
俺が一体何をした?
なんて自問する必要は全くなかった。
そう、全ての元凶は俺の左腕に絡みつき、幸せそうに満面の笑みを振りまいている一花だ。
その元凶はといえば、俺への視線に全くと言っていいほど無頓着だし、いや、彼女ほどの女傑がこの視線に気づかないはずがない。
気づいていてなお無視しているのだ。
いや、ただ無視しているのではない。
このお方、満足していやがります。
きっと彼女はこう思っていることだろう。
私に言い寄ってきても無駄ですと。
フィアンセはここにいるのだからと。
希美花さんから聞いていたことだが、この時代ではすでに適齢期真っ盛りの一花には、数年前から縁談が結構な数来ているらしい。
しかし彼女は、そのどれにも首を縦に振ってはいない。
お見合いすらすべて袖にしている。
その主たる理由は、俺の生存を信じて疑わなかったからだということを希美花さんは言っていた。
そんな背景があったところに、国民的にも絶大な人気があり、一部貴族や軍人たちから崇拝されている一花の婚約予定者が俺だという公式発表、それに加えて純然たる公の場で公然と示された彼女のこの態度だ。
今俺に向けられている、ある意味、ではなく本当の意味で殺気立った射殺すような視線の束は、そうなって当然の幾重もの伏線の上に成り立っていたのだ。
一花の俺に対する好意を受けとめると希美花さんに、そして自分にも誓った以上、俺はこの逆境を甘んじて受け入れる必要があるのだろうが、まさか、かつて自分がよくモテ男に抱いていたリア充爆発しろという負の感情を、逆に抱かれる立場に立つとは露とも思っていなかった。
そしてこうなってしまった以上、この視線を軽く受け流すくらい、いや、心地よく感じられるくらいの境地に…… いやいやそれは無理、俺には無理です一花さん。
胃に穴が開きそうです一花さん。
なんて本音を心の中で吐露して卑屈になっているうちに、メイド服を着た案内役の女の人にホール最前列中央のテーブルまで連れてこられた。
俺が奥側、つまり壇上を正面に見る位置に座り、左に一花、その左に希美花さん。
俺の右に遥、その右に鈴音ちゃん、その右に阿古川哲也が腰を下ろした。
遥は以前高科邸で見た赤いドレスで着飾っており、鈴音ちゃんは水色の下地にピンクの花が描かれた着物姿で、髪を上げて後ろでまとめていた。
阿古川哲也は黒のフォーマルスーツを着て光沢のあるうすい灰色のネクタイ姿だ。
こういった会場ではふつう、式典がはじまるまでガヤガヤと騒がしいものだが、規律の厳しい軍人さんが多いせいか、はたまた国のトップが主催するせいか、しんと静まり返っていた。
相変わらず俺への視線には鋭いものが多数混じっているが。
幸いなことは、俺の位置関係上視線を送っている主たちを直接見ないで済んでいることか。
「お集まりの皆様ご起立願います」
壇上の脇に立った老紳士風の男がよく通る声でそう告げると、黒いモーニング姿で髪を上げた陽一さんが、逆側の壇上脇から男女の護衛二人を従えて中央へ歩み出た。
そして玉座みたいな椅子の前で会場を見渡すと、満足そうに威厳ある笑みを湛えた。
「今日という良き日に集いし誇り高き精鋭たちよ、貴殿らは我が大公国の誇りである。貴殿らは己が身を顧みること無く身命を賭し、果敢に、そして諦めることなく困難に立ち向かい、大公国、その礎である民の命を守ったことは我が最大の喜びである。我は貴殿らのその崇高なる志と偉業とを称え、心ばかりではあるが褒賞と金す、ささやかな食事を贈るものとする。本来この場は初桜の折に――」
大公陽一さんの在り難く長~いお言葉がこの後も三十分くらい続き、ようやく勲章と金一封の書状の授与が開始されたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
叙勲は、勲五等の授与からはじまった。
氏名を呼ばれた者が壇上に正面横の階段から上がり、大公高科陽一から勲章と報奨金の目録を順次受け取って横に列をなしている。
御堂鈴音と阿古川哲也も、勲五等叙勲者として壇上に上がっていた。
御堂鈴音は伯爵家の令嬢ということもあって堂々とした振る舞いだったが、阿古川哲也は緊張のあまり、ガチガチに固まっている。
その会場の片隅で、将官服姿の二人の男が大広間全体の様子に注意を払いつつ、互いに顔を合わせることなく小声で会話していた。
「さすがに今年は叙勲者が多いな、藤崎侯」
「あれだけの妖魔が出ましたからな、当然のことでしょう。三浦先生」
小声の主は騎士序列二位の侯爵級騎士、藤崎健吾と、騎士序列三位の伯爵級騎士、三浦喜一である。
藤崎は叙勲式会場警備の責任者であり、ひょうひょうとした感じの老将官である三浦は、その補佐役を務めているが、富士大公国騎士団のご意見番的存在であり、一花に刀術を教えた師匠でもあり、彼女も藤崎もそして陽一ですら頭が上がらない存在だ。
その三浦が感心したように顔のシワを深める。
「ほう、あれは御堂家の」
「御堂伯爵家令嬢、鈴音殿ですな。空殿、遥殿と共にパーティーを組んでおられます。空殿の話では将来有望な発掘師だそうですよ」
「なかなか良い目をしておられるな、空殿は」
「確かに、ですが彼女も空殿もまだまだ危なっかしい」
「だが、二人ともあの若さでは仕方なかろう。それにしても……」
壇上の鈴音から、空の隣で幸せそうにしている一花に視線を移した三浦の表情は、孫でも見守っているかようだった。
勲五等叙勲者の記念撮影が終わり、勲四等の叙勲が行われた。
そして勲三等の叙勲者の中に遥と中村の顔があった。
三浦はその遥を見て。
「ほう、アレが噂に聞く遥嬢か」
「はい、彼女は準騎士級の”気”力持ちでもあります。剣術も刀術も修めておりませぬが、その武力は男爵級騎士に匹敵するかと。豊田の事件ではカテゴリー三の大山犬相手にたった二人で勝利したとか、しかも手傷はほとんど彼女が負わせたと聞き及んでおります。もちろん発掘師用のツルハシで戦ってです。騎士用の刀剣ならばカテゴリー三程度一撃で屠ることしょう」
「おしいのう。あの若さだ、刀剣術の基本でも叩き込めばいい騎士になるだろうに」
式は勲三等の叙勲と記念撮影が終わり、勲二等の叙勲へと移ろうとしている、藤崎と三浦はひそひそ話を続けていた。
遥が席に戻る様子を視線で追っていた三浦が、何か思い出したかのように問いかける。
「ところで藤崎候。例の刀剣法緩和の件、進展のほうはどうなっとる?」
「まだ根回しの段階らしいですが、保守派の一部が難色を示しているそうです」
「反対しとるのが一部なら緩和は時間の問題と考えてよいのかな?」
「いえ、その一部が問題でして。最近台頭してきた若手グループなのですが、貴族家の嫡男を中心に急速に勢力を拡大しております」
「保守派の若手というと、御堂家の小倅か」
「はい。ろくな実績はありませんが、弁だけはやたらとたちまして――」
二人の話題に出た刀剣法の緩和とは、貴族もしくは軍属にしか許されていない刀剣の所有権を、一級発掘師にまで広げようという、刀剣法という法律の改定案である。
刀剣法はもともと和国でできた法律であり、富士大公国もこの法をそのまま採用していた。
刀剣法を要約すれば、刀剣の所有が許された者はそれをもって妖魔に対峙し、民間人を守らねばならない。
そしてその所有権は、貴族または軍属に限定されている。
と、いうことになっている。
つまり言い換えれば、刀剣を所有する貴族または軍属は、民間人を差し置いて妖魔から逃げ出すことができないということだ。
ゆえに刀剣法は、貴族の貴族たる、軍属の軍属たる象徴的法律であるといわれている。
したがって特に一部の貴族軍属、とくに選民意識の強い貴族軍属に至っては、彼ら以外の者が刀剣を所有することを、良しとしないのだ。
その旗を振っている旗頭が三浦の言う御堂家の小倅、つまり鈴音の兄、御堂虎次郎なのである。
「だが、所詮奴は一般人だろうて」
「はい。たしかに御堂虎次郎は一般人です。しかしその父は伯爵位にあります。虎次郎を旗頭とする若手グループが最終的に目論むは貴族世襲制の復活にあります」
「また何と愚かな……」
今でも和国は絶対君主制であり、和国貴族は世襲制である。
しかし陽一が富士大公国を和国朝廷から下賜されたおり、彼はまず貴族の世襲制を廃止していた。
そして富士大公国を、絶対君主制から立憲君主制へと移行させてきた。
そんな時代に逆行するような思想をもつ虎次郎に、三浦は深いため息をついた。
そんななか、勲二等の叙勲と記念撮影が終わり、いよいよ勲一等の叙勲者、空が壇上に上がった。
その空の胸に、まるで夫のネクタイでも直す新妻のような空気をまとって一花が勲章を取りつけた。
そしてつけ終わると、胸に勲一等章を輝かせた空に、彼女はまるで想い人を見つめるかのようなうっとりとした笑顔を贈っていた。
一花は勲二等から叙勲者に勲章を取りつける役にまわっていたが、今までは微笑をたたえるに留まっていた。
その一花が、空が壇上に上がってから表情を一変させたものだから、彼に投射される若い男たちの視線は、より一層険しいものになっている。
三浦は虎次郎のことを頭の中から追い払い、居心地悪そうに困惑している壇上の空へと視線を移した。
その三浦が相好を崩す。
「ホッホッホ、空殿も人気者であるな」
そんな意地の悪い笑顔を見せた三浦に、藤崎は苦笑を浮かべた。
「まあ、あの一花様を見れば皆の気持ちも分からんではないが……」
「フムフム、確かにあの姫殿下がこれほどまでに乙女らしくなさるとは。いやはや、いいものを見せてもろうた」
勲一等の受勲者は空一人であり、勲一等受勲自体、富士大公国建国以来二例目の歴史的出来事であった。
しかし、その歴史的な受勲者に対し、会場に集まった特に若い、貴族家の者や軍属からは、称賛されるどころか、彼らの妄想の中でではあるが、数知れず罵倒され、爆破され、切り刻まれるという悲惨な光景がくり返されていた。
会場にはその歴史的勲一等章受勲者に対し、恋い焦がれるような熱い視線を投げかける貴族の子女やら軍属の乙女も、少数ながら存在したのではあるが、圧倒的多数の若い男共によって、それはなかったかのようにかき消されてしまうのだった。
そんな異様な雰囲気の中にあっても、眼福とばかりに相好を崩している三浦に、藤崎は真剣な面持ちになって話題を変える。
「先生、別件ですがあの話はご検討いただけましたでしょうか」
「……ひとつ条件がある」
「その条件を飲めば引き受けて下さると」
「二言はない」
「それでその条件とは?」
さらに小声になって藤崎にとある条件を出した三浦の表情は、なにかイタズラを企んでいる少年のようでもあった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
本来は晴れ舞台であるはずの叙勲式で、俺は針のムシロに立たされたような思いを味わうはめになった。
しかしその式も終わり、終了後のパーティーも早々にバックレて、俺は高科邸へと避難していた。
その高科邸で陽一さんに、主役が抜け出すとは何事か、とお小言を少しだけもらったが、一花の振る舞いのせいで居心地が悪すぎた、どうにかしてくれと逆にクレームをつけたら、陽一さんも俺への視線のことは気がついていたようで、それ以上何も言わずにパーティーへと戻っていった。
ちなみに陽一さんとのこの会話、一花は俺の隣で聞いていたわけだが、まるでイタズラが成功した小娘のように小悪魔のような笑みを絶やさなかった。
そういえば小さい頃の一花も、よくイタズラをしてこんな顔で笑っていたなと懐かしくもなったりしていたのだが。
「なあ一花ちゃん」
「はい、なんでしょうか空お兄ちゃん」
「こういう悪巧みはカンベンしてください。お兄ちゃん胃に穴が開きそうだよ」
「えへへ、じゃあ空お兄ちゃんも私のお願い聞いてくれますか?」
「なんだい」
「これからはもっと私に会いにこの家へ来るように」
「はいはい、仰せのままに」
発掘に夢中になりすぎて、確かに高科家には遊びに来てなかったなと、少しだけ俺は反省することにした。
一花はたぶん寂しかったのだのだろうなと。




