その3
南田が鉄扇を握りなおし、左手の大刀は親指で鯉口を切っている。
低い声で叫ぶ。
「何者ぞ!」
床の間の違い棚に置かれているからくり人形が、動き出して喋りだした。
あやかしだが、声の主はどこにいるか分からない。
「南田殿、公儀隠密組頭・百地半蔵でござる。今まで判ったことをお伝えする」
「しばし待たれよ」と押し止め、控えていたおきちを部屋の中に入れた。
懐から取り出した懐紙と矢立てを渡した。
「手控えとして書き写せ」と指示をした。
「はい」
おきちは矢立を受け取り、準備する。
三方の襖、障子を開け放った。
用意ができてから、
「お待たせした。報告をきこう」
近藤の今迄の話と重複しているが、百地半蔵が経緯を話した。
「そして、この企てに加わっている忍び集団は八流派。阿州の十河流、羽州の羽黒流、信州の戸隠流、伯州の出雲神流、相州の風間党、肥州の菊池流、甲州の望月ののう、加賀の偸」
「各流派の条件を合わせる為もあるのか、徳川の世になってから生まれたもので戦うことになった。つまり、21歳以下の代表8人が闘う」
「既に籤にて最初の4試合が決められ、勝ち残ったもの同士が次の2試合を戦い、最後の戦いに生き残りをかける勝ち抜き戦だ」
「各流派の代表は、結果的に21歳20歳19歳18歳から各2人づつとなった」
「今のところはここまで判っている。なにしろ派遣した配下の者は殆ど戻らず、断片的な情報しか入らぬ。判り次第、順次報告する」
人形が止まった。
そして、公儀隠密組頭の気配は全く消えていた。
☆ ☆ ☆
腕組をしていた南田が振り向きもせず、背後で手控えとして筆をとっていたおきちに声を掛けた。
「おきち殿、写せたかな?」
「はい、なんとか写せました」
南田が振り向いて覗き込むと、金釘流の平仮名がずらっと並んでいた。
あしゆうそごふはしゆうはくろしんしゆうとかくしはくしゆう・・・・
近藤が、南田に聞く。
「それらの忍びについて、存じておられるか?」
「いささかは。阿州の十河即ち三好一族のことだが、織田信長が後ろ盾となり四国平定を準備していたが、天正10年6月に信長が明智光秀に攻められ本能寺で自害した為、後ろ盾を失った。ために、同年8月に、逆に長曽我部元親に攻められ壊滅的な打撃を受け、勝端城落城後、十河の忍びは姿を消したと聞いている」
「忍びとは、もともと修験道の影響を受けたもの。戸隠山は役小角によって修験道場が開かれたと聞いている。木曾義仲が平家と一戦を交え、義仲の家臣として加わったのが仁科大助。大助は、古くから戸隠や飯綱で修験道の修行をしていた。義仲が討ち死にしたあと、伊賀に逃れて、さらにそこで伊賀流忍術を習得してから、戸隠の地にふたたび戻って戸隠流忍術完成させたという。別名戸隠大助が戸隠流の開祖。上杉謙信や武田信玄なども雇い入れたと聞いている。今も、いざというときに役立たせる為、業を磨いておるかも知れぬ」
「羽州の出羽三山は、月山、羽黒山、湯殿山の総称であり、古くから山岳修験の山として知られている。羽黒派古修験道として発達し、羽黒流を創設したと聞く。修験者として全国の霊峰を回り、各地で修行していると聞いている」
「肥州の菊池流は、九州の菊池氏一族で、室町初期には三河守護代を務めたこともあるとか。二代将軍台徳院殿=秀忠のご生母であらせられる西郷局様は、この菊地一族じゃ。夜目が利いたと伺っておるゆえ、まこと忍びであったと思われる。また、盲目の女性に同情し、駿府に「盲女屋敷」という施設をつくり、戦乱の後、哀れな境遇にあった盲女たちをそこに集め、衣服や食料を与え、援助したという。この事は下々まで広まり、駿府では後々まで、西郷局様を見習い町人にいたるまで、盲女の事を「ごぜんのう」と呼んで大切に扱ったのだと・・・つまり瞽女のことだ。ただ、各地を歩く瞽女が入れ替わり立ち代り出入りしていたという。武田信玄の「歩き巫女」同様の意味があったと聞く。しかし、その菊地流が反将軍家連合に組みするとは思えないのですが・・・」
のんびりと近藤が答える。
「三代将軍は家光公じゃ。伊賀を筆頭に、甲賀・黒鍬・裏柳生がおる。西郷の局様の菊地流は日の目を見ることはなかった筈。今回の企ても、倒幕ではなく、あくまで将軍家の簒奪。各地の忍びたちは明日の伊賀を目指しているのだろう」
南田が続ける。
「甲州の望月流とは、武田信玄が創設した名高い「歩き巫女」のこと。甲賀五十三家の筆頭である上忍の家柄・甲賀望月氏の出身で、甲賀望月氏の本家に当たる信濃豪族の望月氏当主・望月盛時に嫁入りした千代が、川中島合戦で夫・望月盛時が討死したあと、くノ一としての腕を買われ、信玄の命にて甲斐・信濃の巫女の統帥「甲斐信濃二国巫女頭領」を任され、「歩き巫女」の養成を行うため、信州小県郡禰津村(現長野県東御市祢津)の古御館に「甲斐信濃巫女道」の修練道場を開いた。孤児や捨て子となった少女達2~300人を集め、呪術や祈祷から忍術、護身術の他、相手が男性だった時の為に色香・性技等で男を惑わし情報収集する方法などを教え、諸国を往来できるよう巫女としての修行も積ませた。一人前となった巫女達は全国各地に送りこまれ、彼女達から知り得た情報を集め信玄に伝えたと言われており、武田家の情報収集に大きな役割を果した。修行を積んだ歩き巫女達は『ののう』と呼ばれた。武田家滅亡の後、庇護を失った『ののう達』は、透破らと共に地に潜ったと聞いている」
「相手がわからぬ以上、考えても仕方がない」
南田は、腕組みのまま目を瞑り、瞑想に入ったようだ。
「戦国の世であれば、また日の目を見ることも考えられるが、太平の世の中では難しいであろうのう。故に、このようなことは、またとない機会と捉えているのであろうが・・・。なんとしても防がねばならぬが、探索の結果はまだか・・・」
近藤は、自らに言い聞かせるように口にする。
近藤は、日吉に向かって、
「日吉、先程の続きじゃが、このあと神輿はどこで休むのじゃ?」
近藤は江戸の絵図面を前にして、神輿の通る道順や、どこに休憩所があるのか、その位置などを日吉に事細かく聞いている。
四半刻=約30分の後、矢文が庭の松の木に打ち込まれた。
おきちが立って取りに行こうとするのを、日吉が押しとどめ、
「あっしが取ってめいりやしょう」
庭は綺麗に掃き清められている。
庭のたたきに揃えてある雪駄を引っかけて、松の木まで真っ直ぐに歩いて行った。
雪駄のあとが綺麗に等間隔で二の字を描いている。
「矢ごと持ち帰ってくれ」
座敷から南野が指示をした。
「へい」
矢を抜いて持ち帰り、矢ごと差し出した。
南田が受け取って、文は近藤に渡し、矢を見ていた。
「黒鍬者か・・・」
「近藤殿、文にはなんと書かれていますか?」
近藤が読み上げた。
「各流派の代表は女5人、男3人。名前は、博多亜麻鴎、日野雫、佐賀ほのか、富玖はる香、駿河紅頬。男は、新垣結衣三、吉川友衛門、北川景興の合計8人。ただ誰がどの忍び集団なのか判らぬ」
「なんと、既に試合は全て終わっているそうじゃ」
南田が呟く。
「勝ち上がった者が決まっている・・つまり、既に江戸に潜入しているものと考えていた方がよいな」
「まだあるぞ、望月ののう代表は女だと」
そのとき、塀の向こうから、飛礫のようなものが投げ込まれた。
小石を文で包むように丸めて、投げ入れてきたのだ。
南田が拾って文は近藤へ渡し、自分は小石をひねくり回していたが、それを懐に入れた。
「文にはなんと?」
「断片的じゃが、男同士の対決はなかったようじゃ」
「亜麻鴎は新垣より歳が上だとある」
「それだけですか?」
「いや、はる香の得意技は大型の畳針・・・畳針をどう使うのか?」
南野が腕組みのまま
「針を頭の後ろ盆の窪に突き立てて仕留める方法があると、藤花梅庵という町の針医者に聞いたことがある」
近藤は、自分の首の後ろをペタペタと叩いている。
「北川景興は小柄が得意。ほのかの得意技は毒薬だそうだ。どれもこれも断片的で、皆目、見当がつかぬわ」
四半刻も経たぬうちに、痺れを切らしたように、近藤がイライラと部屋を歩き回り始めた。
奥の台所が騒がしい。ねずみが走って逃げたとか騒いでいる。
そちらに気を取られた一瞬、南田が目を上げると、床の間の天井板が半分閉まるところであった。
床の間の違い棚に文が置いてある。
「きち、あの書面を近藤殿へ」
「いつの間に」
と、近藤が驚くなか、きちが文を手渡した。
「伊賀者はなんと?」
「伊賀者?」
「あの色は、伊賀者が好んで使う色でしょう」
「でしょうって・・・見たのか?」近藤が聞く。
南田が日吉を見て、
「日吉殿も見たであろう」
「へえ、あっしは、天井板がほとんど閉まるところで、柿渋色かどうかは見ておりやせんでしたので、なんとも・・・」
「そうか」
「儂は、全く気がつかなかった」
「それよりも文の内容は?」
「おう、そうじゃ。なになに・・・」
文を広げて目を通し、
「まず、偸は女」
「次に男のうち2人は同い年」
南田が確認する。
「たしか、男は3人であったな」
手控えを見ながらきちが答える。
「はい」
「次は、亜麻鴎の得意技は小型半弓とある」
「忍びの小型半弓は折り畳みが出来て、しかも懐に入る大きさの物があると聞く。大きさは書いて御座いませんか?」
「いや、大きさは書いてないぞ」
「むむ・・・」
「新垣結衣三の得意技は火薬・爆弾。そして風間党の男より年上とあるが、火薬・爆弾とは物騒じゃな。日吉、神輿に爆弾を仕掛けて神輿ごとぶっ飛ばすということはあるまいな?」
「まさかそのような恐ろしいことは・・・」と日吉。
「最後に、優勝者はほのかより年下だと・・・」
「失礼 仕る」
用人の原城が結び文を持参した。
玄関に、見知らぬ女が届けてきたという。
近藤がほどいてみると、
「羽黒流と対戦した女は、ほのかより年下で、望月より年上である」
「吉川が男の中では一番上まで勝ち進んだ」
「優勝者は雫より年下。そして、偸より年上」
「はる香と菊池流は、同じ回でともに男に敗けた」
このように記されていた。