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十話




 どこかで見たことがあるような気がする気味の悪い真白の男は、意味の分からないことをまくし立てるなりフライハイトに一発食らわせて意識を刈り取った。

 驚愕する間もない。

 フライハイトの意識が戻ったのは、怒鳴り声とやる気に乏しい声の応酬が聞こえたからだ。


「だぁかぁらぁ、これが一番手っ取り早いでしょー? それともなんです? 公衆の面前で侯爵家の騎士様が冒険者襲撃とかいう醜聞お望みでした?」

「そうではない! 私は……っ」

「はいはい、もうお黙んなさいな、エリスちゃん。全部お前の良いようにしてあげるから」


 長くひとが出入りしていなかった部屋独特の湿った臭いと、うっすら塵埃が積もる部屋で、言い合うふたりの男がいた。

 フライハイトが薄ぼんやりと瞼を開いた瞬間、きろり、と赤い目が瞬いた。


「おはよう! 御機嫌いかがぁ? ちなみに働きもののカインヘルくんはご主人様に理不尽なお叱りを受けてしょんぼりです」


 気づけば目と鼻の先。

 鼻が触れ合いそうなほど近くで顔を覗き込まれ、フライハイトは身を仰け反らせた。けたけたと真白の男が嗤う。


「びびってやんの。だっせ」

「……カインヘル」

「はいはい、こんなチキン野郎でもご主人様にとっては積年のなんたらって奴ですからね。けーい? それなりのなんかしらを抱いてそれっぽく対応しろっていうんでしょう? この我儘さんめ!」


 大仰な身振り手振りで嘆いて見せて、真白の男は櫛形に切った西瓜のように嗤う。わらう。


「はぁい、こんにちは。わたくし、カインヘル・アベルカムと申しまぁす。あっちはご主人様のエリステス。可愛いでしょ? 身の程知らずで器に見合わない思想抱いちゃう系俗物凡人なの」


 フライハイトはちらりとカインヘルと名乗った男が示すほうを見遣り、身なりのいい相手を確認する。

 何処かで見たような気がするが、思い出せない。

 どうでもいいものは記憶に残り難いのだ。

 カインヘルはなにがおかしいのか腹を抱えて嗤いながら、エリステスと呼んだ主人の肩をばっしばしと遠慮なく叩く。


「泣くなよ、ご主人! 男の子でしょ!!」


 エリステスは俯き、肩を震わせていた。

 屈辱? 怒り? それとも涙に。

 フライハイトには分からないし、エリステス個人に興味は未だ湧かない。

 しかし、カインヘルが主人と呼ぶからには、エリステスが自分に某かの用件あってこの状況なのだろう。エリステスを無視するわけにはいかず、フライハイトは彼を見つめて次の行動を待った。

 意外なことに己の得物は取り上げられていなかった。もっとも、手足が使えない現時点では取り出すのも無理だ。


「フライハイト……」


 上げられたエリステスの顔は苦しげに歪められていた。にやにやとカインヘルが嗤う横を通り過ぎ、フライハイトの前までやってくる。

 やはり、何処かで見たことがある。

 おそらくは貴族であろうエリステスとの接点を考え、思い浮かぶのは集団教育。あのとき、エリステスもいたのだろうか。

 あの頃はフライハイトがなにをしてもしなくてもやっかむ輩がいたのだが、まさか何年も経ってからこのようなことをするとはフライハイトは思わなかった。

 もっとするべきことがあるのではないだろうか。

 暇なのか、暇の使い方を間違えているのか、フライハイトの顔に呆れが滲む。

 その顔が気に食わなかったのだろう。

 エリステスが目を吊り上げて拳を振るった。

 両手足は参考にしたくなるほど見事な技術で拘束されているため、フライハイトはエリステスの拳を顔面に受ける。僅かに首を逸らすことで痛みも逸したが、エリステスはきっと気づいていないだろう。カインヘルは……引き笑いで察せる。


「お前が! お前に! お前を!」

「ご主人様、目的語言って……! ふ、ぶへぇ、くっそ笑える……っ、最高……!!」


 怒り狂ったような声と殴打音と大笑いする声。酷い空間だ。

 今更にフライハイトは薄暗い一室を視線で見渡し、見知らぬ場所だと嘆息する。窓の一つもなく、時間も方角も分からない。


「私は……お前が、ずっと……っ」

「煩えな……」


 鬱陶しさを隠さず、フライハイトはエリステスを睨む。

 貴族の我儘にはうんざりである。

 どこでなにを逆恨みしたかは知らないが、フライハイトにとっては知ったことではないのだ。

 一人で勝手に盛り上がって、フライハイトをこんなところに拉致までして、いい加減にしてもらいたい。


「八つ当たりはぬいぐるみにでもやってろよ、赤の他人を巻き込むな」

「……他人、だと」

「他人だろうが、それ以外のなんだっつうの」


 深々とため息を吐いて、フライハイトはうんざりとした顔で吐き捨てる。


「大体、お前誰なんだよ」


 凍りついたエリステスの表情。

 引き裂いたように嗤うカインヘルの表情。

 カインヘルが笑みを一瞬で引っ込め、優しい、それはそれは態とらしいほどに優しい顔で、エリステスの肩を抱く。



「可哀想なご主人様。おいたわしいご主人様。可愛いかわいいエリスちゃん」


 まるで、こどもをあやすようにゆらゆらと肩を抱いてエリステスを揺らすカインヘルは、毒を染み込ませるように甘ったるい声で囁きかける。


「お前の騎士に、一体なにを望むんだ?」


 エリステスがカインヘルと同じくらい白くなった顔で彼を見つめる。

 血の気が失せて、渇いたエリステスの唇が小さく震えた。

 にちゃり。

 滴る血のようにねばつくカインヘルの笑みが、フライハイトへ向けられる。


「了解だ、マァスタァー」

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