プロメテウスの火・2a
桃井翼が玄関を出ると、七月の太陽が肌に突き刺さった。真横から日差しが照り付けてきて目が開けられない。ショートカットの髪が燃えて、もっと短くなりそうなくらい暑い。半袖と短パンからはみ出した素肌がたちまち赤くなる。
「あっつ……、かんべんしてよお」
母が後ろからサンダルをつっかけて追いかけてきた。
「翼、帽子かぶって行きなさい」
返事を待たずに娘の頭に麦わら帽子をかぶせ、それから、「スイカも忘れずにね」
両手で抱えてやっと支えられるくらいの大きなスイカを持たされた翼は文句を言った。
「こんなの自転車に乗らないよ」
「それなら後ろで背負えばいいでしょ。……そうだ、あんたと華に使ってた抱っこ紐があったっけ」
母はバタバタと家の奥に入って、しばらくあちこち探し回った。その間、スイカを抱えたままの翼はずっと待たされた。
「ほうら、こうやったら落ちないでしょ」
抱っこ紐を後ろ向きに着けて、そこにスイカを押し込めば、確かにしっかり安定した。
「こんなの恥ずかしいよ」
「一番おっきなの選んだんだよ。こんなにおっきいの珍しいでしょ。おじいちゃんきっと喜ぶよ。いつもお世話になってばっかりなんだから、たまにはお礼しないと」
「しょうがないなあ」
翼は自転車をひと漕ぎして、それからは自動運転で、市街地を抜け、おじいちゃんとおばあちゃんの住む北を目指した。北の山は相変わらずの田舎の風景で、翼が幼かった頃から何も変わらない。山の向こうに、雪がすっかり消えた富士山の頂が見える。ひたすら広がる緑の茶畑と、真っ青な空、容赦ない日差しと、ときどき海から吹き寄せる冷たい風――、翼は身体いっぱいにそれらを受け取った。
やっと期末テストから解放されて、もう少しで高等教育学校での最初の夏休みを迎えようとしている。あと何日か授業は残っているが、心はもう夏休みだ。早くおじいちゃんの書庫へ行って、あの懐かしい本の匂いに囲まれて読書に耽りたい。
その翼の後ろから、眼鏡を掛けて髪を左右で三つ編みに結った花柄ワンピースの女の子が、同じく全自動自転車で近付いてきた。
「おはようございます、師匠」
「あ、智ちゃん、おはよう」
やってきた女の子は白石智香といって、高等教育学校で初めて知り合った同級生だ。一見すると地味な印象だが、中身は面白くて、翼と妙に気が合った。なにより二人は希少な哲学仲間だった。
「師匠、ずいぶんと立派なお土産をお持ちですね」
「そうなんだよ、無理やり持たされちゃって、重くてしょうがないよ」
「私はトマトをお持ちしましたよ」
見ると、智香のリュックの隙間からパンパンに詰められたトマトが覗いている。「毎年今頃になると、私の田舎から山ほど送られてくるんです」
「愛知のトマトは甘いもんね」
「そうなんですよ。おじい様おばあ様に気に入っていただけたらいいなあ。これからちょくちょくお世話になるつもりですから」
「智ちゃん、そんなに紙の本がいいの?」
「そりゃそうですよ、ネビュラなんかじゃ魂が伝わりません」
「うむ、それでこそ我が弟子ぞ。哲学書は紙に限る」
「左様です」
そんなことを喋りながら、二人の自転車は坂を登った。やがて木が覆う薄暗い谷間の道に差し掛かった。このくねくね曲がる道を抜けると、一気に視界が広がって田んぼが見えてくる。セミの声はまだ聞こえず、風も絶えてただただ静かだ。トラクターの走る音だけが、遠くのほうから、ほんのかすかに聞こえてくる。
すると、突如としてけたたましい呼び出し音が翼のネビュラに鳴り響いた。驚いた拍子に翼はふらつき、智香と接触しそうになって左へ右へ蛇行し、危うく倒れそうになりながら、なんとか持ち直した。
「なんだよ、どうせお母さんでしょ」
ぶつぶつ文句を言いながら呼び出し人の名前を確認した翼は、怒った顔から一転、待ちに待ったプレゼントをもらった子供のような顔になった。
「うそ、お姉ちゃん!」
翼は急いで自転車を路肩に止めた。智香にも手を振って、一緒に話に加わるように促した。
「どうしたの、お姉ちゃん、ずっと連絡くれなかったのに」
ネビュラの向こうで姿を見せた姉は、オレンジ色の防護服に身を固めて、立派な宇宙消防士になっていた。
「翼、今どこにいるの?」
「おじいちゃんちに行くところだよ。お姉ちゃんは?」
「私はいいの。とりあえず聞いて。時間がないから」
「また緊急事態?」
「そうだよ」
翼はふいに、かつて同じようなことがここで起きたことを思い出した。あのときは姉の言うことを信じて間違いがなかった。
姉の華は言った。
「今すぐ近くにいる人たちに避難シェルターに逃げるように言って。なるべく早く。おじいちゃんおばあちゃんにもそう言うの。お母さんには私から連絡しておくから、翼はとにかく、おじいちゃんたちをお願い」
「わかった」




