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ガラパゴス・ガーディアンズ  作者: 霧山純
第十話「パンドラ」
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パンドラ・1b

 目が眩むような雪原に飛行機は降り立った。三百六十度、地平線の端まで真っ白な雪で覆われ、目印も何もないようなところに、機体はまっすぐに滑り込んでいく。エンジンが逆噴射して、舞い上がった雪煙が窓の外を覆った。雪煙で太陽が隠されて機内が暗くなると、到着を知らせるランプが赤く機内を満たした。


 シェリーは全身を防寒具で包んだフル装備で滑走路に降りた。合成毛皮のフードが鼻を刺激して、何度もくしゃみが出た。

 十二月の南極は一年でもっとも穏やかな気候だが、それでも気温は氷点下をはるかに下回っている。息を吸うだけで肺が凍りつきそうだった。


 雪上車が牽引するソリにスーツケースが山積みになっている。ソリの前は、満員だった飛行機から吐き出された人々でごった返している。仕事で来ている者、観光で来ている者など、目的は様々だ。乗客たちは行儀よく行列を作った。機敏な職員の手から荷物が次々と手渡されていく。シェリーはそこから自分の荷物を受け取ると、ネビュラの案内に従って、自分を迎えに来ているソラリ・スペースラインの職員の元へと向かった。


 雪の真ん中に立つその職員の周りには、シェリーと目的を同じくしているのであろう、若い男女たちがすでに四人ほど来ていた。シェリーが来た後、さらに二人が来て、それで全員揃ったようだった。

 ジョン・グイドと名乗ったその職員は、青白い顔をして、身長が高くやせぎすで、背広の上にダウンジャケットを羽織っていた。雪焼けしていないその顔色から、彼がここで常駐している人間ではないことをシェリーは察した。


 シェリーを含む七人は誰もがみんな若かった。国籍と人種もバラバラだった。女性は三人いて、白人のシェリーの他は黒人とアジア系だった。あえて様々な出自から選ばれたようだ。誰もが人見知りのように口をつぐんでいた。喋ろうとすると口の中が凍りそうになるのも、無口になる理由の一つだった。


 ジョン・グイドは言葉少なにみんなの調子を尋ねた。気分の悪い者はいないか、風邪を引いた者はいないかなどと、軽く会話を交わしているところに、巨大な雪上バスがやって来た。雪の上に履帯の深いわだちを刻みながら、バスはすぐ間近で停車した。帯状に連結された履帯を回す、一つ一つの車輪はシェリーの身長よりも大きかった。


 見上げるほどに大きなそのバスから、巨人のようにたくましい運転手が一人降りてきて、スーツケースを無言でつかむと、それらを車体後部の荷台に軽々と放り込んでいった。防寒帽子を被った運転手の顔は赤く日焼けして、濃い髭に包まれていた。


 その作業を眺めている若者たちに、ジョン・グイドは声を掛けた。

「ここから先は長い期間、外部との連絡が一切できなくなる。別れの挨拶がしたい者があったら、今のうちに済ませておきなさい」

 シェリーは南部の田舎に住む両親に連絡を取った。こんなことなら親戚全員集めておいたのに、と二人は冗談めかして娘を非難した。シェリーには一人兄がいて、オーバーオール姿の彼が部屋に飛び込んできたところで、ちょうど時間がなくなった。

「クリスマスくらい帰ってこいよ」と兄は叫んだ。

「さよなら、ごめん」

 シェリーは大きな白い息を吐き出して上を向いた。初めてここで涙が出た。


 車内は暑いくらいに暖房が効いていたので、シェリーは着ていたものを片っ端から脱いで、セーター一枚になった。脱いだものは網棚に乗せた。


 すべてが真っ白な雪原を走っているうちに、やがて夜になった。バスの中はわずかな手元のライト以外の照明が落とされ、ほとんど真っ暗だった。どこを走っているのやら見当もつかない。このバスに乗った時点から、ネビュラは外部との通信が絶たれてしまった。現在位置はまったくわからない。激しい振動と履帯の立てる轟音のために、他の人との会話もできない。


 ネビュラへの接続が禁じられていた十四歳までの静かで刺激の少ない生活を、シェリーは思い出していた。身体を激しく揺すられ、耳がおかしくなりそうな騒音に包まれながらも、心の中は平穏だった。なんだか懐かしい気持ちになった。


 そうしてシェリーがうとうとしかけていると、雪上バスは突然に坂を下り始めた。身体が前にのめり、シートベルトが胸に食い込んだ。外を見ても、さっきと似たような暗闇があるだけだ。他のみんなも眠りを覚まされたのか、頭を動かしたり振り返ったりしている影の動きが見えた。履帯の反響が大きくなったことから、バスはどうやらトンネルの中を進んでいるらしいことがわかった。


 下り坂はずいぶんと長かった。

 シェリーはトンネルを進んでいる間、秘密の地下研究所についての想像を膨らましていた。薄暗い、外の光の届かない怪しげな地下室で、得体のしれない薬品の臭いや、不気味な機械音が響く中、ひそひそ声で言葉を交わす研究員たち――、それに指示を出す、分厚い眼鏡を掛け、白い髭を生やした、早口で神経質な二人の博士――、そういったイメージが頭を駆け巡る。


 ところが、実際のその場所は、想像していたものとはまるで違っていた。

 南極の地下に作られたその研究所は、一つの生態系だった。

 それはガラスで作られた二重の透明な球体でできていた。一つ目の球体の中には研究施設があり、それはいくつものブロックに分かれていて、ブロックもまた透明な素材で作られていた。ブロックとブロックを繋ぐ通路は宙に浮かぶキャットウォークで、それらが縦横無尽に張り巡らされている。


 その球体を包む、さらに大きな球体の中は、地球のあらゆる気候を取り入れた自然環境が再現されていた。熱帯のジャングルや、アフリカのサバンナ、温帯の森に、砂漠、さらには深海を模しているエリアもある。

 二重の球体すべてを太陽光に似た光が照らしており、これが地球の時間と同期して、昼と夜を再現するようになっていると、ジョン・グイドは説明した。


  七人の新人研究員たちがあっけにとられているところに、この研究所の主人である二人の博士が姿を現した。シェリー以外の六人は特にこれといった反応を示さなかったが、シェリーだけは違った。この二人こそ、あの機械細胞(マシン・セル)の第一人者たちだった。数年前から表舞台から抹消されていた彼らを間近で見たとき、シェリーは夢を見ているのかと思った。


 ハースは想像よりもずっとたくましい黒人の青年だった。ブラックスミスはおしゃれでスマートな白人の紳士だった。ネビュラ上で笑い物になっていた二人とは到底思えなかった。かつて写真で見たときの印象とは違い、彼らは自信に満ちていた。


 ブラックスミスは若者たちに向かって言った。

「ようこそ、ハース&ブラックスミス南極地下研究所へ。ここはもう一つの地球であり、やがて来たるべき地球でもある。君たちはここで思い思いに研究に励んでほしい。誰の目も気にする必要はない。我々はここでやりたいことを思いきりやり、それを人類の未来へと繋げていくのだ」

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