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パンドラ・1a

 ネビュラで人間の意識が接続された時代に、新しい発見に繋がる研究を行うことは非常に難しい。最新の論文はたちどころに世界に広がり、検証され、追試され、洗練されて共有される。そのとき、人は見慣れたものに目を向け、見慣れないものを無視する傾向がある。大勢の目にさらされることで、目立つものはより目立つようになり、目立たないものは切り捨てられる。ほんの小さな糸口を辿っていけば大きな発見があるかもしれないのに、そのほんの小さな糸口を、取るに足らないものと考えて、見落としてしまう。


 情報化による情報の劣化について危機感を抱いた、ある二人の科学者が、アメリカ政府に働きかけを行った。長い間、それは無視されてきたが、宇宙開発の巨大企業、ソラリ・スペースライン・グループのクリスチャン・バラード会長だけが、その科学者たちに興味を示した。


 この二人の科学者、ハースとブラックスミスは、生命と機械を融合させた「機械細胞(マシン・セル)」を研究していた。その評価は散々で、似非科学者や錬金術師のような不名誉な扱いを受けていた。これでは研究のための助成金も望めない。わずかなお金で無理な研究を強いられ、失敗を繰り返すうちに、彼らの論文は嘲笑の対象とされ、揚げ足取りで笑いを取るための、おもちゃのようなものとみなされるようになった。


 クリスチャン・バラード会長は、この二人に秘密の研究所と莫大な資金を提供した。ただし、その日から、二人は科学の表舞台から姿を消す。ハースとブラックスミスは大学から除名され、その行方もわからなくなる。


 二〇六二年の秋、高等教育学校で優秀な成績を収めたシェリー・デスティニーは、残り一年のインターン期間を使って、企業に勤めるか、大学へ進学して学者になるかという二つの選択を迫られていた。


 シェリーの専攻は生物機械工学で、生命を機械とみなし、その働きを物理や工学の視点から研究する学問だった。その勉強はとても楽しかったが、シェリーが本当に進みたかったのは、似非科学や錬金術の類として笑いものになっていた機械細胞(マシン・セル)の分野だった。機械と生命の垣根を越えて、生きた機械を作ることが出来たら、どんなに素晴らしい未来が待っているだろうと、彼女は夢見ていた。現在は宇宙空間の構造物や、宇宙船のメンテナンスのために大変なお金と労力が費やされているが、生物が自分の傷を自分で癒すように、もしも機械がみずからを修復できるとしたら、人類の可能性はもっと大きく広がっていくだろう。そのことを人に話すとバカにされるのが嫌で、彼女はずっとその考えを胸の奥に仕舞い込んでいた。


 シェリーは南部の田舎からカリフォルニアへとやって来た。ハースとブラックスミスの元で機械細胞(マシン・セル)を学ぶためだった。ところが彼女と入れ替わるように、二人の博士は姿を消してしまっていた。


 一年間、シェリーは大学の研究室でインターンとして働いた。そこで生物機械工学に打ち込み、周囲が驚くほどの高い評価を得た。今、目の前にある課題を愚直に突き詰めていけば、いつか機械細胞(マシン・セル)に関わるチャンスがつかめるかもしれないと信じたからだ。

 あるとき、シェリーはネビュラ上にソラリ・スペースライン・グループの募集広告を見つけた。それは、シェリーが自分だけの趣味や研究のためにこっそり読んでいた様々な書物の情報から、彼女に狙いを定めて送られてきたものだった。


「宇宙開発に携わる研究者を広く求む。研究費助成、宿舎、固定給あり」


 必要とされる単位の中に、シェリーの生物機械工学もあった。何を研究するのか、その広告からはうかがい知れないが、きっと宇宙に関連するものなら、機械細胞(マシン・セル)のようなものも研究できるかもしれない。募集に必要な条件を彼女はすべて満たしている。


 卒業を前に、納得いく進路が見つからず途方に暮れていたシェリーは、得体のしれないこの広告に飛びついたのだった。親には、大企業だから大丈夫だと、この一言だけで納得させた。


 ネビュラ上で軽い試験が行われ、シェリーは易々と合格した。


 ハロウィンを過ぎ、街がクリスマスの準備で慌ただしくなり始める時期だった。ダウンタウンのシェリーのアパートに、ソラリ・スペースライン・グループから手紙が届いた。今どきネビュラを使わずに紙の手紙を送るのは珍しい。郵便事業は伝統的な贈り物の文化を守るために細々と運営されてはいるが、就職に関わる重要な書類のために郵便を使うのは極めて稀なことだった。

 そのずっしりと重い手紙の束には、これから就職先で必要となる装備品のリストが、一枚目に目立つように載せられていた。


 長袖のシャツ

 厚地の肌着

 厚地のタイツ

 ダウンジャケット

 マフラー

 手袋

 耳当て

 ロングソックス

 防水長靴……


 どうやら寒いところに行かされるらしい。シェリーは不安に思うどころか、かえってワクワクしてきた。これらの装備品を揃えるための販売店の案内と、必要な費用を賄う小切手も添えられていた。そして、目的地が記された航空券も入っていた。


 ニュージーランド経由南極行き

     ――ソラリ・スペースライン航空


 シェリー・デスティニーは、冒険の旅に出るような高揚した気分で、この航空券を鞄に仕舞い込んだ。

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