12.みんなのアイドル
聖堂区域はいくつかの施設によって構成されている。
大聖堂を中心に、図書館、写本室、来客用の宿舎、神官たちの住まう棟、そして円環の塔が広がっている。
聖堂区域は独自の自治権を持ち、たとえ王であっても、無許可で立ち入ることはできない。
本来、立ち入りを許されているのは聖職者だけ。
女人禁制の場所でもある。
なぜなら、そこは聖域だからだ。
ただし、絶対に立ち入りが許されないというわけではない。許可さえ得られれば、部外者でも入ることができる。
今回、私が聖堂区域に入れたのも、お願い入れて~と頼んだら、いいよ~と返事が来たからだ。
……我ながら、もう少し威厳のある交渉をすべきだった気もする。
まあ、結果オーライ。
こうして私は、教会の施設を見て回ることになった。
「この古めかしい本は?」
持ち上げれば、煤が出てきそうなほど古びた本。
文字も古代のものらしく、現代人が平安時代の文献を解読しろと言われるくらいには難易度が高そうだ。
ちなみに、この世界の文字は、ひらがなを逆さまにしたような形をしている。
赤子の頃から文字が読めるなんて、転生チート最高! と思うでしょ?
それが、思ったより難しい。
最初は逆さまのひらがなのせいで、アラビア語か何かだと思っていた。
加えて漢字のような文字がないため、単語の切れ目も分かりづらい。
今でも日本人だった頃の名残なのか、本を逆さまにして読もうとすることがある。
……いや、逆さまにしても読めないんだけどね。
私が古代の本を逆さまにして解読しようとしていると、神官がそっと説明してくれた。
「これはペテルギウスの預言書ですね。初代教皇様が直々に執筆されたと伝えられている書物です」
「そんなに古い本まであるのですね」
適当に相槌を打ちながら、神官の話に耳を傾ける。
どうやら、この辺りに収蔵されている書物は、千年以上前から伝わるものも多いらしい。
預言書に、天体観測の記録図、哲学者たちの対話記録、叙事詩。
果ては、古代人の恋愛アドバイスの本まであるという。
千年前でも、人は恋愛する動物なのね。
最後の本は、ちょっと読んでみたい。
貸し出しをお願いしてみようかしら。
「他にはどんなものがあるのかしら」
彼らの実力は、こんなものではないはず。
見せてよ、あなたたちの真の実力を!
私は神官に案内されるまま、図書館を後にした。
陽光がステンドグラスを通して差し込み、床に色とりどりの影を落としている。
「ここは?」
目の前に広がるのは、ずいぶんと素朴な空間だった。
仄かな木の香りに、床板の木目。
どこか小学校の図工室を思い出す。
「元は写本室でしたが、現在は印刷室として使われています」
神官の視線の先には、木製の機械が鎮座していた。
高さは成人男性と同じくらいだろうか。
「こちらが、我々自慢の最新機器、活版印刷機でございます」
騎士や執事を含め、同行者たちから感嘆の声が漏れる。
私も、ここまでの技術があるとは思わず、思わず唸ってしまった。
活版印刷は前世にもあった。
確か、世界三大発明の一つだったはず。火薬、羅針盤、そして活版印刷。
なぜこれが三大発明に加えられたのか。
ふふん、よろしい。
それは歴史の先生に教えてもらいたまえ。
私は歴史にあまり詳しくないのだ!
「大きいわね。具体的には、どんなことができるのかしら?」
「はい。文字を刻んだ活字を組み合わせて文章を作り、それを紙に印刷できます。実際にやってみましょう」
神官は機械の前に立つと、文字が刻まれた活字を並べていく。
次に、インクをローラーで活字の表面に塗り、紙を所定の位置にセットした。
そして、レバーを引く。
機械が動き、紙が活字に押し当てられる。
再び紙を取り出すと、そこには綺麗な文字が浮かび上がっていた。
「聖書の一節ですね」
隣でエドガーが小声で説明してくれる。
「従来は神官が一文字ずつ手作業で写本していたため、多くの時間がかかっていました。しかし、この機械の発明によって、作業時間を大幅に短縮できるようになったのです」
なるほど。
前世では当たり前に存在していた印刷機。
そのせいで、文字を大量に複製することがどれほど大きな意味を持つのか、すっかり忘れていた。
この世界で神官は、いわばエリートだ。
そんなエリートたちの一生を写本だけに費やさせるなんて、あまりにも非合理的である。
印刷技術の発達は、教会にとっても大きな恩恵になっているのだろう。
私が顎に手を当てて考えていると、神官は営業マンのような口調で付け加えた。
「さらに、印刷できるのは文字だけではありません。絵も複製できるのです」
神官は一枚の木版を持ってくると、印刷機にセットした。
木版の表面には、絵の輪郭が彫り込まれている。
そこにインクを塗り、紙を重ねて印刷する。
出来上がった紙には、白黒で描かれた一人の女性の姿が浮かび上がっていた。
「現在、我々が特に力を入れているのが、このような芸術分野です。腕利きの彫師を何人も抱え、作らせた一品なのですが、いかがでしょうか?」
神官が頭を低くし、上目遣いで感想を求めてくる。
どう、と言われても……。
よくできた女性像ですね、という感想しか出てこない。
私は芸術に鼻くそほどの興味もないのだ。
「まあ、いいんじゃない?」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
なんだろう。
私、一枚の絵を見て怒り出すような人物だと思われているのかしら。
「実は、版を替えて何度か刷ることで、色を付けることもできるんですよ」
神官は先ほどの紙を脇に置き、今度は色ごとに分けて彫られた複数の木版を取り出した。
それぞれに異なる色のインクを塗り、位置を合わせながら順番に刷っていく。
そして、完成した一枚を私に差し出した。
それを見た瞬間、私は思わず声を上げた。
「おおっ、浮世絵ですわね!」
「ウキヨエ……ですか、姫様?」
女性の髪の色、唇の艶やかさ、瞳の色彩まで表現されている。
まさに浮世絵だ。
まだ輪郭と色が少しずれている部分もあるが、一枚の絵として十分に完成されている。
これは素晴らしい。
私は思わず身を乗り出した。
「素晴らしいわね!」
「はい! ありがとうございます!」
私の称賛に、神官は満面の笑みを浮かべた。
そして、誇らしげに告げる。
「実は、ここ最近、一番売れている免罪符がこちらなのです」
免罪符。
その言葉を聞いた瞬間、私の耳がピクリと動いた。
教会が独自に商売を始めているとは聞いていたが、こんなことまでやっているのか。
霊感商法まがいの商売をしているのではないかと疑い、叩き潰す準備までしていたのだが……。
どうやら、杞憂だったらしい。
いや、待てよ。
免罪符というからには、これを買えば天国に行けますよ、病気が治りますよ、といった効能を謳っているのだろうか。
それなら、結局は似たようなものではないか。
とはいえ、絵そのものの出来はいい。
祈祷目的でなくても、飾るために買う人はいるだろう。
「私も買ってみようかしら」
何気なく口にした言葉に、周囲がどよめいた。
……冗談まじりに言っただけなのに、どうしてそんなに驚くのよ。
変に注目されると、なんだか気持ち悪い。
「それは、公認という認識でよろしいでしょうか?」
神官が恐る恐る尋ねてくる。
どういうこと?
私はエドガーに視線を向けた。
「姫様、もしかして、印刷された女性の顔をご存じないのですか?」
エドガーは、ありえないとでも言いたげな顔をしている。
もったいぶらずに教えなさいよ。
そう思いながら、改めて絵を見つめる。
すっと通った輪郭。
こちらを振り向き、優しく微笑む表情。
青い瞳には凛々しさが宿り、どこか気品を感じさせる。
……あれ?
この顔、どこかで見たことがあるような。
いや、むしろ毎日見ているような……。
「あ、私?」
エドガーは、ようやく気づいたのかとでも言いたげに、やれやれと肩をすくめた。
いや、ちょっと待て。
私の肖像権は!?
「私に許可は?」
恐る恐る尋ねると、神官はきょとんとした顔で答えた。
「え? 先ほど許可をいただいたものだとばかり……」
……もしかして。
白黒の絵を見せられて、私が適当に「まあ、いいんじゃない?」と相槌を打ったことを、許可だと勘違いしたのか?
いやいやいや。
これが、一番売れている免罪符?
「え、もう売っているの?」
「はい。すでに五千部を売り上げております。もちろん、姫様にも利益をお渡しし、今後とも良好な関係を築ければと……」
報連相が皆無すぎる。
何の相談もなく勝手に私の顔を使った挙げ句、免罪符として効能まで謳っている。
これでは、私のブランドイメージまで傷つきかねない。
最悪、病気が治らなかったのは姫様のご加護が足りないせいだ、なんて言われたらどうするのよ!
「王都の人口は十万人ですから、五千部となると、かなりのヒットですね」
「黙りなさい、エドガー」
こんなときに茶化してくる執事はどうかしている。
……落ち着け。
まずは怒りを鎮めるのよ。
私は深く息を吐き、にっこりと微笑んだ。
「聖剣、持ってきて」
うおおお、何とか仕上げた。
投稿予定から1時間遅れてすいません




