エピローグ ー亡夢ー ある町の伝承について
「とまあ、これで話は終わりかな」
ふぅ、と、彼女が一つ息を吐く。切り替えるように、深く深く。それを合図とするように私も、少しづつ意識を現実へと戻す。途端、気づけば体に蓄積されていた熱の感覚がじんわりと全身へ回りだすのを感じながら、私はボイスレコーダーの録音を止めた。
・視点 佐伯真那
木々にとどまる蝉たちは、只自分の為に鳴いている。当然、彼らは今年ようやくこの夏を迎えたわけで、一生の最後の大舞台、今を懸命に生きている最中に誰彼気にしている余裕なんてないのだろう。
例えばこんな風に過去を振り返り、懐かしみ、何も無くなってしまった今の自分へ何かを思う暇なんて、何処にも。
目の前の彼女を見る。あの頃が鮮明になった今改めてみると、やっぱり、随分変わっていると思う。感覚でしかないけれど、きっとそれは、紛れもなく彼女が今を生きているからだ。
それは、決して過去を振り返らないというわけじゃない。でなければ今、ああしてあの日別れた親の墓を、優し気に、愛しそうに眺めている筈がないから。
話しながら歩き続けて辿り着いたその場所に来たのは三度目だった。一度目はあの日の墓参りの時、二度目は巡魂祭りの後、彼女を見つけた時。まあ、実際私がこの場所を訪れる理由なんてないのだから、当たり前の話ではあるけれど。それに、そもそも自分の家の墓参りですら、もうあんまりしていない。
そんな私とは違って、彼女はあの夏以来、毎年この時期になるとこの場所へ来ているらしい。勿論、只墓参りをするだけなら、私だって、誰かだってしている。でも、彼女は知っている筈なのだ。帰ってくると言われているお盆に、会いたい人は帰ってきていないのだと。
奇跡の終わったあの日から、可能性は何処にも無い。他でもない彼女自身がそう望み、そう決意してこれからを歩み始めたのだから。ああ、だとすると、形だけの石と物言わぬ肉の名残だけがあるその場所に、果たして、何の意味があるというのか。
「……祈李君」
「ん? 何?」
名を呼ばれてこちらを向いた彼女は、陰も無い穏やかな表情で、純真というのがよく似合う。その様に、一瞬躊躇ったけれど、これでも記者の端くれという事なのだろうか、それ以上に欲が勝った。
「君は、どうしてこの場所に来てるんだい?」
「どうしてって、お盆だからだけど」
「いや、そういうわけじゃなくってさ。だってその、君の話がそのままなら、そこに彼女達はいない筈じゃないか。だとしたら、帰ってくる人を迎えに行くなんて大義名分は失われてる、だから……」
「だから、意味がないんじゃないかって、そういう事?」
言い終わるより先に、彼女の方に結論を言われて、その、ほんの少しだけ低く変わった声色に、思わず私はたじろいでしまう。だがしかし、やっぱり言うべきじゃなかったと今更ながら後悔しても、もう遅い。なので、後戻りのできなくなった私は腹を括り、静かに彼女の言葉を待っていると、
「その質問は、取材の為?」
「……いや、違う。単に私が気になったから」
意図が分からず少し悩んで、ほんの少し間を開けて答えると、彼女はふうんと一言言ってから、墓に向けていた視線をこちらに向けると、そのままじいっと見据えて黙り込む。すんとした顔のせいか鎮まる空気に、しゃんとしていなければと思って姿勢を正す。無言の中、蝉だけが構わずに鳴いている数秒は、随分と長く感じられた。けれど、
「やっぱり、そういうところで無駄に素直だよねえ、真那って」
私の予想は大きく外れて、きゅっと結ばれていた口元は途端綻び、飛んできたのは呆れたような、感心したような声だった。見ると、彼女は何処か悪戯っぽく笑っている。その状況につい混乱していると、治る前に彼女が言葉を吐いた。
「知ってるよ。この行為に意味なんてない、何もないって事何て、そんなのとっくの昔に分かってるし、多分、皆薄々気づいてることだよ、それ」
「皆って?」
「皆は皆、真那も、私も、それ以外の人も。お盆の時期に皆がお墓参りするのは、それが何となく当たり前として染みついてて、そういうものだと思ってるから。大義名分何て、初めから無いんじゃない?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔、というのはまさしく今の自分の表情の事だろうと嫌でもわかる。それから、暫くゆっくりと言葉を噛み砕き、ゴクリと胃まで意味を飲み込んでようやく、私は言葉の意味を理解する。いや、意味というより、事実だろうか。只あるだけで価値のあるものに意味を見出そうとしていたのは寧ろ私で、意味がなければ無価値だ何て、それこそ意味のない思考だ。だって事にすら気づけない私は、彼女と正反対に、何時の間にか退化していたのか。
「いなくたって良いんだよ。気がするだけ、それだけで十分。特に私なんか、強欲な願望は全部全部あの夏に置いて、もう望んではいないから」
さっぱりと、夏の熱を冷ます冷風の様に。けれど、でもねと、彼女は言う。
「最後にさ、言ってくれたんだよ、見守ってるって。そんなの、心の支えにするに決まってるじゃんか。誰よりもそうしていて欲しい人なんだし。けど、やっぱり性分かな、だからってもらうままじゃいられない、少なくとも私はね。だから、一年の中で一番届くかもしれない日に、せめて感謝したいって思うのは、間違ってはいないでしょ?」
全部受け入れ、それでも思うそれは、願いなんかじゃない。せめて、そうあれ。欲に塗れた願望なんかよりはるかに純粋な、祈り。価値から生まれる前に、価値をこの世に産むものだ。
ますます、自分を愚かしく思う。私はことごとく彼女と反比例。私は、ここまでの私に価値があったと言いたいだけだった。あの頃を輝く黄金のように思う時点で、私は今からの未来を見ていない。目を伏せ、耳を塞ぎ、顔を背け、帰らないものを受け入れられないままに縋り、変化を願っている。それこそ、平凡と幸福を過ぎる程抱えておきながら、自分を不幸だと思い込んで伝承に懸けていたように。
このオカルトの記者という仕事を選んだのだって、あの頃微かに見えた気がした希望の幻想を追いかけただけ。そこに、果たしてまともな意思はあったのかな。
そこまで考えたところで、どうしようもなく理不尽に、結論は、私の頭を支配してしまった。
あの夏、肥大化した罪悪と共に洗い流したと思っていたものは、ずっと。長い長い二十数年、私はきっと、当たり前に生きている価値を求めていただけだったんだ。
気づいた、気づいた、気づいてしまった。そして、何とか縋った最後の一つがとうとう消えて、今、私はここから先抱いていられた希望を、この場所に全て投げ捨ててしまった。
喪失。こんなにも痛い何て知らなかったよ。苦しいとも知らなかったよ。情けなくて、悲しくて、辛くって。私でさえ、こんなにも感じるのに、祈李君は、果たしてどれ程だったのか。それを、想像してしまって、
「……凄いね、君は」
「え、何が?」
「……いや、何でもない」
つい、零してしまった言葉を誤魔化す、何だ気になると言われたが、こんな事今の彼女に言ったって笑われるだけだ。くだらないけど、これも年上の意地という奴だろうか、どうも、素直に告解できない。その、代わりに。
「ああ、それよりさ、一ついいかな」
「今度は何さ」
「いや、そう大したことじゃないんだけど、実は、一応持ってきてたんだ、これ」
そう言って懐から取り出したのは、それこそ、まだ価値を持たぬ煙束。濃い緑のそれを数本取り出して彼女の方を見ると、まあいいでしょうと言わんばかりに受け取って、愛煙家の数少ない利点を手に火をつけると、弔いの煙は天高く昇り始める。
全てその痕跡が消えてしまうその前に、私は、二つの墓前に供えると、染みついた習慣のまま手を合わせた。ささやかながら、せめて、報われたと、そう思えているように祈りながら。
本当に、私がしたところで意味も価値もないのだろうが、それでも、あんな話を聞いてしまった以上、思ってしまうのは必然で、なら、思うくらいは、私にも少しくらい認められるだろうとも。
そう思いながら数秒後、目を開けた私は顔を上げる。すると、待たせてしまっていたらしく既に彼女は立っていた。そして、見上げる私に、彼女は、
「それで、これからどうするの?」
「どうするって?」
「いやいや、だって、取材終わったでしょ? だから、何するのかなあって」
そんな、今更過ぎる事を言われる。だが、どうするってと聞いた時点で、もう答えたようなものだったが、改めて。
「…………そういえば、何も考えてなかったなあ」
そんな無責任な私に、彼女はほとほと呆れた顔を浮かべて、やれやれという声が聞こえてきそうな大きなため息を吐いた。それで、空気が緩んだ気がして、同時に私は、何だか酷く、投げやりになっていいように思えたから。
「いやあ、そもそも本当衝動でね。何となく、取材をすれば何かが変わる気がしたんだ。最後の花火って感じかな、ほら、これだけは自信たっぷりに記事を書いてもいいからさ」
いかにも軽薄な感じで、まるでそう、かつての自分の様に。
「正直言えば、淡い希望を抱いてたんだ。形は違えど、今度こそ奇跡は、私を救ってくれるんじゃないかなって。まったく、そんなわけ無いってのに」
自分で言うのもなんだが、このケラケラとした感じはかなりにあっていると思う。勿論褒めてない。でも、似合っているのだからしょうがない。
しょうがないしょうがないしょうがない、しょうがないから、今ここで決めてしまおうか。
「……記事、書くよ、何が何でも。約束する。神に誓ったって良い。打算も願望も気にしないで」
そんな唐突な言葉に、彼女は少しばかり驚いて、それから、考えるように黙り込んで、思考の結果を話すまでは十数秒だった。
「良い記事に、なる?」
目が、口が、言葉が、その意味をこれでもかと教えてくる。そして同時に、生半可な答えは許さないと彼女の顔は語っていて、そんな彼女に、私は、
「さあ、それを決めるのは私じゃないからね。私はあくまで製作者」
これでも生業している以上、そこに嘘は吐けない。吐けないが、それでも、
「でも、そうだね。少なくとも呼んだ誰かの希望にはなるかもしれない。オカルト何かを真剣に読んでくれる人は、偏見だけど、多分、今に無い何かを求めてくれてるんだろうから、それならこの奇跡、この亡夢という伝承は、過ぎるくらいに可能性を持っているからね。一人二人、追い求めて縋ってくれるかも。そう思わせるなら、きっとそれは良い記事だと思うよ、私は」
無責任だとも。けど、なら私だけは保証していなければならない。そう、その価値を、私だけは。
真剣に言ったつもりだったが、伝わったろうか。そう思ってまた彼女の顔を見上げると、それを待っていたかのように仏頂面の彼女がいて、そこで、つい不安そうな顔をしてしまったのが、合図だったらしい。
「なら、少しでもそう思ってくれるように書いてよね」
ビシッと、音が鳴りそうな位はっきりと指を突きつけながら、不敵そうに彼女は笑って。そして、それに答えるように。
「勿論」
笑って、はっきりと私は口にした。
※※※※※※
・視点 三司祈李
「で、それがこの冊子かい?」
人生で一度も手にしたことがないだろうそれを、友寄さんがまじまじと眺める。やたらへえと漏らすのが、何だか少し子供っぽい。まあ、気持ちはわかるけど。実際私も初めて見た時、こんなの本当に売っているのかと思ってしまった。今度会ったら一応謝っておこう。
「……物珍しいのはわかりますけど、表紙を眺めるために買ったんじゃないですよ、それ」
「っと、ああ、ごめんごめん。つい」
いけないいけないと、いつもの調子で言いながら、友寄さんが掲げた冊子を机に置く。月刊オカルト大全。月刊なのに大全というのはどうなんだという疑問は一先ず考えないことにして、改めて表紙を見つめる。そして、何処かのテレビ番組のキャッチコピーにありそうなフレーズの一つに、それはあった。
「死者蘇生!? 田舎で起こる古来からの奇跡の記録」
当たらずとも遠からず、けど、確実に気になるワードセンス。それに、この方がよほどオカルトチックかもしれない。何て、妙に感心しながら、私は冊子のページをめくっていく。他の人に申し訳ないので後で読んでみはするけれど、まず最優先は決まっているから。
そして、ようやく辿り着いたそのページには、大きく一つ、見出しがあった。
『―亡夢― ある町の伝承について』




