第二話 約束 その2
7月27日
今日も今日とて、目が覚める。いつもと同じ部屋、同じ時間。けれど、どうしてか私の心は、いつもよりどこか明るかった。
朝食を食べてすぐ部屋に戻り、あれやこれやと準備をする。そして準備を終えた私は飛び出すように部屋を出て、階段を降り、廊下を歩む。その足取りには、不安と少しの期待があった。
今日もまたあの場所に行く。けれど、逃避のためじゃない。会いに行くために、向かうんだ。
さんさんと降る日光を浴びながら道を歩き、やがて、私はその場所へとたどり着く。そして、奥へと踏み込んでいくと、彼女は、そこにいた。
「あ、おはよう」
「お、おはようございます」
「早かったね」
「えっと、待たせてるかなって思って」
「来る保証もなかったのに?」
「え?」
少し、動揺する。するとそれが顔にでていたのだろうか。彼女が、ハッとした顔をする。
「あ、ごめん、意地の悪い事聞いちゃった」
「いや、そんなことは」
「ほんとごめん。でも、私の方はそう考えちゃったからさ。だから、ありがとうね、来てくれて」
そういって、彼女は笑う。確かな感謝がそこにはあった。それに私は少し戸惑う。
ただ約束を守っただけで、感謝されることなんて何もしていないのに、なぜ彼女はそんな風に言ったのだろうか。
「えっと、その、早速ですけど、聞きます?」
「勿論、楽しみにしてたんだから」
音楽プレーヤーを彼女に渡す。彼女は物珍しそうな様子でそれを眺めた後、そっとヘッドホンを耳に着ける。そして再生ボタンを押して、目を閉じた。
あたりを静寂が支配する。聞こえてくるのは風に揺れる木々の音だけで、改めてこの場にいるのが私達だけなんだと実感する。
澄希さんは表情を変えず、ただじっと聞くだけだった。その姿を見て、なんとなく自分も静かにしていなければならない気がして、私はただ沈黙して待つことにした。
いくらかの時間が経った。その間も私はじっとしていたが、そうしていると、いつのまにか、私の瞼は閉じ始めてしまった。
そして、十分に眠ったはずだったのにやってきたその眠気に抗えず、私の意識はゆっくりと落ちていった。
意識が戻ってきた私は、線香の香りがして目を覚ました。
目を開けると、私は森の中にぽっかりと空いた穴のような場所に立っていた。空は雲一つないようすで、陽光が余ることなく降り注ぐ。
それも少し異様な光景だったが、何よりもおかしかったのは、その場所のちょうど真ん中あたりにある墓に、線香を供える幼い私がいたことだった。
声をかけようと歩み出そうとするも、鉛にでもなったかのように足が上がらなかった。どうしようかと考えていると、匂っていた線香の香りが強くなる。
見ると、線香を持った私が、こちらをじっと見つめていた。服は黒く、喪服のように見える。
何も出来ないまま彼女を見つめていると、突然、彼女が口を開いた。
「私は、どうして一人なの?」
瞬間、人の形をした何かが私を取り囲む。白いもやのようなそれから、声が聞こえた。
お前は要らない
呪詛の様に、呻くように。
お前は要らない
ひどく、心に染み込んでいく。
お前は要らない
冷たさに、体が震える
お前は要らない
思考は、徐々に朽ちていく
お前は要らない
お前は要らない
お前は要らない
お前は、要らない
音が、戻る。木々が揺れ、セミが鳴き、風が吹きぬける。
呼吸は乱れ、体には冷や汗がにじむ。心臓の音が鼓膜を突き抜けたとき、私はあれが鮮烈な夢だったことを理解する。
けれど、現実に戻っても尚、以前見た、あの曖昧な夢の後と似たような感覚が体を支配していた。手には僅かな震えがある。
「大丈夫?」
その声によって、私はようやく体の制御を取り戻す。横を向くと、心配そうな顔の澄希さんがそこにいた。既に聞き終えていたらしく、プレーヤーは手に握られている。
「……すみません。」
「なんで謝るの?」
「いや、寝ちゃってたので。」
「別に気にしないよそんなこと。それより、本当に大丈夫?」
「はい、大丈夫です、ご心配なく」
「そう? ならいいんだけど」
口ではそういいつつも、顔にはまだ心配の色が残っていた。
これ以上余計な心配をかけてはいけないと思い、場の空気を切り替えようと、私は話題を口にする。
「えっと、曲、聞き終わりました?」
「え? ああうん。楽しませて貰ったよ」
「そうですか、ならよかった」
「集中できるっていいね、聞こえ方がなんだか違う」
「ですよね、わかってくれます?」
「勿論、わざわざここで聞くわけだよ」
納得納得、とでもいうような様子で澄希さんは頷く。私としてはあくまで理由の一つだったけれど、何だか理解をしてくれたようでうれしくなる。
「ねえ、カセットってほかにもあるの?」
「ありますよ、まあ数が多いので持ち歩きはしてないですけど」
「その、よかったら何だけどさ。他のも聞かせてくれない?」
「えと、それはどういう……」
「これからもここで会わない?ってことなんだけど」
えっ、と思わず声が漏れた。それは思いもよらぬ提案だった。
「いいんですか?」
「勿論、逆に何かダメな理由とか、ある?」
「それは、無いですけど」
「じゃあ、決まりってことで」
そういって、プレーヤーを差し出してくる。
私は少し考えてから、黙ってそれを受け取る事にした。気になって、改めて顔を見ると、澄希さんは満足そうに笑っていた。
こうして、私と澄希さんの約束は継続になった。
それから、しばらく二人で話をした。お互いの趣味だったり、学校の事だったりと様々なことを共有する。
そうして、彼女についていろいろなことを知った。澄希さんは私と同じ17歳で、少し離れた隣町の高校に通っている。
生まれも育ちもこの町で、友達も大勢いるらしい。両親と妹の四人で暮らしていて、それで……。
時が過ぎるのは早いもので、いつの間にか空は夕暮れを迎えていた。私達は、別れの言葉を口にする。
「それじゃあ、また」
また会おうという誓いの言葉を残し、私は林を後にした。
来た道をそのままに帰路を進み、やがて家々が見えてきたところで、私はふと後ろを振り返ってみた。
少し前までいた林はもうどこにも見えなくなっていて、そのせいか、今日の出来事は全て夢だったのではないかという錯覚が芽生えた。
けれど、すぐにそんな考えは消える。私の心にあるこの何かが、確かにあれは現実だと、そう言っていたから。
――カチッ
彼女と別れた後、満ち足りた心のまま、私は道を歩いていく。けれどその先は、家ではなかった。
しばらく歩いて、私は川にかかる小さな橋へとたどり着く。町外れの、誰も通らないようなその橋の柵の上に、彼は座っていた。
私が声をかける前に、気配に気づいたのか、彼がこちらを振り向く。そして、何故か呆れたような表情を浮かべる彼に、私は話しかける。
「や、元気そうで何より」
「これが元気に見えるか?」
彼はそういって、苦笑いを浮かべる。顔や腕なんかの見える範囲には、いつものように生傷があった。
「また、喧嘩?」
「安心しろ、返り討ちだ」
「どっちが?」
「俺に決まってんだろ」
「嘘でも勝ったっていえばいいのに。そのほうが恰好つくよ?」
「余計なお世話だ……。それで、そんな俺に何の用だ」
「はあ、それが心配して様子見に来てあげた女の子に言う言葉?」
「それこそ余計なお世話だ」
「ほんっとう、そんなんだから嫌われるんだよ」
「かまやしねえよ。おかしいのはお前だ」
「反抗心が極まった不良を気に掛ける優しくて素敵な子、良い肩書じゃない?」
「またわかり易い嘘を」
「わかってるならよろしい」
いつものような軽口を叩き合う。どうやら、本当に心配はないらしい。そして、次に何を言ってやろうかと考えていると、不意に彼が私に告げる。
「…もうやめろよ、俺に絡むの」
さっきまでと、変わらない口調。けれど、確かな拒絶を感じた。
けれど、私はそれが不器用な優しさだと知っている。だから、
「そういうわけにはいかないよ、こっちだって幼馴染が荒んでいくの見たくないっての。そこのところ、お分かり?」
「そんなこと気にしてる暇があるなら、お前は自分の心配しておけよ」
「何の話?」
「まだ、帰ってないんだろ」
「……不出来な姉がいたところで、迷惑かけるだけだしね」
「しっかし、よくもまあ学校の奴らにバレないもんだな」
「人って、思ってる以上に自分の事で手一杯だからさ、きっと他人にまで気が回んないんだと思うよ?」
「ひでえもんだな、そりゃあ」
「あんたに心配される筋合いはないけどね」
「その言葉、そっくりお返しするよ」
どうして彼はこうなんだろうと、呆れたような笑みを浮かべる。けれど同時に、うらやましくも思う。
隠すしかない私と違い、彼は思いっきりぶちまけられる。そう考えると、自分の方がよっぽと不器用だ。
「さて、顔も見たし話したし、そろそろ帰るね」
「……送ってくか?」
「どうしたの急に」
「その、暗い中女一人で歩かせるのもどうかと思って」
「そういって、本当はついでに夕飯貰おうとか思ってるんでしょ」
「んなわけないだろ、迷惑かけるに決まってるし」
「素直じゃないなあ」
「だからちげえっての」
「ま、でも。そういうことなら送ってもらおうかな」
「おう」
私たちは柵から降り、歩き出す。既に辺りは暗くなり、二人の足音だけが響く。嫌われ者二人だけの、くだらない帰り道だった。




