第一話 夏の夜の夢 その3
【2019年 7月26日】
・視点 三司祈李
――今日も猛暑が続き、都内では最高気温を……
ニュースキャスターはいつものように、暑さによる影響を伝えていた。
確かに梅雨も明けて曇り空は減り、毎日暑いと心の中でつぶやいていた気がする。そんなことを考えながら、私はご飯を口に運ぶ。
一夜明け、夜更かし二人で占拠してしていた台所には、私含む四人が朝食をとっていた。
真那は少し離れた席で、どこか気まずそうに箸を進めている。
その隣を見ると、時雨家の姉弟が少し眠そうにしながら食べていた。
そしてその様子を、綾音さんが微笑ましそうな顔で眺めている。
この家でのいつもの風景。かつての私も、この家の一員だった。
「ごちそうさまでした」
一足先に食事を終え、食器を下げて出ようとすると、
「祈李」
不意に、綾音さんが引き留める。
「なんですか?」
「今日も、また出かけるの?」
「はい。ああでも、お昼には帰ってきますよ」
「そう、気を付けてね」
会釈で返事をし、台所を後にする。あれは、純粋に心配をしてくれている顔だった。綾音さんにとって私は今でも【守らなければならない子】なんだろう。
その重荷を背負わせないために私は、一人でやっていこうと思ったのに。
身支度を整え、プレーヤーとスマホを手にすると、今日も私は一人で外へと歩みだす。
戸を開けると、既に太陽は日差しと熱気を余すことなく届けていた。私は時々日陰に入りながら、いつもの道を進んでいく。
田畑では、農家の人たちが今日も作業に勤しんでいる。ふと声が聞こえそちらを向くと、年下であろう少年たちが自転車を漕いで、どこか遠くへと向かっていた。娯楽の少ないこの町では、満足いっていないのかもしれない。
自然に囲まれ、時代に取り残されたような風景がどこまでも続いていく。車の走る音は聞こえず、道行く人の騒々しさもない。空気は澄んでいるように感じられ、窮屈さはどこかへ行ってしまった。
そんな世界では人々の心は開放的になり、本来の姿へと近づいていく。手を取り、結びつき、親しみを深める。そして仲間を取り合うかれらは、“裏切りものは決して許さない。”
体もだいぶ汗ばむ頃、私は目的地にたどり着く。そこは林の入り口で、人は全く寄り付かない、私だけの秘密の場所だ。中へ入ると日差しの力は木々の糧となり消えていて、暑さは徐々に忘れられていく。
そしてその奥深くにある少し開けた場所こそが、私だけの安寧の場所だった。今日、この時までは。
その少女は、大きな木に背中を預け、静かに寝息を立てている。顔に覚えはなく、おそらく初対面だろう。
自分一人の場所だった所に、現れた他人の存在に、思わず戸惑う。
誰にも会わないからこそこの場所に来ていた私にとって、これは大きな問題だ。
どうしたものか、あれこれと考える。その結果出た結論は、取り敢えず気にしないというものだった。
いると思わなければいないのと同じ、そう思い込んでいつものように音楽を聞こうとしたその時、閉じていた瞼が、ゆっくりと開いた。
うーんと唸り、立ち上がって伸びをして、よし目覚めたという表情をした彼女が目の前の私に気付くのに、そう時間はかからなかった。
私を目にした彼女は少しぎょっとした後、じーっと私を眺める。少しの沈黙ののち、彼女の方から話しかけてきた。
「こんにちは」
「……」
「あれ、こんにちは」
「こ、こんにちは」
「どうかしました、そんな縮こまって」
「ああ、いや、ええっと……」
準備ができていなかった私は、思わず言葉に詰まる。私がどうするべきか悩んでいると、彼女はは不意に笑みを浮かべた。
「もしかして、貴方もお仲間?」
「えと、その、お仲間って……」
「ん?あなたもここに一人になりに来たんじゃないの?」
「それは、そう、です」
「やっぱり! わかりますよ~ここ全然人来ないですもん」
「そう、ですね」
「……ってしまった、ごめんなさい!初対面で急にこんな話しかけて」
「あ、いや」
「え、初対面じゃないですか?」
「ああいえいえ、初対面です初対面!」
「ですよね、良かったあ……」
彼女は安堵した表情を見せる一方で、私は考える間もなく進んでいく状況に頭が混乱し、すっかりパニック状態になって、
「えっと、その、それでは!」
その結果、どう対応すべきかわからなくなった私の頭が下した決断は、回れ右してその場から逃げ出す事で、捨て台詞とともに、私はすぐにその場を去ろうとする。けれど、そんな私を、彼女は手を掴んで引き止めた。
急に手を掴まれたせいで、私の頭は更に混乱し、思考はすっかりしっちゃかめっちゃかになる。
「放してください!」
「ちょ、一旦落ち着いて」
彼女の声は耳に入らず、思考はただひたすら逃げることだけを考える。
「本当に落ち着いて、ってうわあ!」
逃げ出そうと焦りに焦り、無理に手を振りほどこうとしたせいで、私は足を滑らせる。そして、手をつかんでいた彼女もそれにつられ、結果、誰もいない林で二人、私達は盛大に倒れこむのだった。
※※※※※※
「本当にすみませんでした!」
少しして、彼女に手を引かれて起き上がった私は、ひたすらに謝っていた。
「いや、全然大丈夫ですから。手をつかんじゃったのは私ですから、責任ならこっちにもあります」
「いやでも、逃げたのは私で……」
「まあ、それはそうですけど。でも、半分はそれを止めようとした私のせいなので」
そういう彼女に対して、私は更に追加で謝罪する。そんなやり取りを続けて、暫くが経った時だった。
「ていうかその、聞きたいんですけど、どうして急に逃げようなんてしたんです?」
「え? ああ、えっと、それは、その……」
「……って、すみません。自分で言っといてあれですけど、ちょっと考えたらわかる話ですよね。急に知らない人から話しかけられたんですから……」
「ち、違うんですっ!」
悪気があったわけでも無いだろうに申し訳なさそうにする彼女にそう言うと、彼女は、少し呆けた後、じゃあどうして、とでも言いたげな表情を浮かべた。咄嗟に引け目を感じない様にと言った言葉に何か意味を持たせなければならなくなった私は、さっきまでの思考を思い出し、
「その、邪魔かな、って思った、ので」
混乱した思考から手繰り寄せた、らしい答えはそれだった。すると、
「邪魔って、どういうことですか?」
途端、さっきまで気さくな感じだった声色は少し低くなり、どことなく表情も含めて真剣な感じに変貌した。そのせいか、真面目に回答しなければと思った私は、何とか理由を絞り出す。
「だって、一人で居たいからこの場所にいたんですよね。だから、邪魔かなって」
そうだ、一人でいようとしていた場所に他の人が、それも見ず知らずの人がいるなんて、そんなの邪魔に決まってる。だからそう言ったのだが、彼女は何も返さず、無言で考えるように黙り込んでしまった。
返答が怖い。今更だけど、これで本当に邪魔と言われたらと考えると、心が締め付けられる。
けれど、そんな風に考えていた私に帰ってきた返答は、思いもよらぬものだった。
「……なんで?」
「な、なんでって」
「だって、邪魔って思う理由がないじゃないですか」
あっけらかんと語る彼女に、私は意外過ぎて拍子抜けしたような感覚になって、思わず疑問を口にする。
「え、でも、一人が良かったんじゃ」
「まあたしかに、ここに来た理由はそれですけど。だからってあなたを追い払う資格なんてないですよ」
「いや、でも」
「それとも、そんなに嫌ですか? 私といること。それなら……」
「そんなことないです!」
またすみませんと言わせてしまうような気がして、そう返答してしまった。確かに驚きはしたけれど、決して彼女が嫌なんてことはなかった。だから、咄嗟にそう言って、けれど、間違いではなかったらしい。
返事を聞いた彼女は、安心したように胸に手を置きながら、笑って。
そして、そのまま一つ、彼女は私に提案を持ちかけた。
――少し、お話ししませんか?
これが、彼女との、澄希との出会いだった。




