第一話 夏の夜の夢 その2
「っつ!」
衝撃と恐怖を引き金として、目を見開いて飛び起きる。
思考は無く、息は荒く、僅かに硬直する体のまま、ただ周囲の光景を目で受け入れていく。
それから少しして、冷静さを取り戻した頭で改めて辺りを見回し、私はようやく自分が現実で目覚めたことを理解した。
付けっぱなしだった照明が細々と狭苦しい部屋を照らし続ける下、私は目覚めたばかりの頭を回す。
始めにさっきまで見ていたはずの夢を思い出そうとしてみたものの、何故か霧がかかったように記憶がボヤけ、上手く思い出せない。
ただ、自分の名を呼んだあの声だけは、どうしてか残り続けている。
「……何だったんだろう、あれ」
思わずそう呟いて、それが答えの無い問いであることを同時に理解すると、私はそれ以上考えるのをやめた。
時計の音が耳に入り目を向けると、時刻はすでに深夜0時をまわっていた。もとよりそのつもりは無いけれど、こんな時間ではもう宴会は終わっているだろう。
遅い時間ではあるものの、さっきはっきりと目覚めたせいで、改めて眠れる気もしない。かといってやることもなく、どうしようかと辺りを見回して、寝る前に着けていたプレーヤーが転がっているのが目に留まる。
時間つぶしにはちょうどいいかと、プレーヤーを手にしようとした、その時、
――ぐぅ
その音と共に私は、自分が空腹であることを思い出した。
部屋を出て、万一にも人を起こさないよう足音に注意しながら階段を降り、廊下を進み台所へと向かう。
道中いくつか部屋を覗いてみると、宴会の後がまだ残っていた。大勢が楽し気に過ごす様子を想像して、すぐにそれを掻き消す。
そして、そんなことをしながらたどり着いた先には、すでに先客が居座っていた。
「あれ、祈李君」
薄暗い明かりだけが灯る台所で、真那は相変わらずのだらけた姿でカップラーメンを片手間に食べながら、何やらパソコンをいじっていた。
「なにしてるの?」
聞くと、彼女はズルズルと麺を啜るのを止めないまま、
「夜食たべながらちょっと打ち込み作業をね、そっちは?」
その姿に呆れながらも、同時に漂う香りと音に、空っぽのお腹が耐え切れないと騒ぎ始める。ぐうとでも鳴って笑い話にされたら不快でしかないので、私は要件を済ませることにした。
「その、さっき起きたんだけど、お腹空いてきちゃって」
「ああ、それなら」
言って、真那は何やら目線で促し、つられてそっちに目線を向けると、丁度真那の向かい辺りに、ラップのかかった夕食が一通り並んでいた。
ご飯とお味噌汁、それから何種かのお刺身。久々の集まりだったからか、少し豪勢だったらしい。
食べたら? とでも言いたげな真那の目線を横目に私は席に着くと、習慣のままに手を合わせると、私は急かす食欲をなだめながら、一先ず白米から口にする。元々期待はしていなかったけれど、既に時間が立っていたこともあって、ご飯はとっくに冷め切っていた。
空腹を満たした後、私は部屋に戻る気力が湧かず、ただただぼーっと椅子にもたれかかっていた。
オレンジの明かりに包まれた部屋には、タイピングの音だけが響いている。音の主である真那はというと、変わらず何か作業をしている。
最初こそ気にならなかったものの、何もしていないせいか、どうにも何を熱心にしているのか気になった私は、ひとつ尋ねてみることにした。
「あのさ」
「ん、何?」
返事こそ返しているものの、届くの声ばかりで、真那の目にはブルーライトの光だけがピカピカと差し込んでいる。
「いや、それ、何してるのかなって」
「何って、ああこれ? 取材計画を立ててるんだよ」
取材と聞いて、思い浮かべたのはテレビや雑誌なんかのよくあるメディアだった。けれど、彼女が大学生である以上、そういう訳じゃないだろう。
「取材って、大学の課題か何か?」
「いや、個人的なやつ。この地域の伝承について調べようと思っててさ」
地域の伝承。そう聞いて、私は少ない知識を思い返してみたものの、それらしきものは思い当たらず、そのせいで、つい、私の好奇心は一歩踏み出す。
「伝承って、そんなのあるの?」
「うん、『亡夢』って呼ばれてる話なんだけど、前々から気になっててね」
「……ふうん」
「あ、もしかして興味ある? それななら手伝ってくれてもいいんだけど」
どうやら、少しばかり興味を持ってしまったのがいけなかったようで、そっけない感じで言っているが、手でも足りないのだろうか、その目線には是非ともと新人を勧誘する部活動の人達と同じようなものが宿っていた。
「私がそういうの興味ないって、会わない間に忘れた?」
「なわけないだろう。万が一にもオカルト好きになってたりしないかなって思っただけだよ」
「そ、ならいいけど」
そう返すと、真那はおもむろに腕を組んだと思えば、少し椅子を倒して俯瞰するように私をじろじろ見ると、
「……改めて、一年ぶりなのに何にも変わってないよね、君」
呆れてか、それともある種感心してか、そんな言葉が飛んできたので、
「人間、ちょっとやそっとじゃ本質なんて変わらないよ」
今度はそう返すと、真那は一瞬表情を変え、それから何かを考えこむようにして黙り込んだ。そして、暫くして。
「あのさ」
「何?」
「一つ、質問して良いかな?」
「いいけど、何?」
そう返すと、真那は、少しだけ躊躇うような素振りを見せてから、その質問を、私に聞いた。
「その、嫌なら答えなくていいんだけどさ。どうして、帰ってきたのかなって」
どうにも深刻そうな顔をしていたので身構えていたが、それを聞いて、私は思わず拍子抜けしたような感覚を覚えて、小さく溜息を吐くと、
「ああ、何だ、そのこと?」
「その事って……」
「嫌に気を遣うから、もっと深刻な話だと思った」
「私としては十分驚きなんだけどね。正直言うと、もう君は帰ってこないと思ってたぐらいだったから。だから、うん、意外だった」
気を遣う割に正直にそう答える真那を見て、この先をどう話すか迷っていたのが馬鹿らしくなった私は、正直にすべて話す事にした。
「先に言っとくけど、別に大した理由じゃないよ。ただ、面倒になっただけだから」
「面倒って、何が?」
「友寄さん」
「……何かあったの?」
少し嫌味っぽさでも混じっていたのか、それとも名前に対しての印象か、問う真那の顔には疑念と不思議とほんの少しの心配の色が見える。本当に大したことじゃないんだよなと思いながら、私は話を続ける。
「やたら帰ろうって言われたの。去年は嫌って言ったら素直に引いてくれたんだけど、今年は妙にしつこくってさ。それで、埒が明かなくなったから仕方なく」
「仲、悪いのかい?」
「いいも悪いもないよ、元々ほとんど関わりなかったし」
「……今更の話にはなるだろうけど、よくそれで引っ越しの話を受けたよね」
「まあ、元々居候はここで散々してたし、色々と都合よかったし、それに……」
「それに?」
一瞬、ほんの一瞬、言葉にするのを躊躇ったけれど、真那にならいいかと思ったからか、私はポロリとそれを吐き出した。
「……それに何より、逃げたかったから、この町から」
瞬間、空気が重くなるのを感じる。けれどどうしてか、私は言葉を続けた。
「逃げたら、何か変わると思ってたんだよね」
呟くように、ぽつりぽつりと。
「原因は、全部この町にあってさ」
少しづつ、零れていく。
「だから、変わると思ってた」
……でも。
「多分、本当は分かってたんだけどね」
「わかってた、っていうのは?」
「……きっと、何にも変わらないし、変わってないだろうってこと」
少し笑って、口に出す。
「本当、何にも変わらなかったし、何にも変わってなかった。一年前と、状況は何にも違わない。息苦しくって、怖くって、寂しくって。でも、この町はもっと酷くって」
『だからもう、これ以降、この町に戻ってくる気はないよ』
確かな声で、そう告げた。
※※※※※※※※
・視点 佐伯真那
「部屋、戻るね」
そう言うと、祈李は無言で立ち上がり、静かに台所を後にする。私は何も言わず、いや、何も言えずに見送った。
「……」
去り際に見えた表情を思い返す。その顔には、分かっていたという諦めと、静かな失望が混ざっていた気がした。
「……はぁ」
溜息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかると、私は思わず考える。
自分にとって、愛着と安心感を覚えるこの永和町は、彼女の目にどう映っているのだろうか。
嫌々帰ってきて、ただ不変を味わって、どんな気持ちで、この夏を過ごすのだろうか。
わかるはずもない疑問を、抱かずにはいられなかった。
――少し開いていた窓から、夏夜の風が入って来る。とても心地のいい風だった。




