外伝12 お祭り
「ミツ、何か楽しい事はないか?」
「大殿、物凄く抽象的すぎて困ります」
「とにかく、楽しければいいのだ」
信長と謙信が金魚掬い対決をしてから数日後、光輝は信長からかなり無茶な命令を受けた。
いつもの事だと言われればそれまでだが、光輝は相変わらずだなと思いながら準備を始める。
「それで屋台なんだ」
「大殿は、数日前金魚掬いに夢中になっていたから、祭りでいいと思ったわけ」
「祭りはいいかもね。大殿もそういうのが好きだから」
五十すぎと六十すぎのオジサンが、金魚掬いで激闘を繰り広げる。
今日子が見ても、あの光景は非常にシュールであった。
戦ができない二人は、ああやって勝負をしているのだとも取れるわけだが。
人が死なない分、健全な勝負ではあるのだと今日子は思っていた。
「各種屋台は、俺つきの若い連中にやらせるとして……」
ちょうど季節は夏だったので、光輝は夏祭りを計画した。
石山城の中庭で多くの屋台を出店し、そこからよく見えるように花火をあげる計画だ。
花火は、江戸では徐々に普及しつつあった。
材料が火薬なので花火工房も津田家の直轄であったが、職人を育てて津田領各地で花火をあげさせている。
花火大会の日には市や祭りも開かれ、地元住民にも大人気であった。
庶民に娯楽を与え、銭を消費させる。
これも津田家流の経済政策というわけだ。
「あのおっさんが、うるさそうだけどね……」
光輝の言うあのおっさんとは、勿論柴田勝家の事である。
今は運悪く石山におり、絶対に祭りに顔を出すはず。
あの戦バカなら、朝鮮で苦労している将兵がいるのにとか、花火の火薬が勿体ないとか言いそうな気がしたからだ。
「大殿が命令したんだから、何も言わないんじゃないかな?」
「どうかね?」
そして当日。
光輝主催の、『第一回石山納涼花火大会』が開かれた。
参加者が集まった石山城の庭には多くの屋台が立ち並ぶ。
すべて、光輝の命令で若い津田家家臣が屋台を切り盛りしていた。
「焼きそば、お好み焼き、タコ焼き、イカ焼き、焼きとうもろこし、ヤキトリ、わたあめ、林檎アメ、タイ焼き、おでん、フライドポテト、サツマイモ揚げ、ポン菓子、アメリカンドッグ、串焼き、唐揚げ、水飴、ソース煎餅、ベビーカステラ、クレープ、ポップコーン、チョコバナナ、かき氷、ソフトクリーム、ジュース、酒、お面、クジ、輪投げ、型抜き、千本つり、射的、金魚掬い、ヨーヨー、スーパーボール。一杯準備したね」
「お祭りだからな。屋台は一杯あった方が楽しいじゃないか」
「それもそうね」
光輝達は自分も楽しもうと、多くの屋台の準備をした。
会場に屋台を設営し、そこで調理と売り子をするのは光輝の傍で見習い中の津田家家臣の子弟達だ。
今回の屋台は金は取らないが、材料に限度があるので招待客に回数券を渡している。
それを一枚屋台の人間に渡してサービスを受けるわけだ。
光輝は信長から、あとで『何か楽しい事』の報酬をもらう仕組みになっていた。
「父上、どうですか?」
「夕は浴衣姿が似合うな」
屋台の運営は若い家臣達に任せ、光輝は甚平、今日子、夕姫は浴衣を着て屋台を回る事にする。
「夕は何を食べたい?」
「わたあめが食べたいです」
「そうか、そうか」
光輝は、末娘である夕姫をベタ可愛がりしている。
彼女の言うがままに屋台を回り、祭りを楽しんでいた。
「暑いな……明助、かき氷一つな」
「味の方はいかがなされますか?」
「イチゴで」
「畏まりました。イチゴ一つ!」
光輝も各屋台の様子を見ながら、自分も好きなものを頼んでいた。
かき氷の屋台を切り盛りしている柏山明助に声をかけながら、注文をする。
明助は、元は葛西家の家臣柏山明宗の子だ。
主家が津田家に散々に打ち破られ、滅ぼされ、柏山家も領地を失ってしまった。
祖父の明吉は出家して意地でも仕官を拒んだが、父の明宗、叔父の明長、明久は津田家の軍人として活躍している。
明助が、光輝の御付きや、石山屋敷詰めを担当している点から見ても、旧東北組では成功している一家であろう。
「商売繁盛だな」
「かき氷はさほど手間がかからないのに、お客さんが一杯ですよ」
明助達若者は三人ほどでグループを作り、くじ引きで担当する屋台を決めた。
そして決められた場所への屋台の建設、出店のための準備、配られた回数券で売り上げを競い、上位者には光輝が褒美を出す事にしていた。
若者達は臨時のお小遣いを目指し、懸命に屋台を切り盛りしている。
これも、津田家流の社会勉強というわけだ。
「かき氷は高価だからな」
「私も夏場に氷を見たのは、津田家に仕官してからですね。冬なら氷なんて珍しくもありませんが、そんな時期にかき氷なんて食べませんから」
製氷機を持つ津田家ではさほどでもないが、夏に氷を食べるのは贅沢である。
回数券を持つ客が、長い列を作ってかき氷を購入していた。
「頑張って一位を取りますよ」
「おお、頑張れよ」
他の屋台も、若い家臣達が一生懸命に切り盛りをしている。
みんな、売上上位の褒美を目指していた。
もう一つ、津田家での出世基準は武芸だけではない。
このような主君からの命令を上手くこなし、その成果で光輝に評価されるというケースも多かったから、彼らは遊びとは思っていなかったのだ。
「どの屋台もよく売れているじゃないか」
焼きそばや、コナモノ、おでんは石山でも徐々に普及しつつあるので不動の人気があった。
クレープ、水飴、ジュース、チョコバナナ、ベビーカステラなどの甘い物は、招待した家臣の家族に人気だ。
子供達は金魚を掬い、お面を被り、ヨーヨーやスーパーボールで遊んでいる。
スーパーボールの材料であるゴムは、津田家によるゴムの木増産と、カナガワで密かに生産されている人工ゴムであった。
リアカーのタイヤと緩衝材、水を酌むポンプのシール材、ガス栓の蓋、雨合羽、手袋、長靴の材料として研究が進んでいる。
ゴムの木は海南島で植樹が進んでいたが、まだ収穫量は少ない。
収穫量が安定するまでは、カナガワで石油を材料に生産を続ける予定だ。
『兄貴、これも作ろうか? 原料はゴミだし』
『今は試作だけでいいんじゃないか?』
『人口を増やさないと駄目だからね』
ちなみに、コンドームの量産は光輝によって却下された。
量産が始まるのは日の本の軍勢が常に外地で活躍するようになってから、光輝と清輝がそんなものを必要としない年寄りになってからだが、それはまた別のお話である。
「みっちゃん、大盛況でよかったね」
「概ね成功だな」
「ふんっ! 朝鮮で多くの将兵が頑張っているこの時に贅沢な……」
招待しないわけにもいかないので招待した柴田勝家とその一行は、文句を言いつつ食べ物の屋台で派手に飲み食いしていた。
「イカを焼いたものか。まあまあだな」
「この串に刺さった肉は鶏か。ふん、雉や鶴の方が美味いな。ついているタレの味は評価してやる」
「食えない事もないな」
主君に気を使っているのか、それとも主君と似た者同士なのか?
勝家主従は屋台の食べ物に文句言いながらも、信長の手前、邪魔などはしてこなかった。
「我が柴田家の家風に、女子供が好むような甘い物や玩具は合わないからな」
「腹が膨れるように、この焼きそばを食うか」
「みっちゃん、柴田家御一行ってさ。文句を言いながらも、誰よりも沢山食べているよね」
余計なものには一切手を出さず、ひたすら食べ物の屋台を利用する勝家主従。
大嫌いな光輝の手前、褒めはしないが、屋台の味を気に入ったようだ。
「大人しいから放っておくか……」
文句は言っているが、この程度なら可愛いものだと、大人である光輝も今日子も気にしていない。
みんな思い思いに屋台を楽しんでいるが、一カ所だけ鉄火場と化している場所があった。
それは、型抜きの屋台の前である。
「難しいな!」
「ちくしょう! 割れてしまった!」
「もう一回だ!」
「今度こそ!」
屋台で使える回数券は、事前に一人十枚が配られていた。
一人十枚なので足りないという事もないのであろうが、型抜きに成功すると回数券が増えるとなれば、それに挑戦してみる者が増えて当たり前というわけだ。
信長を楽しませるために行われたお祭りの型抜きなので少し難易度を下げており、成功率自体はそれほど低くない。
だが、沢山回数券がもらえる難しい型抜きに挑戦して失敗する者が続出した。
「この回数券が三十枚もらえるやつ、本当に成功した者がいるのか?」
難易度は高いが、成功すると回数券が三十枚もらえる型抜きがあった。
誰も成功しないので、一部の人達が苦情を言い始めたのだ。
「なかなか成功しないから、回数券が三十枚ですので」
三人前の回数券をもらえるので、難易度は高くて当たり前だと型抜きを担当している若い家臣が説明した。
今回の祭りの屋台で出している品は、どれもこの時代では高価な物ばかりであった。
招待されている人も、信長から回数券を贈られた者だけ。
妻、子、一族、家臣にも招待券を贈られた者は、本当に限られたVIPなのだ。
そんな貴重な回数券が三十枚なので、成功者がいなくてもおかしくはない難易度だと若い家臣は説明する。
「もっと易しいものに挑戦した方が無難に回数券が増えますよ」
「それはそうだが……」
簡単な型抜きを繰り返しクリアーして回数券を増やす裏技を使われると困るので、型抜きには一人一回しか挑戦できない。
そのため、三十枚の回数券を狙って高難易度のものに挑戦するギャンブラーも多かったが、失敗する者が続出した。
「津田様、さすがに難しすぎるのでは?」
「しょうがないよ」
「クソっ! 失敗した!」
「俺も駄目だ! 成功者はいるのか?」
「簡単な型抜きなら結構いますよ」
「回数券二枚のやつにしておけばよかった!」
何しろ、回数券三十枚だ。
成功すれば、回数券の残り枚数を気にせず色々な物を食べたり遊べるのだから、難易度が高くて当然であった。
「できたぞ!」
「おおっ! 成功とみなします! 回数券三十枚です!」
そんな中で遂に回数券三十枚を得る者が出たが、その成功者は武士ではなかった。
「久蔵、お前、器用だな」
「津田様ですか。私は昔からこういうのが得意なのです」
一番難しい型抜きに最初に成功したのは、最近では大名の道具に絵、文字、装飾を施すのに忙しい長谷川久蔵であった。
信長の様々な道具に金地と天下布武を施し、他の大名やその重臣などにも顧客が多い彼は、大商人達と一緒に信長に招待されていたのだ。
「絵師だから、器用なのは当たり前か……」
「絵師がみんな器用というわけでもありませんが」
久蔵は、絵のみならず、細工物なども得意だから当たり前かと光輝は思った。
「これでお土産が大量に持ち帰れますね。津田様、ありがとうございました」
三十枚の回数券を得た久蔵は、大喜びで他の屋台へと向かった。
「まあ、俺は何もしていないのだけど……」
暫く親子三人で屋台を回っていると、ようやく信長主従の姿をみつけた。
彼は、柴田勝家と何かを話している。
「権六、朝鮮の事が気になるのはわかる。だがな、こういう日くらいは普通に楽しめ。人とは、戦の時には戦に、遊びの時には遊びに。ケジメをつけるのが大切なのだぞ」
「ははっ!」
主君信長からの忠告であるし、何より彼が言っている事は間違ってはいない。
勝家は彼の忠告を受け入れ、信長の前で素直に頭を下げていた。
「大殿、いい事は言っているんだけど……」
「なぜ、あの格好なのかしら?」
光輝と今日子は、全部台無しだと思った。
なぜなら今の信長は、今日子デザインの男性用浴衣に下駄を履いている。
それはいいのだが、頭には屋台で購入したお面、片手にはイカ焼き、もう片手にはわたあめを持っており、せっかくの真面目な忠告もまるで様になっていなかった。
「ミツか、今日は楽しいな。よくぞやってくれた」
光輝は、信長からの無茶な命令に見事に答えた。
お褒めの言葉を信長からもらったが、イカ焼きとわたあめを食べ終え、今は傍にいる森蘭丸が持っていた焼きそばを食べながらである。
口の端にアオノリがついており、またも色々と台無しであった。
織田信長、これでも天下人である。
「焼きそばは、こういう場の方が美味いな」
コナモノと一緒に焼かれる焼きそばも美味いが、屋台で出される焼きそばの方が美味いと信長は断言した。
勿論気のせいであるが、間違っているとも言えない。
食べ物の味には、雰囲気という要素も意外と大きな影響を与えるからだ。
「この浴衣もいいが、ミツの着ている甚平もいいな」
つまり、俺も欲しいと信長は言っているのだ。
彼と付き合いの長い光輝は、あとで甚平も贈ろうと思った。
「津田殿、今日子殿、我らの分まですみませぬ」
今日も、森成利、長隆、長氏の森三兄弟と、普段は信濃で領地の統治を手伝っている末弟忠政も信長の御付きをしていた。
全員が、今日子から贈られた男子用の浴衣を着ている。
今日は信長と同じ格好の方がいいと今日子が思ったのと、彼女は森家の美男子がお気に入りなのでわざわざ贈ったのだ。
「今日は、大殿の御付きだから大殿と同じ服装だと面白いかもと思っただけよ」
とはいいつつ、今日子は美男子揃いの森四兄弟の浴衣姿を見て一人悦に入っていた。
「今日子、こういう格好で屋台を楽しむのもいいな」
「大殿、これから花火もありますよ」
「花火か。江戸では大流行らしいな。我は初めて見るから楽しみだ」
そろそろ花火大会の時間なので、光輝達と信長主従は花火が見えやすい特等席へと移動した。
他の重臣達もそれぞれに席を用意されていたが、光輝は勝家がうるさいので少し離れた場所に席を設定している。
そのせいで、勝家は一人ピリピリとしていた。
激怒しないのは、ご機嫌な信長がいるから怒るに怒れないからだ。
「花火が始まりまーーーす!」
屋台をやっている若い家臣達が宣伝をして回り、みんなが空に視線を向けると遂に花火大会が始まった。
色とりどりの打ちあげ花火が空で花を咲かせ、そのあまりの綺麗さに多くの歓声があがった。
「ミツ、綺麗ではないか」
信長も、次々とあがる花火の綺麗さに大満足だ。
光輝を褒めるが、少し離れた場所では勝家が渋い顔をしていた。
「同じ物を……材料がわからぬわ!」
すぐに火薬と判明するが、鉄砲で使う硝石に余裕がない柴田家に娯楽用の花火で硝石を無駄遣いできるはずがない。
もし火薬を使えたとしても、花火の色の多彩さや円形に広がる仕組み、そもそもどうやって打ちあげるのかもわからない。
とても真似ができないと知って、勝家は悔しさを顔に滲ませた。
「毎年、石山でやってほしいくらいですが、硝石が高いですな」
招待されていた田中与四郎が声をかけてくる。
今日の花火の事は石山中に伝わっており、石山城の外では家から花火を眺める者が多かった。
これを上手く利用すれば商売になる、実際に津田家は既に商売にしていると与四郎は気がついたのだが、花火は材料が硝石なので高い、製造方法に至っては完全に不明で、与四郎は残念だという表情を浮かべていた。
「本当に、贅沢な催しで」
花火大会は二時間ほど続き、津田家お抱えの花火職人達は数百発の花火をあげた。
仕掛け花火の定番ナイアガラに、枠仕掛で織田家の家紋を浮かび上がらせたものもあり、そのサプライズに信長も大喜びだ。
「(津田光輝め!)」
当然、勝家の機嫌は急降下している。
「楽しい催しであったな。我は大満足だ。費用は我に請求するがいいぞ」
自分と一族と家臣とその家族が楽しめ、最後の仕掛け花火で信長の威信も大きく上がった。
大満足な信長は、約束どおりに光輝に費用を請求するようにと言う。
ここで光輝の完全な持ち出しにしてしまうと、自分がケチだと噂になってしまうからだ。
「わかりました」
「割引などはするなよ。これは我の催しなのだからな」
とは言うものの、ちょっと張り切りすぎたので費用が物凄い事になってしまっている。
光輝は、密かに経費を割引して信長に請求書を渡した。
「ううっ! これは凄いな!」
その金額に信長は驚くが、このくらい高くても当然だとは思っている。
多くの屋台を開き、商品の購入は回数券のみであった。
つまり、参加者の飲み食いや購入はすべて信長が出しているのだ。
それに加えて、あの大量の綺麗な花火である。
材料の硝石が高価な以上、花火は高くても当然なのだ。
「毎年は無理だな……」
二千貫にも及ぶ費用請求書を見て、信長は毎年の開催は不可能だと思ってしまう。
それでも、どうにか金を調達して祭りと花火大会を開く手はないかと、信長は暫く考え込んでしまうのであった。
 




