第八十一話 隠居生活
「津田殿、近年稀に見る豪華な改元となったでおじゃる。主上も事のほかお喜びでおじゃる」
「それはよろしゅうございました。準備に念を入れた甲斐があったもの」
「下々にまで津田幕府成立と新しい年号が通達され、これからは平和な世の中が来ると、みなも大喜びでおじゃる」
日の本の年号が慶長に変わったのは、織田幕府が崩壊して津田幕府に移行したので後陽成天皇が改元を執り行ったからだ。
織田幕府の時と同じ年号を使うのは不吉であるという理由に納得する者は多かったが、当然裏の事情も存在する。
改元には莫大な費用がかかり、足利幕府の頃には朝廷から幕府に通達がなされ、幕府が諸経費を負担していた。
ところが、十三代将軍義輝の頃にひと悶着発生している。
当時の将軍義輝は、三好長慶との戦いに敗れて近江国朽木谷で五年近く亡命生活をしていたため、朝廷は弘治から永禄に改元した事実を義輝に連絡しなかった。
亡命生活で貧乏だから、費用を出せないと思ったのであろう。
この時には、毛利元就と三好長慶が献金を行って費用を負担している。
そのせいで改元が行われた事実を知らなかった義輝は、何も知らないまま失墜した将軍の権威を復興すべく、各地の有力大名に助力を求める書状で弘治の元号を使用し続けた。
朝廷から改元が行われた事実すら知らされない将軍、諸大名がそんな将軍を相手にするはずがなく、余計に足利幕府の権威は失墜してしまったわけだ。
それを知った義輝は激怒したが、朝廷は柳に風とばかりに聞き流した。
利用価値のない将軍を、いちいち相手にしないというスタンスだったわけだ。
時は流れ、織田信長が将軍に押し上げた足利義昭も、改元の費用は一切出さなかった人物だ。
ケチだったのか? 信長が出すと思ったのか?
実際に、元亀、天正への改元費用は信長が支払っている。
元亀への改号は将軍に就任するからという理由で自分から言い出した癖に、彼はその費用を出さなかったのだから酷い話だ。
そんな事があったので、朝廷は改元の費用を出さない足利幕府を侮るようになり、織田幕府が成立したのは自然の流れなのかもしれない。
ところが、織田幕府は幕府成立後には改元費用を出していなかった。
織田幕府が存在する間に改元をしなかったせいもあるが、実は改元のチャンスは存在した。
正親町天皇の退位と後陽成天皇の即位に合わせての改元が朝廷から提案されたのだが、将軍信忠はこれを断ってしまった。
朝鮮での財政負担が大きかったので、経費を出し渋ったわけだ。
次に、信重が将軍に就任した時にも改元の話が出た。
だがこれも、幕府財政が回復していないという理由で幽斎が断っている。
二回続けて改元を断った織田幕府に対し、朝廷と貴族は織田幕府への不満を密かに募らせていた。
この事実も、織田幕府から津田幕府へ速やかな移行が行えた理由の一つだったというわけだ。
そして、朝廷は津田幕府に改元を迫った。
公式な理由は、織田幕府の時と同じ年号を使うのは不吉であるというもの。
本当の理由は、改元を行うと貴族がそれらの仕事で潤うという現実もある。
だが、金を出せば津田幕府に権威が与えられる。
お互いに利益があるし、経済対策も兼ねられるとあって、信輝は交渉に来た近衛前久に対し無条件で費用負担を了承している。
信輝は気前よく金を出したが、元を取る事は忘れなかった。
この時代、電話も無線もないので、改元された事実が地方にまで波及するのに時間がかかる。
二年ほどかかったという記録も存在するほどであったが、津田幕府には飛行船も無線機も存在している。
水軍も発達しており、信輝は外地も含めて日の本全土に一か月以内で改元の事実を知らせた。
『改元した事を全国中に知らせる任務か……凄い事なのはわかるが、飛行船を使う必要があるのかな?』
津田家所有の飛行船には、津田幕府成立と改元が行われた事が大きく記載され、それが全国を飛び回った。
立花宗茂もその任務に駆り出されており、彼はルソンや海南島にも飛んで現地の住民達に津田幕府成立と慶長への改元を知らせている。
津田領の領民以外で初めて飛行船を見た者達は、津田幕府の強大な力に驚き、幕府交替の事実を呆気なく受け入れた。
これからは全国各地のみならず、外地の行政府や軍港、基地などにも無線機が配備される予定となっており、通信に時間がかからなくなる。
外地で何が起こっても素早く対処可能となるので、津田幕府による外地統制は更に強化される予定だ。
内地については言うまでもない。
津田幕府は、成立当初から織田幕府よりも強固な政体となったわけだ。
「あとは、京に大学の建設と、石山の町の拡張工事でおじゃるか?」
「津田幕府に相応しい都を建設する予定です」
畿内経済は、幽斎の無茶な動員が原因でダメージを受けてしまった。
そこで、砲撃戦にも対応可能な石山城の大改修工事と、石山の町自体を広げる大拡張工事、畿内中の街道の整備、京における大学の建設など。
公共工事による畿内経済の活性化を行い、津田幕府への支持を集めようと信輝は意図していた。
「それは重畳でおじゃる。ところで、麿の孫娘と太郎殿との婚姻の件でおじゃるが……」
「信伊殿に娘御がおられたとは……」
信輝の知るところ、前久の子信伊とその正妻の間には子供がいないと聞いていた。
「庶女でおじゃるから、側室で構わないでおじゃる。信伊には庶子は複数いるのでおじゃるが、実子がおらぬので困っているでおじゃる」
事実、二十数年後に信伊が急死した際、近衛家の家督を継いだのは信尹の異腹の妹中和門院前子の産んだ二宮であった。
彼は、近衛信尋を名乗って近衛家の家督を継いでいる。
「それはかねてからのお約束。確実に実行します」
「ありがたいでおじゃる」
前久としては、側室でも何でも津田家に近衛家の娘が嫁げれば利益があるので文句はなかった。
三条西家と共に津田幕府成立に尽力したので、これくらいの利益はほしいというのが前久の本音である。
特に、征夷大将軍任命のために源氏長者への養子入りを信輝が拒否したので、あれやこれやと家系図のねつ造に勤しんだのは前久なのだから。
『私は津田光輝と今日子の子供ですので、他の者の養子にはなりません』
この件だけは絶対に譲れないと信輝が前久に宣言したので、彼は家系図のねつ造で奔走する羽目になった。
その分のお礼はあったので、前久も文句はなかったのだが。
「畿内の開発を楽しみにしているでおじゃる」
畿内の経済が上向けば、貴族にもその恩恵がある。
前久は、幕府が交替してよかったと安堵の表情を浮かべるのであった。
そして時は慶長二年、満五十五歳になった光輝は、国内の体制が落ち着くと信輝にすべての実権を渡して江戸で隠居生活を送り始めた。
従一位の散位は持つが、官職はすべて辞した状態だ。
当初は多少の混乱が予想されたが、信輝は今日子の血と教育を受けた完璧超人である。
為政者としての能力では、光輝に勝ち目はなかった。
蝦夷樺太開発を促進する弟信秀や甥達の補佐に、石田三成、長束正家、田中吉政などが主体となって官僚団の育成も進んでいる。
多少津田家当主の出来がよくなくても、日の本に混乱をもたらさない統治体制の構築が進んでいた。
江戸城の近くにある津田家隠居邸では、光輝、今日子、お市、葉子が悠々自適の日々を過ごしている。
娘達は、末娘の夕姫は残っていたが、あとは全員嫁いで孫が沢山生まれている。
たまにこの屋敷へ遊びに来るので、その時はみんなで楽しく遊ぶのが決まりとなっていた。
「そんな夕も、嫁ぎ先が決まってしまったなぁ……」
正式に嫁ぐのは十六をすぎてからだが、彼女は滝川一忠の嫡男一積と婚姻する事が決まった。
可愛がっていた末娘の嫁ぎ先が決まってしまったので、父親である光輝の心情は複雑だ。
「娘を思う父の心情、まっこと理解できますな」
嘆く光輝に対し、屋敷に遊びに来ていた秀吉が賛同するかのようにうんうんと首を振る。
秀吉も羽柴家の家督と九州探題の地位を嫡男長吉に譲り、妻のねねと共に江戸に屋敷を構え、悠々自適の生活を送るようになっていた。
なので、暇さえあれば光輝と今日子の屋敷に夫婦で遊びに来るようになっていたのだ。
「藤吉郎も急に娘ができたからな。父親としては心配か」
「又左殿、ねねの前でそれは言わないでくれると嬉しいのですが……」
「そうは言ってもな。事実であろう?」
自分の隣で意味あり気な笑顔を崩さないねねを見て、秀吉は冷や汗をかいてしまう。
江戸で悠々自適の生活を送るようになった秀吉は、娯楽が多い江戸の生活を大いに楽しむようになった。
今までは織田家重臣として忙しかったので、その反動もあるかもしれない。
ところが、江戸にある芝居小屋の看板女優に熱をあげ、挙句にその女性と子供を作ってしまったのがよくなかった。
実は秀吉は、現役の頃から忙しい合間を縫って幾人かの女性と浮名を流している。
その度にねねから叱られていたが、今回は子供ができた件は致命傷であった。
『ひいぃーーー! ねね、大御所様から拝領の兼定はいかんぞ!』
『何じゃ? 羽柴の御隠居の浮気なんていつもの事だろう?』
『それが、『享楽座』の看板女優おようとの間に子供ができたらしい』
『それはあかんな』
江戸の町民達は、ねねが激怒した理由に納得する。
秀吉は刀を抜いたねねに江戸中を追いまわされ、ようやく津田屋敷に逃げ込むが、光輝は慶次と将棋を指しており、秀吉の事を気にもかけなかった。
度々劣勢に追い込まれる光輝は、慶次に待ったをかけるのが忙しかったからだ。
『大御所様! 助けてくだされ! ねねが!』
『慶次、ちょっと待った!』
『大御所様、これで五回目ですぞ』
『それでも待った!』
『驚異的な弱さですな。よく天下を取れたものだ』
『将棋の腕前と天下は関係ないという事だな。将棋が強くても戦に負けたら意味がない』
『それについては納得しましたが、もうそろそろ止めを刺してもいいですか?』
『畜生! みんななんでこんなに将棋が強いんだよ!』
光輝の将棋の弱さはある意味脅威的であった。
誰と勝負しても、滅多に勝てないのだから。
『拙者もそこまで将棋が強いわけではござらん。大御所様が弱すぎるのですな』
『大御所様!』
光輝と慶次に相手にされない秀吉は、再度二人に助けを求めた。
『子供ができちゃったんだっけ? 認知して責任は取らないと』
『左様、浮名を流すのもよろしいが、拙者のように騒ぎにならないように遊ぶのが一番でござるぞ』
慶次はとにかく女性にモテるので有名だ。
愛人も複数いるが、秀吉のように騒ぎになった事はない。
その点が秀吉とは大きく違っていた。
『こういう時に一番いい手がある』
『大御所様、それは?』
『全面降伏だな。綺麗な土下座をして、本当にごめんなさい! ってやるのが一番』
『ほほう、大御所様は今日子様にそうやって許していただいたと?』
『若い頃にちょっとね……変に誤魔化したり抗ったりするから駄目なのだ』
『大御所様の実体験より出た解決策ですか。勝てぬ相手に土下座はある意味真理ですな。という事のようでござるよ、秀吉殿』
『慶次殿、何か他に手は?』
『何分、拙者は浮気が原因で女性に謝った事がありませぬからな』
アドバイスしようにも、そういう経験がないからわからないと慶次は言う。
浮気はしても、女性に不満を抱かれないのが慶次という男だからだ。
『慶次、それは実は自慢か?』
『それも入っておりますな。ところで、秀吉殿。ねね殿の兼定の構え、なかなかに堂に入っておりますな』
『ねねの奴、今日子様に憧れておるから……』
今日子のように武芸も覚えようと、彼女は空いた時間に剣術を習っていた。
健康維持も兼ねて若い頃から習っているので、慶次から見てもねねの刀の構えは堂に入っているように見える。
『せっかくの兼定が、無茶な使われ方をして刀身がおかしくなる事はないわけですな。それはよかった』
もし秀吉がねねに斬られても、素人の雑な扱いで名刀兼定の刃が欠けたり、刀身が歪んだりしないからよかったと、慶次は安堵の溜息をつく。
『こら! 慶次! 少しは私の身を気遣わんか!』
『羽柴秀吉の身を気遣っても、あと二十年が精々。兼定は、数百年も名刀として残りますからな。おっと、時間切れですな』
慶次と秀吉の前に、兼定を構えたねねが仁王立ちしていた。
『藤吉郎さん、お覚悟のほどは?』
『とほほ……』
秀吉は兼定を構えるねねの前で土下座を行い、どうにか許してもらった。
『浮気は仕方がありません! ですが、他所にお子を作るとは何事ですか!』
ねねは、秀吉の浮気はいつもの事なのでそれは諦めていた。
それよりも、勝手に外で子供を作り、その子が羽柴家の相続問題に絡んでくる危険性の方を警戒したのだ。
『もう一つ! 市井の女性に子を産ませて、その母親と子の生活をどうするのですか? 猫の子とは違うのですよ! 今日は、今日子様がその女性を診察してくれるそうで。本当に助かりました』
『今日子、そんな用事で出かけてたんだ』
光輝は、今日子が診察に出かけたのは知っていたが、診察相手が秀吉の愛人だとは知らなかった。
『そんなぁ……今日子様に知られてしまうなんて……』
あとでもう一回、散々に叱られてしまうのかと、秀吉は絶望の淵に立たされてしまう。
『これは土下座の練習が必要ですな』
秀吉は今日子にも土下座をする羽目になり、以後秀吉は隠し子を作らなくなった。
浮気の方は相変わらずであったが。
なお、その子は後に正式に羽柴家の娘となり、教育を受けて長宗我部家に嫁ぐ事となるが、それはまだ大分先の話であった。
「藤吉郎は健康でいいな」
「衰えは自覚しておりますが、今日子様の健康指導がありますからな。そのおかげでしょう」
隠居組は定期的に医者である今日子から健康診断を受け、不摂生を知られると怒られてしまう。
今日子の弟子達も津田家臣団に厳しい健康指導を行う事で有名であり、そのおかげか平均寿命は伸びていた。
「俺もたまに怒られるもの」
「大御所様は、大殿と同じく食事に気をつけませんと」
光輝が今日子に怒られる原因の第一位は、やはり食事の件であった。
食い道楽のため、たまに食べすぎてしまうからだ。
「今まで、今日子様に叱られた事がないのはワシくらいではないかな?」
「久秀はとにかく凄い。完璧に節制しているから」
「日々の節制が、長寿を生むのですよ」
隠居屋敷には、多くの者が押しかける。
その筆頭は、今年で八十六歳になる松永久秀であった。
大分前から隠居はしていたのだが、今では江戸に屋敷を構えて毎日津田屋敷に顔を出している。
久秀は、松虫を大事に三年も生かした事がある。
虫でも大切にすれば長生きするから、人間も養生しないといけないと公言している人物であり、それを実践しているわけだ。
「この国の天下は取れませんでしたが、ワシは長生きの天下を取ろうかと思うのです。まあ、大御所様と今日子様は今も若そうで羨ましいですが」
五十五歳の光輝、五十六歳の今日子、共にまだ四十半ばくらいにしか見えない。
しかもその特性は子孫にも受け継がれており、津田家の人間は長寿で健康な者が多かった。
長寿で健康な当主がお家にとって不利になるはずがなく、津田家との婚姻を望む家は多かった。
「私は大病をしていますからな。注意はしていますよ」
「利長にすべて任せているので問題はありませんが、気になるのが親という生き物ですよ」
丹羽長秀、前田利家も、隠居して江戸に屋敷を構えていた。
津田政権は石山を本拠地としていたが、江戸も副都として重点的に開発を進めている。
光輝が常在している事もあり、各家の当主が隠居すると江戸に屋敷を構えて移住するケースが増えていた。
「叔父御、もうくたばったか?」
「慶次か。悪いがまだ元気だぞ」
「そうか、地獄の閻魔もまだ槍の又左には勝てぬか」
とそこに、同じく隠居して江戸に住んでいる前田慶次が姿を見せる。
彼も、これからの戦は性に合わないと二度と槍を握らなくなった。
江戸に住んでいるので、よく津田屋敷に姿を見せては好き勝手に話をし、飲み食いしてお土産まで持って帰る。
一度も津田家の家臣になった事がない男なのに、光輝と今日子も含めてその行動を咎め立てる人はいない。
むしろ話が面白いので、光輝の孫達は慶次が屋敷に来ると喜んだ。
たまに義理の叔父である利家と顔を合せると『くたばったか?』と平気で尋ねるが、二人は仲が悪いわけではない。
決まりの挨拶のようなものだ。
慶次が前田家を出奔したのも、実は利長とソリが合わなかったからという理由なのだから。
それに、慶次は出奔の際に家族を連れて出ていない。
慶次の嫡男正虎は、ちゃんと利長から家老として重用されていた。
「噂によれば、今日は謙信公がここに来られるとかで?」
「慶次、お前は耳が早いな」
江戸で自由気ままに隠棲生活を送っているはずなのに、なぜか慶次は耳が早かった。
今日、この屋敷に上杉謙信が来るという情報を掴んでいたのだから。
「なあに、兼続殿からの情報さ。叔父御」
文化人でもある慶次は、手紙をかわす友人が多い。
その中に上杉家の家宰として有名な樋口兼続がいて、彼から手紙をもらったそうだ。
「謙信殿も江戸に住むそうだ」
謙信のライフワークであった越後平野開拓であったが、さすがにそろそろ若い者に譲って自分は隠居するのだという。
謙信ももう六十七歳であり、妥当な判断であった。
「この一年ほどは、引き継ぎをしていたと兼続殿が手紙に書いてあったな。あの謙信公の事だから発つ鳥跡を濁さずで、見事な引継ぎであったと思うな。あの方は、拙者と同じく天才だからな」
「慶次、よく自分で自分を天才とか言えるな……」
利家が呆れていたが、光輝は謙信も慶次も天才だと思っている。
戦でも政治でも素早く判断して動いて大きな成果をあげる謙信と、戦では最強、文化人で知己も多く不思議な魅力を持つ慶次もだ。
江戸で隠棲している慶次は、家族から援助を一切断っている。
それなのに、彼は大きな屋敷に住み、金にも困っていない。
江戸の町民達にも人気者である慶次に、金持ちの商人達が勝手に援助しているのだ。
彼らは見返りなど求めない。
慶次の江戸での生き様が面白いと、勝手に金を置いていく。
ある意味天才だと、光輝は思っている。
「天才の欠点は、天下を取れない事だな」
平気でそんな事が言える慶次に、秀吉達も笑っていた。
それにある種の真理だともみんな思っている。
天才であった信長も、天下は取れたが朝鮮出兵のせいで支配体制の強化には失敗した。
光輝は天才には見えないが、手堅く動いて天下を取った。
世の中とはそんなものなのかもしれないと、秀吉は思ったのだ。
「今日は人が多いな」
みんなで話をしていると、そこに噂の上杉謙信が姿を見せる。
全員の視線が彼に向くが、彼は意外な物を抱いていた。
「景勝の子供ですか?」
「いや、私の子ですよ。大御所様」
「えっ? 養子にした?」
「いえいえ、正真正銘私の子です」
謙信の返答に、全員が絶句する。
「おや? 謙信殿は女子も抱けたので? すっかり、男しか抱けぬものとばかり」
全員が声も出ない中、自称天才の慶次は平気な顔で謙信に失礼な質問をした。
謙信に同性愛者なのではないかと質問し、その場の空気が凍る。
「いや、戦勝のために不犯を貫いただけで、衆道は慣習であろう?」
慶次からの無礼極まる問いに、謙信は特に気にもせず答えた。
共に天才同士なので、そんな細かい事は気にしないのかもと光輝は思った。
「まあ、そうですな……」
利家は、信長とそういう関係にあった事がある。
武士の衆道とは、そういう関係になっておけば裏切られる可能性が少ないという理由からも奨励されていたからだ。
津田家の人間は、生理的に無理なので衆道などした事がない。
清輝の妻孝子の本は、あくまでも創作物という扱いであった。
「もう戦には出ないので、不犯を保つ必要はなかったのだが、この年なのでな」
もうそういう事はないと思っていたのだが、ついそうなってしまったらしい。
相手は、津村玄蕃という下士の娘だそうだ。
「唯一の肉親である父親を前の戦いで失ったそうで、兼続に頼まれて身の回りの世話をさせていたのだ」
越後平野開拓にも連れて行き身の回りの世話をさせていたが、つい手を出してしまったらしい。
そして妊娠してしまい、産まれた子供と共に認知したそうだ。
「おめでたいお話ですが、大丈夫なのですか?」
長秀は、上杉家の家督争いになってしまうのではないかと心配する。
「この子は女子だからな。景勝にも卯松が生まれたから、婚姻させればよかろう」
「なら安心ですか」
「それよりも、何とか長生きして孫の顔を見なければな」
「はいはい。厳しい健康指導をしますよ」
「今日子様の健康指導は、本当に厳しいからな」
謙信の発言に、今日子以外の全員が首を縦に振る。
無事に育った謙信の娘菊姫は景勝の嫡男輝勝に嫁ぎ、結果的に謙信は孫の顔を見る事ができたのであった。