第七十九話 崩壊
「多少卑怯な気がしなくもないが、これも戦国の習い。御甘受いただきたい」
「……」
「何も言えませぬか。今は大人しくされていた方がいいと、老婆心ながら忠告しておきます」
九州より羽柴軍他、津田家派有志連合軍が出撃した直後、肥後において発生した蒲生家と阿蘇家による内乱が終了した。
当主氏郷が主力と共に出陣した後、留守を守っていた彼の末弟蒲生貞秀が、肥前から援軍に来たと言って兵を率いてきた鍋島直茂によって捕えられてしまったのだ。
これがもし氏郷なら、いくら鍋島家が味方でも警戒したはず。
だが、まだ若い貞秀にそこまで求めるのは酷であろう。
直茂と直接対面した席で彼は捕らわれてしまい、突然の事に同席していた蒲生家家臣達も手が出なかった。
そこに、阿蘇軍に加わっていた氏郷の兄氏信と弟重郷も軍勢を率いて姿を見せ、彼らの大半が降ってしまう。
一部、主にキリシタンの家臣と兵士達が反抗したが、氏郷がキリシタンの家臣や兵の大半を津田家討伐に連れて行ってしまったので、大した抵抗もできずに討たれるか捕らわれてしまう。
肥前の内乱は、蒲生家の敗北で呆気ない幕引きを迎えた。
「鍋島直茂殿、見事な手並みですな」
味方だと偽り、会見の席で敵の大将を捕えてしまう。
警戒している相手にこれを行うのは、『言うは易し行うは難し』の典型例だからだ。
少しでも貞秀が疑心を抱けば、その時点で作戦は失敗してしまう。
まったく貞秀に疑わせずに作戦を成功させた直茂の力量に、氏信と重郷は称賛の言葉しか思い浮かばなかった。
「これで九州は静かになりますな」
「暫くは、キリシタンの蠢動に備えないといけませんが……」
九州は元々キリシタンの数が多く、加えて織田幕府と津田家がキリシタンにいい顔をしないため、氏郷の元には多数のキリシタンが集まっていた。
彼らが反乱でも起こさないよう、しっかりと統治をしなければいけない。
「氏郷のバカが! 何がキリシタンの国だ!」
重郷が、吐き捨てるように兄氏郷を批判した。
九州にキリシタンの国を作る。
彼がいくら有能でも、いや逆に有能だからこそ織田幕府が警戒しないはずがない。
それが将来、蒲生家にどれほどの不幸をもたらすか。
戦一辺倒の重郷にでもわかる話だ。
「現在、九州探題様が九州にいないため、我らが責任を持ってこの地を安定化させる必要があります」
「そうだな、鍋島殿の言うとおりだ」
北九州は比較的安定している。
筑前、筑後は、秀吉の息子長吉が留守役として押さえており、肥前は直茂が竜造寺家派の家臣を粛清して完全に掌握した。
豊後には複数の大名がいるが、森長可の領地は秀吉の命令で一切手を出していない。
そこに裏があると感じている者も多いが、その証拠を掴ませるほど二人は間抜けではなかった。
どちらかというと若い長可に隙があると思って探りを入れた者は多かったが、彼には森成利という知恵袋の存在もある。
何ら混乱していない森領に秀吉が手を出す公的な理由もなく、森領は平穏そのものであった。
逆に、討ち死にした池田輝政の領地には、羽柴家の仙石秀久が軍勢を率いて入った。
これは、輝政の死後急遽池田家の家督を継いだ利隆と、その母親である秀吉の娘を保護するためである。
利隆はまだ幼いので、羽柴家が池田領の統治を助けるためでもあった。
勿論抜け目のない秀吉の事なので、これを機に、近江で輝政亡き後の池田軍を率いている彼の末弟長政の影響力を排除し、池田家を実質羽柴家の分家とするためでもあった。
羽柴家の血を引く利隆は津田家に味方したという事にし、幼い利隆を排除して自分が池田家の当主になろうと画策している長政には、関ヶ原で討ち死にしてもらうというわけだ。
どうせ長政は池田家の家督を狙って幽斎と懇意にしていたので、秀吉も躊躇なく彼を討てるというわけだ。
娘婿の輝政が討ち死にしてしまったのは晴天の霹靂であったが、この件で光輝と今日子は秀吉に罪悪感を抱いていた。
だからこそ秀吉に二か国を加増するという約束をしていたし、池田家も利隆を当主にどこか一国を保証するという条件も出していた。
秀吉からすれば可愛い孫の利隆は公私ともに大切な存在であり、娘と共に絶対無事に確保しなければいけなかった。
『権兵衛、お前は古参だから信用して任せるぞ』
『お任せを』
羽柴軍豊後接収部隊の指揮官仙石秀久は、電光石火の早業で池田利隆とその母親である秀吉の娘を確保、ついでとばかりに豊後国内に領地を得ていた大友家留守部隊を壊滅させ、無事に占領に成功している。
『ちっ! 大友軍にはキリシタンが多いな!』
『一部領地を返されてから、随分と早く軍勢を編成したと思ったら……』
『名門としての力のみならず、キリシタンの影響ありか』
秀久は、副将である戸田勝隆と共に捕えた大友家兵士達を見て溜息をつく。
秀久は、領地を返還されたばかり、しかも豊後の一部のみなのに多くの軍勢を集めた大友家の力に冷や汗が出た。
名門大友家なので他家に仕えていた者や帰農していた者まで集まっていたのだが、キリシタンの比率が蒲生家に匹敵するほど高かった。
数の少ない留守部隊だから犠牲も少なく勝てたが、関ヶ原の大友本軍は当主義乗の能力はともかく、その兵数と実力は相当なものと予想された。
『今は、豊後を混乱させない方が大切だ』
秀久による豊後制圧も完了し、豊後もほぼ津田家派の手に落ちた。
「薩摩と大隅は島津軍が、日向は……」
「あそこは、島津軍に大敗しすぎて羽柴軍がいないと防衛すら覚束なかったですからね。楽な仕事でしたよ」
とっくに信雄の家臣達に対して黒田官兵衛が調略を終わらせており、だから彼は秀吉と共に関ヶ原に向かっていたのだ。
彼らは信雄についたままでは未来がないと、官兵衛が拍子抜けするほど簡単に降っている。
『薩摩と大隅を奪われたままです。このままでは、信雄様に殺されてしまいます』
信雄は、父信長の気が短い部分だけがよく似ていた。
二か国を失陥させ、もう一国も羽柴家の力がないと防衛できない現在、留守役の彼らは信雄からの処罰を免れるために降ったというわけだ。
元々いい主君でもなかったので、彼に殉ずるという選択肢が取れなかったのだと官兵衛は予想している。
「残りは、この肥後ですが……」
「直茂殿、お隣が蒲生家なのは変わりませんので、これからもよろしく」
肥後は、蒲生騒動で津田家預かりとなっていた蒲生氏信が当主となって領地はそのままと言う事になった。
だが、津田家嫌いの氏郷が当主なのと、親津田家である氏信が新当主となり、重郷がそれを支える体制ではまったく内容が違う。
彼らはキリシタン嫌いでもあり、将来的には九州からキリシタンの影響力を排除する役割も担う。
津田家の方針としては、一揆を扇動するような連中は討つしかないが、大人しいキリシタンは徐々に仏教や神道に改宗させる計画を立てていた。
「ところで、阿蘇家には領地はなしですか?」
「あの家は、津田幕府下では役割が大きく変わるのです。領地の返還と加増はありません。『津田幕府』で役職を得るでしょうね」
阿蘇家は歴史が長い神官の家系で、その知名度は全国屈指であった。
そこで、国内のみならず、外地で神道を普及させる仕事に従事する予定となっている。
下手に領地を与えるとその管理で手間がかかるので、彼らは津田家から銭で禄を貰う事になっていた。
大名ではなくなるが、阿蘇神社宮司のままで津田政権下において宗教政策を担当する事になる。
「わずかな領地よりも、大きなものを得るわけですか」
直茂は、阿蘇家と津田家との大きな繋がりに気がついた。
蝦夷、樺太、沖縄、台湾、フィリピンにまで神社の建設と神官の派遣が行われており、阿蘇家はそれにずっと手を貸していた。
だからその力は大名家の頃よりも大きく、小さな土地には拘らないのだと。
「九州、四国、明智領は津田家側に落ちましたか……」
これで、織田幕府は敵に挟まれる格好となった。
いくら織田幕府が畿内を制しているとはいえ、相当に不利になったのは間違いないはずだと直茂は計算した。
「(できれば参戦して肥後の半分でもと思ったが、これくらいが潮時だな。あとは、津田家のお手並み拝見と行こう)」
肥後平定を達成した直茂は、あとは津田家に評価されるであろう九州の治安維持に全力を傾けようと決意するのであった。
「進め! 関ヶ原の陣地を落とすのだ!」
「俺はもう嫌だ!」
「下がれば斬るぞ!」
織田幕府軍による、関ヶ原野戦陣地攻略戦は続いていた。
精鋭である本隊を温存しつつ、徴兵した農民達と浪人衆に突撃を強要するが、大量の味方の屍を見て恐怖する者が増えた。
幽斎達は他人事なので使い捨てだと割り切れるが、使い捨てられる立場の人間からしたら堪ったものではない。
命令を拒否しようとする者達が増えたが、それは督戦隊の存在によって防がれた。
時には見せしめとして農民兵を斬る事すら厭わず、彼らを銃弾の雨へと駆り立てたのだ。
「(俺の天下のためだ。死んでくれ)」
督戦隊を率いるのは、細川忠興だ。
彼は父幽斎と同じく教養人でもあったが、同時に野心家でもあった。
一人の人間として兵がバタバタと倒れると心苦しいが、別に止めるつもりもない。
津田家を打倒し、織田幕府を傀儡として細川家の天下を取るために必要だと思っているからだ。
父幽斎が実質天下を握り、その跡を自分が継ぐ。
天下という甘美な褒美に比べれば、逃げ出そうとする農民兵を斬るなど容易い事だ。
年でも取ったら、供養のために出家して祈ってやる程度の認識であった。
「聞けば、津田光輝は出家せんそうだな?」
「はあ……何でも、出家など武士の方便だそうで……」
忠興の問いに、細川家の重臣である松井康之が答える。
散々人を殺しておいて、出家するくらいで罪など薄れないというのが、光輝と今日子の考えであった。
『あっ、僕は無宗教なんで。ラーメンは味噌派だけど』
『常務、それは宗教ではありません』
『そうか? 味噌派と醤油派の尽きぬ争いを見ていると、これも宗教の一種かなと。お菓子でも、キノコ派とタケノコ派の五千年以上続く争いとか、未来でも有名だったじゃないか』
『この時代の宗教関係者が聞いたら激怒しますよ』
『知らないよ。僕は宗教政策に関わっている部分が少ないから』
一人だけ、清輝はこの時代ではほぼあり得ない『無宗教』という存在であったが、知っている者は関係者だけなので特に問題になっていない。
死んだら葬式をして坊主が読経をし、お墓に入るだろうくらいの感覚だ。
「下賤な出の男に相応しいわ」
武士ならば、隠居したら出家して当然のはず。
それをおこなわない光輝を、忠興は下賤な男だとバカにした。
「津田家を滅ぼし、細川家を躍進させるのだ」
聡い康之は、細川親子の野心に気がついている。
だが、それを止めようとは思わない。
上手くいけば、自分も大大名になれるであろうからだ。
「しかし、なかなか玉薬が尽きぬな」
「よほど大量に備蓄してあったとしか……」
一向に衰えない津田軍からの射撃と砲撃に、忠興も康之も驚いている。
それでも、元は商人なので上手く入手して備蓄していたのであろうと思っていた。
そして、それももう少しで尽きるであろうと予想している。
「次の部隊を送り出すぞ」
「ご注進!」
忠興が更なる攻撃の強化を命じようとしたその時、一人の伝令が飛び込んでくる。
「何事か?」
「伊勢方面より、津田信輝の軍勢が!」
「康之」
「どうやらもうすぐのようですな」
忠興は、満面の笑みを浮かべる。
今まで一切手を出してこなかった津田信輝の別働隊がようやく動いた。
という事は、もうそろそろ津田本軍の玉薬が切れるという事だ。
「別働隊は同数で父上があしらうであろう」
勝家のように、無理に討とうとするから敗れるのだ。
距離を置いて牽制しておけばいい。
忠興はそう思っていたし、父幽斎も同じ手を使うであろうと思っていた。
「我らは、このまま津田本軍を攻め立てい!」
忠興の予想どおりに幽斎は五万の兵を津田信輝軍の牽制に回したが、ここから次第に織田幕府軍の失敗が始まっていく。
「さすがは、羽柴家の『両兵衛』だ」
越前に船団で上陸した羽柴、明智連合軍が南下を開始した。
このまま織田幕府軍に攻撃を開始すれば、三方から敵を包囲可能になる。
津田光輝からの密書を受け、越前上陸からなるべく織田幕府軍に悟られないようなルートの選定、間諜や密偵の始末、移動の速さと、すべてが上手く行っている。
明智家重臣斎藤利三は、秀吉の手腕と共に、羽柴家の両兵衛と称される軍師二人の手腕を絶賛した。
いまだ朝鮮や明とは講和がなっておらず、いつ九州に逆襲してくるかもしれない状態で、明智家よりも多くの兵を出している点もである。
「利三、大丈夫なのか?」
「はい、一度両軍で攻めかかれば、織田幕府軍は大きく混乱するでしょう」
若いがゆえに実戦経験が少ない明智光慶は、不安そうに利三に問い質してくる。
利三は光秀から明智家の後事を託された重臣中の重臣であり、明智軍を実質差配している立場にあった。
経験がない光慶は頼りにしていたし、やはり幕府軍三十万という数字は大きいというわけだ。
若い彼が不安を抱えていないはずがない。
「もし大軍で逆襲をされたら……」
「ですが、その大軍が一カ所に纏まれるはずもありません」
利三は、今の織田幕府軍にそんな事はできないと断言する。
大軍なのはいいが、とにかく場所を取りすぎるのだ。
織田幕府軍は横山城を前線基地に関ヶ原に大軍を送っているが、それだけでは場所が狭いので、佐和山城、観音寺城、水口城、近江八幡城、大津城にまで一大後方拠点を設置して兵力を配置している。
利三に言わせると、過剰な兵力のためにすし詰めになっている状態だ。
「光秀様が生きておられたら、動きに動いて各個撃破するでしょうな。筑前様の機動力にも決して負けないでしょう」
「そうか、父ならそうするか」
「はい」
残念ながら、光慶は光秀の軍事的才能を受け継がなかった。
だが、そのために利三達旧臣がいるし、これで戦が終われば必要もない才能かもしれない。
領地を上手く治める、良い領主としての才能が求められるというわけだ。
利三も、光慶に対してはそれを期待していた。
「羽柴軍は随分と数が多いように見えるが」
「援軍がおりますれば」
細川幽斎に対抗したわけではないが、秀吉は浪人衆も連れてきていた。
奴隷売買への加担で改易された、豊後大友家で非キリシタンの旧臣達に、秋山家、伊藤家、相良家など。
領地は与えられないかもしれないが、津田家に仕官できる事は確実だと、秀吉が彼らを口説いて参戦させたのだ。
彼ら九州勢からすれば、これは織田幕府の代わりに中央で政権を取る津田家の下で出世できるかもしれないというチャンスに写った。
なぜなら、九州に住む彼らは中央に対し強い憧れを抱いていたのだから。
「島津家の旗も見えるが、やはりそうなのか?」
「羽柴軍との対峙は見せかけだったのでしょうな」
今となっては津田家の支援で薩摩と大隅を制圧した事が濃厚な島津軍の一部も、羽柴軍と共に軍を率いてた。
つまり、日向と大隅の国境付近で両軍が対峙していたのは、織田幕府へのアリバイ、シナリオがあるプロレスであったというわけだ。
「島津軍は誰が率いているのだ?」
「次期当主である豊久殿だと思います」
「彼は武勇に優れて羨ましい限りだ」
武勇には恵まれなかった光慶は、心の底から豊久が羨ましいという表情をした。
織田信雄軍の名だたる諸将を何名も討ち果たし、豊久の武名は織田幕府にも知られている。
その話を信雄の前ですると彼の機嫌が悪くなるので表立っては言わないが、豊久が猛将だという評価に変化はない。
みんな、信雄が『一応』信長の息子なので気を使っていたのだ。
無能な人物だが、幕府内においてはそれなりの影響力があり、下手に恨まれると厄介だという理由も存在したが。
「羽柴家が九州の責任者となるのか」
「負けていられませぬな」
「そうだとも、父も津田殿とは懇意であったのだ」
光慶は、子供の頃によく父の光秀が光輝から貰ったと言って美味しいお菓子をお土産に持ち帰って来てくれた事を思い出した。
自分の姉が光輝の次男信秀の正室でもあり、織田幕府には石見を没収された恨みもある。
勝手に戦場を離脱した件もあり、ここで旗幟を鮮明にして津田家のために戦う必要があった。
「我ら明智家が、昔の大内家と毛利家のような立場になるのだ」
「さすれば、羽柴家にも負けませぬ」
九州は、津田家が沖縄と改名した琉球、台湾などの開発を促進するにあたってとても重要な場所にある。
そこを羽柴家に任せるという事は、蝦夷、樺太と繋がりが深い北陸の上杉家と合わせ、津田政権下で両家が大きな力を持つという事の証明でもあった。
「防長も、九州とさほど離れていない。まだ十分に挽回可能である」
「ここは大きく、幽斎の首でも狙いますか」
「そうよな」
「羽柴様より伝令がきました! 早速打ち掛かると」
光慶と利三がそこまで話したところで、羽柴家からの伝令が姿を見せる。
「了解した! 共に武功の稼ぎ時ぞ!」
光慶は大声でそれに応え、明智軍を事実上指揮する利三が南方に見える織田幕府軍の一軍への攻撃命令を出す。
「彼らの注意は、関ヶ原と南の津田信輝軍に向いているようですな」
「その津田信輝軍も、いつの間にか四国勢が参加していて倍増しているがな」
秀吉も半兵衛と官兵衛に命じ、明智軍と共同で織田幕府軍へと襲いかかる。
北方からの襲撃をまるで警戒していなかった織田幕府軍は、あっという間に崩壊してしまった。
織田幕府軍は大軍であったが、大軍ほど崩壊すると混乱が大きくなる。
羽柴軍と明智軍は、機動力を駆使して戦場を移動しながら敵の殲滅よりも軍勢を混乱、崩壊させる方に傾注した。
「さすがは、明智家の斎藤利三。あの用兵は、まるで光秀殿があの世から舞い戻ったかのようではないか」
秀吉は、自分達に対抗するかのように戦果をあげる明智軍の動きに一人感心していた。
「ありゃ? こんなものかのう……そういえば、織田家の筆頭宿老にして一番の猛将であった柴田勝家は、もう首だけになってしまったと聞いたと。人生、最後の最後で何があるかわからんたい」
「どんなに猛将でも、老いには勝てなかったのでしょうな」
「盛淳も、気をつけんと」
「若殿、私はまだそこまで年寄りではありません」
抜けたような声で、少数ながらも精鋭を率いた島津豊久は、最近お目つけ役が板についてきた長寿院盛淳と話を続ける。
彼は、豊久の父家久から直々に豊久の事を頼まれていた。
この戦いが終われば、家久は豊久に正式に家督を譲り渡す覚悟をしていたからだ。
暫くは後見をしないといけないであろうが、それも長い期間ではないと思っていた。
なので、ここで討ち死にされると困るというわけだ。
『くれぐれも、豊久の事を頼む』と、一対一で直々に頼まれている。
盛淳としては非常に名誉な事だし、豊久は勇猛に戦い、既にいくつかの将の首を獲っている。
津田光輝へのアピールは十分というわけだ。
「盛淳、これだけやればお義爺様も認めてくれると思うが、おはんはどう思うとね?」
「はあ……十分だと思います」
「盛淳、これはおいの人生がかかっているとね。真面目に答えんとね」
「ですから、その件については大丈夫ですよ」
豊久は、光輝の孫娘桃に一目ぼれしていた。
そのおかげで、普段は手紙など書かない癖に彼女と文通まで行っていた。
桃姫も豊久が嫌いではないようで、定期的に文を送ってくる。
今回も、『ご武運をお祈りします。無事のご帰還を』という手紙と共に、鎧の下につけるインナーや、丈夫な靴下、津田軍で採用予定の軍用ブーツなど、今度の戦で役に立ちそうな品を色々と贈っていた。
『うぉーーー! 盛淳! おいは勝者ぞ!』
『それはよかったですね……』
自分は桃姫から好かれているからこのように色々と贈り物を貰ったのだと、豊久は戦の前にも関わらず一人勝手に勝利宣言をして大喜びし、島津家の者達は豊久のあまりの喜びように引いてしまう。
『おいは、桃姫に相応しい婿になるたい!』
ただ、桃姫もそこまで考えていたわけではなく、文通をしている年上の友達にプレゼントを贈っただけというのが真相であった。
軍用品の開発は常時進んでおり、ちょうど試作品が沢山あったし、豊久は戦に出るから使うであろう。
そのくらいの感覚であったのだ。
「ただ、お義爺様が頑な態度で困るとね」
「それは心配しないでも大丈夫です」
「随分と自信があるとね」
「まあ、それなりに長生きしていますから……」
豊久よりも年上な分人生経験も豊富な盛淳からすると、光輝の豊久に対する態度は、孫娘を持つ祖父特有の感情であると気がついていたからだ。
盛淳自身も孫娘がいるのでわかるが、どうしても婚姻の道具に使ってしまう娘よりも孫娘の方が可愛いと思えてしまう。
そんな孫娘に豊久のような男が寄ってくれば……あまり気分はよくないかもしれない。
だが、実際に婚姻が決まれば無理矢理阻止するような真似はしないであろうと。
「(津田様の孫娘が若殿の正妻となれば、これは重畳)」
九州において羽柴家の力は揺るがないが、ナンバー2の地位は確実に得られる。
あとは時間をかけて、その力を増していけばいい。
津田家と縁戚になれば、中央に一族を送り込む事も可能であろう。
思わぬ衰退を迎えてしまった島津家であったが、これからは上だけを見ていけばいい。
その原因の一つが向う見ずな豊久の行動にあると思うと、そう一概に豊久の無謀な行動も悪くないのかなと思えてしまうから不思議であった。
「今は、一つでも多くの首を獲る事が肝要たい。織田幕府という船が沈む時に上手く脱出できないアホウは、討たれても仕方がなかとね」
そして、豊久はやはり島津家の男であった。
戦場においては敵に容赦などしない。
少数にも関わらず、恐ろしい強さで敗走する織田幕府軍に襲いかかり、率いている武将の首を獲っていく。
「お義爺様に怒られるとね。農民兵は放置でよか。そんなものの首を取っても何にもならんたい」
彼は既に、有名な者だけで毛利秀頼、秀秋親子、伊東長実、保田知宗、山岡景宗、進藤賢盛などの首を獲っており、混乱して敗走する彼らからすれば、豊久は悪鬼のように見えた。
農民兵には手を出さなかったが、彼らで豊久に戦いを挑む者などいなかった。
島津軍があきらかに危険なオーラを放っていたので、すぐに逃げ出してしまうからだ。
これが落ち武者狩りとかなら、彼らも奮闘はする。
だが、負け戦なら逃げ出すのが農民兵の常識であった。
「さあて、まだお義爺様が喜びそうな首は残っているとね?」
島津軍は羽柴、明智連合軍が大混乱させた織田幕府軍の中を縦横無尽に暴れまわり、なるべく手柄になりそうな将の首のみを狙う戦法を続けていく。
そしてその中で豊久は、とある二人の将を見つけた。
「おはんらは?」
「我が名は、稲葉重通!」
「稲葉貞通だ!」
元は西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄こと稲葉良通の庶長子と嫡男であった。
父一鉄が数年前に亡くなり、織田幕府による諸大名の再配置で二人は畿内へと移封されていた。
今回の戦いでは、一貫して織田幕府の味方をしている。
「反乱を起こして滅亡した島津如きが!」
「挙句に卑怯な奇襲とは、島津の名が泣くぞ!」
重通と貞通が豊久を挑発するが、彼はそれにまったく乗ってこなかった。
むしろ、その二人を無視しようとする。
「島津の小倅! 我らは稲葉一鉄の子だぞ!」
「らしいの。前に聞いた事があるとよ」
「ならば!」
無視をするなと、貞通が激怒する。
「凄かったのは、おはんらの父である一鉄殿じゃなか。それに……」
そこまで言ったところで、豊久の言葉が止まってしまう。
「おい! 続きを言え!」
「それに何だ?」
「おはんら、後ろに鬼さんがおるとよ」
「「鬼だと?」」
重通と貞通が後ろを見ると、そこには冷たい笑顔を崩さない斎藤利三と明智軍の部隊がいた。
重通と貞通が率いていた稲葉軍は、ほぼ討たれるか既に敗走している。
残念ながら二人は、父一鉄ほど戦が上手くなかった。
「利三か!」
「お前は!」
実は、利三と一鉄には因縁があった。
一鉄は利三の義父なのだが、とある事情で揉めて利三が明智家に転仕したという過去がある。
稲葉家は明智家に対し、利三を返せと信長に直訴した。
光秀は利三に自由にしろと言い、利三が稲葉家には戻らないと言い張ったので、光秀は徹底して彼を庇っている。
信長は、公式の判決では利三を稲葉家に帰せという結論を出し、利三を返さないと言った光秀に折檻まで行った。
だが、いくら信長に打ち据えられても、光秀は『利三が稲葉家に帰りたくないと言っている』と言って命令に従わなかった。
結局信長は、『勝手にせい!』と言って利三を明智家所属のままにしている。
信長としても、内心では利三が稲葉家に戻りたくないと言っている以上は、強引に稲葉家に戻しても無駄だと思っていた。
もし今度は他に大名家、それも敵に仕官でもされたら困ってしまう。
信長も利三の有能さには気がついており、それに稲葉一鉄と明智光秀のどちらが大切かといえば光秀を選んでしまう。
公式には稲葉家に戻せと判決を出したし、それを拒否した光秀に折檻まで加えた。
これで十分だと思い、それ以上は何の手も打たなかったのだ。
ただ、重用する光秀を折檻してしまった件で多少の罪悪感を感じたようで、密かに今日子を治療に回し、お見舞いの品も届けている。
信長本人が渡さないで、あくまでも今日子が光輝の代理でお見舞いの品を渡したという形にしていたのだが、そのせいで稲葉家と津田家の関係が微妙になってしまった経緯もあった。
光秀は、折檻以降は利三を稲葉家に戻せと一言も言わない信長に感謝していたし、利三も信長の苦しい胸の内は理解した。
そして、自分を庇ってくれた光秀には大いに感謝している。
だから利三は、戦が苦手な光慶を決して傀儡にせず、誠心誠意明智家に仕えていたのだ。
逆に、出奔する事になった原因について謝りもせず、強引に戻そうとする稲葉家には怒りを感じていた。
稲葉家の者達も、亡くなった一鉄から『利三を許すな!』という遺言を受けており、両者の対立は決定的となっていた。
明智家が複数の国持ち大名なのに対し、稲葉家は移封で領地が増えたわけでもなく、逆に後継者争いで領地が二つに分割されてしまった。
嫉妬の感情も加わり、稲葉家と明智家、利三の対立は決定的なものとなってしまう。
加えて、庶長子の重通と、弟ながら稲葉本家を継いだ嫡男扱いの貞通。
実はこの二人、あまり仲はよくなかった。
一緒にいないと軍勢の規模を維持できないから、二人でいるにすぎなかったのだ。
「おいはもう十分に首を獲ったし、おはんらは利三殿と因縁があるみたいだし。ここは利三殿に譲るのが筋とね」
「お若いのに、なかなかの見識と礼節をお持ちのようだ。この斎藤利三、感謝に耐えません」
「気にせんでほしいたい。おいは、他に用事があるからこれで。おはんら、おいが討たなくても、もっと怖いかもしれない鬼に討たれるから結局同じとね」
豊久は、他の獲物を求めてその場から立ち去ってしまった。
「さて、一鉄殿は義父ゆえに遠慮があったが、今はこの世におらず、更に運悪く稲葉家とは対立する事になった。お覚悟はよろしいか?」
「「斎藤利三!」」
稲葉重通と貞通は呆気なく斎藤利三に討たれ、それはそのまま明智家の手柄となるのであった。
「うーーーむ、やはり権六殿がいないと軍勢が惰弱だな」
「殿は、柴田勝家殿の首が欲しかったですか?」
「半兵衛、確かに私は権六殿から嫌われておったが、共に織田家に仕えて長いからの……。それよりも、老いて若い将に首を獲られるとはな……」
羽柴軍による攻撃が続く中、秀吉は不意に溜息をついた。
いくら奇襲とはいえ、織田幕府軍が異常なまでに弱いのと、あの柴田勝家が討たれてしまった件を秀吉は嘆いていたのだ。
個々で見れば優れた将も多いが、全軍を上手く指揮する存在がいない。
もし織田信長がこの大軍を率いていたら?
津田軍は負けていたかもしれず、自分も津田家に組みしようとは思わなかったはずだ。
弱い敵は味方の損害を減らすので好都合だが、こうも弱いと逆に悲哀を感じてしまう。
秀吉は複雑な心境に置かれていたのだ。
「もう隠居する年かもしれぬ。長忠もおるし、小一郎が補佐に入るであろう」
「殿、まだ老ける年でもありますまい」
「これら一連の騒動の後処理が終わってからの話だ」
「まだ気を抜くな! 次の敵に向かうぞ!」
秀吉とそんな話をしながらも、半兵衛は隙なく指揮下に置いた軍勢に矢継ぎ早に命令を下す。
そのタイミングの良さと的確さは、羽柴家の両兵衛に相応しいものであった。
「私も官兵衛も、そろそろ隠居する時機かもしれませんな」
「今までが忙しすぎた。そろそろゆっくりとしたいものだ」
羽柴軍の進撃は続き、明智軍、島津軍、九州有志連合軍も競うように戦功を稼ぎ続けたため、近江北部に配置された織田幕府軍は壊滅状態に陥るのであった。
そしてそれとほぼ同時刻、伊勢と近江の国境付近に配置された方面の織田幕府軍も交戦を開始した。
こちらは襲来が予想されていたので、織田幕府軍は防衛主体で時間を稼ぐようにと言われている。
「なあ、おかしくないか?」
「何がだ?」
「敵の数が多くないか?」
対応する織田幕府軍とほぼ同数だと聞いている津田信輝軍が、なぜか倍近くに膨らんでいたからだ。
「もしや、援軍か? もしくは、領民を徴収して軍勢を増やした? だが、それにしては統率も取れているし、数が多すぎる……」
この軍勢を率いている将は織田信澄であった。
信長の甥にあたり、彼に反抗して殺された信勝の息子でもあったが、信長は気にもせず彼を重用した。
信澄もそれに応えたので今の地位があるし、信忠の死後、一門の重鎮として信重に頼りにされる存在でもあった。
なので、姓を津田から織田に戻していたほどだ。
元々津田家の存在があり、織田家は一門にいる津田姓の者をほぼ全員他の姓に変えさせたが、織田姓に戻れたのは信澄も含めて非常に数が少なかった。
それだけ信澄が、信重から頼りにされている証拠でもある。
伊達に、別働隊の大将に任じられていたわけではないのだ。
「この数は聞いておらぬぞ!」
信澄が急ぎ偵察を出すと、津田信輝軍には丹羽軍、前田軍、長宗我部軍の存在が確認できた。
その報告を聞いた信澄の顔は一気に青ざめた。
なぜなら、九州の羽柴秀吉や勝手に兵を退いた明智軍もどこかで参戦している可能性が高い事に気がついてしまったからだ。
「(もしかすると、我らは逆に包囲されかけている?)これはまずいぞ!」
「殿、何がまずいのです?」
信澄の傍にいる家臣が、なぜまずいのかと聞いてくる。
「いや、何でもない……(こいつは、気がついていないのか……)」
だが、説明する時間も惜しいと感じた信澄は彼に自分の推論を話さなかった。
勇猛で、ある程度の軍勢の指揮を執るのは優れていたが、戦略的な思考ができない者なので話しても無駄だと思ったという理由もある。
「(となると、もしここで勝利できても……いや、勝てるはずがない。足止めに徹するのも難しい戦力差だし、もし足止めに成功したとしても、それ自体に何の意味もないではないか)」
関ヶ原の野戦陣地は落ちていないにも関わらず、津田軍には援軍が来て自分達は包囲されつつある。
聡い信澄は、その事実に気がついてしまったのだ。
「退くぞ! 上様の本軍に合流する」
「退くのですか?」
「アホ! このまま戦えば全滅だぞ!」
津田軍は自分達の倍近くもいて、これに加えて柴田軍を一蹴した火力も持ち合わせているのだ。
普通に戦えば、碌に抵抗もできずに討ち死にするだけであると信澄は思った。
「何なら、お前が時間稼ぎで残るか?」
「いえ……」
信澄にそう聞かれた家臣は、首を横に振った。
自分もこの場に残りたいとは思わなかったからだ。
「お前ら、自分の運がいい事を祈れ。よければ生き残れるぞ」
織田信澄率いる別働隊は本軍への合流を目指して撤退を開始するが、それこそ至難の技であった。
丹羽、前田、長宗我部軍に足を止められたところで、津田信輝軍の銃撃によって数を削られ敗走する部隊が徐々に増えていく。
降伏する部隊も同じように増え続け、加速度的に数を減らしていたからだ。
「話にならん!」
信澄は、持っていた軍配を地面に叩きつけた。
優秀でこれからどうなるかわかってしまうからこそ、何も出来ない自分に苛立ちを覚えるのだ。
「信澄様、降られよ」
「兵や家臣達の命は保証してもらうぞ」
「それは勿論」
「では、降ろう」
結局信澄は、丹羽長秀の説得に応じて降伏した。
信澄の正妻は明智光秀の娘であったし、信澄自身は津田光輝、信輝親子の力を認めていた人物である。
それに彼自身、いくら自分の父親が謀反を起こしたせいで死んだと知っていても、織田本家に対するわだかまりがゼロではなかった。
だから、あっさりと降る事を了承したのだ。
「しかしながら、上様への攻撃は勘弁してほしい」
「まあ、ごゆるりとされていてくだされ」
織田信澄と主だった家臣達は伊勢に移され、降った将と兵は丹羽長秀と前田利家が再編して面倒を見る事になった。
この二人は有名人なので従う者が多く、すぐに編成が可能であったからだ。
逃げ散ってしまった兵や将も多かったが、それでも伊勢方面の津田軍は十三万人以上に膨れ上がった。
そしてこの時点で、織田幕府軍の数の優位は完全に消滅した。
「さて、関ヶ原の方はどうなったかな?」
「終わりの始まりでしょう」
「又左の言うとおりであろう」
軍勢の再編をしながら長秀と利家が話をしていた頃、遂に津田本軍が動いた。
「慶次殿、留守番を頼む」
「お任せあれ、拙者は重傷患者で休養が必要なのでね」
「もう戦えそうに見えるけど」
「戦えても、今の戦は性に合いませんからな。大人しく留守番をしていますよ」
光輝率いる津田本軍は、五千の兵を片桐且元に預けて関ヶ原野戦陣地の防衛を命令し、上杉軍、徳川軍、松永軍、出羽織田軍と計って同時に逆襲に出た。
「まず狙うは、細川忠興の首!」
光輝は、消耗戦術を仕掛けている責任者が細川忠興だと知り、全軍にその首を狙わせた。
今まで籠っていた全軍が次々と織田幕府軍に襲いかかり、しかも弾薬はまだ尽きていない。
いい加減攻め疲れていた彼らにとって、この反撃は致命傷であった。
「いくぞ!」
「ははっ!」
山内一豊が指揮する鉄砲騎馬隊が飛び出し、それに堀尾吉晴が率いる全軍が続いて容赦なく織田幕府軍を蹴散らしていく。
野戦陣地に置かれた大型大砲が発射され、遥か後方の織田幕府軍に大打撃を与えた。
加速度的に増える損害に、忠興は軍勢を立て直す速度が追いつかずに顔を青ざめさせた。
「なぜだ! なぜ、玉薬が尽きない?」
今の忠興には、津田光輝という男が化け物にしか見えなかった。
その恐怖で震えが止まらないが、それでも指揮を続行しようとする。
早速迎撃を命じたのだが、乱戦となった途端に弾薬の消耗役にしていた浪人衆や農民兵達が一斉に細川軍に襲い掛かった。
督戦隊の真似事をしていた部隊は特に恨まれ、彼らに飲み込まれていく。
次々と細川家の家臣が行方不明となり、討ち死にの報も多数入ってくる。
「小笠原秀清様討ち死に!」
「有吉立行様討ち死に!」
「沢村大学様討ち死に!」
「稲富祐直様討ち死に!」
浪人と農民兵を使い捨てにしたためにその恨みは強く、細川家の家臣は多くの元味方から狙われ、念入りに殺された。
細川家を支える重臣達が次々と討ち死にし、遂には松井康之までもが首を獲られてしまう。
「クソっ! このままでは!」
「若殿、これ以上の抵抗は……」
忠興の傍にいた家臣の一人が、主君に対し後退を進言した。
このまま戦っても元味方に多勢に無勢で殺されるだけ、忠興は家臣の進言を受け入れて撤退を開始する。
だが、このままでは逃げきれないと、彼は非情な命令をその家臣に下した。
「今までの忠節に感謝をし、そなたに俺の武具一式を下賜しよう」
「……」
その家臣は、瞬時に忠興の考えを理解した。
つまり、忠興が逃げ出すまで、彼のフリをして囮になれと言っているのだと。
「俺が天下を握った時、そなたの家族に不自由はさせない事を約束しよう」
「ありがたく頂戴いたします」
その家臣は、忠興と年恰好が似ていたために囮役に選ばれたというわけだ。
織田幕府が徐々に細川幕府になりかけているのは、その家臣も十分に理解している。
そうなれば、細川家の家臣達も大名になれる者が増えるはず。
彼には幼い子がおり、もしその子が忠興の引きで大名になれたら。
そのように考えた彼は、忠興の命令を受け入れた。
もし断っても、斬り殺されるのがわかっていたからというのもある。
彼の傍にいるその家臣は、忠興が気が短く、たまに下男や小者を無慈悲に斬り殺すのを度々目撃していた。
「では、急ぎ武具を交換しようではないか」
忠興はその家臣の鎧を着込むと、単身で一目散に父幽斎がいる本軍へと向かう。
「我こそは、細川忠興なるぞ!」
「知っているさ! 俺達を使い捨てにした細川忠興だろう?」
「殺せ!」
「絶対に逃すな!」
忠興に化けたその家臣は、元から生還を考えていない。
大胆に名乗りをあげてから浪人達と戦い、最初は奮戦したものの、すぐにその首を討たれてしまう。
「やった! 細川忠興を討ったぞ!」
「外道に相応しい結末だ!」
浪人や農民達は、忠興の討ち死にを高らかに宣伝する。
そのおかげもあり、本物の忠興は誰にも疑われずに本陣への道を急げていた。
だが、その忠興の策を見抜いている者達がいた。
そして彼らは、絶好のタイミングで最高の手柄が来たと、遂に織田幕府軍からの反旗を決断する。
「よう、忠興じゃないか。随分と粗末な鎧だな。元のは壊れて、新しいのと交換したのか?」
「……お前は……」
「まさか違いますとは言わないよな? 俺が何度も顔を合わせている忠興を見間違うはずがないしな」
ようやく前線で崩壊した細川軍からの離脱に成功した忠興であったが、不意に声をかけられて驚きを隠せないでいた。
しかも自分に声をかけたのは、あの鬼武蔵、森長可であったからだ。
確かに長可の言うとおりに、忠興は彼とよく石山城で顔を合わせている。
だが、合わせているからと言って関係が良好だという保証もない。
むしろ、長可と幽斎の対立に引きずられるように、二人の仲は悪かった。
「それにしても、織田幕府を事実上差配している幽斎殿のご嫡男が、こんな粗末な鎧を着ているとは。もしそんな事が知れたら大変だ」
「長可……貴様!」
実は、長可と忠興はよく似ている部分が多い。
多いからこそ、長可は忠興の考えがよく理解できた。
戦況が悪化した途端、今まで使い捨てにしていた浪人と農民に裏切られ、逃げ出すために身分の低い家臣と鎧を交換したのであろうと。
「その鎧で上様と幽斎と会うのか? ちょっと無礼じゃないかな?」
「戦中だ。お前と話をしている時間などない」
忠興はすぐにも大嫌いな長可の元から離れようとするが、そんな彼の前を森軍の兵士達が塞いだ。
「貴様……」
「身代わりを討ち死にさせて、警戒心を解いたところで父御と合流。いい策だ。俺も機会があれば使うかもしれないな。だが、俺には通用しねえよ。それと、残念な事にお前は手柄首だ」
「裏切るのか? 織田幕府を!」
忠興は長可に激高する姿を見せながらも、脳裏は冷静なままで、何とか逃げ出す方法を考えていた。
だが、森軍数千に対し、自分は一人だ。
護衛をつけると逆に怪しまれるからと、単独行動にしたのが運の尽きであった。
「よく俺がここを通るとわかったな」
「いい軍師がいるからな」
「森成利……」
「はい、正解です」
長可の後ろから、その成利が姿を見せた。
長可は忠興の魂胆は見抜いたが、彼の逃走ルートを割り出したのは弟の成利であった。
万全を期すため、今ここにいない兄と弟達が率いる軍勢は他のルートに配置されている。
これは、万が一にも忠興を逃がさないための対策であった。
「亡き大殿の天下は、あなた方親子に汚されました。残念ですが、その美しさを保つために津田光輝殿が引き継ぐしかありません」
「信長の尻小姓が偉そうに!」
美少年であった成利は、信長の傍にいた頃、彼と衆道の関係にあったと世間で噂されていた。
その件で忠興は成利を罵倒したのだが、実は忠興も衆道は嗜んでおり、それは成利も知っていた。
なので、彼の罵倒を気にもせず聞き流している。
「無責任な噂をするのは勝手ですが、今の状況では負け犬の遠吠えにしか聞こえませんね。このような無粋な戦。もし大殿が生きておられたら、忠興殿の首はとっくにありません。せめて最後くらいは潔い態度を」
「裏切り者が偉そうに!」
「それはあれだ。我ら森家の面々は奸臣細川家を排除するために立ち上がったけど、津田家に天下が移行してしまった。織田本家が滅んだわけじゃないし、仕方がないよなって感じだな」
「兄上、少し軽すぎですね」
「でもよ、お蘭。ぶっちゃけると、そんな感じだろう?」
「お前らはーーー!」
どうせ逃げきれないと悟った忠興は、刀を抜いて長可に斬りかかった。
人生の最後に、憎たらしい長可を斬り殺す。
そのあとで森軍に討たれる事は確実であったが、それでも一矢報いねば気が済まなかったのだ。
だが、忠興渾身の一撃は、彼が愛用する『人間無骨』という二代目和泉守兼定作の十文字槍によって防がれてしまった。
「バカかお前は。刀と槍では長さが違うだろうが」
忠興は片山伯耆流居合術の達人であったが、それに適した刀は逃走時に自分の正体が知れてしまうと、身代わりの家臣に下賜していた。
そのため、その家臣が持っていた刀で斬りかかったのだが、質が悪い刀だったので長可の人間無骨によって簡単に防がれてしまっている。
「刀くらいは、愛用の物を手放さない方がいいぞ」
長可が忠興に対し人間無骨で突きを入れると、忠興は持っていた刀でその一撃を防ごうとする。
ところが、刀が安物だったためにあっけなく折れてしまい、人間無骨の穂先が忠興の体を貫いた。
「おりゃあ!」
「うごぉ……」
長可が更に力を入れて忠興の体を串刺しにすると、忠興は血の泡を吐きながらその場に膝をついてしまう。
長可が突き刺さった人間無骨を忠興の体から引き抜くと、彼は自らが作った血溜まりの中に倒れてしまった。
「武具の差で勝てただけだ。俺もこの人間無骨を使うのは、鍛錬以外ではもう最後かもしれないな」
「忠興殿、せめて楽にしてあげましょう」
最後に成利が忠興の首を獲り、細川忠興が討ち死にしたという噂は現実のものとなってしまう。
そしてその間にも、織田幕府軍の崩壊は進み、既にこれを抑えられる者がいなくなっていた。
「さあて、大御所様に挨拶に行くか」
「お土産もありますからね」
「ちょっと気色悪い土産だけどな」
細川忠興の首を獲る事に成功した森軍は、あらかじめ準備していた津田家の旗も掲げつつ、大混乱した織田幕府軍に攻撃を開始した。
だが最後まで抵抗する者は少なく、森軍は降った将と軍勢も従え、三万人ほどまで軍勢が増えた状態で近江に進撃してきた光輝達と面会する。
安土城は既に羽柴、明智、島津軍と、津田信輝、四国連合軍によって落とされており、その他近江の城の大半も、津田家に属する勢力の支配下となっていた。
「長可殿、随分と準備万端なんだな」
「こういう細かい配慮は、お蘭が得意なので」
自軍の旗と一緒に津田軍の旗も掲げて、味方に攻撃されないようにする。
突如敵である津田軍の旗が近江中央で揚がったため、混乱に拍車をかけた織田幕府軍は再編の時間すら与えられず崩壊、敗走してしまった。
津田軍による近江平定は予定以上に早く進み、森家の功績は大きいというわけだ。
「成利殿、久しぶりですね」
「今日子様もお変わりなく」
「そうでもないよ。年を取ってしまったもの」
「いえいえ、まだ十分にお若いと思いますよ」
「お世辞でも嬉しいものね」
今日子も、お気に入りのイケメン成利と親しそうに話をしていた。
「あっそうだ、これが細川忠興の首です」
長可が持参した細川忠興の首を披露した。
早速彼を知る者達による確認が行われ、忠興は森長可によって討たれた事が確認される。
他の細川家家臣の首も多数あり、細川軍はほぼ壊滅したであろうと今日子も推測した。
「幽斎の後継者という天国から、首だけになるという地獄だな」
「ですが、自業自得でしょう」
「そうだな」
「私も同情はできないな」
光輝と今日子も、長可の意見に賛同した。
いくら幽斎の後継者として振る舞うためとはいえ、督戦隊を率いて逃走しようとした味方を殺す事までしていたからだ。
「業の深き者よ」
忠興の最後を聞き、謙信はひと言だけそう述べた。
自分が逃げるために、家臣に身代わりをさせる。
成功すればまだよかったが、失敗すれば大きな恥しか残らないからだ。
「確認は取れた。森家の功績は大きい」
光輝は、確認が取れた首を近くの寺に預け、供養料も置いてくるようにと家臣に命じる。
そしてすぐに気持ちを切り替え、崩壊、敗走した織田幕府本軍の行方を尋ねた。
「幕府軍はどうなったんだ?」
「崩壊しました、大御所様」
秀吉が、今までの津田殿から大御所様へと光輝の呼び方を変えた。
聡い彼はもうわかっているのだ。
既に天下は、津田家へと移っているのだという事に。
そして、秀吉の報告は更に続く。
本陣にいた信重と幽斎は堅城である石山城での籠城戦を意図し、わずかな軍勢を率いて石山城に向けて逃げ出したようだと。
「(これも定めか……)筑前、石山にどのくらい逃げ込んだ?」
「大した数でもありませぬ」
大敗北により、織田幕府軍は崩壊した。
生き残った浪人衆は逃げ、農民兵は故郷へと逃走し、本軍にいた諸将の軍勢でも既に離脱した者が多い。
降伏した者はもっと多く、丹羽長秀と前田利家はその管理に大忙しであった。
織田幕府軍崩壊の余波で食料なども不足していたが、これはすぐに関ヶ原要塞経由で大量に送られてきた。
「津田軍はまだ物資に余裕があるのか」
「幽斎は虎の尾を踏んだわけだ」
「又左、虎なら人間でも討てる可能性があるから、竜かもしれぬぞ」
「竜にも尻尾はありましたか」
常に信長を見てきた二人は、津田家が天下を取るべくして取るのだと納得した。
軍勢の数ではなく、その潤沢な補給能力に恐怖を感じるところが秀吉も合わせて二人らしいところだ。
「大御所様、毛利輝元殿と小早川隆景殿、宇喜多信家殿です」
毛利家は、織田政権下では完全に冷や飯食いの大名家だ。
所領は安芸のみで、毛利両川と呼ばれた吉川元春も病で失い、小早川隆景が懸命に毛利家を支えている状態であった。
宇喜多家は、謀将として有名であった直家の子が信長から名を貰って家督を継いでいたが、こちらも目立った活躍はなかった。
「加増はできぬぞ」
「それは勿論」
「御家を保てるのなら……」
実際のところ、毛利軍と宇喜多軍は何もしていない。
両家とも軍は出したが、戦の最後で織田幕府軍から離脱して降伏しただけなのだから。
津田軍と交戦もしていないので、それぞれ安芸と備前の所領が現状維持になっただけだ。
実は小早川隆景が返り忠を輝元に提案したのだが、これは優柔不断なところもある輝元によって却下されてしまった。
このところ隆景は体調が優れず、あまり強く言わなかったという不幸もある。
もし的確なタイミングで返り忠を打っていれば加増された可能性もあり、毛利家は宇喜多家と共にとことん運がなかったとも言えた。
「畿内の制圧と治安維持もある。急ぎ石山城を包囲するべきか」
「はい、急がれた方がいいと思います」
秀吉が、光輝の方針に賛同した。
援軍や降軍も加えた津田軍は、石山城周辺以外の制圧と治安維持をおこないながら、全軍で石山城を包囲するため進撃を再開する。
遂に、津田家に天下が回ってくる事となった。




