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第七十三話 血戦! 上杉謙信VS柴田勝家

「父上、やりましたな」


「ああ、これで津田家を潰せる」


 石山城内の一室で、細川幽斎と忠興親子は政務中にも関わらず、嬉しさのあまり口の端を歪めながら話をしていた。

 

 遂に、津田光輝が織田幕府に対し叛意を露わにしたからだ。


「これで奴を潰せる。こんなに嬉しい事はない」

 

 あの下品で出自すらわからず、それなのに信長、信忠と重用され、義昭の元で不遇であった自分よりも優遇されていた津田光輝。

 この武芸百般、古今伝授を受けた才能ある自分よりも地位が高く、領地も圧倒的に多い目の上のたん瘤である津田光輝。

 体ばかり大きいボンクラの癖に、生意気な事に自分の事を腰巾着野郎だと言って嫌っていた津田光輝。


 幽斎は、遂に憎っくき津田光輝を粛清できると喜びを隠せないでいた。

 しかも、幕府に逆らった反逆者として合法的に処分できる。

 まさか向こうからいきなり手を切ってくるとは思わなかったが、それもかえって好都合であった。


「長かった……あいつは、我ら細川一族の躍進を阻む疫病神なのだ。奴と津田一族を滅ぼさねば、我らの未来は暗い」


 初めて顔を合わせてから二十年以上、幽斎の光輝への憎悪はもはや取り返しのつかないところまで燃え広がっていた。


「だが、今では私の方が織田幕府を取り仕切る立場だ。ざまあみろ」


 津田光輝よりも力を持つため、幽斎は信忠の信を得るために苦労した。

 そして忠誠を誓っていた信忠の急死により、津田光輝を超えるという目標が、彼を粛清して自分が織田幕府に成り替わるというものに変わっている。

 その野心は順調な計画を得て燃え上がり、今は新将軍信重の岳父となって織田幕府で第一人者となった。

 まだ若い信重は自分の言う事なら何でも聞くようになり、あとは少しずつ織田幕府を細川幕府に変えていくだけだ。

 自分を中心とした譜代、名門一族による家臣団を形成し、少しずつ邪魔になりそうな家臣の領地を削っていく。


 津田家にもその手は及んだが、あの津田光輝は碌に交渉すらせず、最終手段を用いて織田幕府と縁を切った。

 幕府の決定に異議を唱えつつ、取り消してもらおうと運動するかと思ったら、いきなり実力行使に出たのは驚いた。

 夜の内に石山の町に火をかけてこちらを混乱させ、家族や家臣と共に船で逃げ去ってしまうとは。


 どうせ幕府がというか幽斎が決定を覆すはずはないので、ある意味理に叶っているのかもしれない。

 これからも、次々と所領を返還させる予定だったからだ。


 その去り際は見事であったが、幽斎は光輝が致命的な失敗をしたと思っている。


 いくら関東と東北の大半を有していても、豊かな濃尾地方と畿内を中心とした西日本を有する織田家に勝てるはずがないのだ。

 津田軍が精強でも、国力の差は如何ともしがたい。

 加えて津田家は統治が困難な外地を多数抱えているため、兵力の分散もあるはずだ。

 距離の問題で、軍勢の集結にも時間がかかる。

 戦になれば、最終的には織田幕府の勝利は確実だと幽斎は考えていた。


「津田家は、奥州藤原氏と同じ結末を迎えるであろう」


「父上、少し暴発が早すぎたのでは?」


「早いに越した事はないからな」


「時間が経てば経つほど、津田領は豊かになっていく……ですか?」


「そうだ。私は二~三年はかかると思っていたが、これは嬉しい予想外の結果だな。何しろ、津田家の暴走は早ければ早いほどいいのだから」


 一番力が小さいうちに、津田家を滅亡に追い込める。

 これを亡ぼしてその領地を仕切る立場になれば、信重を傀儡として細川家の天下となる日もそう遠くはない。

 信忠の急死から発生した思わぬ副産物であったが、貰える天下は貰わなければ損だ。


 幽斎はそのように思い、忠興も天下が継げると内心では踊り上がって喜んでいる。


「細川家は、鎌倉幕府における北条氏となるのですか」


「そういう事だ。忠興、準備を怠るなよ」


 将軍は飾りにする。

 もしその立場が理解できないのなら、皇族や公家の子弟を織田家に養子として入れ、新しい将軍にしてしまえばいい。

 これでほぼ天下を得たと考える幽斎は、忠興と共に津田家討伐の準備を始めた。


「松永家、徳川家、上杉家も、津田家に同調したようですな」


「共に滅ぶがいいわ」


 飛騨に移封を命じた松永家だけでなく、徳川家も上杉家もじきに移封をする予定であった。

 特に上杉家は、いまだ健在な謙信が越後平野の開拓を予想よりも大分早く進めていた。

 これにより、外様の癖に大きな力を持たれては困ってしまうのだ。


「全国より兵を集めたいと思います」


「そうだ、それこそが上様のご意志なのだからな」


 幽斎と忠興は、すべてが自分で動かせるこの状況に酔っていた。

 今の織田幕府は、実質細川幕府なのだと。

 津田家を亡ぼしてその領地を得れば、細川幕府もそう遠い未来ではない。

 いや、まだそれは危険なので、暫くは信重を傀儡として利用しつつ、徐々にそうしていけばいいと幽斎は考え直した。

 

 こういう上手く行っている時ほど油断は禁物であると。


「多少時間がかかってもいい。十分に戦力を整えよ」


「すべての大名を招集ですか?」


「一部、欠席してもらうがな」


 細川親子は津田光輝の反逆をなじり、その討伐に向けて兵を集める事になる。

 全国に、将軍信重の名で反逆者の津田光輝を討てと檄文が飛んだ。






「津田殿も思い切ったものよ」


 九州探題である羽柴秀吉は、信重の名で記された細川幽斎からの檄文を見て一言感想を漏らした。


「殿、参戦いたしますので?」


「いや、参加を禁じられたわ」


 表向きの理由は、他の九州諸侯をすべて参加させたいので、いまだ明や朝鮮との講和もなっておらず、侵略に備えて九州を防衛せよというものだ。


「まあ、我らに活躍をされると加増の問題もあるからな」


「でしょうな。して、どうなされますか?」


 半兵衛も官兵衛も、主君の選択に興味津々のようだ。


「出るなと言われておるからの」


 秀吉は、信重からの檄文を何度も読み返してはニヤニヤと笑っていた。

 そして彼の下にはもう一通手紙がある。


「もう一通の手紙の方ですが……」


「こちらも、動くなと書いてあるぞ。官兵衛」


 黒田官兵衛は、津田家から送られた手紙が気になって仕方がなかった。


「半兵衛と官兵衛も読んでみればいい」


 羽柴家の二人の軍師は、津田家からの手紙を読み始める。

 内容は、表向きの理由は同じで、朝鮮と明の逆襲に備えてほしいというもの。

 もう一つは、南九州で起ころうとしている騒乱に手を出さないでほしいという内容であった。


 後半にさり気なく書いてあるが、これはとんでもない内容だと二人は感じた。


「津田様は、島津家を生かしておいたのですな」


 表向き島津討伐には参戦していないのに、津田家は密かに滅ぼされた島津一族や家臣達を匿っていた。

 それも、国内ではすぐに露見してしまうので、船で台湾に逃がしていたと書かれていたのだ。

 気がつかなかった半兵衛は、いつの間にという気持ちが強かった。


「この手紙を普通の文と同じように送ってくる津田様は、いい度胸をしておられますな」


「奪われない自信があるのでしょう」


 途中で奪われでもしたらと言う官兵衛に、半兵衛は津田家がそんな不手際をするはずがないと答える。

 奪おうとしても、島津家を逃がす時に動いたであろう諜報部隊が阻止してしまうはずだと。


「病気治療で今日子殿と縁があったとかで、島津家久殿を上手く逃がしたようですな」


 島津家久が引き連れた息子の豊久、忠仍や家族、他にも伊集院忠真などの一族で若い者、薩摩陥落後も、新領主である織田信雄が行った『島津狩り』を逃れた家臣やその家族を台湾で受け入れ、逆襲の機会を狙っていた。

 そんな彼らが、津田家の支援を受けて薩摩に上陸すると手紙には書かれている。


「あのアホウは、津田家討伐に向かうであろうからの」


 秀吉の言う『アホウ』とは、織田信雄の事であった。

 何もできないどころか足を引っ張るほどの無能なのに、本人は信長の息子だからと威張りくさっており、秀吉はそのフォローで散々苦労していたのだ。


「留守を狙われますか」


 九州勢は、秀吉を除いて津田家討伐に兵を出す。

 薩摩、大隅辺りは簡単に落ちてしまうであろうと秀吉は予想した。


「氏郷殿も、アホウの補佐で忙しいでしょうからな」


 唯一の懸念である肥後を有する蒲生氏郷も、信雄の補佐で忙しい。

 領地を留守にするわけだから、島津家に対応するのは留守を預かる家臣達という事になる。

 その数も少なく、多分薩摩にまでは兵を出せないはずだ。


「阿蘇家も邪魔をするであろうな」


 阿蘇家は、織田家による九州征伐作戦で領地を奪われた家である。

 降伏後所領はすべて没収されたが阿蘇神社宮司としては遇されており、津田家とは、外地での神道布教で協力関係にあった。

 そんな阿蘇家の天敵は、肥後にキリスト教を広めようとする蒲生氏郷であった。

 氏郷もさすがに阿蘇神社には手を出していないが、嫌がらせの類は多く受けている。

 これが氏郷による裏からの命令か、キリシタンの家臣達が勝手にやっているのか、秀吉でも判別がつかなかった。

 当然氏郷は自分の関与を否定するが、現実問題として嫌がらせがあるので阿蘇家側は氏郷が主犯だと思っていた。


「氏郷殿は、相変わらずきりしたんに甘い。ここは領主として、嫌がらせに加担した家臣を処罰しなければいけないのに」


 阿蘇家からの訴えを定期的に聞く羽目になっている秀吉は、氏郷に対し隔意を持ち始めていた。


「日向での失敗を糧にしなかったのでしょうか?」


「半兵衛、きりしたんが絡むと、氏郷殿はあのアホウ並に融通が利かなくなる。多分、唯一の欠点であろう」


 秀吉のいう『アホウ』とは、当然信雄の事である。

 最近では彼も、氏郷の影響でキリスト教に興味を持ち始めており、これも秀吉の頭痛の種になっていた。


「実は、氏郷殿が裏で糸を引いているのでは?」


「官兵衛、もはや氏郷殿が裏で糸を引いていてもいなくても些末な問題なのだ。阿蘇家が実際に被害を受け、そのように感じているのだから」


 おかげで、両者は完全な対立状態にあった。

 手紙には書いていないが、秀吉には容易に想像がついた。

 阿蘇家が津田家の支援で蜂起し、島津家と手を結んで肥後を騒乱状態に陥れるはずだと。


「津田様の思惑どおりですな」


「官兵衛の言うとおりよ。だから私はここで北九州の守りを固める」


「北上した島津勢と対峙でもしておけば誤魔化せますか」


「島津には往年の力はないが、何しろあの島津だ。蓋でもしておけばいい。無理攻めをすれば犠牲も多いからな」


「確かに。島津家に我らまで倒して九州全土を占拠する力はありませんか」


「羽柴家には害はないからな。それに、いつ北から明と朝鮮の軍勢が上陸して来るかわからない。何しろ、今の日の本は内乱状態だからな。その隙を突いて来ない保証がない」


「それは確かに危険ですな」


「であろう? 官兵衛」


 秀吉と官兵衛の白々しい会話を聞き、半兵衛は『よく言うよ』と心の中で思った。


 大半の九州諸侯が兵を出すから、羽柴家は明と朝鮮の逆襲に備えないといけない。

 北肥後、日向辺りで島津軍と睨み合っていればアリバイになるであろう。

 もし津田家が負けたのであれば、急ぎ反乱勢力を討伐して功績を稼げばいい。

 戦国大名としての秀吉は、誰よりも生き残る力に長けていた。


 もっとも秀吉は、まず津田家は負けないであろうとも思っている。


「津田殿の方は加増の話もあるな」


「それはよかったですな」


「津田殿は、羽柴家を九州探題として置いておきたいようだな」


 津田光輝が勝てば、加増という話もきている。

 もし信重、幽斎が勝てば、島津勢と対峙はしていたのでアリバイにはなる。

 彼らが九州に来る前に倒してしまえば功績だ。

 さすがの幽斎でもケチはつけられず、どちらの結果でも羽柴家は生き残れるというわけだ。


「他の諸将はどうなのでしょうか?」


 半兵衛は、他の織田家臣……特に重臣達がどのように動くのか気になってしまう。


「さあての……又左殿と五郎左殿は上手くやるであろうが……」


 他の連中は責任が持てないと、秀吉は言う。

 織田家と津田家、どちらを選ぶかは当の本人にしかわからないのだから。


「とにかく、兵を集めねばな」


 秀吉は、半兵衛と官兵衛に兵を集めるように命令した。






「出ぬぞ、私は尻にデキモノができたからな」


 四国では、伊予を治める前田利家が息子の利長に出陣はしない旨を伝えた。

 

「父上、もう少しマシな理由はないのですか?」


「古血にかかって、今日子殿に叱られたお前に言われたくないな」


「それは言わないでください!」


 前田利家、利長親子は堂々と出兵を拒否した。

 津田光輝との友誼もあるし、利家と利長は信長には恩があるが、信重にはないという点が大きい。

 それよりも、利家は信長が苦労して作りあげた天下が細川親子のような連中に奪われたのが悲しかった。

 しかも、それに気がつきもせずに手を貸している柴田勝家のような存在もいる。


 以前は『親父殿』と慕った人物だが、今ではただの老害でしかないと利家は感じていた。


「もし負ければ、すべてが終わりですか」


「それはない」


「おう、五郎左殿ではないですか。こんなところに来るとは珍しい」


 そこに、丹羽長秀が姿を見せた。


「石山ではないのですか?」


「新しい上様は、幽斎の助言の方が好きだからな。お役御免だ」


 長秀は讃岐に戻り、長重に兵の準備はさせているが、やはり出兵はしていなかった。

 

「長宗我部元親殿も兵を出しておらぬ」


 四国勢は、思い切った事に信重からの出兵命令を拒否した。

 長宗我部家は、土佐経由の交易で津田家との関係が深い。

 当主元親は、このまま織田幕府についても長宗我部家は冷遇されたままだと賭けに出たというわけだ。


「上様の命令ではない。幽斎からの命令であろう。あんな俄か公家の命令など聞けるか」


 長秀の息は荒いが、彼と利家は生前の信長から大いに目をかけられていた者達である。

 だから、津田光輝に逆らう愚を誰よりも理解していたのだ。


「大殿は仰っていたな」


「ああ」


 家臣にしてみて気がついたが、津田光輝という男がいかに恐ろしいかを。

 だが、なぜか排除する気にはならないと。


「『こちらが裏切らねば、ミツは裏切らぬ。だからミツを敵に回すな』大殿がそう仰っておった」


 信長は光輝に厳しい仕事ばかりを任せたが、彼はそのすべてに応えた。

 だから、あれだけの領地を与えていたのだと。 

 利家も、それと同じような話を生前の信長から聞いている。

 

「大殿は、津田殿が懸命に開発した伊勢や紀伊を没収したが、常に代替地は渡していた」


 田舎という認識しかない関東や東北であったが、今では開発が進んで豊かな土地になっているという。

 だからであろう、その成果だけを奪おうと幽斎や名門連中がいらぬ欲をかいたのだと。


「権六め。早くに隠居すればよかったものを……」


 半分耄碌しているようで、今回の出兵でも喜んで兵を集めるであろう。

 光輝嫌いでも有名だったので、一切の手抜き不要だと思っているのかもしれない。


「権六は自信があるのだよ」


「生き残りの最古参ですからね……」


 自分こそが、数多の戦を潜り抜けてきた最古参で一番優れていると、老人の妄想の類だが、優秀な武将である事実には変化はない。

 精鋭である家臣団も、いまだに衰えていなかった。


「しかし、権六はあの男を忘れておる」


「領地が隣でしたね……」


「津田光輝との決戦に参加できればいいがな」


 四国からは一兵も兵が出なかったが、さすがに中国、山陰、畿内地方ではそういうわけにもいかなかった。

 ほぼすべての大名が兵を出す事になる。


 だが、織田幕府軍が石山に大軍を集結させる前に、既に津田軍は動いていた。





「織田信房率いる出羽織田軍二万人、松永軍五千人、徳川軍一万五千人、津田本軍十二万人大軍だな……」


 信濃と美濃、尾張と三河の国境地帯で、織田幕府方の斥候部隊が、わずかな日数で大軍を進発させた津田軍とその同盟軍に驚きを隠せないでいた。


「津田光輝一行は、まだ船の上ではないのか?」


「息子の信輝が江戸にいるからな……」


 斥候部隊の指揮官は、津田家の家督を継いでいる津田信輝がすぐに兵を動かしたのだと確信する。





 そして現在、光輝達を載せた津田水軍の船団は尾張と三河の国境付近の沖合にいた。

 既に津田信輝が軍勢を動かしているので、光輝と今日子は三河、信濃辺りで合流すればいいと思っていたからだ。


 出羽織田家は信房が領地に残っていたので、堀秀政の統率で津田軍に負けない動員と行軍の早さを誇っている。

 普段は農業と料理ばかりしているイメージがある秀政であったが、彼は出羽織田家の家宰でもあった。

 軍備や戦働きで手を抜くはずがない。


 徳川家も石川数正、本多忠勝、榊原康政が既に軍勢を集結させており、別の船で三河に上陸した信康一行と合流を果たしていた。


 松永家も、重臣の岡国高、奥田忠次、楢村玄正が既に軍勢を整えており、同じく三河で主君忠久と合流している。


「私達もどこかで降ろしていただきたいのです。越後に戻って後発部隊の指揮があるので……」


「謙信殿に任せて、信濃か美濃で合流した方がいいのでは?」


「いえ、既に御隠居は軍勢を集結、行軍していると思いますが、我らにも率いる軍勢がありますし、後方支援体制の確認などもありますから」


 上杉景勝と樋口兼続も、どこかで船を降りて越後に向かいたいと光輝に願い出た。

 だが、今は太平洋側にいるので、日本海側にある越後に移動すると時間がかかってしまう。

 光輝は謙信に任せてはどうかと意見を述べたが、二人はそれを拒否した。


「我らがここに居ても役に立ちません。急ぎ越後に戻りたいのです」


「陸路ですが、馬で街道を進めば……」


 津田領内には街道網が張り巡らされているので、昔ほど移動に時間がかからない。

 隣接する上杉領、徳川領、松永領に、信濃と甲斐でも大規模な街道工事が急ピッチで進んでいたので、何とか間に合うであろうと景勝と兼続は計算したのだ。


「越後に戻るのか……なら、飛行船で越後まで運んでもらってくれ」


「ひこうせん? 何ですか? それは」


 津田軍では、新たに飛行船を導入していた。

 強度と安全性の確保、高度を下げる時に貴重なヘリウムを排出したくないのでエンジンなどの動力も搭載しており、生産はカナガワだけでしか行われていない。


 なおヘリウムは、油田で原油と一緒に出てくるガスに含まれているものを回収していた。

 世界最大の産地であるアメリカまで採集に行けないので、効率は悪いがこうするしかなかったのだ。

 エンジンは、未来では骨董品扱いされているガソリンエンジンであった。

 この程度のものなら、カナガワでも余裕で生産できた。


 勿論完全なオーパーツであり、現在運用するための人員を教育中で隻数も少なく小型船が多い。

 郵便、輸送、緊急を要する人員の移動などで、内地と外地を訓練がてら常に飛び回っている。


「信輝が何隻か徴発して運用しているはずだ。連絡してみる」


 光輝は通信機で信輝と連絡を取り、信康と一緒に三河に上陸した景勝と兼続は、迎えに来た飛行船で越後へと向かう事になる。


「あのようなものが空を飛ぶとは!」


「なぜあんなに大きなものが空を飛んでいるのだ? 津田家は、神に愛されているのか?」


 二人は、小型とはいえ全長が八十メートル近い飛行船に驚きを隠せなかった。


「なあ、本当にアレに乗るのか?」


 二人と一緒に飛行船を見た信康は、飛行船に乗っても大丈夫なのかと心配そうに言う。

 同じく織田幕府に逆らった仲間として、景勝と兼続を心配しての発言だ。

 津田家の飛行船普及が遅い原因の一つに、空を飛ぶという行為自体に忌避感を感じる者が多かったというのもある。


 志願者が少なく、その分運用できる飛行船の数が少なかったのだ。


「津田殿が使いこなしているのだ。大丈夫……だと思う……」


「早く越後に向かいたいと言ったのは我々ですから……」


 二人はちょっと後悔しながら、飛行船が自分達の上空に来るまで待った。

 目標地点に到着した飛行船は、ガソリンエンジンを吹かしながら徐々に高度を下げていく。

 着陸しても係留するための重しや、格納する倉庫もないので、そのまま縄梯子でゴンドラの部分に上がってもらう予定であった。


「景勝殿、兼続殿。無事を祈るぞ」


「「縁起でもない!」」


 信康の酷い別れ言葉に二人が怒るのと同時に、高度十メートルほどの位置まで下がった飛行船のゴンドラ部分から縄梯子が降ろされた。

 覚悟を決めた二人は、縄梯子を使って飛行船のゴンドラ部分に乗り込む。


「ようこそ『高尾』へ。船長の立花宗茂と申します」


 ゴンドラに乗り込んだ二人は、そこで飛行船の船長である立花宗茂から挨拶をされる。

 飛行船の船名が高尾なのは、飛行船の命名基準が山の名前で、計画を立案した清輝が適当に命名していたからだ。


「越後まで三刻(六時間)というところですね。天候も快晴なので、安全な運航が可能でしょう」


「立花? 貴殿は、あの立花道雪殿の義息子であるか?」


「はい、津田家に鞍替えをしましてね」


 豊後で不遇な生活を送っていた立花宗茂は、実父高橋紹運と弟高橋統増と共に領地を捨てて津田家へと仕官した。

 優秀な三名はすぐに抜擢されて出世を果たしたが、ここで宗茂だけが所属を陸から飛行船へと変更した。


『空を移動できる乗り物とは、これは戦を大きく変えるぞ!』


 飛行船は機密の塊なので、警備隊で運用されている。

 それを知った宗茂は、飛行船の配備が増えれば水軍のように空軍として独立していくのではないかと予想したのだ。


『敵を上空から一方的に攻撃できる。凄い兵器だ』


 弓矢と鉄砲で、上空から一方的に攻撃を仕掛けられる。

 水軍で使っている破裂玉や焼夷壺も運用可能であろう。

 将来的には大砲ですら搭載可能かもしれない。

 船も攻撃可能で、少数の精鋭を敵の後方に降ろして後方から敵を挟み撃ちにする事も可能であった。

 夜に、敵の陣地に夜襲をかける事も可能であろう。

 可能性を考えればキリがなく、宗茂は飛行船という新兵器に賭ける事にしたのだ。


『宗茂、空を飛ぶのだぞ。怖くはないのか?』


『今までに誰も見ていない景色を見られるのです。嬉しいとは思っても、怖いと思った事はありませんな』


 実父高橋紹運が宗茂の身を案じたが、宗茂本人は意気揚々と飛行船部隊に所属を変えている。

 飛行船の運用という未経験の分野においても、宗茂はその才能を如何なく発揮した。


 操縦、整備、簡単な修理、航法など、誰よりも早く覚えて今ではナンバーワンの技量を持つようになった。

 飛行船を戦で効率よく使うための研究も行っており、飛行船部隊におけるナンバー2の地位を確保している。


 地上で後方支援に徹する飛行船部隊の総責任者が清輝の息子信行なので、実務方ではトップに君臨するようになった。

 宗茂には実力があったが、老齢な者ほど飛行船を怖がるので、飛行船部隊に所属する人員の平均年齢が若かったせいもある。

 船員、整備兵、空港の運用の大量教育もこれからなので、人手不足で宗茂も自分で飛行船を操縦する事が多かった。


 信輝が、飛行船に乗せるのが景勝と兼続だと聞き、飛行船部隊の実働隊を指揮する宗茂を指名したという事情もあったのだ。


「景勝様、兼続殿。下を見てください。いい景色ではないですか」


 飛行船から見る様々な景色の虜になった宗茂は、初めての飛行船で恐怖に慄く二人に、この素晴らしい景色を見るようにと勧めた。


「素晴らしい景色だ……」


「本当ですな……」


 まさか怖いとも言えず、二人は約三刻ほどの空の旅が早く終わるのを顔を真っ青にさせながら祈り続ける。


「宗茂殿、すまぬな」


「これほど早く着けるとは……感謝いたします。ところで、宗茂殿はこれから……」


「はい、信輝様の命令で美濃の敵軍に爆撃任務でしょう」


「そうですか……」


 まだ防衛準備が整っていない状態で、尾張と美濃は上空から飛行船による攻撃で混乱したところを、さらに津田軍によって攻撃される。

 

 現状でこの戦法に対抗可能な方法はなく、兼続は美濃と尾張はすぐに津田家によって落とされるであろうと予想した。

 同時に、上杉家が織田幕府方につかずによかったとも思っている。

 いくら謙信でも、飛行船に対抗可能な戦法をそう簡単には思いつかないであろうと思ったからだ。


「我らは、後続として越前に向かいますので……」


「ご武運をお祈りしています」

 

 越後に到着した二人は、宗茂にお礼を述べてから春日山城へと入った。


「殿と兼続様が、神のお遣いと一緒に現れただ!」


「空を飛ぶ神のお遣いだ!」


「お前達、あれは人が乗っている空を飛べる船なのだ。断じて、神の遣いではない」


 飛行船を見た事がない春日山城に残留していた家臣や兵達が一時混乱したが、景勝が事情を説明をしてようやく落ち着いたようだ。

 二人が率いる軍勢は謙信が残して行ってくれたので、急ぎ主力を率いて先発した謙信を追う事にする。


 間違いなく行われるであろう、越前での戦に参加すべく……。





「いや、幕府方はその倍は集められる。幕府方の勝ちはっ!」


「どうした! うぐっ!」


 津田軍を監視していた斥候部隊は、風魔小太郎指揮下の特殊部隊によって首筋を後ろから切られてその命を落とす。

 他にも特殊部隊が先行しており、既に織田幕府方の諜報、斥候部隊は二百名近くが討たれてしまった。


 これにより、美濃と尾張にはほとんど情報が入らなくなった。


「殿、上様からのご命令は?」


「津田家討伐軍が到着するまで、この地を守れだそうだ」


 尾張と美濃は、織田家の本貫地であった。

 織田幕府の直轄領なので大名は置かれておらず、兵の指揮権は信長の弟である織田信包、信照、長益、長利などに分割して与えられていた。

 岐阜城を守る長益は急ぎ防衛体制を整えるが、一番の問題は指揮権が四分割され、信包は郡上八幡城に、信照は岩山城、長利は大垣城にいたので各個撃破される危険性があったのだ。


 集結を命じようにも、既に津田軍は美濃に侵攻している。

 尾張は清州城に織田信張、信直親子がいたが、こちらも徳川軍、松永軍、出羽織田軍の侵攻に曝されている。

 いくら尾張と合わせて三万の兵があっても、分散していては意味がなかった。


「とにかく情報を集めよ!」

 

「それが……斥候部隊も間諜も戻って来ないのです……」


 ほぼ全員が風魔小太郎(二代目)の指揮する特殊部隊によって始末され、長益には何も情報が入って来なかった。

 

「いかがなされますか?」


「下手に動くと岐阜城が落とされる。ここを落とされたら美濃陥落は確実なものとなってしまう。援軍が来るまで守るしかない」


「他の城を守っている方々へ、岐阜城への集結命令を出されては?」


「それも難しかろう」


 長益の予想どおり、三日と経たずに岐阜城は津田軍の大軍によって包囲された。


「岐阜城以外はすべて落ちたのか?」


 調べようにも方法がなく、岐阜城内で籠城する兵達の士気は上がらなかった。

 なぜなら、岐阜城に対して定期的に大砲が撃ち込まれていたからだ。

 なぜか空砲なので損害は出ていなかったが、常時続く轟音に兵士はみんな寝不足になってしまう。


 続けて翌朝、岐阜城に向けて降伏を促す使者が送られたが、それは他の城を防衛していたはずの信包、信照、長利の三名であった。


「守っていた城は?」


「落とされた。大砲と飛行船とやらによってな」


 郡上八幡城、岩村山城、大垣城は、上空から飛来した飛行船によって焼夷壺を落とされて混乱し、続けて津田軍の大砲で城門を打ち破られてしまった。


「兵達の混乱が酷くて戦にならなかったのです……」


 大垣城を落とされた長利が悔しそうに話す。

 だが、そこで一旦攻撃が止み、津田軍から使者が現れた。

 使者を務めたのは、出羽織田家の家宰である堀秀政であった。


『降伏をお勧めします』


『久太郎……信房は、津田光輝につくのだな?』


『はい、ここで織田幕府について勝利したとしても、信房様の未来は暗いので』


 津田光輝の娘を妻にしている信房が、細川幽斎にいい顔をされるはずがない。

 下手をすれば、後に粛清される可能性が高かった。

 津田家に近すぎる織田信房は、最初から津田家につくしか選択肢がなかったのだ。


『我らはどうなる?』


『急に我らにつくというのも難しいと思いますので、戦が終わるまで江戸で生活していただいて構わないそうです』


『人質か……』


『我らが勝てば、そのあとで身の遇し方を考えればいい。織田幕府が勝てば、江戸で救出されるではないですか』


『久太郎、お前、負ける気などまったくないようだな?』


『ええ、負けるとは思いませんね』


『名人久太郎にそこまで言わせるのか……家族を連れて江戸に向かおう。降伏する』


 堀秀政による調略は成功し、大垣城は開城した。

 郡上八幡城と岩山城を含む美濃各地の拠点も、大砲と飛行船による攻撃の後、出羽織田家の家臣による調略で降伏している。


 こうして、わずかな期間で美濃は岐阜城を除いてすべて津田軍の占領下に入っていた。


「長益、お前も降れ。戦うだけ無駄だ」


 岐阜城には七千の兵力が守っているが、包囲する津田軍は十万を超える。

 兵力差で見ても、勝ち目がないのは確実であった。


「援軍が来るまで保たせる事が可能かもしれません」


「無理だ」


「なぜですか? 兄上?」


 長益は、なぜ岐阜城を守り切れないのかと信包に問う。


「津田信輝は、我らにお前の説得をさせる事を了承した。もし我らが裏切って岐阜城に将が増えても何ら問題なく落とせると思うから、我らを送り出したのだぞ。今は空砲のみの大筒が火を噴けば、城門などすぐに消し飛ぶぞ。空にいる飛行船にはどう対処する。燃え盛る壺を落とされて、我らは大混乱したのだ」


 今までにない空からの攻撃に、今は亡き信長からも信頼が厚かった歴戦の信包ですら手が出なかった。

 対策すら打てず、津田軍によって一方的に蹂躙されてしまうのだから。


「もう一つ悪い知らせがある」


「それは?」


「尾張はもう落ちている」


「そんなバカな!」


「本当だ!」

 

 尾張方面も、いくつかの小規模な戦闘の後に織田信房の説得で織田信張、信直親子が降伏している。

 これはなるべく犠牲を少なくし、尾張と美濃は織田信房によって平定されたという事にするためであった。


「細川幽斎の傀儡である織田信重に織田本家当主の資格なし。代わりに、織田信房こそが織田本家の当主に相応しいというわけか……」


 その大義名分のために、自分達は生かされたのだと長益は理解した。

 岐阜城が孤立している以上、落城して一族で腹を切る前に信房に降伏した方が賢明なのだと。

 織田信房やその家臣が調略をしているのは、同族同士で殺し合うのを少しでも抑えようという作戦なのだ。


「わかるか? 津田光輝は、今は亡き総見院様に恩を感じているからこそ、こんな回りくどい手を使っているのだぞ」


「……」

 

 でなければ、さっさと自分達など皆殺しにされている。

 長益も、そう理解せざるを得なかった。


「我らの戦は終わったのだ」


「わかりました……降伏します……」


 長益は、信包の説得に応じた。

 岐阜城は無血で開城され、美濃と尾張は短期間で津田軍の手に落ちる事となる。

 長益、長利、信包、信照は家族と共に江戸で軟禁生活を送る事となり、織田信張、信直親子は信房の軍勢に加わった。

 美濃と尾張の兵士や将達に対しては、信輝は自由にすればいいと通告。

 織田幕府軍に合流すべく美濃を出て行く者、織田信房の軍勢に参加する者とに分かれる事になる。

 

「思ったよりも人気があるではないか。久太郎」


「織田幕府軍に合流する兵の方が多いと思ったのに意外でしたね」


 出羽織田軍は四万人近くにまで増え、津田軍により美濃と尾張は完全に占領されたのであった。








 美濃と尾張が津田家の手に落ちると、船で沖合いにいた光輝一行は尾張から上陸、験担ぎで熱田神宮にお参りし、銭と太刀を奉納してから美濃の津田本軍と合流している。


「父上、珍しく信心深いのですね」


「まあな。今日子がそうした方がいいって言うから」


「たまには神にお願いするのもいいよね。たまになら、神様も願いを叶えてくれるかもしれないし」


「確かに、たまになら願いは叶うかもしれませんね」


 とは言いつつ、信輝は、父と母が桶狭間に向かう前の信長と同じく熱田神宮にお参りし、家臣や世間に向けてアピールしているだけだと理解した。

 津田家は勝利し、織田幕府の跡を継ぐのだと暗に言っているのだと。


「大殿、何か悩み事ですか?」


「正信、喜兵衛、決戦の場はどこにしようか?」


「ここがよろしいかと」


 美濃に到着した光輝は、早速自分を出迎えた本多正信と武藤喜兵衛に問うた。

 今回は大決戦という事で、急遽飛行船で蝦夷から呼び出された武藤喜兵衛は、地図を見ながら美濃にある関ヶ原を指差す。

 喜兵衛は津田家が作成した詳細な美濃の地図を見て、なぜ美濃と尾張がすぐに落ちてしまったのかを理解した。

 これでは、織田幕府軍も地元の利を生かせない。


 喜兵衛がいた蝦夷や樺太でも同じだ。

 津田家が詳細な地図を持っているので、何を開発するにも最善の効率で行える。

 現地部族が反抗しても平定に時間がかからないし、地の利を生かして防衛するはずの現地部族が逆に津田軍に出し抜かれ、碌に抵抗しないで降伏してしまうケースもあとを絶たなかったのだ。 


「正信はどう思う?」


「ここが最善でしょう。それに謙信殿とも合流しやすい。古には、天武天皇が関ヶ原に軍勢を置き、ここから天下を握りました。縁起もよろしいかと」


「大昔からの要衝というわけか……」


 正信も喜兵衛の案に賛成し、津田軍は関ヶ原の地に強固な防衛陣地を作るべく工事を始める。


「謙信様が加賀と越前を奪うでしょうから、合流するにも便利な場所です」


 景勝と兼続達が合流する前に、上杉謙信は一時上杉軍の総大将として復帰、三万人の兵を率いて加賀に侵攻したという報告が入っていた。

 

「戦自慢の権六殿も、越後の龍には勝てまい」


 勝家がまだ越前に戻る前の事であり、加賀を守っていた柴田家守備兵力はあっという間に謙信によって蹴散らされた。

 兵は朝鮮にも出兵していて実戦から離れておらず、謙信は新潟平野の開拓ばかりでなく、上杉軍の増強と精鋭化にも腐心していた。


 津田軍で採用している今日子が書いた指南書の概要を入手し、ただ貧しいから精強なのではなく、理論立てて兵を訓練し、真の精鋭を作り上げたのだ。


『私、元エリート士官で結構自信あったけど、謙信殿は本物の天才だね』


 今日子は上杉軍再育成の顛末を聞き、謙信の才能に驚くばかりであった。

 鉄砲のみならず大筒も積極的に採用し、蹄鉄と去勢をした馬で組織的な騎馬隊も再編成。

 その成果がいかんなく発揮され、加賀はわずかな時間で落ちてしまった。


「権六殿はどうするのかな?」


「あの性格だからの。意地でも一戦するであろうな」


「久秀殿、あなたもですか?」


「なあに、八十をすぎて今すぐに死んでも不思議ではない年寄りなのじゃ。今さら、討ち死になど怖くないからな。最上の場所で観戦させていただくぞ」


 松永忠久に少し遅れて、久秀も関ヶ原の地に到着した。

 彼はいまだに元気なので、この戦に同行するつもりのようだ。


「謙信殿は羨ましい。あの越後勢を率いて。久し振りの大戦じゃ」


「相手をする権六殿が不幸ですけどね」


「あの権六の事じゃ。自分が最強だと思っているから幸せかもしれぬぞ」






 久秀の予想どおりに、越前では柴田勝家と上杉謙信との戦が始まっていた。

 加賀から逃げてきた柴田軍を再編し、越前勢と朝倉信景、武田元明なども軍勢を連れてきている。

 朝倉家を越前に、武田家を若狭に戻すための布石とも言えた。


 勝家は、津田家討伐後に三河、遠江、駿河、信濃、甲斐の五ヶ国領有を約束されているので、気合が入っている。


「義父上、相手があの謙信だと聞くと胸が高鳴りますな」 


「そうであろう」

   

 家族には恵まれなかった勝家は、何度か養子を入れては病死や討ち死にで失っていた。

 今は甥である佐久間盛政を養子としていて、彼は柴田盛政と名を変えている。


「軍神が恐ろしき強さなのはわかっておるが、柴田家とて努力は重ねてきたのだ」


 勝家には自信があった。

 織田家中において、柴田家こそが織田家中で最強の兵を抱える存在なのだと。

 亡くなった信長から謀反を起こした信勝に従った事を許されて以来、自分は織田家の武を支える男として努力を重ねてきた。

 調略などの胡乱な手に頼るサルや、鉄砲を撃てばいいと思っている津田光輝は勿論、もはや上杉謙信に負ける事はないと。


 老いた勝家は、謙信との戦いに絶対の自信を持っていた。


「上杉軍は妙な陣形ですな……」


 盛政は、上杉軍が真横に広がった陣形を組んでいるのを訝しがった。

 これでは突撃を受ければ、簡単に食い破られてしまうからだ。


「謙信はどこにいる?」


「中央部です」

 

 毘沙門天の旗の下で、謙信は馬に乗って悠然と構えていた。

 彼は柴田軍など視界に入ってもいないとばかりに、杖代わりに持っている青竹の先をいじりながら時間を潰している。

 まるで勝家など意識していないと言わんばかりの態度に、七十を超えて気が短くなった勝家は頭に血を昇らせた。


「種子島を増強して火力に自信があるのであろう。それは我らも同じだ。そのまま中央部を食い破れ!」


 勝家の命令で、魚鱗の陣形を組んだ柴田軍が進撃を開始する。


「やはり、種子島を増強したか……」


 上杉軍から容赦のない射撃が続くが、柴田軍とて鉄砲の数は揃えている。

 進撃しながら柴田軍からも反撃が行われる。

 互いに犠牲が出るが、共に精鋭のため陣形は崩れないで距離が縮まっていく。


 近距離で鉄砲を撃ち合っているのに、双方共に軍勢が動揺しない。

 津田軍を除けば、上杉軍と柴田軍は最盛期の島津軍にも負けない精鋭に成長していた。


「あてが外れたな、謙信」


 勝家はご満悦だ。

 たまに銃撃で倒れる兵士がいても、柴田軍で逃走を図る兵士はいない。

 勝家自らが鍛え上げた、精鋭中の精鋭であったからだ。


 撃たれても撃ち返し、双方竹で組んだ盾を使っているので犠牲は少ないが、並の軍勢ならとっくに崩壊して兵が離散しているはずだ。


「義父上」


「何だ? 盛政」


「援軍なのですが……」


 勝家がせっかく上杉軍との撃ち合いを楽しんでいたのに、援軍で来ている朝倉信景と武田元明が萎縮してしまっていると盛政が報告してきたのだ。


「後ろに下げておけ! 家柄ばかりで何の役にも立たぬわ!」


 信重から寄越された援軍なので、下手に討ち死にでもされると困る。

 勝家は、両軍を後方に下がらせるように盛政に命令した。


 せっかくの緊迫した戦を邪魔され、勝家は不機嫌になる。


「陣形に変化なしか……もっと近づけよ」


 距離が縮むと射撃の狙いが正確になり、倒れる兵士の数が増える。

 それでも両軍は崩壊しない、逃亡者すらいない。

 織田家筆頭宿老と越後の龍、共に退けない戦いが続く。


「うん?」


 上杉軍に変化があった。

 後方から荷車に載せた青銅製の大筒が姿を現し、水平面に柴田軍を射撃したのだ。

 大筒には通常の砲弾と、散弾代わりに銃弾が大量に詰められた物があり、前者は竹束ごと兵士をバラバラに吹き飛ばし、後者は大量の死傷者を産み出す。


「陣形を崩すな!」


 思わぬ損害……ではなかった。

 十分に折り込み済みだし、柴田軍にも青銅製大筒はある。

 すぐに反撃が行われ、今度は上杉軍にも損害が出る。


「老いたな謙信! 陣形を横に広げすぎだ!」


 謙信も七十をすぎた勝家に言われたくないであろうが、柴田軍は犠牲を出しつつも陣形中部に位置する謙信を捕えつつあった。

 謙信が両手をあげると、横に広がった上杉軍がまるで蛇のように動いて柴田軍の横合いから襲いかかる。


「予想どおりよ! やはり老いたな! 謙信!」


 柴田軍は最初押し込まれて魚鱗の陣形が縮んだが、すぐに建て直して前進を開始する。

 だが、混乱していたわずかな間に中央部にいた謙信は姿を消していた。


「押し込めば、後方にいるはずだ! 討ち取れ!」


 ところが、柴田軍を包み込んだ上杉軍は容易に崩れなかった。

 既に接近戦となっていて大筒と鉄砲は使えない。


 両軍の兵士や将による血みどろの切り合いが続く。

 上杉軍の奮闘で柴田軍の足は止まり、戦況は膠着状態となった。


「おかしいですな?」


 盛政は首を傾げた。

 こんな犠牲ばかりが出る膠着戦を、あの軍神が望むはずがないと。

 何か策があるのではないかと思ったのだ。

 残念ながら、盛政にはそれが何なのかわからなかったが。


「我が軍は動けずか……」


 包み込まれるように包囲されているのもあったが、上杉軍が梃子でも動かなかったのだ。

 いくら押しても、踏みとどまって反撃する。

 犠牲者が出てもすぐにその穴を埋められてしまい、両軍はその場からほとんど動かずに戦いを続けた。

 

「押せや! 押せや!」

 

 勝家が自ら鼓舞を行っても、結果は同じであった。

 その状態が十分ほど続いた後、突然上空から唸るような音が鳴り響き、柴田軍の中心部近くに着弾した。


「大筒か!」


 続けて数発が着弾するが、すべて柴田軍がいる場所であった。

 かなり巨大な砲弾が命中し、多くの柴田軍兵士達を吹き飛ばしていく。


「正気か! 謙信!」


 盛政は、ようやく上杉軍の戦法を理解した。

 わざと両軍を膠着状態に持ち込み、動きを止めた柴田軍に遠方から発射した砲弾が命中するようにしたのだと。


 勝家が魚鱗の陣形を選択するように、謙信は自ら囮になった。

 いくら砲撃が正確でも、狙いが外れて味方に命中する可能性も高かった。

 それなのに、上杉軍は自分達の仕事を果たした。


 盛政は、越後勢とその作戦を采配する上杉謙信という男に恐怖した。


「蘇った! 軍神が蘇ったんだ!」


 伝説となっていた男が久方ぶりに軍勢を指揮し、何ら衰える事なく自分達を圧倒している。

 勇将として評価の高い盛政でも恐怖で足が震えたのだ。

 柴田軍の他の将兵に耐えられるはずがない。


「大筒の砲撃に晒されるぞ!」


 謙信への恐怖で、柴田軍は一気に崩れた。

 砲撃から逃げるには、それが一番だからだ。

 そして、崩れた柴田軍に上杉軍が襲いかかる。

 いまだに柴田軍を包み込んで逃がさず、まるで酒を入れる革袋のように柔軟に動き、柴田兵を討ち取っていく。


「後方に逃げればいいんだ!」


 上杉軍の包囲網からは外れている後方に、崩れた柴田軍が殺到した。

 

「バカ! 我らの軍勢が崩れるじゃないか!」


「先に逃げるのは俺達だ!」


 敗走する柴田軍は後方に下げていた朝倉信景と武田元明の軍勢とぶつかって混乱を広げてしまう。

 続けて、もう一つの悪夢がやってきた。


「義父上、ようやく追いつきましたぞ」


「殿、もう一回蜂のひと刺しで柴田軍は崩壊しますな」


 三河から恐怖の飛行船に乗って越後に到着した上杉景勝と樋口兼続達は、こういう時のために謙信が普請していた街道を騎馬隊二千のみで駆け抜け、密かに柴田軍の後方に回り込む事に成功した。

 しかも、その騎馬隊も謙信が育成した騎馬鉄砲隊であった。


「間に合ったか、景勝。間に合わんでも勝てたが……」


 謙信は『まあ、褒めてやる』とは口に出さなかったが、顔にはわずかに笑みが浮かんでいた。


「一人でも多く討ち取れ!」


 謙信の手がもう一度上がると、柴田軍はほぼ全包囲された。

 陣形を崩したままで包囲された柴田軍は、援軍も来た上杉軍によって次々と討たれていく。

 ここまで崩れてしまうと、さすがの勝家でもどうにもならなかった。


「クソぉーーー!」


「義父上、ここは一時お逃げください!」


「しかし!」


「ここは逃げ延びて、津田光輝との戦いに参加すべきです!」


「わかった!」


 勝家は、盛政の忠告に従った。

 津田光輝に勝てば勝利は確実で、それを勝家がなせるように盛政はここに残る覚悟をしたからだ。


「盛政! 必ずや墓前に謙信と光輝の首を添えてやるぞ!」


 気力を取り戻した勝家は多大な犠牲を出しながら包囲網を突破、これに体勢を立て直した柴田軍各将の軍勢も続く。


「窮鼠猫を噛むであったな」


 柴田軍の奮戦で、謙信はわざと包囲網の一部を解いてそこから逃がし、追撃戦を続行して討てるだけの柴田軍を討ち取った。


「義父上、これ以上の追撃は……」


「津田殿に合流してもう一戦あるからな」


 津田軍は既に尾張と美濃を占領し、関ヶ原に本陣を置いていた。

 謙信も合流し、今度こそ柴田勝家と決着をつけようと考える。


「半数までは討てなんだか」


 柴田軍は、一万二千人を超える兵士を討たれた。

 信重の本隊と合流できたのは一万五千人ほど。

 その中に、援軍としてきた朝倉信景と武田元明、そして義息子である盛政の姿はない。


 もう一方の上杉軍の損害は千七百人ほど、柴田勝家と上杉謙信との緒戦は、謙信の圧倒的な勝利で幕を閉じたのであった。

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