第六十九話 甲信騒乱
「流民が増えたって? なぜそういう事になるんだ?」
石山の津田屋敷にいる光輝は、風魔小太郎からの報告に首を傾げた。
ここ最近、津田領内への流民の流入が激しいと報告を受けたからだ。
「すべて信濃と甲斐からです。浅井様の統治に問題があるようで……」
「それで、信輝はどうしている?」
光輝は、跡継ぎである嫡男信輝の対応を小太郎に聞いた。
なるべく口は出さないつもりだが、場合によってはフォローに入らないといけないからだ。
「流民達は保護して、開墾地や新しい町に移住させました」
「そうか……しかし浅井家は何をしているんだ?」
二度の反乱はあったが、基本的に織田幕府の統治政策は優れている。
信忠に能力があり、戦乱期に発生した大量の流民達は、復興や開発が進んでいる土地に移民を始めていたからだ。
地侍などの中間搾取層の力を徐々に失わせ、税の単純化と軽減も進んでいる。
これは、新たに領地を得た大名達も同じであった。
津田家は当然として、出羽織田家、上杉家は皮肉な事に謙信がその権威を盾に上手くそういう政策を進めていた。
津田家との交易で得た資金や食料を元に、揚北衆などの反抗的な豪族を粗方殲滅したのも大きい。
その後は越後平野を中心に領地の開発も進め、領民達への飴の政策も忘れない。
信長と共に、光輝を上手く利用して領地を富ませていた。
前田家、羽柴家、丹羽家、滝川家、明智家なども同じだ。
彼らは津田家のやり方を参考に、領内の開発を進めている。
「浅井家もだろう?」
「そのはずなのですが……」
ところが、甲斐と信濃には厄介な連中がいる。
滅んだ武田家の旧臣達であった。
生き残った信玄の五男信盛、六男信貞、七男信清はそれぞれ数千石の領地を賜って信忠の旗本となっているが、彼らは甲斐に戻っていない。
いつの日か武田家の当主が甲斐に戻るはずだと、いまだに新領主への仕官を拒んで帰農し、反抗を続ける旧武田家臣も少なくなかった。
「しぶといんだな」
「多少なりとも聡い連中は、羽柴家、前田家統治時代に仕官していますしね」
光輝が思う以上に、先祖代々の土地に拘る者は多いというわけだ。
津田領にも一定数存在するが、彼らは周囲の発展があまりに早いので相対的に貧しくなり、力を失って、その土地に土着して生活するのが精一杯であった。
もはや、津田家に反抗する力すら失っている。
「武田家の統治時代を懐かしむのか……思い出補正?」
「思い出補正? 大殿、それは新しい言葉ですか?」
「そんなところ」
「昔を懐かしむですか……年寄りにはいるかもしれませんな」
どう考えても、羽柴家と前田家の統治時代の方が生活レベルは上なのにと、光輝は思ってしまう。
「彼らは、武田家に仕えて武士をしている自分達が好きなのでしょうね」
「羽柴家と前田家でもいいじゃん……」
「武田家じゃないと嫌なんでしょうね」
残っているのは依怙地で頑固な奴らだけという事のようだが、そういう連中は逆に厄介であった。
浅井家は信忠の政策を実行しようとしたが、亮政には統治が苦手という弱点がある。
やり方をしくじって、色々と大変な事になっているようだ。
「あまりに性急にやり過ぎて一揆が勃発したようです」
一揆はすぐに鎮圧はされたが、不安定な故郷に不安を感じた領民達が関東を目指して逃げて来たらしい。
津田家なら、すぐに受け入れてもらえると知っていたようだ。
「信輝は上手くやっているのか?」
「はい、それは勿論。ただ……」
今になって、浅井家側が領民を返せと言ってきているらしい。
「そんな無茶な。第一、流民を出した浅井家側の不手際はどうなる?」
故郷に未練があれば戻るかもしれないが、そういう者は最初から流民にならないはずだ。
移住した者達に戻れと言っても、いきなり統治をしくじった浅井家が領主を務める甲斐と信濃には戻りたくないのであろう。
「真田領では、流民なんて一人も発生していないぞ」
武藤喜兵衛の兄真田信輝が治める佐久郡では、流民など一人も発生していない。
明らかに浅井家側の失態なのに、いきなり返せでは津田家側も困ってしまうのだ。
佐久の真田家は、喜兵衛のツテで津田領との交易で便宜は図ってもらっている。
だが、浅井家と比べて極端に特別扱いというわけではない。
朝鮮出兵への負担に耐えつつ、真田信輝が津田領で売れる特産品の開発を積極的に行ってきたからだ。
信州蕎麦、信州味噌、佐久鯉、モモ、カリン、プルーン、りんご、鑑賞花、ハチミツ、鉄平石、芋稗粟焼酎、猪の養殖など、貪欲に現金化しやすい特産品の開発を行っている。
米はほぼ全量を濃尾と津田領から購入し、特産品生産と、飢饉に備えての蕎麦、稗、粟、サツマイモ栽培に傾注していた。
経済的には津田家との繋がりが深く、事実上津田家の属領だという者も多い。
勿論そうなるように仕向けたのは、今は蝦夷で辣腕を振るっている喜兵衛だが、佐久真田領は少領ながらも領民の平均所得が高く、真田信輝以下不満に思っている者はほとんどいなかった。
最近人口が増えつつあったが、人が余っても彼らは広大な津田領に移住ができる。
口減らしなどとも無縁で、なら別に実質津田家の属領扱いでも不満はないというわけだ。
「旧森領はどうなんだ?」
「駄目です。一揆は発生しませんでしたが、流民は発生しています。浅井家の統治では未来に希望がないのでしょう」
「これまでの苦労が……」
信濃の大部分を統治していた森兄弟であったが、浅井家の転封に合わせて領地を移動している。
しかも、豊後に転封となった長可は別として、兄弟がバラバラにされて移封となった。
功績はないので石高にはほとんど変化がなく、これまでの領地開発にかけた手間と金はすべて台無し。
引っ越しに費用がかかり、新領地を一から開発しなければいけないので、森兄弟は貧乏くじを引いたわけだ。
信忠は長可のみを優遇、森家の嫡男である可隆は普通に扱い、信長の側近衆をしていた成利、長隆、長氏は連携を取れないようにバラバラにした。
特に狙われたのは、信長がお気に入りだった成利だ。
彼は備後に五万石をもらい、ただの小大名に転落した。
ここは信孝の旧領であり、非常に不安定な領地になっている。
突然善政を敷いていた信孝がいなくなったので、領民達が不安がっているのだ。
すぐに一揆は発生しないと思うが、デリケートな統治を必要とした。
つまり、成利が統治をしくじれば、すぐに改易に追い込もうという腹だ。
「領地変えも結構だが、混乱は起こさないようにしてほしいな」
信濃も甲斐もようやく落ち着きかけたのに、浅井家のせいで大きく混乱してしまった。
成利のツテで信濃の、秀吉と利家のツテで甲斐の開発に手を貸してきたので、その成果がすべて駄目になってしまった現実に光輝は溜息しか出なかった。
「まさか、信輝は流民を返さないよな?」
「返さないといけない法もありませぬからな。拒否しました」
領主法で領民の離散を禁止しているところは多いが、織田幕府ではそういう法はまだ制定されていない。
これからというわけなので、浅井家と津田家、どちらが正しいのか結論が出ないわけだ。
「問題は、いまだ流民の流入が解決していない点です」
旧武田系国人の一揆はほぼ鎮圧されたが、今度はそれにより田畑が荒れてしまい、生活できない領民達が引き続き関東を目指すという事態になっていた。
「どうしてこういう事態になるのか……俺が動くと幽斎あたりがうるさそうだから、今は静観だな」
光輝は、信輝が手を打っているのなら安心だと様子を見る事にする。
流民の発生に対応すべく津田家は甲斐と信濃の国境線に警備隊を配置したが、それを統括する山内一豊はその対応に苦慮していた。
「殿の方策に従うしかないか……」
流民に元の場所に戻れと言っても、そもそも戻る気があるなら最初から流民になどならない。
戻した結果、彼らが飢え死にでもしてしまったらと一豊は思わないでもない。
浅井家側の責任は大きいと、津田家の支配領域に逃げ込めた連中は保護するようにと信輝が命令したのだ。
逃げ込む前に捕まってしまった者に対しては、可哀想だが何もできない。
下手に助けに行けば、浅井領を犯す結果になってしまうからだ。
「どうして移封した直後にこうなるのか?」
「朝鮮出兵で費用が嵩んだとかで、かなり厳しい検地をおこなったそうです」
自分達の失態とはいえ、浅井家は実入りのいい近江を追われて甲斐一国に転封されてしまったのだ。
これに朝鮮出兵が重なり、浅井家の財政は火の車であった。
加えて、浅井亮政という人物は戦は信長に気に入られるほど上手かったが、領主としてはさほど優れていなかった。
家臣達に任せた結果が、一揆と流民の大量発生のようだ。
「うちに迷惑をかけないでほしいよなぁ……」
関東と東北は落ち着いたとはいえ、外地の統治は面倒が多い。
一豊も、決して暇ではないのだ。
ところが、そんな一豊の願いを打ち砕くような報告が入る。
「浅井軍の一部が、津田軍と交戦を開始しました!」
「大至急殿に報告せよ! 舐められてたまるか! 応援に入るぞ!」
一豊も、光輝に従って多くの戦に参加した歴戦の指揮官である。
浅井軍如きに領地内に侵入され、舐められてたまるかという気持ちが湧きあがってきた。
急ぎ現場へと軍勢を差し向ける。
「どうして交戦になったのだ?」
「それが……」
浅井軍の一部が、流民を捕えようと津田領内に入ってしまったらしい。
当然、津田軍は浅井軍を領外に出そうとする。
「『流民を寄越せ!』『出て行け!』と言葉の応酬から、実力行使になってようです」
言葉から、武器を使わない押し合い、最後にどちらが先に手を出したのかは知らないが、両軍による戦闘が始まってしまったようだ。
「ならば、領外に追い出すのみ」
戦乱の時代ではないので、領内に入った浅井軍を追い出す。
基本方針はこれだが、いまだに戦乱の時代を引き摺ってもいるのだ。
どかぬなら、領民達の安全のために実力行使も辞さないのが津田家の軍法であった。
これは今日子が作成したものだが、この時代の実情も十分に考慮してある。
相手を無傷で無力化などという夢物語は書いてなかった。
それを目指して、味方に犠牲を出すわけにはいかないのだから当然だ。
「正純、津田領内から追い出すぞ!」
「わかりました」
一豊に付けられた本多正信の嫡男正純は、参謀として一豊の補佐に入る。
現場に急行すると、なぜか浅井軍は津田領の村に火をかけて略奪に勤しんでいた。
「山賊か! あの連中は!」
一豊は味方の領地で略奪を働く浅井軍を見て、信じられないという表情を浮かべる。
「これで正当な理由ができました。排除いたしましょう」
「浅井家は朝鮮出兵のせいで、そこまで貧しいのか?」
「ただ単に、浅井軍の規律が乱れているだけですね。昔の感覚で戦をしているのでしょう。亮政殿は、戦に勝てれば細かい事を気にしない御仁と聞きますので」
津田家ではあり得なかったが、戦乱の時代では兵士による略奪は当たり前であった。
信長の方針で徐々に改められていたが、浅井家ではまだ対策が不十分だったというわけだ。
「そこは気にしろよ! ええい! 攻撃だ!」
流民を捕えているはずが、浅井軍はなぜか津田領内にある村を襲っていた。
激怒した一豊により、浅井軍への攻撃が始まる。
津田軍は朝鮮には兵を出していないが、訓練には手を抜いていない。
容赦なく鉄砲による攻撃が行われ、略奪に夢中であった浅井軍はあっという間に崩れた。
「浅井領に追い落とせ!」
津田領に入り込んでいた二千人ほどの内、半数以上の千二百人ほどが討たれ、生き残りの半分が捕虜となった。
浅井領内に逃げ込めたのは四百人ほどであり、負傷者も多い。
「ぬぬっ! ここで終わりにすれば精強で知られる浅井軍の名折れ!」
ところが、戦闘はこれで終わらなかった。
味方が大敗北した報に激怒した亮政が、なぜか援軍を送り始めたのだ。
亮政とてバカではないので状況は理解していたが、ここで一方的に自分達の非を認め、挙句に敗北したままでは言い訳が立たないと思った。
織田政権内での、浅井家の立場というものもある。
一度でも戦闘に勝利してから講和に入ろうと、亮政は自分も含めて追加で兵を集めて援軍に赴こうとした。
こういう亮政の考え方が、戦乱と平和の間にある織田幕府がなかなか安定しない原因でもあった。
「浅井亮政、ただの戦バカなのか?」
現地からの報告に津田信輝は頭を抱えたが、ここで甘い顔をするわけにはいかない。
浅井軍に破れてはいけないと、こちらも追加で兵を出した。
「もう目茶目茶だな」
「はてさて、どうすれば解決するのやら」
「向こうが先に手を出してきたのだ。叩いて領外に追い落とすしかあるまいて」
本多正重、渡辺守綱、蜂屋貞次が指揮する援軍が送られ、遂に浅井軍との全面衝突になってしまった。
手を抜くと死ぬのがわかっている一豊達は、今日子の薫陶どおりに全力で戦闘を開始する。
津田軍による容赦のない砲撃と射撃に、浅井軍は多大な犠牲を出した。
「何なのだ! この火力は!」
亮政は津田軍の火力に驚愕するが、今までは味方だったので知らなかったのも仕方がない。
津田軍は戦闘になると容赦しない。
知ってはいても、実際に自分が攻撃を受けると驚きの言葉しか出ない亮政であった。
「奥方様の薫陶によるものだな」
渡辺守綱は、今日子が家臣団に教育した時の内容を思い出す。
『兵数を整えて適切な訓練をおこない、装備と補給は確実に整えなさい! 数で押せば、大体は勝てるわ!』
『奥方様、時には桶狭間のような例もございますが……』
『あれは、大殿の最初にして最後の大博打よ。では聞くけど、それ以降大殿が相手よりも劣る兵力で戦った事があったかしら?』
『いえ……』
守綱は、そういえば織田軍は常に多くの兵力を整えて戦っていたのを思い出す。
『時に劣勢で戦わなければならない事もあるけど、それで勝てても次も勝てる保証はない。やはり、兵力を整えた方が勝ちやすいわ。兵力の不足を補う手はあるけど』
『それは何なのでしょうか?』
『この場合は火力ね』
守綱は、今日子の発言どおりに浅井軍が一方的に駆逐される光景を目撃していた。
いや、これは自分が指揮をしている結果なのだ。
槍半蔵と呼ばれた自分は今でも武芸の鍛錬を怠っていないし、時に乱戦になってそれが役に立つ事もある。
津田軍でも武芸の習得は奨励しているが、それは体を鍛えるためという目的が大きく、集団戦闘や部隊指揮の能力が重視されるようになった。
ある程度名の知れた将ならともかく、兜首など獲ってもあまり評価されなくなったのだ。
「時代が変わったな……」
幸いにして、守綱には兵を指揮する能力があり、津田軍でも重鎮となっている。
だが、同年代の同僚にはそれについていけなくて、いまだに大して出世していない者も多かった。
そういう者達の中には、津田家を辞して他の大名家に仕官した者もいる。
転封した浅井家が人手不足だと聞き、出世の糸口になると浅井家に仕官した者もいた。
「彼らは生きているのだろうか?」
守綱の前には、津田軍の容赦のない砲撃と射撃で倒れた数千名の浅井軍兵士の姿があった。
「決して、浅井領内には入るなよ!」
守綱は、兵達に厳しく命令する。
あくまでも、津田領に侵入した浅井軍の排除が目的だと、信輝から命令を受けていたからだ。
軍令違反は、津田軍では重罪であった。
「守綱様、退きませぬな」
「依怙地になっているのか?」
守綱の予想は正しくもあり、間違ってもいた。
自分の戦の才能に自信があった亮政は、津田軍を局地的に敗北させて、後の裁定を有利にしようと自ら兵を率いて津田領内に入り、全軍に全面攻勢を命じた。
ところが大火力になぎ倒され、異質の軍隊津田軍の恐ろしさに気がついたところで悲劇が発生する。
撤退を指示しようとした直後、一発の銃弾が亮政の額を撃ち抜いたのだ。
「殿!」
更に悪い事に、亮政の討ち死にに気がつき指揮を継続しようとした周囲の重臣達の中に砲撃が命中、彼らをなぎ倒した。
これにより浅井軍は大きく混乱し、戦闘を続行する者、勝手に退却する者と行動が別れ、津田軍は戦闘を続行した浅井軍を壊滅させるまで戦闘を続ける羽目になってしまう。
「何名討ち死にした?」
「津田軍は全軍で百七十七名です」
「違う、浅井軍の方だ」
守綱は、ひょっとすると万を超えるかもしれない浅井軍の死体の山に眩暈がした。
同時に、以前に今日子が言っていた事を思い出す。
『偶発的な小規模戦闘から、互いに援軍を呼んで大きな戦闘になる事も多い。あとで歴史学者が当事者達の不手際を批判するけど、こればかりは後知恵の類も多いわね』
戦闘には勝利できたが、守綱はこれですべてが終わったとは思わなかった。
すぐに浅井亮政の討ち死にが確認され、津田家は甲斐と信濃の混乱に巻き込まれる事となる。




