第六十八話 続く混乱
「ちくしょう! ここまでか……」
「若、諦めてはなりませぬ」
織田家による島津家討伐により、多くの島津家一族とその家臣が討たれた。
島津家の分家にして、薩摩平佐領主北郷家の当主三久は家臣税所敦朝と共に、織田信雄による『島津狩り』から懸命に逃げ回っていた。
わずか十八で、しかも三男であった三久が当主になったのは、前当主北郷時久と本来の跡継ぎで次男の忠虎が討ち死にしたからである。
侵攻する織田軍に対し、時久と忠虎は獅子奮迅の活躍をした。
高名な武将各務元正を討ち取り、他にも多くの織田軍兵士を殺している。
島津軍のあまりの奮戦ぶりに、織田軍は一時軍勢を建て直すために兵を退いたほどだ。
そして、その時間を利用して防戦の準備しかしないほど、島津家当主義弘は愚鈍ではなかった。
隠居した兄義久と共に、ある悪巧みに参加している。
『酔狂な事に、津田殿が逃がしてくれるそうだ。だが、人数に制限がある』
『となると、我ら年寄りが派手に防戦して時間と注目を集め、その間に若い者と女子供を逃がすわけだな』
『織田水軍もバカではない。我らを逃がす役割を担う、津田水軍の将藤堂高虎殿にも限度がある』
津田水軍と一緒に薩摩包囲作戦に参加している織田水軍に気がつかれないよう、夜陰に紛れて少人数ずつ船内に匿うしかないのだ。
あまり派手にやると露見してしまう可能性が高く、脱出作戦は慎重に行わねばならない。
故に、全員は無理であった。
『我が津田水軍の船が大きいのと、居住環境がよくて助かったな』
この任を密かに光輝から受けた時、高虎は周囲にこう漏らした。
ちなみになぜ彼なのかというと、彼は公式には捕鯨船団の指揮で外海にいる事になっているからだ。
密かに動くにはちょうどいいというわけだ。
勿論、その能力に光輝が期待したのもある。
『逃がす作戦の本番は、むしろ我らが滅んでからだ』
『織田軍の警戒も薄れるか……』
義久以下島津家首脳が滅べば、織田軍も気が緩むはず。
その前に、いくら織田家とて戦中と同じように動員をかけ続けられない。
薩摩占領に必要な人数を除いて、大半の軍勢を撤退させるはずだ。
そうでなくても、今の織田家は少し財政が苦しいのだから。
薩摩の新領主となる織田信雄の軍勢と、彼を手伝う蒲生氏郷の軍勢だけとなれば、脱出も容易くなるはずであった。
『残党狩りを逃れながら、いかに一人でも多く逃がすかだな』
『そのために、我らは死ぬのか』
『明日の島津家のために、精々派手に滅んでやるさ』
『そうだな、義弘』
以上のような経緯により、島津軍は決死の抵抗を行った後に滅んだ。
これには当然、北郷時久と忠虎も参加している。
『父上と兄上は、共に逃げないのですか?』
『残念だが、年寄りを載せる余裕はなかろう』
『私も若くはない。父上と共に戦うさ』
忠虎はともかく、三久には父時久がなぜ残るのかがわかった。
それは、過去に時久が讒言を信じたばかりに自害させてしまった嫡男相久についてずっと後悔しており、ここに及んで自分が生き残るなど赦されないと思っているのだという事に……。
『三久が若い者と女子供を率いて逃げろ。言っておくが、決して楽な道ではないぞ。残った方が楽かもしれぬ』
『わかりました。北郷家を滅ぼさないように私は逃げます』
『上手く逃げ延びろよ』
『はい、兄上』
父と兄に説得され、三久は女子供と若い一族や家臣ばかり連れて城から逃げ出した。
織田軍の標的となる各拠点に年配者が中心となって籠り、そこで最後の一兵まで抵抗して時間を稼ぐ。
その間に、地の利を生かして若い者を逃がす作戦であった。
『織田信忠、信雄! 覚えておれ!』
逃げ出した島津家の者達は、悔しさをバネに薩摩脱出に備えて潜伏生活に入る。
義久、義弘とその一族の死により織田軍の動員はほぼ解除され、その隙を縫って夜中に船で薩摩を離れていく者が増えた。
潜伏している者達は、薩摩に侵入していた風魔小太郎配下の間諜達に案内され、夜中に指定された海岸に向かうと小舟が待っている。
それに乗って、離れた海域に停泊している大型船に収容されるのだ。
『疲れただろう、津田水軍は飯はいいものが出るぞ。子供には甘味もある。酒は……上陸しないと駄目だから諦めてくれ』
無事に津田水軍によって収容された島津家の者達は、久しぶりに温かい満足する量の食事にありつけた。
女性や子供は、甘いお菓子に大喜びだ。
『おかげで命拾いしました。津田様には感謝の言葉もありません』
助けられた者達は口々に光輝にお礼を言い、彼らは避難先へと向かう。
さすがに国内では見つかるので、船は南方へと向かうのであった。
「敵はどれほどいる?」
「五十ほどは……」
最初は順調であった脱出も、次第に新領主織田信雄が薩摩の状況を把握し始めると……勿論信雄本人にそんな能力はない。
あくまでも、蒲生氏郷や他の家臣達の仕事である。
潜伏している島津家の残党が多い事を知ると、『島津狩り』と呼ばれる残敵掃討作戦を開始した。
これに捕まって討たれる者が徐々に現れ始めたのだ。
だが、ここで脱出を急ぐと、今度は島津家の者達を密かに逃がしている津田水軍の存在が知られてしまうかもしれない。
みんな静かに祈るように潜伏を続けながら順番を待っていたのだが、不幸な事に北郷家の者達が潜伏している場所に、五十人ほどの探索隊が姿を見せたのだ。
「我らで戦える者は十八名です」
「少ないな……」
他は、女と子供ばかりである。
まともに戦っても勝てるはずはなかった。
「私も戦います!」
「無理だ」
三久は、自分も戦うと志願した子供の訴えを却下した。
十八であまり戦の経験もない自分が言うのも何だが、五~六才の子供に戦わせるほど落ちぶれてはいないと感じたからだ。
「あいつら、蒲生軍の連中だな」
織田信長の娘婿である蒲生氏郷は、以前に過度のキリスト教への傾倒から騒動を起こした。
それにより一時は出世の道も絶たれたかと思われたが、信忠は義弟で有能な彼を見捨てなかった。
有力な準一門衆兼子飼いの家臣として、何とか功績をあげさせようとしたのだ。
島津家討伐と、その後薩摩、大隅、日向に移封される信雄の補佐を肥後の統治と共に行わせる。
成功すれば、再び氏郷は出世コースに復帰できるというわけだ。
それが理解できる氏郷は、『島津狩り』にもかなりの兵を出していた。
他の諸将の大部分が領国に引き上げてしまったからだ。
新たに豊後に領地をもらった森長可も信雄の補佐を命じられているが、彼は新しい領地の統治に忙しく、氏郷ほど薩摩を助けられなかった。
「狂人、鬼武蔵の軍勢でなくて幸いか……」
「少しはマシという程度ですが……」
「狂信者の氏郷の軍勢だからな。鬼武蔵と大して変わらぬか……」
それでも、夜になるまで時間を稼がないといけない。
ここで一時凌いでも敵の援軍が来れば終わりだが、先の事など考える余裕はない。
今はこの十八名で、女子供を守らなければいけないのだ。
北郷三久と税所敦朝は、自らも刀を抜いて前面に立つ。
「いたぞ!」
「皆殺しだ!」
三久達を見つけた蒲生軍が一斉に襲いかかろうとするが、彼らは突然横合いから大量の矢を放たれて混乱した。
海岸の岩陰から、津田家の間諜達が次々と短弓を放ったのだ。
他にも紐のついた壺を投げ、それが蒲生軍の足元で爆発する。
壺の中には鉄釘やマキビシが大量に入っており、蒲生軍の兵士達は体に刺さった矢やマキビシに苦慮する事となる。
「ちっ! 痛てえじゃねえか!」
大半の兵士達が負傷したが、重傷というほどでもない。
体に刺さった矢やマキビシを抜いてから、先に間諜達の方を始末しようとする。
ところが、彼らはすぐに体が痺れて動かなくなった。
同時に呼吸も困難になり、苦悶の表情を浮かべながら死んでいく。
間諜は、矢や爆弾に仕込んだマキビシに致死性の高い毒を塗っていたのだ。
五名ほど無傷なために無事であった兵士達は、途端に不利になったので逃げ出そうとする。
だが、逃げられて援軍を呼ばれては堪らない。
すぐに間諜達が追撃を行い、その五名全員を素早く殺してしまう。
間諜の刀にも毒が塗られており、少しでも傷つけられた者は短時間で苦しみながら死んでしまった。
三久達は、津田家の間諜の実力に驚くばかりだ。
彼らは知らなかったが、津田家の忍や間諜と呼ばれる連中は下手な将よりもよっぽど精強だ。
情報や謀略を重視する津田家では待遇もよく、優れた人物が多かった。
「敦朝……」
「あれが、津田家の間諜か……」
三久と敦朝は、津田家の間諜の強さに驚くばかりであった。
それと、容赦のなさもだ。
「島津家の方々ですね? 場所を移動しましょう」
三久達は、自分達を救ってくれた間諜達に従って場所を移動し、無事に薩摩からの脱出に成功する。
『島津狩り』で出た犠牲は島津家側も多かったが、それ以上に織田信雄と蒲生氏郷の兵や将にも多くの犠牲を出した。
兵力を分散して捜索したため、毒を用いる津田家の間諜に始末されるケースが多かったからだ。
「毒を用いるとは! 間諜か?」
「そのようです。思えば、島津家の間諜については我らはよく知りませんからな」
「島津家討伐でも、ほとんど出てこなかったな」
「はい。それと、不用意に毒に触れて死ぬ者が出ています」
津田家の間諜に殺された兵や将の死体を調べたり回収する過程で、毒の塗られたマキビシに触れた者が百名以上も死んでしまった。
信雄も氏郷も、残敵掃討で更に犠牲を増やしてしまったのだ。
「ええい! 何としてでも島津家の者共は皆殺しにせい!」
あまりの犠牲の多さに激高した信雄が氏郷や家臣達に発破をかけるが、それからも彼らは津田家の間諜達によって翻弄され、更に多くの犠牲を出す。
そしてその働きにより、多くの島津家家臣やその家族が脱出に成功するのであった。
「ここが台湾……暑いとね」
津田家の手引きで、島津家の家臣やその家族が大量に台湾まで逃げ出していた。
日の本の他の土地では織田家にすぐバレてしまうが、ここまで逃げ込んでしまえば織田家も把握できない。
徐々に生き残った島津家の一族や家臣が集まり、数千の集団になるのに時間はかからなかった。
父島津家久とは別行動で脱出した嫡男豊久も、無事に台湾の土を踏んでいる。
二人を分けたのは、一緒に行動して全滅する可能性を防ぐため。
つまり家久に何かあれば、豊久が次の島津家当主というわけだ。
「若殿、ここから新しい島津家の第一歩が始まるのです」
豊久に従っている長寿院盛淳が、涙を流しながら彼に話しかける。
本当は盛淳も義久、義弘に殉ずる予定だったのだが、さすがに若者だけでは島津家残党が機能しないし、盛淳は元々僧侶で内政にも長けている。
新しい島津家に必要な人材だと、義久から直接豊久付きになってくれと懇願され、家族と一緒に脱出してきたのだ。
「盛淳、若殿って呼ばれるのは慣れんとね」
「若殿、それはおいおい慣れていただきませんと」
義久と義弘は、非情の決断を行った。
それは、織田家の詮索から逃れるために、自分の妻子をすべて犠牲にしてしまったのだ。
妻子はすべて二人と共に自害し、家久や豊久の分の偽死体も準備した。
顔で判別されると困るので、島津家の本拠地である内城のみは派手に火を放っている。
偽装死体には家久愛用の鎧や刀をつけ、織田家の詮索から逃れられるようにしてあった。
このような策により、残された一族は先年亡くなった島津歳久の孫常久と、家久親子のみであった。
家久は妾腹の子で序列も低く、織田家の詮索も緩むというのが義久の考えだ。
他にも、家久は一時病気で体調を崩していたが、津田今日子の診察と治療で健康を回復させた。
実は、津田家と一番縁がある人物なのだ。
そこで義久は、家久を次期島津家当主に任じて逃がしていた。
「津田様が、時期は必ず訪れるのでそれまでは力を蓄えるべきだと」
「若造ばかりで、島津軍の精強さも疑問やからね」
未来のために若者や子供を優先して逃がし、盛淳のようなベテランは数が少なかった。
それに、逃げ出すのが精一杯で何も持っていない者も多い。
当たり前のように津田家に厄介になるばかりでなく、家久が無事に逃げてきた豊久を迎えにも来ないのは、これからの生活について色々と相談をしているからだ。
「親父も大変とね」
「若殿も、あとで津田様にご挨拶を」
「それは仕方がなかとね」
九州征伐で薩摩一国にまで転落した島津家であったが、織田政権下では建前は津田家と同じ大名であった。
それが今では、津田家に辛うじて助けてもらった身。
どちらが上かは、子供にでもわかる話だ。
「島津家、苦難の時とね」
「若殿、楽しそうですね……」
「そんな事はなかとよ。恨み重なる織田家への怒りで一杯とね」
豊久の発言に嘘はなかったが、同時にこうも思っていた。
薩摩を奪還する時には、織田信雄やその家臣達の首が獲り放題だと。
遠慮などする必要などなく、首を洗って待っておけと豊久は思っていたのだ。
「この雌伏の時がどれくらいになるかは知らんけど、上手く軍を再編して織田信雄と蒲生氏郷の首が狙えると嬉しいとね」
「そうですな」
薩摩、大隅、日向は織田信雄の領地となり、彼はこの三か国の領有を目指していた島津家にとって最大の敵となった。
そして、信雄が無能なのは共に朝鮮で戦っていた島津家の誰もが理解している。
その補佐を行うと称し、『島津狩り』にも兵を出している蒲生氏郷も信雄と同じくらい恨まれていた。
氏郷が日向でキリスト教国建国を目指してかの地を混乱に陥れた件も、彼が島津家から嫌われ、恨まれる原因となっている。
「薩摩奪還が楽しみとね」
これ以降、台湾に逃げ出した島津家残党は、かの地の統治や開発を手伝いながら家臣団と軍の再編を行い、将来の薩摩奪還を目指して奮闘していく事となるのであった。
「我らをお救いいただき、感謝の言葉もありません」
「いえ、義久殿と義弘殿は残念でしたね」
「我らを無事に逃がす確率を上げるため、兄上達は残ると覚悟を決めておりました。その覚悟を止めるわけにはいかなかったのです」
島津家久が台湾に到着すると、そこには既に津田光輝と今日子が待っていた。
別の世界では基隆港と呼ばれる港やその周辺に島津家の者達は匿われ、今は疲れを癒すために休んでいる。
「休養を終えたら、少し内陸部に移っていただきます」
「わかりました」
この基隆港はまだ開発途中で人も少ない。
だが港なので、いつ外部の人間の目に触れるかわからない。
織田家に島津家残党の存在を知られないよう、少し内陸部に移ってもらう計画であった。
「ただ、内陸部は風土病なども多いので、先に予防接種をしましょう。いくつかの薬も準備しておきます」
「わかりました。あの注射というものに恐れを抱く者もいるのですが、命に係わるとなれば、押さえつけてでも打たないと駄目ですね」
家久は今日子によって大病から回復した過去があるから、注射にも慣れていた。
だが、家臣の中には『あんな針を挿して大丈夫なのか?』と不安に思っている者も多い。
予防接種もしないで内陸部に入れば、マラリアや他の感染症にかかりやすくなる。
せっかく生き残った者達を病死させないためにも、家久は主君命令で全員に注射を打つようにと指示した。
「殿の命令だから仕方がない」
「まあ……戦で負傷するのに比べれば、チクっとするだけだからなぁ……」
家久の命令で島津家の人達は全員予防接種を受けたのだが、一人だけ異常に注射を嫌がる者がいた。
それは、家久の嫡男豊久であった。
「豊久、いい年をして情けないぞ!」
「親父、おいにはそんな注射とかは必要なかと!」
「バカ者! お前に何かあったら一番困るのだ! 矢が刺さるのに比べれば全然大した事ないだろうが!」
「若殿、全然痛くないよ」
「豊久、こんな幼い子供が大丈夫だと言っているのだぞ。素直に手を出せ」
「いやたい!」
家久や、先に注射を受けた子供の説得にも耳を貸さず、豊久はその場から逃走を図った。
だが、予防接種を指揮していたのは今日子である。
彼女が、全力で逃げる豊久の前に立ち塞がる。
「はんっ! 津田様の奥方は強いと評判とが、おいに比べれば……」
簡単に逃げ出せると高を括った豊久であったが、次の瞬間には今日子に腕を取られ、逆方向に捻りあげられていた。
振り払おうにも、体にまったく力が入らない。
軍隊格闘技の達人である今日子からすれば、いくら強くてもまったく警戒していなかった豊久を抑え込むくらい楽勝であった。
「おいが、手も足も出ん……」
「早く打っちゃって」
「わかりました」
捻り上げられているのは腕だけなのに、どう抵抗してもまったく体が動かない。
豊久が必死に体を動かそうとしている間に、今日子の部下である軍医が素早く彼に注射を打ってしまった。
「はい終了、これはご褒美ね」
素直に注射を打った子供に対し、今日子はアイスキャンディーを渡していた。
味は、イチゴ、マンゴー、みかん、リンゴなどがあり、高価な氷で出来たお菓子なので大好評だった。
子供のみならず大人ももらって美味しそうに食べているが、豊久は自分が今日子に子供扱いされている事に気がついた。
「おいが、子供扱いとは……」
「実際に子供だろうが。違うか?」
「言い返せんたい……」
注射を嫌がって暴れる。
父家久から子供のようだと指摘され、豊久は反論する術を持たなかった。
「島津家は精強だった。間違いなく日の本でも一二を争う強さであろうな。だが、それでも織田家には負けた」
「親父……」
「兵や、将や、軍が強いだけではどうにもならない事もあるのだ」
豊久は、家久の言うとおりだと思った。
島津家は精強で、織田家に多くの損害を与えた。
だが、結局は織田家の数の暴力によって負けてしまった。
数の暴力とは、つまり金の力の事だ。
島津家では津田家の援助によりカツオブシの製造などで金稼ぎも重視し始めていたが、それを忌避する年配層も多かった。
だが、今の島津家にそれは許されない。
本拠地を失ってしまった以上、新しいやり方で島津家を強くしていかなければいけない。
「お前ら若者が、新しい島津家を建て直すのだ。古いやり方に拘る層は大分減ってしまったから自由にできる。それだけは、幸いかもしれないな」
「親父は古い人間の方ではなかと?」
「そうだな、私は上には立つが実務はお前らがやれ。思わぬ運命の流転でお前が島津本家の次期当主となったのだ。逃げる事は許さん」
家久は、急に厳しい表情を豊久に向ける。
「注射に比べれば、こっちの仕事の方がいいとよ。少しくらい失敗しても、親父が尻を拭ってくれから安心とね」
「言ってろ。内陸部にはいくらでも仕事があるそうだ。賃金もいい」
「それで金を稼ぎ、合間に軍を整えるとね」
「津田家の援助も期待できる。立場的に、島津家が津田家の家臣になったようなものだが、この状況で対等の関係とが抜かすバカもないだろうからな」
「それはそうね」
予防注射などの優れた医療技術の他に、いつの間にか薩摩各地で活動していた津田家の間諜達、そして漕ぎ手や帆がいらない津田水軍の大型船の存在もある。
水軍の兵は全員厳しく訓練され、銃や大砲の扱いにも慣れていた。
いつの間にか琉球と台湾の開発も進んでおり、島津の女子供は津田今日子から貰えるお菓子や食べ物に夢中であった。
「逆立ちしても勝てんとね」
「そういう事だ。それがわかっていればいい。私は兄達と違って戦しかできないが、そんな私にもわかる。織田の天下など、津田家が許可しているにだけすぎない。津田家が本気になれば、織田家など五年で没落するだろうな」
台湾の内陸部に移動した島津家の人達は、バナナ、サトウキビ農園で働いたり、新たに農地を広げたり、街道を整備して報酬をもらい日々の生活を行う。
上級の家臣達は、そんな彼らの指揮をして津田家から監督料という名の報酬をもらいつつ、急ぎ家臣団と軍の再編を急いだ。
薩摩に残った者達との連絡もある。
織田家の支配をよしとしないが、逆らえば殺されるので、従順なフリをしつつ情報を集めて送ったり、薩摩奪還において反旗を翻すために地下組織を密かに再編する必要もあった。
こうして島津家は雌伏の時に入るが、彼らがいつ薩摩を奪還できるのか?
それは、まだ誰にもわからない。
「今度は信孝様が?」
「いや、そんな単純な謀反や反抗で済む話ではないのです」
南九州の仕置きと合わせて、他の諸将の加増、移封などの仕置きも信忠から命令され、甲斐一国を治めていた前田家は伊予へと移封する事になった。
前田利家・利長親子が島津討伐でも活躍したからなのだが、伊予は信雄が混乱させたままで治めるのが難しい領地になっている。
石高が増えた分は、それを抑える面倒賃という事らしい。
『金山が惜しい。伊予に金山はあるのかな?』
『ぶどう酒作りも、せっかく質がよくなってきたのになぁ……』
前田親子はこの移封を喜んでいなかったが、将軍信忠の命令に逆らうわけにもいかない。
表面上は素直に受け入れ、引っ越しの前に石山にいる光輝に挨拶にきた。
そして、そこで信孝の話が出たのだ。
「信孝様にも、加増、移封の沙汰が下ったのです」
真田信輝が領する部分を除き、信濃と甲斐に加増、移封される事になったのだが、信孝がこれに反発しているらしい。
『朝鮮出兵の経費で首が回らぬところに、また移封では金がいくらあっても足りませぬ! 我らは鉢植えの松ではないのですぞ!』
信孝の反抗に、信忠は腹を立てた。
その朝鮮出兵で前半苦労していたから加増してやったのに、それを信孝が断ってしまったからだ。
好意を足蹴にされたと思ったのであろう。
『今まで散々に苦労して領地を治めてきて、ようやく何とかなる目途がついたのに、また移封とは酷いではないですか!』
勿論、信孝にも言い分がある。
信忠や信雄と母親は違えど、信孝は信長の三男として懸命に努力してきた。
母親の身分のせいで信雄よりも早く生まれたのに三男扱いされてしまった件についてシコリがないわけでもないが、それでも信長の子として常に努力を重ねてきたつもりだ。
少なくとも、兄信雄よりもよほどマシなはずだと。
朝鮮派遣軍の総大将を務めていた時には、お飾りではなくちゃんと総大将しての任をこなしていた。
秀吉も、彼の烏帽子親を務めた柴田勝家もそれは認めている。
それなのに、信雄は三か国の太守で、自分は二か国の太守のまま。
信雄が島津家討伐軍の大将だからその恩賞という理由があるが、彼のお飾りぶりは日の本で知らない人がいないレベルだ。
実質的な総大将である蒲生氏郷がもらう方がまだ理解できると思うくらいの信孝は、信忠と信雄を公然と批判した。
今までずっと真面目な優等生であったがために、キレた途端に感情の制御ができなくなってしまったのだ。
「ですが、信孝様の我儘だけで済む問題でなくなりました」
それは、信孝の文句に同調する諸将の存在があった。
安芸一国に減封のうえ朝鮮への出兵で困窮に喘ぐ毛利家、同じく備前一国のみで加増もない宇喜多家などが同調し、中国地方の旧毛利系国人衆に、伊予の旧河野系国人衆とも連絡を取り合っているらしい。
光輝も、風魔小太郎から報告は受けているので知っている。
「そこまで煽ってしまうと、信孝様も危ないのでは?」
一人で堂々と移封に異議を唱えればよかったのに、宇喜多家や毛利家まで巻き込んでしまっている。
これでは、信忠も信孝を許すわけにはいかないはずだ。
「信孝様は、自分は本気だという態度を表明して譲歩を狙っているのでしょう」
「いや、それは危険でしょう」
光輝の予想どおりに、信忠は信孝を不敬だと弾劾してその領地を没収する旨を伝える。
信孝の方はこれに反発して反乱の兵を起こし、信忠は島津討伐の戦後処理すら終わっていない状況で、再び畿内から兵を出す事になった。
「また出兵かよ……」
「信忠様が上様になってから、ずっとこんな調子だな」
すべてが信忠のせいではないが、下級兵士や庶民などは結果論しか見ない。
将軍信忠への不満が広がるが、それを理由に逆らうわけにもいかず、諸将は仕方なしに兵を出した。
島津とは違って徹底抗戦を行う者などおらず、こちらはあっという間に鎮圧される事となる。
結局、一緒になって織田幕府を煽った宇喜多家と毛利家は信孝を見捨てて一緒に戦わなかった。
信孝の滅びに付き合うつもりはないというわけだ。
信忠も、戦後処理の面倒さを考えて毛利家と宇喜多家を許してしまった。
この裁定でも、諸将の間に『不公平では?』という意見が主流となってしまう。
「寺に入れば、お命は助けるとの事です」
「ふざけるな! 我が意地を見せてやる!」
信忠は、信孝の命まで奪おうとは思わなかった。
出家すれば命は助けるという降伏案を出したのだが、それは信孝のプライドを大きく傷つけたらしい。
彼は家族を城外に出すと、一人そのまま腹を切ってしまった。
「後味の悪い事件だな」
光輝も水軍を出して包囲戦に参加していたのだが、信孝の命を救う事はできなかった。
生き残れても出家すれば社会的に死んだにも相応しいから、それなら腹を切った方がマシだと信孝は思ったのかもしれない。
いまだに武士の考え方に馴染まない光輝には理解不能な考え方であったが、信孝には信孝なりの考え方、生き方があったというわけだ。
さほど犠牲者もなく信孝の反乱は終結したが、織田政権へのダメージは深刻であった。
信忠に代が変わった途端、こうも反乱が多ければ世間は不安を感じてしまうからだ。
「信忠様は、地道に懸命に織田幕府の体勢を整えているのだがな……」
だが、最初に抱かれてしまったイメージとは怖いものだ。
戦乱で荒れた土地の開発に、全国規模の街道整備、関所の廃止など、父信長以上に熱心に取り組んでいる。
優等生だからこそ、信忠は真面目に将軍としてその職にまい進しているのだが、それに対する評価は偉大な初代信長の陰に隠れてしまう。
光輝は、二代目は損だなと思ってしまう。
「結局、信濃と甲斐は浅井亮政殿に加増、移封なのか……」
「大丈夫でしょうか?」
「隣だから、俺が面倒を見ろという意図なのかな?」
「かもしれませんね」
「仕事が増える……」
光輝は、思わず利家に愚痴を溢してしまう。
浅井家は、朝鮮出兵では活躍したのに加増がなく、信孝討伐でも活躍している。
父長政が急死した際に統治能力の不備を問われて近江の所領を取り上げた件もあり、信忠は亮政に気をつかったらしい。
もっとも、紀伊は召し上げになっており、信高、信吉、信貞、信好などの若い弟達に畿内で所領を与えて尾張、美濃、畿内の支配体制の盤石化も狙っていた。
他にも信忠は、まだ十三歳の嫡男信重を元服させて諸将に忠誠を誓わせた。
彼が将来の二代将軍、実質的には三代将軍というわけだ。
「織田家の嫡男が代々征夷大将軍となる。この決まりを諸将に印象づければいいのです」
これらの案を信忠に上申し実行させたのは彼の相談役である細川幽斎で、思いの外上手くいったので細川家は丹後の他に丹波も加増された。
幽斎の嫡男忠興も、奉行の次席に命じられている。
忠興も朝鮮に出兵はしていたが、他の諸将に比べて際立って活躍したわけでもない。
それが、父と共に上手く信忠に取り入って一国を加増されたので諸将からの不満が集まるようになっていた。
「言わせたい奴には言わせておけ」
そんな状況に、幽斎は動じてもいなかった。
能力があり、古今伝授の継承者で、公家や朝廷にも顔が利く。
織田政権が安定すればするほど、自分のような人間は優遇されるのだと幽斎は気がついていた。
そして、そんな自分達に近づく連中もいるのだと。
そういう利に聡い連中が次第に細川親子に集まり、次第に一つの派閥となっていく。
「上様、そろそろ津田家の力を殺ぐべきでは?」
そんな幽斎が常に信忠に上奏し続けたのは、津田家の弱体化を進めるべきだという意見であった。
勿論光輝が嫌いというのもあったが、関東と東北のほぼ全域と、多くの外地に広がる支配領域が一番の問題であった。
今は開発で大赤字でも、もう数十年もすれば織田幕府にとって大きな脅威であると幽斎は考えたのだ。
「領地を外地のみに限定して、あとは取り上げましょう」
「いや、それはさすがに出来ないぞ」
光輝は父信長の代から、常に期待以上の活躍をして父信長を支えてくれた。
信忠の代になってもそれは変わらず、一度も失敗がない者の領地を奪えば、他の諸将の動揺が大きいと信忠は考えたのだ。
「島津、信孝と反乱が続いて諸将の動揺が大きい。ここで光輝叔父が領地没収に反対して反抗したら混乱が収拾できなくなる」
「しかし」
「幽斎の助言には感謝しているが、これだけは受け入れられぬ」
信忠は、幽斎からの光輝排除案だけは断固として拒否した。
子供の頃から世話になっているという理由もあったが、石山を本拠としている織田幕府は商業政策を重視している。
もし関東、東北、外地を巻き込む反乱になってしまえば、商人達からの反発も大きいのが容易にわかってしまうのだ。
津田家はルソンを抑えたが、それによる混乱は発生させていない。
一時は織田家が統治しようという案も大きかったルソンの領有が、津田家になった最大の理由である。
「これで、暫くは落ち着くはずだ」
二つの反乱を乗り切った信忠は安堵の溜息を浮かべるが、今度は別の場所で新しい騒動が発生する事となる。




