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第六十七.七五話 ダイエットと羅漢果糖

「体には特に異常はありませんね。今の生活を続けてください」


「心得た、今の俺は死ねないからな」


 今日子は、上杉謙信の主治医も務めていた。

 定期的に健康診断と生活指導を行っている。

 今日も診察の日であったが、彼は以前よりも大分健康になっていた。

 塩辛い食べ物や酒を絶ち、今日子から言われた事を律儀に守っているからだ。


 上杉家は織田家に臣従したものの、まだ油断はできない。

 後継者である上杉景勝が一人前になるまで、謙信はまだ死ねないと思っていたのだ。


 信長は謙信を異常に恐れている。

 だから、謙信は一日でも長生きして信長を牽制する必要があった。


「津田殿も今日子殿も、健康で羨ましいな」


「それなりに注意していますからね」


 他にも理由はあるが、未来の健康知識がある津田家は寿命という面でも他の大名家よりも圧倒的に有利であった。

 必ずではないが、やはり普段の生活に気をつけていれば長生きをする可能性があるからだ。


「さて、次は……」


「今日子殿も忙しいな」


「ええ、次は大殿の診察なんですよ」


「信長か……あれはなかなか死にそうにないな……」


「健康ではありますね」


 患者の個人情報なので謙信には言わなかったが、信長は健康ではあるが美味しい食べ物が大好きである。

 時に食べすぎて、お濃の方に怒られる事もあった。

 ただ、最近は血圧が少し高めでもある。

 今日子は、その点を注意しなければなと思った。


「大殿、少し食事の量を抑えてください。血圧が高いです」


 石山城で信長への診断を行った今日子は、信長に生活指導を始めた。


「何と! 我は健康なのが取り得なのだぞ」


「確かに血圧が少し高い他は健康ですね。ですが、最近少しお腹が出てきたのでは?」


 今日子は、信長のお腹に視線を向けた。

 彼の傍にいる家臣達は今日子のストレートな物言いに怖れ慄くが、今日子は患者のためだとズバリと指摘した。 

 信長も、医者の診たてに怒るほど器は小さくなかった。


「体の目方はそれほど変わっておらぬ」


「ですが、年を取れば自然とお腹が出やすくなるもの」


「ううっ!」


 今日子からの指摘に、信長は珍しく弱気になりかける。

 だが、すぐに反論した。


「いいか、今日子よ。我は子供の頃より、朝早く起きてから早駆け、相撲、武芸の鍛錬などを怠っておらぬ。見よ、引き締まったこの体を!」


 信長はもろ肌を脱いで、今日子に自分の体を見せた。

 だが、信長もとっくに五十を超えている。

 以前よりも下腹が出ているのを、今日子は確認した。


「……確かに、お腹が出ておりますね」


「お濃!」


「事実ではないですか」


 そこにお濃の方が姿を見せ、彼女は容赦なく信長が太ったと断言した。

 信長も、お濃の方に言われては反論しにくかった。


「いや、そんな事は……お蘭! どうなのだ?」


「大殿は、大殿のままにございます」


「そら、見た事か。我は変わっておらぬと、蘭丸は言っておるぞ」


 信長が、いつも自分の傍に控えている森蘭丸にも質問するが、彼は答えをはぐらかした。

 どちらにも取れる回答をしたのだが、信長は蘭丸が太っていないと言っているように捉えたのだ。

 主君にストレートに太りましたとは言えないので、蘭丸の態度は悪くはない。

 今日子も、彼の言い方にある意味感心した。

 

 天下人織田信長の側近を務めるには、これくらいの気転や気配りが必要なのだと。


「蘭丸がどう言おうと大殿は太りました。今日子、理論的に説明を」


 濃姫に促された今日子は、人間が年を取ると自然に代謝機能が落ち、若い頃と同じ栄養を取っていても贅肉になってしまう分が増えてしまうのだと信長に説明した。

 

「他にも、加齢により筋肉量の低下などはどうしても発生します。運動は続けていただくとして、少し食事の見直しが必要ですね」


「食事をか?」


 信長にとって、美食はかけがえのない趣味である。

 それを制限されてしまってはと、躊躇するような表情を浮かべた。


「大殿にはまだ責任が多いのです。ここは謙信殿のように強い意志で節制していただきませんと」


「謙信か……奴は本当に、今日子の言う事を聞いておるのか?」


「はい、強い意志で酒も完全に絶っております。食事にも注意されておりますよ」


「あの謙信がか?」


 信長は謙信が健康に留意している話は聞いていたが、話半分だと思っていた。

 特に、彼が大好きな酒を止めるなど、絶対にできないと高を括っていた部分があったのだ。


「その成果が出て、今は健康そのものですね」


「何だとぉーーー! 我も節制をおこなうぞ!」


 負けず嫌いの信長は、あの酒精中毒一歩手前であった謙信が自分よりも健康体だと知って対抗心を燃やしてしまう。

 こうして信長も、今日子の指導で生活習慣の改善に乗り出すのであった。






「飯は普通だな」


「はい、食事の量を抑えるのと、必要な栄養素を取る事は別ですから」


 信長は御膳に載った食事を見て、思ったよりも普通だと思ってしまう。

 もっと質素な食事が出ると思っていたからだ。


「肉や魚もあるな」


「これと大豆などの摂取を抑えすぎると、痩せても筋肉の量が落ちてしまいますから。野菜は毎日大量に取ってください。不足すると、便秘などにもなりますから」


「なるほどな」


 信長は、今日子の説明を聞きながら食事を続ける。


「飯をお代わりだ」


「それは禁止です」


「駄目なのか?」


 信長は、若い頃から飯を湯漬けして何杯も食べるのが好きだった。

 それを今日子に止められてしまい、未練タラタラの表情を浮かべる。


「摂取を控えていただくのは、糖質と油分ですので」


 米は糖分の塊なので、ご飯はお代わり禁止という事になった。

 これは、信長にかなりのダメージとなった。

 津田家のおかげで米の品種改良が進み、段々と米の味がよくなっていたからだ。


「糖分を取りすぎると、糖尿病になりますから」


「糖尿病?」


「消渇というのが正しい病名ですか」


 今日子は、糖尿病、東洋医学では消渇と呼ばれる病気の症状を信長に説明する。


「最初は異常な喉の渇きと多尿、放置すると失明や手足の壊死を引き起こします」


「そうなのか、気をつける事にしよう」


 今日子の言いつけどおりに信長は生活を続けたが、やはり一つだけ我慢できなかった事があった。

 それは、大好きな甘い物を制限された事だ。


「今日子、甘い物が食べたい」


「どうぞ」


 今日子は、作りたてのプリンを信長に差し出した。


「おおっ! 甘い物もいいのか?」


「これは特別製ですから」


 このプリンは、砂糖の代わりに羅漢果(ラカンカ)糖を使用したものであった。

 羅漢果は栽培条件が特殊で中国の一部地域でしか育たないうえに、乾燥させた後に複雑で面倒な工程を経ないと甘くならないので、この時代には羅漢果糖がまだ出回っていなかった。

 津田家では大分前にこれを入手(密輸)して人工栽培試験を開始したが、最近ようやく量産化に成功している。


 ただし生産量は、まだ少ない。

 金持ち向けの高額な商品となっていた。

 

「明の貴重な品なのか」


「砂糖と甘さは同じなのですが、体が栄養として吸収しないので、糖尿病患者にも最適です」


「なるほどな……」


 信長は、思ったよりも食事を節制させられないので心の中で安堵した。

 

「砂糖と同じ甘さなのに太らない。不思議な甘味だな」


「はい」


 信長は信じたが、実は羅漢果糖の効果を信じてくれる人が少なかった。

 糖尿病患者で食事を制限している人のみがその効果を理解したが、健康な人からすれば無理に砂糖よりも高価な甘味など買う必要はない。

 というわけで、他のカロリーゼロの人工甘味料などと合わせてなかなか世間に普及していないのが現実だ。


「健康な者ならば、普通の砂糖の方が沢山買えるからな」


 信長は食費など気にしないので、今日子の健康指導を受けて食生活を改善した。

 運動については、昔から信長は毎日鍛錬を欠かさない。

 そのおかげもあって、すぐにダイエットの効果が出てきた。


「体が引き締まったな」


「そうですね、大殿」


 痩せて引き締まった信長の体を見て、濃姫も納得の表情を浮かべる。


「確かに健康に留意した方がいいか」


「はい、大殿一人のお体ではありませんよ」


「確かに、お濃の言うとおりよ。さて、節制に成功したのでじゃがたら芋の薄切り揚げを褒美に食うか」


 今日子が、そう常に信長の傍にいられないが故の悲劇であった。

 ポテトチップから始まったダイエット成功のご褒美から、再び信長の食生活が乱れてしまう。

 そして一か月後、健康診断に来た今日子から怒られ、再びダイエットを開始する羽目になる信長であった。

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