第六十七.五話 ルソン統治と、健康食品
「ルソンといえば……」
「ルソンといえば?」
「果物だな」
津田家の支配下に入ったフィリピンの責任者となった大谷吉継は、光輝から開発についての希望を聞いていた。
「台湾や沖縄よりも、生産量において大きな余裕を持っている。これらの生産量を増やすのだ」
バナナ、パイナップル、マンゴー、マンゴスチン、カラマンシー、ドリアン、パパイア、ランソネス、ランブタンなど、光輝がいた未来でもネオフィリピン星系では多彩な果物が栽培されていた。
「多少時間はかかるだろうが、焦らずに着実にやってくれ。果物用の缶詰工場も作りたいな」
カナガワの自動農園にあったこれら果物の木が台湾や沖縄で増やされ、さらにフィリピンでも増やされる予定だ。
他にも、米、トウモロコシ、サトウキビ、マニラ麻、タバコ葉の栽培もある。
サトウキビの生産を増やし、製糖工場を増設する予定だ。
マニラ麻はロープ、高級紙、織物の材料になる。
タバコ葉は、そのままタバコの原料であった。
医者である今日子はいい顔をしなかったが、どうせ放置しても他の国が栽培して普及させてしまう。
未成年の喫煙禁止や、タバコの害に関する教育も含めて、津田家でできる限りコントロールするという条件で渋々認めている。
あとは、葉巻や紙タバコの量産をして海外に輸出する予定であった。
『でもさ、この時代の人達ってさぁ……』
『みっちゃん、それは言わないで……』
実はこの時代、日の本には比較的手に入りやすい大麻を吸っている人も多かった。
ケシの実からアヘンを作って楽しんでいる者もいる。
世界中で医療用という位置づけにあり、痛み止め扱いで気軽に使う人が多かったのだ。
当然、中毒になる人も一定数いた。
タバコ、アルコール、アヘン、大麻……中毒にならないように、教育と自己管理の徹底をするしかないというわけだ。
「そして、ヤシの木がある。これの栽培も増やしたいな」
未成熟な実からはジュースが取れ、成熟した実の胚乳を削りとって乾燥させたものはコプラと呼ばれ、ヤシ油の原料になる。
ヤシ油は洗剤と石鹸の材料になるので、津田家ではヤシの木の大規模農場をフィリピンに作る予定であった。
ヤシの実は、他にも多くの使い道がある。
ヤシ油を搾ったあとのコプラは有機肥料と家畜の餌に、ココナッツやココナッツミルクも取れ、外皮は天然繊維としてロープやマットに加工できる。
殻は食器や工芸品の材料、そのまま燃やせば燃料になる優れものだ。
「ヤシの木の農場との兼ね合いもあるが、林業もあるな」
上手く植林しながら木材を輸出すれば、環境に配慮しつつ金を稼げると光輝は考えていた。
「鉱業もあるぞ」
フィリピンは、金、銅、ニッケル、クロムなどの鉱山が多い。
これも、津田家主導で採掘をおこなう予定であった。
「吉継の代では終わらないが、お前が基礎を作るのだ」
「必ずや、大殿の期待に応えてみせます」
こうして、フィリピンは『瑞穂』と命名されて津田家の支配下に入った。
初代総督となった吉継は光輝の期待に応え、津田家によるフィリピン支配の礎を築く事となるのであった。
「じゃじゃーーーん! ココナッツオイルだよ」
「ふーーーん」
「それで?」
「うわっ! 二人とも興味ないんだね!」
現時点でも、フィリピンにはヤシの木は生えている。
今日子は吉継からヤシの実を送ってもらい、それを原料にココナッツオイルを精製した。
それを自慢気に光輝と清輝に見せたのだが、二人はまったく興味がないといった様子だ。
「義姉さん、未来では健康にいいって胡散くさいテレビでよくやっていたけど、本当に体にいいの?」
「勿論よ。特にこのヴァージンココナッツオイルにはね……」
ヴァージンココナッツオイルには、アンチエイジング効果があるビタミンEが豊富である。
油分の約七十パーセントが中鎖脂肪酸であり、これは摂取してもすぐに体内で燃焼されて脂肪になりにくい。
体内に蓄積された脂肪の燃焼にも効果的だ。
加えて、大半が飽和脂肪酸なので腐りにくい。
添加物を使わないで保存できるのが素晴らしいと、今日子は二人に説明した。
「「ふーーーん」」
「あれ?」
「いや、ただの油じゃないか。工業製品にも使えるのはいいけど」
「そうだね、それは凄いね」
フィリピンでヤシの木や果物の大規模農園を経営すれば、津田家に莫大な富が約束される。
なので二人は、ヤシの木の栽培強化には賛成であった。
ただ、ココナッツオイルの効能を説明されてもいまいちピンとこなかっただけだ。
「義姉さん、所詮は油だから、使いすぎは健康によくないのと違う?」
「それは当り前よ」
それでも、今まで使っていた他の油をココナッツオイルに切り替えるだけで、健康面で大きな効果が期待できるのだと、今日子は力説する。
「油だからそんなに味もないだろうし、ココナッツオイルが料理に使われても俺は構わない」
「そうだね、僕も兄貴の意見に賛成」
「駄目だこりゃ……」
なぜこの感動がわからないのかと、今日子はガッカリしながら二人の下を去った。
「そうだ! あの人ならココナッツオイルのよさをわかってくれるはず!」
次に今日子は、今たまたま江戸に滞在している松永久秀を訪ねた。
彼は、小笠原諸島で栽培されているコーヒー豆の仕入れに来ていたのだ。
最初は豆を送ってもらっていたのだが、今では自分で豆を吟味しないと我慢できなくなっている。
家族に言わせると、久秀は一種の病気、コーヒー病とでもいうべき存在であった。
「久秀様」
「今日子殿ですか。おや、その瓶の中身は」
「これはですね……」
今日子は久秀に、ココナッツオイルの効能について説明する。
「素晴らしい油ではないですか」
既に八十を超え、健康ヲタクとしても有名になりつつあった久秀は、ココナッツオイルの効能に目を輝かせた。
「老化とボケ防止ですか。それは素晴らしい。早速試飲したいですな」
「是非一緒に飲みましょう」
いいものを紹介してもらったと、久秀は急ぎコーヒーを淹れ始める。
これにココナッツオイルを入れれば、ココナッツコーヒーの完成だ。
「ですが、油は混じりにくいのでは?」
教養人である久秀は、水分と油分が混じり合いにくいのも知っていた。
料理の研究の過程で、実際にそれを確認していたからだ。
「そこで、これですよ」
今日子はカクテル用のシェイカーを準備し、コーヒーとココナッツオイルを素早くかき混ぜて乳化させた。
よく混ぜたココナッツコーヒーをカップに注ぐと、乳化したココナッツオイルでコーヒーがカプチーノのように白くなっており、周囲にココナッツのいい香りが広がる。
「貴重な絞りたてのココナッツオイルは、このようにいい香りがするんです」
「なるほど、これは健康によさそうですな。こーひー道からは少し外れていますが、味は大変に素晴らしい」
「こうやって、毎朝一杯のココナッツコーヒーを飲むと、健康にいいんですよ」
「これはいいお話を聞きました」
久秀はそれ以降、ココナッツオイルを健康のために摂取する事となる。
「じゃじゃーーーん! 次は、ナタ・デ・ココが完成。正式には、この言い方が正解なんだよね」
次に今日子は、ココナッツを材料にナタデココを製造した。
ココナッツの実の内部に含まれるココナッツ水にアセトバクター・キシリナム(ナタ菌)を加えて発酵させると、ジュースが凝固して寒天のようなものが出来る。
未来では、デザートとしてコンビニでも売られていた。
「ナタデココはカロリーが低く、食物繊維も豊富で健康にいいんだよ」
「「ふーーーん」」
「まただ!」
せっかく上手くナタデココができたのに、光輝と清輝はあまり関心を示さなかった。
今日子はそんな二人に、再びショックを受けてしまう。
「寒天でいいような……」
「そうだね、兄貴の言うとおりだ。トコロテンが美味しい」
光輝と清輝により、既にテングサやオゴノリを使った寒天の製造が江戸では普及していた。
これで作ったトコロテンに、三杯酢、アオノリ、カラシを添えて食べる他、黒蜜をかけたものもお茶請けとして大人気となっている。
「ナタデココも、ゼリーに入れると独特の食感で美味しいよ。来たれ! ナタデココブームよ!」
「ブーム来るかな?」
「独特の食感はあるから、一時的に流行はするんじゃないかな?」
ナタデココの反応もイマイチであったので、今日子は再びあの健康ヲタクの下を訪ねていた。
「ほほう、肥満や便秘に効果のある食材ですか」
「そうです。それがこのナタデココなのです」
「ルソン方面の産品ですか。変わった名ですが、健康にいいとは素晴らしい」
久秀は、まだやりたい事がいくらでもあるので長生きがしたかった。
そのために、健康にいい事や食品には必ず手を出して自ら試している。
特に、優秀な医者である今日子が勧めるものにはすべて手を出していた。
「みっちゃんも、キヨちゃんも、興味ないみたいです」
「それはいけませんな。あの二人は今が健康なので油断しておるのですよ」
健康ヲタクである久秀からすると、その油断は五年、十年後に必ず後悔となって本人を襲うと予言した。
「健康とは尊きもの。ワシなどは健康のためなら死んでもいいと思っているくらいなのですから。今日子殿、今後もいいものがありましたらお願いします」
以後も今日子は、様々な健康食品を久秀の下に持参した。
紅茶キノコ、カスピ海ヨーグルト、青汁、イチョウの葉、ドクダミ、ウコン、黒酢、豆乳、鮫軟骨、鮫肝油、納豆、ニンニク、黒豆、ビール酵母、マカ、ローヤルゼリー、プロポリス、霊芝、クロレラ、ゴーヤ、ブルーベリーなど。
実は今日子も健康ヲタクであり、色々なものを常時試していたのだ。
「これだけあれば、自分に合う最良の食品が見つかるはずです」
「なるほど、さすがに全部は同時に飲み食いできませんからな。わかりました、ワシも色々と試してみましょう」
こうして今日子により世に出た様々な健康食品は、久秀が実際に試してこの効能を本に纏めた。
これが後世に伝わる有名な健康食品指南書であり、著者である久秀はその方面でもその名を歴史に残す事となる。
健康食品のおかげかは知らないが、彼は百を超えるまで健康で、後の歴史の教科書でも、寿命の長い歴史上の人物として必ず取り上げられるようになるのであった。