第六十六、七五話 焼き肉と真空パック
これは、島津家討伐前のお話です。
「七年にも渡り、朝鮮において大変でしたね」
「それでも、何とか羽柴家の財政は破綻しないで済みました」
信長の死後、朝鮮派遣軍は秀吉の指揮で上手く撤退する事に成功した。
兵員にほとんど犠牲を出さず、ほぼすべての種子島と大筒の撤収にも成功し、秀吉の武名は大きく鳴り響いたが、彼自身は骨折りであったと嘆いている。
九州探題職と筑前筑後の統治で嫡男長吉が大活躍し、羽柴家の未来に希望が持てるようになった。
竹中半兵衛の嫡男重門、黒田官兵衛の嫡男長政、羽柴小一郎の嫡男長秀、加藤清正、福島正則などの若手が、朝鮮と九州を往復しながら武名と統治実績を稼いで長吉の側近衆として名前を挙げた。
朝鮮に兵を出してよかったのは、このくらいだと秀吉は光輝に語る。
「それが羽柴家のためには何よりではないですか。本当は大殿の喪中なのでどうかと思うのですが、四十九日も過ぎましたのでこんな物を用意しました」
光輝は、羽柴家主従や仲がいい者達を呼んで食事会を開いていた。
メニューは、ようやく少数の生産が始まった牛肉を使った焼き肉である。
カルビ、ロース、ハラミ、ホルモン、タン、レバー、ミノなど、豚や鶏の肉も準備して、光輝は本格的な焼き肉パーティーを開催した。
「牛の肉ですか? 食べると牛になると聞きますが……」
「迷信でしょうな。人間が食べた物になってしまうのであれば、米を食べると米になってしまうでしょうし」
「それもそうですな」
光輝の言い分に、招待された利家は納得したような表情を浮かべる。
「それにですね。近江では、黄牛と呼んで滋養強壮に最高の効果があるとか。朝鮮で苦労し、領地の統治でも忙しい我らへの薬だと考えれば……」
「なるほど、薬ですか。これは美味しそうな薬だ」
元々身分が低く美食が趣味の秀吉は、牛肉に忌避感を持たなかった。
「もし大殿が存命なら、我先にと食べたでしょうからな」
信長も食べ物のタブーを気にしなかったと、丹羽長秀も続けて箸を持ち、カルビ肉を焼いてタレをつけたものを口に入れた。
「病気のせいで量が食べられないのが残念ですな。これは美味い」
秀吉、長秀と大物が箸をつけると、他の面々も次々と焼き肉を食べ始めた。
薬だからという光輝の言い分が効果を奏したようだ。
そして一旦口に入れると、その美味しさに次々と食べ始める。
「焼いた肉についている汁がいいですな」
醤油、味噌、塩麹とタレが準備してあり、牛タンはネギ塩とレモンを栽培してまで食べ方に拘っていた。
「美味しすぎる薬ですな」
「こんな薬ならば、いつでも食べたい気分です」
みんなで焼き肉を堪能し、デザートにシャーベットを食べてから、話は急に真面目な方へと向かった。
ここに集まっている者達は、光輝と仲がいい親しい者達ばかりであった。
いわば、津田派とも目されている者達ばかりである。
外様大名も大半は津田派であり、さて信長の死後、いかに上手く立ち回っていくかという議題を抱えていたのだ。
信長は天下統一を果たしたが、日の本の統治体制を纏め切れないうちに亡くなってしまった。
そのリソースを、あまり利益のなかった朝鮮出兵で費やしてしまったからだ。
唯一の利点は、朝鮮の地を分け与えると言って旧国人衆や地侍をかの地に送り込み、大分消耗させた点かもしれない。
結局彼らは、犠牲ばかり出して朝鮮の地を得られなかった。
今は国内に戻っているが、彼らは織田幕府からわずかな禄をもらって生活するのがやっとであった。
信忠は国内の開発に彼らを使うつもりであったが、支配下の大名が持つ過剰な戦力をどう軍縮していくかという課題もある。
いきなりクビだと世間に放り出せば、彼らが治安を乱す存在になってしまう。
だから、いきなりクビにはできないのだ。
朝鮮出兵により、財政が危機的状況にある者も多い。
そんな彼らが津田派を潰してその領地を分け合おうと画策する可能性もあり、とりあえず戦はなくなったが、これからどう立ち回って生き残るかという課題が残ってしまったのだ。
「とにかく、今は領地をしっかりと治めて力を蓄えるしかありません」
「七年……この期間を、領地経営のみに当てられたらと思う次第ですわ」
秀吉の言い分に、多くの諸将が首を縦に振った。
戦費で消えた莫大な資金が領地の開発に使えていたら。
それを考えない者は一人もいないというわけだ。
「それでも、これからは領地の整備に全力を傾けられる」
「それはいい事だな」
丹羽長秀、前田利家などは泥沼であった朝鮮派遣軍への負担がなくなった事を素直に喜んだ。
これで危機的な財政を脱する事ができると。
「我らも、津田殿に負けないように開発をしませんとな」
慰労の焼き肉パーティーが好評の内に終わり、信長の墓参り、信忠への謁見などを終えた諸将は領地へと戻っていく。
その中には、光輝に挨拶をしてから戻ろうとする者も多かった。
「お土産にどうぞ」
「これは?」
「試作品ですよ。肉の味噌漬けですね」
常温でも肉を長期保存する方法として、干し肉、燻製肉、ソーセージなどの他に、味噌漬けの開発を進めていた。
牛肉、豚肉、鶏肉、魚、野菜とすべて研究を行わせている。
だが、やはり常温で保存となると、味噌の塩分を相当強くしないといけない。
それを解決するために、光輝は真空パックにした試作品も準備した。
「透明な布で食べ物を閉じ込めるのですか? 凄い発明ですな!」
秀吉達は、初めてみる真空パックを見て驚きを隠せない。
このような物は初めて見たと、何度も穴が空くほど眺めている。
「ただ、このパックの素材が簡単に生産できません」
真空パックの素材がカナガワ自動工場でしか生産できないので、これも缶詰以上の貴重品というわけだ。
「中身を取り出したら使い道がないので、燃やして捨ててください」
パックの材料は自然素材なので、燃やせば土に還る。
未来の人間である光輝は、この時代にはいないのに環境保護団体に配慮し、環境に負担をかけないようにしていた。
「不思議な素材ですなぁ……」
常温でも食料が腐らない真空パックの評判は瞬く間に広がったが、製造技術は津田家にしかなく、暫くは缶詰以上の高級品として少量のみが世間に普及する事となる。
「ええい! 越前の職人達に命じて、同じ物を作らせるのだ!」
「しかしながら、そう簡単には……」
「とにかくやらせるのだ!」
津田家と親しい諸将は、元々技術力の差を理解していたので無理をしなかった。
ところが、信長の死で朝鮮から領地に帰還した柴田勝家は、津田家にできるのなら柴田家にもできると、職人達に真空パックの再現を命じた。
「瓶詰めと缶詰もいまだに完成していないので、これを優先した方が……」
「時間がかかるのであれば、研究を急がせい!」
ところが、あまりにも両者の技術力が隔絶しているため、柴田家による真空パック開発は上手くいかず、勝家をやきもきさせる事となる。
「そもそも、材料がわからないよな……」
「その前に、缶詰と瓶詰の密封だよ。上手くいかないで試作品を腐らせてばかりじゃないか」
勝家からの無茶な命令に、越前の職人達は大いに苦しめられる事となる。