第六十三.七五話 ジャガイモとサツマイモ
「大殿、サツマイモとジャガイモの生産は順調です」
「それはよかった」
食料の効率的な大生産を行っている津田領において、特に力を入れられていたのはサツマイモの生産であった。
米や他の作物に適さない痩せた土地でも栽培可能であり、カナガワの自動農園にあった品種の大増産が行われている。
特に、常陸、上総、下総、安房などで栽培が盛んであり、収穫されたサツマイモはそのまま食べたり、干芋などの加工品にしたり、デンプンを取ったり、焼酎の材料にしたりと多岐に利用されている。
葉や弦も食料となり、津田領の食料事情を劇的に改善していた。
「ジャガイモの方も生産は順調です。蝦夷でも作付を増やしております」
ジャガイモも、サツマイモと同じく栽培量を増やしている。
こちらも、そのまま食べたり、料理や加工品の材料にしたり、デンプンを取ったり、焼酎の材料にしたりと使い勝手がいい食品として普及しつつあった。
アイヌに種芋の提供と生産指導をおこない、収穫したジャガイモの買い取りも津田家でおこなっている。
次第に食料と金回りがよくなっていく彼らは、津田家を新しい支配者として受け入れつつあった。
「生産計画は順調だな」
「はい、予定よりも大分進捗しております」
「そうか、この調子で頑張ってくれよ」
光輝は、農業関連の政策を担当している家臣から報告を受けると、次の予定である石山城へと向かうのであった。
「石山に来てはみたけど、今回はさほどする事もないけどね……」
石山城にいる時の光輝は、信長の相談役という扱いであった。
だが、普段の信長は京と石山を行ったり来たりしている。
彼が石山にいない時には、光輝は自然と暇になってしまうのだ。
「そこで、ついでに小腹も空いた事ではありますし」
光輝が何かオヤツでも作ろうと材料を探すと、津田屋敷の地下貯蔵庫に置かれたジャガイモを発見する。
「あちゃあ……芽が出てしまっているのがあるな。早めに食べてしまおう」
光輝の命令で調理人がジャガイモの芽を取り、皮を剥いてから薄くスライスし、油で揚げてお手製のポテトチップを作製した。
これに塩を振れば、手作りポテトチップの完成だ。
「あまり食べすぎると今日子に叱られるけど、少しならいいよね」
光輝は、オヤツの時間を堪能した。
ジャンクフードを食べすぎると今日子がいい顔をしないが、やはり美味しい物は美味しいのだ。
「芽が出ているジャガイモの始末だからしょうがない。食べ物を無駄にしてはいけないからな」
というわけで、光輝は翌日以降もオヤツの時間にポテトチップを料理人に作らせる。
自分で作るとジャガイモが薄く切れないので、フライドポテトになってしまうからだ。
揚がったポテトチップはすぐに和紙の上に置かれ、塩が振られる。
余分な油を取るのに和紙を使うというところが、津田家ならではの贅沢なやり方というわけだ。
もっとも、津田家では和紙の量産化にも力を入れており、そのおかげで大分単価は下がっていたのだが。
「今日は、土佐四万十川産のアオノリも塩と一緒に振る。すると、ポテトチップノリシオ味の完成だ。うーーーん、四万十川産高級アオノリが香ばしくて最高!」
今日のポテトチップは、ノリシオ味にした。
最近では、朝鮮出兵で経済的に苦しい土佐長宗我部家との交易量が増えており、四万十川産のアオノリを乾燥させたものも石山と江戸に出回っていた。
「今日も美味しいなぁ……香ばしいアオノリの風味と、この微妙な塩加減が最高だ」
光輝がポテトチップを堪能していると、屋敷に不意の来客が現れた。
「ミツ、いるか?」
来客は、森成利を連れた信長であった。
「大殿、どうかしましたか?」
「いや、特に用事はないがな……」
明との交渉が上手くいかず、石山城や二条城ばかりにいると気が滅入るので、息抜きのために信長は津田屋敷を訪ねたのだと言う。
「美味そうなものを食べておるな」
「どうぞ」
光輝がポテトチップが入った皿を信長に渡すと、彼はそれを美味しそうに食べ始める。
「歯ごたえと塩加減が絶妙だな。この香ばしい風味はノリか。これは何を材料にしているのだ?」
「ジャガイモです」
「なるほど、こういう食べ方があるのか」
信長はポテトチップに感心し、成利も静かにさり気なく手を動かして皿からポテトチップを取って食べていた。
その素早さに、彼もポテトチップを気に入ったのだなと光輝は思った。
「なかなか上手くいかぬわ」
「明には、大国としての意地がありますからね。粘り強く交渉して条件をすり合わせるしかありません」
「であろうな……」
信長が愚痴を溢し、それを光輝が聞く。
勿論世間に流せるような情報ではない。
成利が常に傍にいて、その流出を防いでいるというわけだ。
勿論彼は、これらの内容を絶対に漏らさない。
そのような人物ではない事は信長は百も承知で、だからこそ彼は常に成利を傍に置いていたのだから。
「大殿、口の端にアオノリがついております」
成利が、持っていた懐紙で信長の口をそっと拭った。
「(孝子が見ていたら、想像力をかきたてるシーンなんだろうな)」
などと光輝が下らない事を考えていたら、皿の上に載っていたポテトチップがすべてなくなってしまった。
「(ううっ……俺の分……)」
「ミツ、また来るぞ」
信長は、光輝の分のポテトチップまですべて平らげてから石山城へと戻って行った。
「大殿、全部は酷い……」
食い物の恨みは恐ろしいという事だが、光輝の分までポテトチップを食べてしまった信長も、その日の夜にその報いを受ける事となった。
「大殿、また津田殿のお屋敷で美味しそうなものを食べてきたようですね」
「知らんぞ、お濃は何を根拠にそんな根も葉もない事を言うのだ」
今日はお土産を持って帰っていないので、信長はそんなものは食べていないと嘘をつき、お濃の方からの追及をかわそうとした。
「大殿、歯に青いものがついております。今日子の言うとおりに、大殿もお年なのですから少しは節制いたしませんと」
「ううっ! 歯にまだついていたのか!」
信長の歯にアオノリがついていたために、彼はお濃の方に間食がバレて怒られてしまうのであった。
「芽が出たジャガイモの始末は終わった。次は……この蜜芋が食べ頃だな」
そして翌日、光輝は津田屋敷の地下に貯蔵していたサツマイモの調理を始める。
津田領内に植わっている収穫量重視の品種ではなく、栽培が難しいうえに収量は少ないが、冷暗所で追熟させると糖度が増すサツマイモが、そろそろ食べ頃であったからだ。
「これを石焼きにすると、身はねっとり、蜜が甘くて最高なんだよな」
特別に職人に作らせた石焼き器で焼き芋を作りながら、光輝はいくつかの簡単な書状の整理をおこなっていた。
焼き芋に合うお茶の準備も整い、あとは芋が焼けるのを待つばかりである。
「ミツ、いるか?」
すると、そこに再び信長が姿を見せた。
仮にも天下人なのだから、そんなに気楽に家臣の屋敷を訪ねて大丈夫かと光輝は思ってしまうのだが、信長は気にもしていないらしい。
ずかずかと屋敷に上がり込んでから、甘い匂いを放つ石焼き器を興味深そうに見ていた。
「ミツ、何を作っておるのだ?」
「石焼き芋です」
「それにしては、随分と甘い匂いがするな」
サツマイモは織田領でも普及しつつあったが、品種は原種に近いのであまり甘くない。
光輝が焼いている蜜芋に興味津々な信長であった。
「そろそろ焼けたかな?」
「我も食うぞ」
森成利も加わって男三人で焼き芋というのもどうかと思うが、昨日のポテトチップに続き石焼き芋も信長に好評であった。
成利も、黙々と石焼き芋を食べている。
彼は焼き芋を食べる様子も絵になった。
光輝は、イケメンは何をしてもイケメンなのだという事実を再確認する。
「我が領で生産を開始しているカライモは、ここまで甘くはないな」
「そこは、独自の技術で甘くしてあるのですよ。ただ、栽培には手間暇がかかり、収穫量も少ないのです」
「うーーーむ、高級品なのか……我が領ではカライモの生産が始まったばかりだからな。もう少し経験を積まないと栽培できぬか」
「そうですね」
他にも、この手の高級品種は厳選された種芋と、指定された栽培法、収穫後も決められた条件で追熟させないと甘くならない。
今の織田領では生産が難しいのも確かであった。
「世の中とは、侭ならぬものか」
「人間、時に根気よく待つ姿勢も大切ですよ」
「なるほどな」
信長は、焼いていない蜜芋をお土産に石山へと戻っていく。
ちなみに森蘭丸も、いくつか石焼き芋を食べ、お土産に蜜芋を貰って大満足であった。
ただし、この二人はお土産を持ち帰っても、その分け前を執拗に狙う上位者の存在があって口に入る保障はなかった。
「大殿、美味しそうなものを持っておりますね」
「お濃か、ミツから新しい芋を貰っての」
信長は、早速お濃の方に蜜芋を見つけられてしまう。
「大殿は、今日子から食べすぎを注意されているではないですか。全部はいけませんよ」
信長は、お濃の方に蜜芋の大半を取り上げられてしまう。
「甘いお芋ですね、これは女性にこそ向いているお菓子でしょう」
勿論押収物は、お濃の方以下織田家の女性陣により、わずかな時間ですべて食べられてしまうのであった。
「蘭! 見た事もない芋だが、それは美味いのか?」
もう一人蜜芋をもらった成利は、兄である長可に蜜芋の存在を嗅ぎつけられてしまう。
今日もたまたま成利の家にいて、一人酒を飲んでいたのだ。
「甘くて美味しいお芋です」
まさか長可相手に嘘を言うわけにもいかず、成利は正直に蜜芋の説明をした。
それにしても、たまたまこの日に屋敷にいるとはと、成利は長可の運のよさに驚くばかりであった。
「じゃあ、焼いてくれ。酒のツマミにするから」
「はあ……」
甘い芋が酒の肴に向くとも思えなかったが、酔っぱらって危ない長可の命令である。
成利は上手く芋を焼いて、長可に差し出した。
「甘くて上手いなぁ。これを食うと、普通のカライモには味がないみたいだな。酒にもよく合うし」
「(兄上、酒には合わないと思います……)」
成利は、せっかくもらった蜜芋をすべて兄によって食べられてしまう。
それが悔しかったのか、後に成利は津田領以外で初めて蜜芋の生産に成功し、名産品として領地を潤す事になるのであった。
 




