第六十三話 混沌とする朝鮮情勢と蒲生騒動
天正十八年になり、遂に光輝も五十歳となった。
もっとも彼は、アンチエイジングが進んでいる超未来から来ているので、まだ三十代半ばほどにしか見えない。
それは今日子も同様で、二人は子供達に孫が産まれても、髪を切って出家をし法名をつけたりはしなかった。
「ミツ、なぜ出家をせぬのだ?」
「そこまで信心深くないので」
光輝と今日子の信心のなさには、信長ですらある意味感心している。
だからといって、それを家臣や領民には強制していない。
領内で普通に布教活動をしている寺社は寺禄を与え、領民への読み書きの教育を委託して、報酬で銭を支払っている。
だが、比叡山や一向宗のように、俗世権力と結びついて一揆を起こすような勢力には容赦しなかった。
ある意味、自分よりも苛烈だと信長は思っている。
津田家は、キリスト教にも否定的であった。
その理由として、彼ら南蛮人の新大陸や東南アジア地域での言動を理由としている。
『一向宗と同じですよ。神の後ろに兵力があるのは。それと、彼らの教えでは南蛮人以外は、神が与えたもうた便利な奴隷だそうです』
『しかし、まともに布教活動をしている者も多い』
『そういう者達と、俗ズレした連中の区別が難しい。敬虔な信徒ほど危険ですし』
『危険?』
『扇動する宣教師達が、神が命じているとこちらを攻撃させる事もあるのです。彼らは自分が悪い事をしているという自覚もない。神の命令だからと、どんな残酷な事でも平気でおこなうでしょう。神の教えに従っていれば天国にもいけますしね。ああ、仏の命令に従えば、極楽浄土に行けると信徒達を扇動していた連中もいましたね』
こう光輝に言われて、信長は『ハッ!』となった。
九州探題をしている秀吉から、今でも一部宣教師達が奴隷売買に従事していると報告が入っている。
キリスト教の総本山バチカンでは禁止をしているらしいが、遥か遠方にいる宣教師達も欲の前には無力というわけだ。
そういう連中は捕えて処刑しているのだが、奴隷売買はバチカンでは禁止のはずなのに、なぜかマカオやルソンの総督が文句を言ってきた。
事情を説明しても、彼らは神の敬虔な使いである宣教師を殺すのは許さないと言う。
彼らの考えに賛同する者も、今の日の本には多くいた。
自分達がキリスト教の信徒のため、自分で冷静に判断ができないのだ。
宣教師がそう言っているから織田家の方が悪いと。
更に悪い事に、こういう連中は武士や商人にも多くいた。
織田家は、これからキリスト教とどう付き合っていくのか?
この問題も、織田政権内部を大きく揺さぶっていた。
「蒲生殿は、大丈夫なのですか?」
「……」
光輝の問いに、信長は黙り込んでしまう。
信長がその才能を見抜き、娘を嫁がせた蒲生氏郷は、父賢秀の死後に蒲生家の家督を継いだ。
三男であった氏郷が蒲生家を継げたのは、彼が信長のお気に入りであったからだ。
前田利家と同じであり、氏郷は九州平定で大活躍をして日向を与えられ、今も朝鮮に兵を出している。
現在の氏郷は朝鮮と日向を行ったり来たりしているのだが、最近の彼はキリスト教への傾倒が強いと噂になっていた。
自らもレオンという洗礼名を名乗り、豊後大友家の改易で流れてきたキリスト教徒の元家臣達を雇い、キリスト教徒の領民と宣教師を保護し、日向各地に教会の建設も進めている。
さすがに寺社の破壊まではしていなかったが、かつて大友宗麟が目指したキリスト教国建設の再来だと、日向の国人衆が警戒を始めたのだ。
「氏郷殿に対し、他の兄弟達の反感が凄いそうですね」
彼らは、弟の影響で極度のキリスト教嫌いとなった、蒲生家では扱いが腫物に近い氏信と氏春、猛将として有名で兄氏郷に対抗心を燃やす弟重郷を中心に纏まりつつある。
反氏郷派ともいうべき勢力ができあがりつつあったのだ。
ただの家督争いに宗教対立も加わって、現在の日向は混沌とした状況に陥っていた。
「今のところは、大きな騒動にはなっていませんが……」
氏郷は、信長が認めるだけあって有能なのは間違いない。
朝鮮に兵を出しつつ、日向国内の統治と開発まで行っているのだから。
氏郷のキリスト教への傾倒は本物であったが、同時に彼は現世利益を追求する戦国武将である。
兄弟の反発で父ほど強固でない支配権の確立のため、日向国内にキリスト教徒を呼び自分の与党としているのだから。
勿論南蛮人との交易の面でも有利であり、大きな利益をあげている。
それに、水面下では混沌としていたが、別に両派の激突や内乱が発生したわけでもないのだ。
今の時点では、氏郷はとても上手くやっていると言ってもいい。
「ただし、将来はわかりません。両者が本格的に衝突すれば、今までの利益など一発で吹き飛ぶ可能性があります」
「今、何かが起こっているわけではないからな。手は出せぬよ。ミツの領地ではどうしておるのだ?」
なお、津田家ではこういう問題は発生していない。
津田領では、キリスト教徒がほとんど存在しないからだ。
少数いる信徒達も、大人しく自分だけで信仰している限りは問題としていない。
ただし、布教活動は津田領では禁止であった。
見つけ次第、領外に追放されている。
加えて、新聞や寺子屋の教育で南蛮人の残酷さなども教育されている。
特に白人以外を人間とは思っていないという部分が、領民達をキリスト教から離れさせた。
誰しも、奴隷扱いされて気分がいい人などいないのだから当たり前だ。
適度に距離を置いてつき合い、商売で利益だけ取ればいい。
これが、津田家の南蛮人に対する考え方であった。
「そんなわけで、今更出家してもなと思うのです。ああ、頭を剃るのも嫌ですね、髪が薄くなったら考えるかな?」
「ミツらしいわ」
信長は、光輝の言い分に笑ってしまう。
「第一、大殿も出家していないではないですか」
「朝鮮の問題が片付けば考えるかもな。我も、信心深いとは言えないからな。それよりも、朝鮮だ」
明、朝鮮連合軍との会戦で織田軍は大勝利をしたが、まだ両国は朝鮮奪還を諦めていない。
織田家は占領した朝鮮半島の統治を始めてみたが、これも思ったほど上手くいっておらず、領地を得られると朝鮮入りした旧大名、名家の代官達も一揆勢に追われて逃げたり、最悪殺されたりする者も増えていた。
戦で勝っても、その後の統治が上手くいかない。
交渉も双方の条件に隔たりが大きく、なかなか歩み寄りができない。
信長は、朝鮮の泥沼から抜け出す手を考えられずにいた。
「何とか、朝鮮の南半分でも。住民は北に移して……」
費用と犠牲ばかり増えて、朝鮮が織田政権の負担になりつつある。
信忠はすぐに兵を退くべしと信長に直言して、二人の間に対立が生じつつあった。
信長とて、信忠の言い分は理解している。
だから落とし所を懸命に探っているのだが、信忠に急げとせっ突かれて感情的な対立になりつつあったのだ。
「信忠め、国内の統治が順調だからといって……」
将軍信忠による国内経営は順調であった。
戦がなくなったので開発を促進し、殖産や交易も積極的に行う。
成果は出ているのだが、そのアガリはすべて朝鮮出兵の費用で消えてしまう。
信忠は、兵を出している家と出していない家の懐具合の差が激しいのにも困っていた。
この不安がいつ、織田幕府への不満に昇華するかわからなかったからだ。
「ミツ、押さえた領地の開発は順調か?」
「何とかトントンですね」
「そうか……」
勿論、光輝はかなり報告を誤魔化していた。
本当の事を言うわけにもいかず、こればかりは仕方がないと思っている。
沖縄、台湾、海南島も蝦夷や樺太と同じように統治をおこない、交易のためならば外国船の入港も許可している状態だ。
宗教は、一向宗や天台宗を除いた穏健な宗派に信徒を増やせると誘いをかけ、風魔小太郎が率いる間諜組織と手を組ませた。
僧侶に外国の言葉を習得させ、現地に送り込んで地元民の教化を始めたのだ。
これは、特別な手法でも何でもない。
イスパニアの修道会が、普通に行っている事だ。
各宗派が別々に、言葉が伝わらない外地で教えを説くのは効率が悪いので、外地での布教に関しては教えを簡素化して統一した。
津田家がこれを指揮し、今では多くの僧侶が外地で布教活動を行っている。
現地民向けの教典や仏具なども江戸に招集した職人達に作らせ、他にも寺院建設に必要な建材や装飾品の量産も行っている。
教典の現地語化では、カナガワのデータベースが活用された。
標準的な寺院の規格をいくつか作り、持ち込んだ建材を現地で説明書を見ながら組み立てれば寺院が完成という、プレハブ工法的な寺院建設方法も津田家は開発している。
そのおかげで、寺院、仏具関係の絵師や職人も大忙しであった。
稼ぎが増えた彼らは寺院に寄付をおこない、寺院はその寄付も使って外地向けの僧侶を育てる。
そのおかげで外地にも信徒と寺院が増え、津田家に従った宗派は勢力を広げた。
ただし、織田家と津田家に最期まで逆らった一向宗、天台宗などは、屋台骨をへし折られてマイナー宗派に転落している。
一向宗などは、首脳部の潰滅により国内で内輪揉めを繰り返している状態であった。
ドングリの背比べ状態で内紛が続き、誰がトップなのかわからないので、織田幕府も朝廷も交渉すらできないで困惑している有様だ。
「(ルソンへの工作も順調なようだしな……)」
奴隷販売に関わった修道士の件で、現在織田政権はポルトガルやイスパニアと少し揉めている。
下手をすると戦争になるという噂も立っていて、光輝はそれを見越してフィリピンとマカオに工作を開始していた。
マカオは、小太郎指揮下の諜報員と共に僧侶の派遣を。
ルソン以下のフィリピンも同様であったが、津田家はこの地を奪おうと特に力を入れている。
元々、ルソンを中心とするフィリピン支配は弱い。
イスパニア人のコンキスタドール(征服者)と少数の兵力によって支配されているので、いくらでも工作が可能なのだ。
彼らは支配の手間から、地人首長達を間接支配して修道会に教化を任せているので隙が多い。
フィリピン南方の島から徐々に現地語を覚えさせた工作員と僧侶を派遣して、仏教の方に傾倒させていく。
彼らに様々な産物や技術を伝え、進んだ農業や漁業を教えていく。
一番効き目があるのは、やはりマラリアなどの病気を治す薬であった。
邪魔する修道会の修道士達は諜報員や密かに上陸した津田軍が始末していき、今ではルソンの一部のみがイスパニアの支配領域になっていた。
イスパニア本国が気がついた時には、フィリピンにいた修道会はほぼ全滅。
ルソンの防衛戦力では、交戦するだけ無駄という状態に陥っている。
イスパニア本国にルソンから救援要請が入ったが、宣教師の件で揉めたと思ったらルソンの喉元に剣を突き付けられた状態で、彼らは混乱の極致にあるという。
ルソンやマカオが津田家の手に落ちても、別に交易はそのまま行われる。
イスパニアとポルトガルが臍を曲げても、他に交易する国はいくらでもあるので津田家の懐はまるで痛まなかった。
「南方の海は倭寇が多いのですが、名ばかり倭寇で明の連中ばかりです。これも、積極的に討っております」
一部の密貿易商人のようにまともに商売でもしていてくれればいいが、何かあればすぐに海賊になる連中だ。
押さえた南方との補給、交易ルートを犯す連中なので、津田水軍の船で容赦なく討伐している。
今までに多くの船が撃沈、拿捕され、多数の海賊が討たれた。
日本人奴隷を使っているような船も多く、彼らは救助されて津田領に搬送されている。
海賊に染まりきってこちらに敵対する日本人もいたが、彼らも容赦なく討たれた。
津田家の南方支配は順調であった。
「そうか、ならばいいのだ……」
信長は光輝からの報告に満足するも、すぐに顔を曇らせてしまう。
朝鮮の件と、新たにキリスト教対策と蒲生家の件で、彼の悩みがまた増えてしまったからだ。
「ミツはよくやっている。今日はごくろうであったな」
報告を終えた光輝を、信長は笑顔で送り出す。
だが光輝は、最近その笑顔が弱まってきた事に一抹の不安を覚えてしまうのであった。
「兄上は悩んでいると思うのです」
「上に立つ人間は、いつも悩みに尽きないからな」
「みっちゃんも、その上に立つ人間なんだけどな」
「俺はほら、大殿が上にいるから気分が楽なの」
「旦那様は気宇壮大なのですね」
「違うよ、お市ちゃん。ちょっと抜けているだけ」
「ああ……今日子が酷い事を。今日子と違って、お市の優しさといったら……」
「私も褒めているんだけどな。考えすぎて精神を病む偉い人はいるんだよ。私が聞いた話だと、三好長慶殿とか」
「そうなのですか。私は初めて聞きました。あの天下人が精神を病んでいたなんて……」
「前に久秀殿から亡くなる前の長慶殿の様子を聞いたけど、間違いなく鬱になっていたようね。だから、大殿も気をつけないと」
「今日子さん、兄上の心配をしていただいてありがとうございます」
ここ暫く、光輝、今日子、お市、葉子は石山にある津田屋敷にいる事が多かった。
信長の悩みが増えて、光輝が彼から相談を受ける事が多かったからだ。
彼らはまだ小さい娘夕姫を育てながら、信長に助言をしたり、色々と工作をしたり、日々の生活を堪能している。
「なまじ朝鮮を押さえてしまったのが致命傷か……」
実際に統治を始めてしまったのもよくない
成功とは言い難いが、それでも一度統治を始めてしまったものを捨てるは勿体ないと考える者も多いからだ。
武士は土地に拘る者が多い。
『一所懸命』という言葉どおりに、土地を失う事を極度に恐れる者が多かった。
つまり、朝鮮を捨てたい信長の敵は内部にも存在するのだ。
だから南半分だけでもと、中途半端な交渉をして余計に時間がかかっている。
何が何でも、朝鮮の一部だけでも領有すべきだと。
それができないと、何のために兵を出したのかわからなくなる。
勿論、朝鮮、明国境で大軍を維持し続ける諸将の負担がなければという条件がつくが、そういう意見を言う者に限って経費や損益分岐点の概念には疎かった。
領有さえしておけば、いつか利益になるという考えなのだ。
「そりゃあ、いつかは利益が出るかもしれないさ」
「何百年後だろうね?」
光輝と今日子は、さすがに信長に朝鮮の土地を与えると言われたら断ろうと考えていた。
「あの、旦那様」
「何だい? 葉子」
「これは、実家経由の情報なのですが……」
毛利家の家臣に、安国寺恵瓊という僧籍にある人物がいる。
外交を得意とし、人物鑑定にも長けていると評判の人物だ。
高僧なので教養人でもあり、公家や朝廷にも顔が利く。
安芸一国の大名に転落してしまった毛利家には、なくてはならない人物だ。
ただし、彼は得意な人物鑑定でミスをしている。
『信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候』と、信長は十年もしないで没落すると予言したのに、実際の彼は没落しなかった。
信長も、そんな事を言われたら気分が悪い。
実は恵瓊は、大減封となった毛利家を見捨てて織田家の直臣になろうと目論んだのだが、以前の発言のせいでそれを成せなかった。
信長に嫌われてしまったからだ。
そこで背に腹は変えられぬと毛利家に残り、勿論その領地も大幅に削られている。
これは、残留した毛利家の家臣全員がそうなので仕方がない。
そこで、何とか禄を増やそうと活動を開始したそうだ。
「その坊さん外交官が、何かを企んでいると?」
「企むといいますか、恵瓊殿は朝鮮強硬派なのです」
毛利家も、信長の命令で朝鮮に兵を出している。
大減封のあとの出兵なので、現在の毛利家は財政破たん寸前であった。
「ですから、恵瓊殿は何としてでも朝鮮の地を得て毛利家に加増させようとしているのです」
「話が見えてきたなぁ……」
信長が朝鮮から手を引こうとしているのに、恵瓊がそれを妨害しているというわけだ。
「何も知らない公家達に朝鮮の豊かさを説いて、朝鮮から手を引くなと大殿に圧力をかけているわけか」
「はい。『朝鮮は兵糧豊かで、夏に酒を冷やす蔵まである』と、懇意の公家達に手紙を送っております」
信長が朝鮮から手を引かないようにと、公家達を利用しているわけだ。
報酬は、毛利家の加増がなったら献金でもするのであろう。
「私は旦那様から朝鮮の様子を聞いていますので、それはお知らせしました」
葉子からの情報のおかげで、公家の半数以上が朝鮮から手を引いた方がいいと思っているのは救いであった。
現在の毛利家の財力では、いくら恵瓊が頑張っても仲間を増やすには限度があったというわけだ。
「恵瓊殿の言っている事は、間違ってはいないからな」
毛利家が担当している地域のほんの一部には、酒を冷やす蔵を持つ金持ちが住んでいるのかもしれない。
朝鮮に豊かな町や農地がないわけでもない。
「どんな国でも、地域でも、少しは豊かな土地もあるだろうさ。こういう場合には、全体を見て判断しないと反則なんだが、恵瓊殿は朝鮮の他の土地には行っていないのかもしれない」
「みっちゃん、そんな風には見えないよ。つまり、あれでしょう? 自分の意見を通すために、極一部だけを強調して知らせ、これが全体の事実なんだと相手を騙す」
古来より、いくどとなく使われてきた典型的な手法であった。
プロパガンダ、大本営発表……は言いすぎであろうか?
光輝と今日子は引っかからなかったが、この時代の標準的な情報収集能力を考えると、恵瓊の策に引っかかる者もかなりいるのであろう。
「どうするの? みっちゃん」
「実際に人を送っているうちの情報を信じてくれる人は多い。恵瓊殿とやらがいくら活動しても与党にはなれないさ。正論で押し潰すだけだ。それよりも、少しお腹が減ったな」
「オヤツの時間だね」
難しい話が続いたので、光輝は喉が渇いてお腹も少し減ってしまった。
そこで、みんなでオヤツを食べる事にする。
「今日はバニラアイスだよ」
「美味しそうだな」
光輝達は、オヤツのバニラアイスクリームを美味しそうに食べ始めた。
これは、津田領内で始めた酪農によって生産された牛乳を材料に作られている。
バニラビーンズは、カナガワ艦内から江戸城の敷地内に規模を広げた直営南方農園の産品で、高性能太陽パネルと蓄電池で得られた電力で温室を維持していた。
「あいすくりーむは美味しいですね」
「本当に、贅沢な時間です」
お市と葉子も、アイスクリームに大満足であった。
江戸より遠く石山の地でも、太陽光パネルと蓄電池のおかげでいつでもアイスクリームを楽しめた。
冷蔵、冷凍庫の稼働が可能だからだ。
もっとも、今の技術では生産が難しい。
実は石山に持参している小型冷蔵、冷凍庫は、元はカナガワ艦内にある清輝の部屋から持ち出したものであった。
「そろそろ暑くなってくる季節だものな」
「もうすぐ夏よね」
「大変ですぞ! 津田殿!」
光輝達がアイスクリームを食べながら季節の話をしていると、そこに丹羽長秀が飛び込むように姿を見せた。
彼は、物凄く慌てているようだ。
「長秀殿ですか。冷たいお菓子はいかがですか? 少量なら大丈夫でしょうし。なあ、今日子?」
「ええ、少しだけなら大丈夫よ」
「では遠慮なく……って! 違います! 明智殿が!」
長秀は、朝鮮の地で柴田勝家と交代して兵を出していた明智光秀が病死したと光輝に報告する。
彼は既に六十歳を超える老人であり、朝鮮の風土に耐えられなかったようだ。
「明智殿もですか……」
信長を支えた功臣達が次々と年老いて死んでいく。
一益、光秀が死に、長秀は病気のために隠居した。
他にも、既に隠居していた林秀貞、森可成、稲葉良通、氏家直元、武井夕庵、池田恒興、村井貞勝などが亡くなっている。
彼らには後継者がいたが、その中で信長の目に留まる者は少なかった。
将軍である信忠が重用しているケースも多く、現在信長の元には長秀と光輝くらいしか有力な家臣は詰めていない。
柴田勝家も何かあればすぐに顔を見せるのだが、今回は朝鮮で出た犠牲の補てんに忙しく、越前に滞在したままであった。
光輝からすれば、彼の顔を見ないで済んで清々しているのだが。
「織田家の功臣が次々と亡くなっていきますね」
今日子も診察や健康指導などをしているが、それでもこの時代の人間は早く死んでしまう事が多い。
こればかりはどうにもならなかった。
「後継ぎは、光慶殿でしたよね?」
「はい」
元々明智家は光秀の家臣統制術が優れており、光慶も二十歳を過ぎていた事もあってその遺領を問題なく治められるはず。
だが、父光秀のように光慶が信長の目に叶うかどうかは別であった。
「光秀殿の葬儀に出席しませんと」
「年を取ると、人の葬儀ばかりでいけません」
朝鮮にいる明智軍の指揮は重臣の斎藤利三に任せ、光秀の遺体は明智秀満がわずかな兵と共に長門に運び込んだ。
そして、慌ただしくはあるがそこで葬儀が行われた。
朝鮮に出兵している家の参列者は当主の代理人ばかりであったが、光輝と今日子は直接葬儀に顔を出す。
普段は蝦夷と樺太の統治に忙しい娘婿津田信秀も、妻や子供達と共に義父光秀の葬儀に参加している。
無事に葬儀は終了するが、光輝と一緒に葬儀に参加した信長の表情は暗かった。
またも有力な重臣を亡くしてしまい、朝鮮問題を解決する糸口を失ってしまったからだ。
勝家と光秀が交替していたのは、派遣軍の指揮と朝鮮統治に忙しい秀吉の代わりに、光秀が明との交渉窓口役になっていたからであった。
その彼を失った事で、信長はまた一から講和交渉を行う者の人選を行わなければならない。
だが、光秀以上の人材がそう簡単に見つかるわけもなかった。
「津田殿、これで朝鮮の件は……」
「また長引きますね」
あの傲慢な明と粘り強く交渉を行う。
光秀だからこそできた仕事であり、柴田勝家にでも任せたら使者を斬りかねなかった。
秀吉に任せて彼が過労死でもすれば、今度は朝鮮派遣軍が崩壊してしまう。
村井貞勝も亡くなった今、朝鮮問題を解決する糸口が消えてしまったのだ。
「津田殿、丹羽殿、本日は父光秀のためによくぞお越しくださいました」
光秀の跡を継ぐ明智光慶は、少し線の細い若者であった。
世間の評価では、武よりも政に寄っている人物だそうだ。
光秀はどちらも得意で、織田家中でも屈指の教養人でもあったが、彼ほどの逸材がそう簡単に出るはずもない。
光慶も光秀の留守中、領地である三カ国をちゃんと治めているので無能なはずがないが、やはり父には劣るという評価からは逃げられなかった。
「これから大変ですね」
「派遣軍に関しては、利三に任せるしかありません。今は、領地を固めませんと」
光秀だから従ったのだと、反抗する可能性がある旧毛利系国人衆を押さえなければいけないからだ。
下手に内乱が起これば、それを口実に最悪明智家は改易される可能性もある。
幸いにして軍事では利三という逸材がいるので、今は統治に集中できると光慶は語った。
「何かお手伝いできる事があれば言ってください。交易なども今までどおりに」
「ありがとうございます、津田殿」
葬儀の後、光慶は父光秀の喪に服する時間も惜しんで懸命に領地を治めた。
そのおかげもあり大規模な騒動は発生しなかったが、それからすぐ将軍信忠からとんでもない命令が下された。
「石見を没収ですか? どうしてです?」
信忠から、まだ若年の光慶に三ヶ国統治は難しかろうと、明智家は石見を没収されてしまったのだ。
「石見銀山だな……」
光輝には、信忠の意図がわかった。
信忠は将軍家として織田家の力を増そうと考えており、そのために銀山がある石見を織田家直轄にしたかったのだ。
父信長に近い重臣の領地を削りたかったという意図も混じっているものと思われた。
「上様、我らに何の落ち度があるのです?」
「朝鮮で勝ちきれていないのは事実だ」
急遽朝鮮から帰国して石山へと駆けつけた利三の問いに、信忠は冷徹に答えた。
だが、その件で家臣を責めるのはおかしい。
戦闘ではほとんど負けていないのだし、他の家臣でそれを理由に領地を減らされたり奪われた者などいないのだから。
「若年である光慶に三か国統治は難しい。余の決定に逆らうのか?」
もしここで逆らえば、最悪明智家は改易される可能性もあった。
利三は無念さを心の奥底に仕舞い、今は耐えて信忠の命に従う事にする。
「大殿から信忠様へと政権が移っていく過程だ。難しいな……」
信忠は偉大な父の影響力を薄めようと、信長の覇業を助けた功臣達の影響力を落とそうとしているのかもしれないと長秀は考えていた。
明智家の減封の直後、今度は滝川一時、辰政の改易処分も行っている。
表向きの理由は、やはり統治能力に不備がありであった。
一時、辰政は武に長けた人物で、一忠のように一国を上手く統治できなかったのは事実で、領地を失った彼らは兄一忠の世話になるしかなかった。
『そんな予感がしないでもなかった。功臣の子供は生き残るのが難しいな。大した禄も出せないが、それは我慢してくれ』
『兄上……』
『申し訳ありませぬ』
『もう言うな。仕方のない事だ』
一忠は以前に揉めた件を水に流して弟達を受け入れ、数年ぶりに兄弟の和解が成った。
『それにしても、信忠様は何を考えていらっしゃるのだ? 想像は容易いのだが……』
信忠は、こうやって信長の影響力が大きい功臣やその子息の領地を減らし、その分を子飼いの家臣達に与えている。
斎藤利治と斎藤利堯に滝川一時の旧領但馬を、辰政の旧領因幡を河尻秀隆に、池田恒興の次男輝政、森可成の次男長可にも独立した領地が与えられた。
この他にも、坂井越中守、服部一忠、団忠正、遠山友忠、佐藤堅忠など、信忠の領地がある元美濃、尾張衆が多く加増、移封されている。
この動きを、信長はただ静観するのみであった。
既に太政大臣の職を辞し、従一位の散位のみしか持たない隠居の身だと、口を出さなかったのだ。
信長も、もうそろそろ二元統治体制ではなく信忠に上手く権力を譲渡しないといけないと思っているようだ。
九州探題で、朝鮮征伐軍の実質的な指揮官である秀吉、彼と上杉家の監視も行っている勝家には手を出していないので、二人に関しては目を瞑ったというわけだ。
信忠も、まだ侮れない影響力を持つ信長に遠慮している部分がある。
だが、このまま進めばどうなるかわからない、と光輝は思っていた。
「そろそろ、石山を信忠に譲る時がきたのかもな」
信長は、悲しそうに光輝と長秀の前で呟いた。
自分も六十歳に近づき、そろそろ死を意識する年齢になったのだと。
そう呟きながら悲しそうな目をする信長の姿を、光輝は死ぬまで忘れなかった。
「この地に新しい教会を建てるとしよう」
一人信長が苦悩している時、再び九州で騒動が発生しつつあった。
日向国内において、ある人物がその引き金を引いてしまったのだ。
彼の名は岡左内といい、蒲生家の家臣であった。
主君氏郷と同じくキリスト教徒であった彼は、留守居役として日向国内に教会を建設する仕事についている。
氏郷から資金を預かり、日向国内に一つでも教会を増やそうと日々奮闘しているわけだが、彼には変わった趣味があった。
蓄財をするのが、とにかく好きなのだ。
空いている時間に草鞋を結って売ったり、同僚相手にに金貸しをしたりと、コツコツとお金を貯め、休日になると貯めたお金を部屋にばら撒き、素っ裸になって昼寝をする。
他人には到底理解できない趣味であったし、彼を守銭奴と呼んで非難する同僚も多かった。
だが、彼はただの蓄財屋ではなかった。
氏郷から預かった金と合わせて利殖にも励み、与えられた資金以上の教会を建てて氏郷から絶賛され、加増もされている。
そんな彼が新しく目をつけた教会建設予定地、そこが少し離れた場所にある神社の土地であった事から問題が大きくなってしまう。
「神社に隣接する土地を代わりに与えるか、蒲生家でこの土地を買うから問題あるまい」
「それが岡様、この土地には大昔に悪霊を封じ篭めたという伝承があり、今も定期的に神官様が御払いをしていますので……」
地元の領民が、その土地の事情を左内に説明した。
「悪霊? そんな話は聞いた事がないぞ。それに、教会が建てば悪霊にも効果があろう」
坊主や神官でなくても、宣教師ならば悪霊も恐れて出てくる心配はない。
左内は、神と宣教師の能力を心から信じていた。
信じているからこそ、悪霊などには負けないから大丈夫だと思っているのだ。
一方の地元住民達は、もしこの土地に教会など立てたら悪霊が飛び出してしまうと心配していた。
双方の話し合いが平行線を辿るなか、困った住民達は、その土地を治める蒲生家の家臣に陳情を行う。
その人物はキリスト教嫌いにして、岡左内も嫌いであった。
それでも、左内の方が蒲生家中では身分が上であり、その家臣は同じ反氏郷派のナンバー2である蒲生氏春に相談する。
「左内、地元の者達がその伝承を信じている以上は、無理に教会など建てるのはよくないぞ。他の候補地でもいいではないか?」
反氏郷派ではあるが、別に氏春は暴力主義者でもない。
まずは冷静に、民心を不安定にさせるからと、理論的に説明をして教会建設と止めようとした。
「氏春殿、悪霊は神と宣教師に任せれば大丈夫です。地元の者達が信徒となって教会に来るようになれば、性質の悪い悪霊とて天に召されるでしょう」
左内は心から神の存在を信じ、人から見ると過剰評価していた。
なので、この地に教会があった方がいいと心から思っている。
止めるなど、神のためにも、この地の住民のためにもよくない事だと本気で思っており、氏春の言葉など聞く耳を持っていなかった。
「(交渉にならないな……)」
氏春は困ってしまった。
左内は蒲生家中では有能な人物として通っている。
守銭奴と非難する者も多かったが、氏春は嫌な奴だと思っていたがその能力は認めてはいた。
そんな左内でも、神を優先すると冷静な判断ができない。
キリスト教が嫌いな氏春は、まずますキリスト教に対し警戒感を強めてしまう。
「(氏郷め! お前は、大殿や津田殿と一向宗争いを見て何とも思わなかったのか!)」
氏春は、今は再び朝鮮に向かおうとしている弟氏郷に対し、心の中で呪詛の言葉を吐いた。
「とにかくだ、一度冷静になってだな……」
「この地に教会を建設するのは、神の思し召しでもあるのです。氏春殿はお帰りください」
左内は自分の考えを引っ込めなかった。
氏春も、左内の言い方にカチンときてしまう。
いくら家督を継げなくても、蒲生家一門衆である自分を殿付けで呼ぶという事は、左内は自分を見下しているのだと思ったからだ。
「とにかく、今は教会建設は止めるんだ」
氏春は、測量を開始しようとした左内を止めに入った。
勿論刀など抜いていない。
そんな事をすれば、取り返しのつかない争いになってしまうと氏春は理解していたからだ。
「やめてください!」
自分を止めに入った氏春に対し、左内も刀は抜かずに氏春を素手で押し返そうとする。
双方による揉み合いが続くが、やはり氏郷に気に入られるだけあって腕っ節では左内の方が上であった。
押された氏春は、そのまま地面に倒されてしまう。
「氏春殿、教会建設は神のご意志なのです。氏春殿?」
ところが、地面に倒れた氏春は返事をしなかった。
なぜなら、彼の頭の傍には地面に半分埋まった大きな石があり、それが赤く染まっていたからだ。
「氏春様!」
事態に気がついた氏春の家臣達が主君を抱え起こすが、石が頭に直撃した彼は意識がなかった。
「左内! 氏春様をよくも!」
「今はそれどころではない! 氏春様を医者に!」
氏春の家臣達が慌てて彼を抱えて医者へと向かう。
だが、彼は打ち所が悪く、翌日には息を引き取ってしまった。
偶然とはいえ、氏郷の寵臣が氏郷と対立していた兄を殺してしまったのだ。
この瞬間から、日向国内は大きな混乱に見舞われる事となる。
「一体、何を考えているのだか……」
「仲介は大殿のお仕事ですか?」
「津田家と蒲生家との関係を考えると、無駄骨な気もするな」
岡左内が蒲生氏春を殺してしまった。
この件が切っ掛けとなって、日向では氏郷派と反氏郷派による争いが勃発してしまう。
それでも、最初は反氏郷派も冷静であった。
死んだ……殺されたとも取れるが、事故とも取れる……氏春の兄氏信は、弟の死に対し岡左内の責任は明白なので、彼を処罰しろと氏郷に嘆願した。
これを受け、朝鮮に渡ろうと準備していた氏郷は、岡左内に詳しい事情を聞く。
氏郷は北九州にいたので手紙を使ったやり取りであったが……左内は嘘はつかなかった。
揉み合いになって氏春を倒してしまい、ちょうど倒れた頭の位置に石があったので氏春が死んでしまったのだと、正直に証言している。
事件を目撃していた氏春の家臣達も同様の証言をおこなった。
その時点では共に冷静であったが、それはここまでだ。
「ならば、左内に罪はあるまい」
不幸にも、ここで氏郷がとんでもない裁定を下してしまう。
左内を無罪だと言ってしまったのだ。
「武士が地面に落ちた石に当たって死ぬなど、恥ずかしさから訴えなどしないのが普通だ」
こう言って、跡を継いだ氏春の子の領地を大幅に削ってしまったのだ。
氏郷の言い分に、反氏郷派は激怒した。
氏信には、氏郷の魂胆がわかっていたからだ。
反氏郷派である氏春を武士にあるまじき最期と非難してその所領を奪い、自分の力を増そうとしているのだという事に。
同じキリスト教徒であるもう一方の当事者岡左内は領地の削減すら行われておらず、明らかに不公平な裁定を出している事からもその意図は明白だ。
「左内の奴!」
更に、左内はあの揉めた土地で何食わぬ顔をして教会を建設し始めている。
この行為に、氏春に仲介を頼んだ家臣が激怒した。
自分が仲介を頼んだせいで氏春が死んだのに、左内が好き勝手に神社の土地に教会を建てようとしている。
これでは面目丸潰れだと、手勢を率いて建設現場にいた岡左内に切りかかった。
「死ねい! 左内!」
ところが、憎まれっ子世に憚るである。
優れた武将でもあった左内は、その家臣を逆に斬ってしまう。
他の襲撃に加わった者達も、容赦なく左内の家臣達によって斬られてしまった。
「自分から斬りかかって逆に斬られるとは、蒲生家の家臣失格だ!」
この事件の詳細も氏郷に伝わり、彼は左内に殺された家臣の領地を取り上げた。
勿論、左内の領地は削られていない。
「氏郷! 依怙贔屓も大概にしろ!」
以上の経緯をもって、氏信を中心とする反氏郷派は兵をあげた。
朝鮮派遣軍に参加している者が多く数は少なかったが、家臣の六割が反氏郷派の軍勢に参加して日向国内を混乱に陥れてしまう。
「氏郷に今までの処分の撤回と、左内への処罰を求めるぞ!」
「「「「「おおっーーー!」」」」」
反氏郷派も、氏郷の当主引退までは求めていなかった。
氏郷が信長のお気に入りである以上、そんな事は不可能だと理解していたからだ。
彼らは、左内も公平に処分処罰してほしかっただけなのだ。
「このような騒ぎを起こしおって! 俺に恥をかかせるつもりか!」
反氏郷派の決起に、当然氏郷は激怒した。
そうでなくても、信長のお気に入りだから一国を与えられたのだと氏郷を批判する者達が多いのに、ここで領内が内乱となれば、その非難の正しさを補強してしまう結果となってしまうからだ。
「貞秀と左内に鎮圧させよ!」
氏郷は、軍勢を日向に戻すわけにはいかなかった。
もし朝鮮出兵のローテーションを破り、それを義父信長が咎めないとする。
いや、確実に咎めないだろう。
それは一見いい事のようにも思えるが、諸将の非難からは逃れられない。
信長はよくても、信忠に処罰される可能性もあった。
蒲生家は日向を奪われ、それが信忠の子飼いに回される可能性もあるのだ。
「(ゆえに、現在日向に残っている戦力で氏信達を討つしかない。左内に任せるしかないな)」
氏郷は末弟貞秀を名目上の大将に、左内に反氏郷派の討伐を命じた。
「必ずや、殿の命令どおりに」
氏郷から書状が届くと、左内は集められるだけの兵力を集めて反氏郷派が籠る城や拠点に攻撃を開始する。
彼は、氏郷が引き立てた者、旧大友家家臣でキリスト教徒、反氏郷派の没落で利益を得ようとする者などを引き連れ、次々と反氏郷派の拠点に攻めかかった。
「くっ! 一時退け!」
ここでも左内はその能力を発揮した。
次々と反氏郷派の城や館を落とし、破竹の勢いで反氏郷派を追い詰めたのだ。
これには、氏信も困ってしまう。
「皆の者、反乱者をすべて討ち取れば、我らにも十分な加増がされようぞ!」
左内は、家臣や兵の欲望を上手く利用して討伐作戦を進める。
ところが、ここで左内の勢いを止める者が現れた。
「兄上は討たせぬ!」
ここで、氏郷に対抗心を燃やす弟重郷の軍勢が立ち塞がり、さすがの左内もその勢いを止められてしまったのだ。
「重郷殿、貴殿は殿に逆らうつもりか?」
「うるさい! 我が兄の威を借る狐め!」
さすがの左内も、猛将である重郷を討つ事ができなかった。
激しい一騎打ちの間に重郷の軍勢が反氏郷派の応援に入り、以後戦線は膠着状態となってしまう。
「これは困ったな……」
「このままでは……」
左内、氏信共に、今の状態が悪いとは感じていた。
だが、決着がつかない以上は、双方兵を退くわけにはいかない。
もしそれをすれば、互いに討たれてしまうからだ。
元々日向は、氏郷が限界まで兵を集めて朝鮮に向かおうとしていた。
そんな中で、両派が更に兵を集めてしまったのだ。
農民なども多数参加しており、このままだと秋の収穫が大幅に落ちてしまう。
「左内、しくじったのか……いや、重郷め! 余計な事をしおって!」
そのまま左内が押せば反氏郷派の殲滅に成功したはずなのに、重郷が邪魔をしたからそれも叶わなくなってしまった。
そう感じた氏郷は、重郷への敵意を燃やす。
だが、敵意ばかり燃やしていても何も解決しないのも事実だ。
それ以降、日向の内乱は両派の睨み合いにより、完全な膠着状態に陥ってしまうのであった。
「それで、俺が仲介ねぇ……」
「殿は一応縁戚ではありませんか」
「向こうはそう思っていないよ。俺が嫌いみたいだし」
日向の情勢を気にした信長は、一刻も早い解決をと光輝を日向に派遣した。
氏郷は安心して軍を朝鮮に派遣し、あとは光輝に任せろという信長の配慮なのだが、光輝は信長の判断に首を傾げるばかりであった。
「大殿、どうかしたのかな?」
「何にせよ、命令ですから」
「そうだな」
光輝は、氏郷が自分を嫌っているのを知っていた。
これは、父賢秀が感じていた確執ではない。
氏郷からすれば、光輝が叔母の仇と言われてもピンとこなかったからだ。
それよりも、光輝が自分の領地で宣教師の布教活動を妨害している事に憤っていた。
素晴らしい神の教えを否定し、その布教を禁止するのは酷いと思っていたのだ。
「俺なんて温和なのに。宣教師だって、領外に追放だけで済ませているじゃないか」
「処刑された者もいますが」
「それは、奴隷売買の片棒を担いでいたからだ。正信、罪状は正確に把握しないと」
「氏郷様からすれば、どちらでも一緒なのでは? 大殿が、宣教師を殺したという風にしか受け取れない。日向には多くの宣教師と信徒が集まっています。彼らが津田家の悪口を言えば、氏郷様は信じてしまうでしょう」
同じキリスト教徒同士だからと、正信が冷たい表情を浮かべながら言う。
彼は元一向宗で、偉い坊主達の命令で何も疑わずに一揆に参加して主君に逆らった。
宣教師が津田家が悪だと言えば、キリスト教徒達は何も疑いもせずに津田家は悪だと判断してしまう。
まったく同じだと、正信は言いたかったのだ。
「中には、常識的な判断をする者もいるのでは?」
「かもしれませんが、今の信徒達は、大殿による信徒大名達の改易、羽柴様による奴隷貿易取り締まりの余波で日向に集まっている連中です。そういう連中は結束し、異論を許さない雰囲気になります。私が三河で一向一揆に参加した時、中には『松平家に逆らうのはどうだろう?』という常識的な意見も出ましたよ。ですが、そういう常識的な意見は集団の狂気によって潰されてしまうのです。そのまま意見を通そうとすると最悪裏切り者扱いされますから、ますます過激な論調が幅を利かせます。氏郷様も同じでしょうな。信徒達を己の支配権強化に利用しているように見えて、あの御仁は信徒達の熱狂に呑まれつつあるのです」
実際に一向一揆に参加した正信だからこそ言える意見に、光輝は納得するばかりであった。
「宗教に気触れると、せっかくの才能も台無しか。駄目元だって大殿には言ってあるから、とりあえず仲介に入るか」
光輝は、本多正信とわずかな兵のみを連れて日向に入国した。
念のため海上には津田水軍と軍勢も控えていたが、できればこれは使いたくないと思っている。
「ようこそお越しくださいました」
光輝主従が蒲生氏が本拠を置いている飫肥城に顔を出すと、岡左内が彼らを出迎えた。
だが、歓迎の言葉とは裏腹に、左内も光輝を内心では嫌悪している。
氏郷と同じ理由で、キリスト教に冷たい光輝が大嫌いなのだ。
「それで、津田様。あの不逞の輩共を討ってくださるので?」
左内としても背に腹は代えられなかった。
自分達だけで反氏郷派が討てない以上は、津田軍に任せてしまおうと計算したのだ。
「別に無理に討つ必要もあるまい。氏信殿達が反乱したのは事実だが、皆殺しにするわけにもいかないのだから。こちらで説得し、日向国内を退去、暫くは謹慎という線でいこう」
氏信達の処分は、これを信長に任せる事にする。
現状では、この方法が一番無難だと光輝は思っていた。
「氏信殿達を、無罪放免にするのですか?」
「だから、それは大殿が決める事だ。第一それを言ったら、領内でこのような騒ぎを起こしてしまった氏郷殿も、事故でたまたまと聞くが、氏春殿を死なせてしまった貴殿にも責任があろう。自分達だけ無罪で、相手には厳罰を望む。少し傲慢ではないのか?」
「っ!」
光輝の正論に、左内の頭に血が一気に昇った。
左内はこのまま光輝を斬り殺してやろうかと思ったが、それをしたら大変な事になってしまうと、何とか冷静さを取り戻す。
「では、俺は氏信殿達の説得に向かう」
内心で光輝への殺意を燃やす左内を放置して、光輝達は氏信の説得に向かった。
「大殿、危険です」
老練な正信は、左内の心の内を一発で見抜いた。
これ以上の少人数での行動は危険だと、光輝に忠告する。
「あのキリスト教気触れが。優秀な男なのに残念な事だな」
正信の忠告を受けて、光輝は海上に待機させていた三千人の兵を上陸させた。
そして、両派が睨み合っている間に割って入り、これ以上の戦闘を起こさせないようにする。
氏郷が主力を率いて日向を出ている関係で、津田軍の三千人は両派を圧倒する戦力であった。
これならば再び戦闘も起こるまいと、光輝は安堵する。
「津田様、ようこそお越しくださいました」
兵を挙げてはみたものの、将来への展望がない氏信と反氏郷派は、光輝を心から歓迎した。
「回りくどい言い方は避ける。氏春殿の件は気持ちはわかるが、兵を挙げるのはやりすぎだ」
「津田様の仰るとおりです。何も言い返せません」
氏信は、光輝の批判を素直に受け入れた。
「ですが、津田様! 左内の増長ぶりは、目に余るものがあります!」
唯一声を荒らげて光輝に抗弁したのは、氏信と氏郷の弟重郷であった。
「それはそうだろう。左内は優秀で、氏郷殿と同じ信徒だからな。ついでに言うならば、氏郷殿はそれを利用して蒲生家の独裁権を得たいわけだ。そのために邪魔な貴殿らを追い詰めるのに躊躇しないであろうな」
光輝の一切繕わない本音に、気が強い重郷ですら絶句してしまった。
「いくら貴殿らが吠えても、貴殿らの考えが考慮される可能性は無きに等しい。このまま中途半端に講和すると、左内に徐々に切り崩されていくな」
「そんな……」
反氏郷派で一番強気であった重郷ですら、光輝の発言で涙目になってしまった。
「適当に理由をつけて、改易で済めば御の字だな。毒殺や暗殺に注意する事だな」
光輝の忠告を聞いた反氏郷派の面々は、次第に顔色が青ざめていく。
確かに、あの左内なら平気でやりかねないと思ったからだ。
左内の悪行を氏郷に報告したところで、彼はお気に入りの左内を庇うはずだと。
反氏郷派は、自分達がかなり危うい立場に置かれている事に気がついた。
「証拠を見せてやろう。おい」
光輝が呼ぶと、一人の家臣がそっと彼に耳打ちをした。
「……やっぱりな。ご苦労、引き続き情報を集めてくれ」
「あの……津田様?」
「氏信殿と重郷殿も来るか? 交渉が進んでいるから中間報告という名目で、貞秀殿と左内との顔合わせがあるんだが」
「行きます」
「是非行かせてください」
氏信と重郷は了承し、光輝は二人を連れて両派の軍勢が睨み合う中心部で話し合いと会食をする事にした。
これらの準備は、すべて左内が行うというので彼に任せている。
反氏郷側からは氏信と重郷のみが、他は光輝と正信、他数名の護衛だけであった。
「正信、飲んでおけよ」
「そうですな。岡左内、もう少し利口だと思ったのですが……」
「だからさ、神の思し召しなんだろう」
「津田様、どういう事でしょうか?」
何の話なのかわからない氏信が、光輝に質問をする。
「簡単な事さ。左内が俺達に遅効性の毒入り飯を食わせてくれるってさ」
「左内め!」
光輝から真相を聞いた重郷は、左内に対し怒りの声をあげた。
「宣教師からいい毒を入手したようだな。毒まで輸入品とは、キリシタンは舶来物が大好きなようだ」
「津田様達は、その食事を召しあがるので?」
「ああ、そうだ。せっかくご馳走してくれると言うからな。毒が食事の味を阻害するものでないといいけど」
「毒を食べるのですか?」
勇猛である重郷ですら、光輝の大胆さには驚くばかりであった。
「別に大した事でもないさ。毒を無効にする薬を飲んだからな」
光輝が毒殺されそうになった事など珍しくもない。
ただ、進んだ解毒剤を多数持っているので、何を食べても死なないだけであった。
「氏信殿と、重郷殿も飲むか? この解毒剤を予め飲んでおけば効果があるぞ」
「はい」
「いただきます」
食事を口にする予定の四人は解毒剤を飲み、貞秀と左内との面会を行った。
「氏郷様より、領外へ退去すればこれ以上の責は負わせぬとの仰せです」
左内は、氏郷から光輝が最初に提案した案でいいと手紙をもらっていた。
光輝も小まめに信長に対し報告を送っており、彼も反氏郷派の日向出国と津田家預かりが一番効率がいいと賛同している。
氏郷としてはここで一気に反氏郷派を粛清したいのだが、朝鮮への渡航も控えており、信長の意向でもある。
信長から引き立てられた氏郷は、彼の意向に逆らえなかったのだ。
「細かい交渉はもう少し時間がかかるにしても、ほぼ決まりですな。これを祝って食事といたしましょう」
左内が準備した御膳が出てきて、これをみんなで食べる事にした。
なかなかのご馳走であり、味もいいので光輝達はすべてを平らげる。
「ご馳走様でした、左内殿」
「いいえ、大した物もお出しできずに」
食事が終わると光輝達は自陣へと戻って行く。
「……」
左内から毒を食わされると言われ、解毒剤は飲んだが自分の体が心配な重郷が光輝を見るも、彼は氏信にのん気に話しかけていた。
「左内は、料理の手配もなかなかですな」
「氏郷が重用するだけの理由はあるのですよ……」
有能なのに違いはないのだと、氏信が光輝に説明をする。
「ですが、暴走がすぎたようですな」
陣地に戻った光輝は、家臣にある物を準備させた。
それは銀製のボールであり、光輝が正信に声をかけると、今まで黙っていた彼が口の中に入れていたものを吐き出す。
「しかし、大殿。毒が入っているのが汁だとよくわかりましたな」
「潮汁なのに、微妙に味がおかしかったからな」
光輝の数少ない特技の一つに、味に敏感というものがあった。
彼は毒が入っている料理が汁だと即座に見抜き、正信に口の中に入れて持ち帰るように密かに指示を出していたのだ。
正信が口から吐き出した汁が銀のボールに触れると、すぐに黒く変色し始める。
「当たりだな」
「そうですね」
「津田様?」
「南蛮の貴族や騎士は、毒殺を怖れて銀製の食器を使う事が多いそうだ。このように黒く変色して毒を知らせてくれるからな」
「左内め!」
比較的温和な氏信であったが、さすがに毒殺されそうになったと知って大人しいままのはずがない。
左内への怒りを露わにした。
「津田様、大丈夫なのですか?」
「事前に解毒剤を飲んだから大丈夫。念のために、もう一錠ずつ飲んでおくか」
この解毒剤は、カナガワでしか製造できないかなり特殊なものであった。
事前に飲んでおくと胃に残留し、人間の害になる毒を包み込んで体外に排出してしまうのだ。
「さてと、あとは毒の分析だな」
光輝の命令を受けた家臣の一人が、銀のボールを変色させた毒の解析を開始する。
毒の検査キットも、今日子監修で清輝が製造したものであった。
「日の本にはない毒ですね」
「だろうな、どうせ南蛮の宣教師からでも手に入れたんだろう。信徒である左内なら容易く手に入る」
「大殿」
「可哀想だが、試すしかないな」
毒を検査した家臣はその辺から野良犬を捕えてきて、その犬に毒を飲ませてみた。
毒を飲んでから約二時間後、犬は血を吐いてから死んだ。
「一応、遅効性の毒なんだな」
「食事の最中に血を吐いて死ねば、さすがに左内が疑われますからな」
「せめて、翌日に死ぬ毒とかにしておけばいいのに……」
どちらにしても、左内が光輝達も含めて毒殺を試みた事実が白日の元に晒された。
間違いなく左内の独断だと思われるが、左内を優遇して好き勝手させている氏郷に罪がないはずもない。
光輝は、毒のサンプルも添えて信長に最新の情報を送った。
「もう一つ……おい」
「ははっ!」
再び諜報を担当する家臣が姿を見せ、光輝は彼に何かを耳打ちする。
それを聞き終わると、彼は静かに外へと出かけて行った。
「さあ、防戦体制を整えないとな」
「津田様、それはなぜでしょうか?」
「毒を盛った俺達が死んでいなければ、左内は自分の失敗を悟る。これを糊塗するためには奇襲を仕掛けて我らを殺さないと、左内の明日はないからです」
光輝の代わりに、正信が氏信と重郷に説明をする。
氏信と重郷のみならまだ誤魔化しようもあったが、左内は光輝にも毒を盛った。
これが露見した以上は、左内に罪なしというわけにはいかないのが常識であった。
「どのみち、大殿に知られては明日がないのでは?」
「ここでもう一方の当事者を全員始末しておけば、誤魔化しが効くと思っているのでは? 死人に口なしと言うからな。左内は氏郷殿のお気に入りだから、氏郷殿も自分の監督不行き届きを誤魔化したいでしょう。俺達が全員死ねば、左内の言い分を採用するかもしれない」
そして、氏郷は信長のお気に入りである。
もしかするとという望みをかけ、左内が合戦により反氏郷派と光輝の抹殺を謀るというわけだ。
「左内の奴、ざまあみろだ」
重郷は、毒殺が失敗して追い詰めたれた左内をバカにした。
今までの留飲が下がったのであろう。
「そんな無謀な事はしないで、何食わぬ顔をするという可能性もあるが、準備はしておこうと思う」
それから三日間は何もなかった。
反氏郷派の日向退去を巡って、双方による話し合いが行われていたからだ。
「左内殿、いかがなされた?」
「いえ……」
毒を食べたのに何ともない光輝達を見て、左内は明らかに動揺していた。
そして、自分が毒を盛った事実を光輝達が知っているのか、気になって仕方がないようだ。
「今は暑いので、食べ物の鮮度には注意した方がいいぞ。俺もどうも、一昨日辺りはお腹の具合が悪くてな。急な日向入りだったので、持参した食料が悪かったのかな?」
光輝がわざとらしくお腹を摩ると、左内の顔色が見てわかるほど青くなった。
「これはやるな。警備隊には夜襲を警戒させろ」
光輝の予感は悪い方に当たり、左内が毒を盛ってから三日後の夜、突如蒲生軍は津田軍の本陣に夜襲をかけてきた。
その数は二千人にまで増えており、左内は交渉の間にキリシタンで戦闘可能な者を加えて数を増やしていたようだ。
「津田光輝を討てば、恩賞は思いのままだぞ!」
精神的に追い詰められた左内が先頭になって津田軍の陣地に躍り込むが、そこには人っ子一人いなかった。
夜なので灯りは炊かれていたが、人は誰もいなかったのだ。
「謀られた!」
左内は自分の夜襲が失敗に終ったと悟ると、まるで条件反射のように馬を翻して一人勢いよく逃げ去ってしまった。
機を見るに敏な左内は、ここで何もかも捨てて逃げ出さないと、あとは死のみだと瞬時に理解したのだ。
「左内殿?」
いきなり左内に逃げられてしまった蒲生軍の面々は、何が起こったのかわからないと言った感じでその場に停止してしまう。
だが、それは彼らの寿命を縮める行為であった。
四方八方の暗闇から津田軍による斉射が行われ、次々と撃ち殺されてしまったからだ。
「夜襲を行った蒲生軍を許すな!」
津田軍のみならず反氏郷派の軍勢も加わり、蒲生軍は包囲殲滅の危機に陥った。
夜戦を指揮していた左内が素早く逃げ去ってしまい、指揮官が不在になったのも大きい。
「こら! 戦わぬか!」
何もわからない状態で夜襲に参加した、お飾りの総大将貞秀が叫びながら命令を出すが、彼の言う事など聞く者は誰もいなかった。
留守役の蒲生軍が実は岡左内軍であった事実など、知らない者は誰もいなかったのだから。
「ええいっ! バカ者めが!」
貞秀の周囲にまで着弾が迫ってきた時、突如一人の騎馬武者が貞秀を思いっきり殴りつけた。
その一撃で貞秀は気絶してしまい、その騎馬武者は彼を馬に載せてから一時撤退する。
「いくら氏郷べったりでも、実の弟を討つのは気分が悪いですからな」
騎馬武者は重郷であった。
彼は貞秀を生け捕ってくると、今度は容赦しないと蒲生軍に襲いかかった。
他の反氏郷派も奮闘し、蒲生軍は次々と数を討たれ数を減らしていく。
「しかし、殲滅してもいいのでしょうか?」
「なあに、大殿の命令ですから」
信長は、やはり目をかけた氏郷を処分するのを躊躇った。
彼は身内認定した者に対し、とことん甘かったのだ。
その代わりに、岡左内とキリシタンには容赦しなかった。
氏郷を惑わす連中だと激怒し、光輝にその処罰を命令したのだ。
「左内はキリシタンの援軍も加えているようですし、これを減らさないと駄目でしょう」
二度と日向にキリスト教国の建設など試みないように、光輝は徹底的に彼らを殲滅する予定であった。
勿論これは独断ではなく、信長の意向に従っての作戦である。
「キリシタンではない、氏郷に忠実な連中もいますが……」
「残念ながら、それを丁寧に分ける手段がありません」
できればとっとと逃げ出してほしいところだが、完全な包囲殲滅戦になっており、今は夜であった。
左内のように器用に逃げ出せた者は少なく、彼らは次々と討たれていく。
反氏郷派の将兵も、今までの恨みもあって大活躍をした。
だが、彼らが頑張れば頑張るほど、実は氏郷は統治の人手と日向の人口と国力を減らしてしまう。
可哀想だとは思うが、それを考慮してやる義理が光輝にはなかった。
「徹底的にやれ!」
氏郷派留守部隊と反氏郷派による内乱は、光輝と津田軍による介入で凄惨な戦となってしまった。
キリシタンも加えた蒲生軍二千人のうち半数以上が討ち死にし、日向の統治体制は完全に麻痺してしまう。
仕方なく、氏信、重郷、貞秀と津田軍によって、暫く日向の治安維持が行われる事になった。
「左内の奴、上手く逃げたな」
「感心するほどの逃げっぷりでしたからな」
最初に逃亡してしまった左内は、自分の屋敷に戻る事もなくいずこかへと逃げ去ってしまった。
探索と追跡も行われたが、現地に詳しい津田家の間諜を出し抜く逃走を左内はやってのけてしまい、彼の捕縛に失敗してしまった。
「まあいい。またそのうちに何か企むかもしれないから、その時に討ってやる」
光輝は信長に報告をあげつつ、正信と共に日向の治安維持に努めるのであった。
「左内が逃走? 多くの家臣達が討ち死に?」
一方、日向情勢の結果が出てから渡航するようにと信長から命令を受けた氏郷は、光輝からの手紙を読んでも最初はその意味がわからなかった。
普段は沈着冷静な氏郷をして、なぜそんな事になってしまったのかと、衝撃が大きすぎて冷静に判断できなかったのだ。
「帰国命令……」
そして、いつまでも光輝と津田軍に領地を任せておけないと、氏郷は慌てて軍を連れて引き返した。
「というような事情です。左内がなぜか過激なキリシタンを率いて攻撃してきたので撃退し、大殿の命令で不穏な輩を退治しておきました」
「……かたじけない……」
氏郷は、目の前の光輝を斬り殺してやろう思うほど煮えたぎっていたが、まさかそれをするわけにはいかない。
表面上は光輝に対して丁寧にお礼を言い、それ以降は混乱し、荒れ果てた日向の統治にまい進する事になった。
「兄上、重郷、お前達は日向を出ていくのか?」
「これも大殿からの命令ですので」
「兄上、我らは処罰される身なのですよ」
加えて、背に腹は変えられぬと反氏郷派の国人や家臣達に応援を要請しようとするが、彼らは事前の交渉で津田家預かりとなってしまった。
他にも、氏郷のキリスト教重視の姿勢を嫌う多くの人々が関東に移住してしまう。
「こんなバカな事が……津田光輝め!」
家臣と人口が減り、氏郷は以後の日向統治で苦労する羽目になった。
状況を理解した信長の温情で以後の朝鮮出兵は免除されたが、そのせいで氏郷の織田家中での評判も地に落ちてしまう。
『大殿の娘婿だから、氏郷だけ出兵を免除された』、『同じ準一門でも、大殿の期待に応えている津田様とは大違いだ』、『しかも、その津田様に尻拭いまでさせて』。
散々に裏で非難されるようになってしまい、氏郷も光輝に対し敵意を燃やすようになってしまう。
それ以降、両者の和解は永遠にならなかった。