第2話:『妖石と放課後の取引』
第2話:『妖石と放課後の取引』
キーンコーンカーンコーン――。
放課後を告げるチャイムが鳴り響いた瞬間、俺は大きく伸びをして、凝り固まった身体をほぐした。
――本当に、長い一日だった。
昨夜、肘から先が吹き飛んだ右腕。
今朝、薄暗い資料準備室で、小金井さんから突きつけられたスマホの画面と、胸元に押し当てられた手のひらの感触。
そんな怒涛の出来事のせいで、今日の授業の内容なんてこれっぽっちも頭に入ってこなかった。
周りのクラスメイトたちが部活や買い食いの計画に胸を躍らせて教室を出ていく中、俺はあえてゆっくりと鞄にノートを詰める。
前の席の小金井さんは、すでに席を立っていた。
友達と談笑することもなく、短い黒髪を揺らして一人で教室を出ていく。
すれ違いざま、目が合うことすらなかった。まさに学校中の憧れの的である『孤高の令嬢』そのものの後ろ姿だ。
(……まぁ、学校じゃ他人のフリ、だしな)
朝の薄暗い準備室で、自分の胸に俺の右手を押し当ててスマホで脅してきた狂気的な執念は、影も形もない。
俺は苦笑しながら鞄を肩にかけ、彼女の後を追うように少し時間を空けて教室を後にした。
*
「遅い。手駒のくせに主を待たせるなんて、いい度胸じゃない」
学校の敷地を出て、最初の曲がり角を曲がった途端。
電柱の陰から不意に現れた小金井さんが、じとっとした猫のような瞳で俺を睨みつけてきた。
学校でのクールな仮面はどこへやら、夜の距離感に戻った彼女は、ぷいっと不機嫌そうに顔を背ける。
「悪かったよ。ほら、周囲の目を欺くためだろ?」
「それはそうだけど……。はい、これ」
小金井さんが制服のポケットから取り出したのは、小さな布袋だった。
手渡されたそれを受け取ると、ずっしりとした重みと共に、手のひらから微かに『嫌な空気』が伝わってくる。
袋の紐を緩めて中を覗くと、昨夜俺が倒した泥の龍――あの元・川の神の遺骸から剥ぎ取られた、禍々しくも美しい結晶が鈍い光を放っていた。
「これが……妖石」
「ええ。妖怪の感情の残滓や自然の力が結晶化したもの。これを持って、今から換金窓口に行くわよ。……一応言っておくけど、私たちは正義の味方じゃないわ。命を懸けて怪異を祓うのは、こうやって『妖石』を金に換えて食っていくため。泥臭い現実よ」
小金井さんはそう言って前を歩き出す。
住宅街の狭い路地を抜け、辿り着いたのは、お世辞にも繁盛しているとは言えない古びた平屋だった。
色褪せた赤に白抜きの文字で『たばこ・駄菓子』と書かれた看板。
軒先には10円で遊べる年季の入ったゲーム筐体が置かれ、店内にはカラフルなゼリーやスナック菓子が雑然と並んでいる。
どこにでもある、昭和に取り残されたような田舎の駄菓子屋だ。
「ここが、管理局の息がかかった換金窓口?」
「そう。一般人にはただの駄菓子屋にしか見えないけどね」
小金井さんが引き戸をガラガラと開けて中に入ると、奥の座敷から、低めのハスキーな声が響いた。
「おぅ、紗夜じゃん。今日は早いねぇ。……って、そっちの冴えない坊主が、例の『右腕を飛ばす転校生』かい?」
奥から面倒くさそうに暖簾をくぐって現れた女性を見て、俺は思わず息を呑んだ。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。
着崩した着物の胸元から白い肌が大胆に覗いており、切れ長の妖艶な瞳には、どこか人間離れした鋭さがある。
信じられないほどの美人だったが、口には串に刺さったイカの駄菓子を咥えており、あぐらをかいて座る動作はいかにもがさつで、男勝りだった。
「初めまして、斑目亜樹くんだね。アタシはあずき。管理局の犬をやりながら、この店で子供相手に小銭を稼いでる『猫又』さ」
猫又――人の姿に化けた本物の妖怪。
彼女が細い目をさらに細めて不敵に笑った瞬間、一瞬だけ、彼女の背後に揺らめく大きな灰色の『尻尾』の幻影が見えた気がした。
「ほら、あずきちゃん、喋ってないで早く査定して。昨日の荒神の分」
小金井さんが手慣れた様子で、俺の手から布袋を奪い取ってカウンターに置く。
あずきさんは咥えていた串を放り出すと、細い指先で妖石を摘み上げ、光に透かしてじっくりと眺めた。
「へぇ……。川の神の成れの果てか。ヘドロまみれで穢れちゃいるが、中身は上等な自然の力の塊だ。よくまぁ、紗夜の実力でこれを倒せたねぇ?」
「……私がやったんじゃないわ。そこの、私の『手駒』がやったのよ」
小金井さんは少し悔しそうに、でも誇らしげに俺の背中をバシッと叩いた。
あずきさんの鋭い視線が、俺の右腕へと注がれる。
「ふぅん……なるほど。本家がひた隠しにする『化け物の器』の実物ってわけかい。肘から先が吹き飛んで一秒で再生するってのは、本当らしいね。……いいよ、特上レートで買い取ってあげる」
あずきさんはカウンターの奥から、分厚い茶封筒を取り出して、どさりと置いた。
小金井さんがそれを開き、中身を確認する。
俺の目から見ても、高校生が数ヶ月は遊んで暮らせるほどの、生々しい大金の束がそこにはあった。
「はい、これ。あなたの物よ」
小金井さんは躊躇なく封筒を俺の胸元に無造作に突きつけてきた。
「え……こんなに貰っていいのか?」
封筒を丸ごと渡される
「当然でしょう。昨日の怪異を倒したのはあなたの力よ。私は利用すると言ったけれど、搾取するとは言っていないわ。……私は、自分の目的のためにあなたを使い潰す。そのための、正当な対価よ」
小金井さんはぶっきらぼうにそう言ったが、そのキレイな瞳は真っ直ぐに俺を見ていた。
俺は受け取った札束の重みを感じながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを自覚していた。
本家にいた頃を思い出す。
そこでは、毎日毎日死ぬ気で体術を学ばされ、妖怪との過酷な戦いに駆り出されても、自分はただの「化け物の器」として痛めつけられ、いじられ、1円の価値も与えられなかった。
実戦訓練で見捨てられ、おとりにされたあの日だって、俺はただの使い捨ての道具だった。
だけど、ここでは違った。
自分の引き裂かれるような痛みの代償が、明確な『価値』として返ってくる。
そして、俺の力を利用して脅してきたはずのこの少女は、本家の連中のように俺から都合よく搾取するのではなく、一人の狩人として、対等な相棒として、真っ当に対価を分けてくれた。
「……ありがと、小金井さん」
「な、何よ。変に改まらないで。……ほら、あずきちゃん、早く100円のブタメン作って。お腹空いたわ」
「はいはい、毎度あり。可愛い手駒ができて良かったねぇ、紗夜」
がさつに笑う美しい化猫と、顔を少し赤くしてそっぽを向く美少女。
駄菓子と埃の匂いが満ちるこの小さな空間で、俺は本家では絶対に得られなかった『自分の価値』を、少しだけ実感していた。




