スラムの聖女
奴隷島東地区の比較的ましな宿屋に拠点としての一室を借りた二人は店主に乞うて、風呂がわりのたらいを借りた。
それを井戸の横に置くと少年を起こす。
「ん? 痛くない? あれ? オレの指……ついてる??」
目を覚ました少年は手をなんども開閉しながら信じられないといった風情で呟いた。
「これに懲りたら、もう二度とやるなよ」
釘を刺したヴィルヘルムからプイと顔を背ける少年の頭の上に水桶の水が降り注ぐ。
「うわっ! つめてっ! なにすん……ぶへっ!」
サミュエルが井戸に桶を落としてつるべを引き上げ、さらに水をかけたのだ。
「あんまりにも坊主がしょんべん臭くてな。名前は?」
唇を尖らせた少年はそれでもサミュエルの眼光の鋭さに臆して名を名乗った。
「……ギャビー」
「ギャビーがあんまりにもしょんべん臭くてな」
「言い直す必要あんのかよ! おっさん!」
「おっさんじゃない。俺はサム、こっちはヴィルだ。まずは体を洗え。ほら石鹸だ」
「これ、なに?」
サミュエルは汚れた服を脱いで、石鹸を泡立てて使い方を少年に実演してみせる。
「こうやって泡立てて使うんだ。汚れがよく落ちる」
「うわっ、なんか水が黒い!」
「そうとう溜め込んどるな。背中まで手が届かんだろ。洗ってやる。ヴィル、水」
「はいはい」
ヴィルヘルムは井戸から水を汲んでサミュエルに手渡した。
少年の汚れが落ちていくにつれ、日に焼けた肌の上に魚の鱗のような瘡蓋がいくつもあるのが目についた。
「これは魚人痘か?」
サミュエルも気にとめたらしい。ギャビーに瘡蓋について尋ねた。
魚人痘は死亡率はそこまで高くない痘瘡の一種だが、栄養が足りていない人間が罹った場合は死亡率が跳ね上がる。
また治療薬はあるものの飲むのが遅れた場合、全身に魚の鱗のような痘痕が出来て、見た目が損なわれる疾病だ。
「……流行ってるんだ。俺は軽く済んだけど、近所の奴らは結構重くて、死んだ奴もいる」
「流行地には無償で治療薬が配布されるはずだが?」
「おっさん、やっぱ、財布をすられて当然のボンクラだな!」
口元をへの字に曲げて吐き捨てたギャビーの頭の上にサミュエルが笑いながら拳骨を落とした。
「全然こりとらんな! こいつがお人好しだから助かったんだ、ボンクラだったことに感謝しろ」
「おっさんだってボンクラって言ってんじゃん! それに、あんな怖い思いさせといて!」
「あのな。俺は憲兵に突き出すつもりだったぞ。こいつの財布には金貨が入っとった」
本当にその気だったら宿屋に連れてくることはないから、ヴィルヘルムにはサミュエルの嘘だとわかるが、少年にそれがわかるはずもない。
金貨の入った財布と聞いたギャビーの顔が引きつり、目に見えて青ざめた。
金貨の窃盗は重罪で鉱山での懲役が待っている。子供が送られれば生き残ることは難しいと誰にでも分かる。
「……ごめん、なさい」
こちらに向かって殊勝に頭を下げた少年に、サミュエルは彼の着ていた服と自分が着ていたシャツを投げ渡した。
「反省したなら、このションベン臭い服を洗え」
漏らしたこと何度も当てこするなよ、とぶつぶつ言いながらも素直に洗濯を始めた少年にヴィルヘルムはもう一度治療薬の件を問うた。
「治療薬はヘンリーが全部持ってるんだ。買うには金がいる」
少年の痩せた腕がさきほどまで着ていたこの土地に合わない厚手の大人物のズボンをぐいと引き伸ばしながら揉んだ。
「無茶なのは分かってた。でも、銀貨三枚、どうしても必要だったから、持ってそうなよそ者のおじさんの懐を狙ったんだ」
鼻をすすったギャビーにヴィルヘルムは尋ねる。
「お前の親兄弟が病に伏しているのか?」
「オレは天涯孤独だよ。でもスラムに迷い込んだ聖女様がオレ達のことを看病してくれて……そうしたら聖女様まで魚人痘にかかっちゃったんだ……」
だから治った皆で協力して聖女様の分だけでも治療薬代を集めてるけど全然足りないと唇を噛み締める少年を傍に、ヴィルヘルムとサミュエルは顔を見合わせた。
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