第1話「過労死後の出勤」
昨夜、俺は過労死した。
そんな俺の名前は連実煉夜。32歳。
都内の企業"ネクロス・テック・ワークス株式会社"という名のIT企業のIoT部門で、チームリーダーという名の便利屋をやらされている。
時刻は21時を回ったところだ。
4月の夜は、まだ肌寒い。
帰路を急ぐ人々の波を逆らうように進み、俺は不夜城のように光を放つビルへと吸い込まれていく。
「……おはようございまーす」
ひび割れた声で挨拶し、オフィスに入る。
24時間前に死に、数時間前に再生槽から引き揚げられたばかりの肉体。
関節はきしみ、食欲は皆無だ。それでも魂がこの器にしがみついている。それだけが冷徹な事実だった。
昼夜の概念が死に絶えたフロアには、今日も眩暈がするほどのLEDが降り注いでいる。
「あ、リーダーおはっス!まさか昨日死んだばっかなのに、もう出てくるとは思わなかったっスよ」
アッシュグレーの長い髪を揺らし、彼女はニイッと笑った。本来は整った顔立ちだが、絶望的な労働時間のせいで淀んでいる。
目の下にべったり張り付いた黒いクマが、何日もまともに寝ていないことを物語っていた。
「……おはよう。お前もそのひどいクマ、どうにかしろよ。いつ倒れてもおかしくないぞ」
俺がそう呆れ気味に返すと、田中はカツカツと爪でアルミ缶を鳴らしながら、悪びれもせずに肩をすくめた。
「いやいや、連実さんに比べたらマシっスよ。ほら」
とぼけたような田中の目の前に、青白いウィンドウがふいにポップアップした。
【田中 亜美:Lv.1】
【HP:64 / 112】
【MP:60 / 60】
【スタミナ:39 / 100】
【属性適性:水】
【スキル:なし】
それは、個人の状態を可視化する情報パネル――“ステータス”。
幼い頃から誰もが扱える、自身の情報を可視化するシステムだ。
レベル、身体能力、属性適性、スキル——残酷なまでに明確な"個人の価値"の指標だ。
だが問題はそこではない。パネルに表示されたHPとスタミナの数値が、数分ごとにじわじわと"1"ずつ減ったり増えたりを繰り返している。
「おいおい、HPがリアルタイムで削れてるぞ。大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ!でも仕事終わんないし。大体、連実さんに言われても説得力ゼロっスよ」
「……それもそうだな」
「いやマジで焦ったんスからね?急にデスクに突っ伏したと思ったら、完全に呼吸止まってんだもん。救急車呼ぶか、産廃業者に連絡するか本気で迷いましたよ」
「そこは迷わず救急車だろ。……まあ、死ぬのも初めてじゃないし、なんとかなるもんだ」
「やっぱ"蘇生保険"つきの社保完備は神っスね。ぶっちゃけ、死んだ直後ってどんな感覚なんスか?」
「寝落ちと大差ない。次に目を開けたら、もう再生槽の中だ」
俺は淡々と話しつつ。着々と準備を始める。
「連実ゥ!」
背後から、低くて湿った声。
その声を聞いただけで、胃が拒絶反応を起こす。
IoT部門の部長――近藤。
「……は、はい?」
「お前、なーに過労死なんてしてんだ?根性が足りねぇんだよ!死ぬならプライベートで勝手に死ね!」
「はぁ……」
「で、例のサーバ移行の進捗どうなってんだ」
「今週金曜に検証環境で、来週――」
「遅いッ!」
最後まで聞かない。いつもそうだ。
近藤は俺の机の横に立ち、モニターを覗き込んできた。
突き出た腹が、俺の肘に触れる。
加齢臭、きつい香水、煙草、そして居酒屋の湿ったおしぼりが混ざったような匂い。鼻の奥がツンと痺れた。
「こんなもんに何日かけてんだ!俺が若い頃はな、こんなの一晩だぞ一晩。お前ら今の世代は恵まれすぎなんだよ!それに昨日、お前がぶっ倒れたせいで大幅に遅れてんだ!」
どうせお前は何もやってねぇだろ。
心の中で毒づきながら、俺は低く息を吐き出す。
「……すみません」
「すみませんじゃなくて、巻け。巻けって言ってんだよ。わかる?ま・き。日本語わかる!?」
「はい。わかります」
「わかってねぇから遅いんだろうが」
ねじれた理屈を押し通す近藤に、反論は時間の無駄だ。
フロア中が目を伏せ、次のターゲットになるのを恐れている。俺もかつて、そっち側だった。
「あとな、連実。お前この間の障害対応の報告書、誤字二つあったぞ」
「あ……すみません、すぐ修正を」
「修正じゃねぇんだよ。なんで最初から誤字すんのって話。それが社会人としてのレベルなんだよお前の」
中身を読まない近藤は、表面的な誤字脱字しか指摘できない。
おまけに機械音痴ときている。名ばかりのIoT部長だ。
「……ご指導ありがとうございます」
「おう。しっかりしろよ、リーダーなんだからさァ!」
ぽん、と肩を叩かれる。
力は強い。叩く、というより、殴る、に近い。
「んじゃ、俺は今から接待だからな!後は頼むぞ。リーダーさん」
近藤は満足げに鼻を鳴らして退社した。いつもは定時退社するくせに、俺をいびるためだけに居残っていたのだ。
接待なんてどうせ嘘だろう。会社の金で飲む、半ば横領の類に違いない。
深く息を吐き出すと、隣の田中がモニターの陰からこちらを覗き、薄く嘲笑っていた。
「いつもお疲れっス。連実さん」
「はぁ……寿命が縮んだっつーの……」
「これで縮んでたら、もう残ってないっスね」
「うるせー……ん?」
PCのチャット通知。
表示された名前は――黒沢凜名。
『連実くん。今から社長室へ来てください。5分以内で♡』
それを見た瞬間、机を軽く叩いた。
コーヒーの空き缶、胃薬の瓶、とっくに辞めたはずのタバコの空き箱が、デスクの上で小さく跳ねる。
「……次から次へと……なんなんだよ、マジで」
「連実さん?どうかしたんスか?」
田中が、心配半分・興味半分で覗き込んでくる。
「社長から呼び出し」
「あー……ご愁傷様です」
「おい、合掌すんな」
「死刑宣告受けた人って、実質もう死人みたいなもんスよ」
「はぁ……なんも悪いことしてねーのにな」
立ち上がり、ネクタイを締め直す。
「田中、俺にもしものことがあったら、冷蔵庫のプリンはお前にやる」
「え、まじっスか!? あざっス!」
そう言うや否や、田中は冷蔵庫の方へ駆けていった。
「おい!まだ何も決まってねーだろ!」
「いや、何もないわけないでしょ!」
そうして俺は、社長室へ向かった。
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