最終話 杏姫
「うーっ。やっぱり、大変だなー。はぁ」
学芸会の一件から早十日。
俺は元いたアパートに戻って、せっせと荷造りをしていた。実家に帰るためだ。実はずっと契約しっぱなしにしてしまっていたんだ。
実家はもう俊樹の財産だけども、このまま住み続けても構わないと言ってもらった。だから、こちらのアパートの契約は急いで解除だ。
正直なところ、実家から大学に通う方が交通の便がいいし。
慎ましやかな家具家電は業者に引き取ってもらい、衣服や雑誌類などだけを運び出す。近場だから、自分の足でひたすら歩いて自宅に運んだ。
「はぁ。俊樹も休みなら、よかったのにな」
そうしたら、引っ越しを手伝ってもらえた。甘えているかもしれないけど。
一人でぶつぶつと独り言を言いつつ、俺がまた実家の玄関先に入ると。
……ん? 靴が増えてる。見覚えのない子供靴だ。
俺は怪訝に思った。誰か幼子が迷子になって、間違って入ってしまったのか? 鍵を閉め忘れた俺もバカだった。ともかく、もしそうなら交番に連れて行かないと。
俺は急いでリビングに顔を出した。その時だった。
「あっ、ハルおにいたん!」
ソファーでタブレットを手に持っている、杏の姿がそこにあって。
俺はぽかんとしてしまった。夢でも見ているのかと思った。
「……杏?」
「? そうだよ」
「なん、で……」
なんで、またこの家に。
茫然と立ち尽くしていたら、台所から玄水さんも現れた。ひどく苦笑いを浮かべて。
「おかえりなさいませ、晴将。すみません、またお邪魔して」
「そ、それはいいですけど……どうしてまたうちに?」
玄水さんは困ったように眉でハの字を作る。
「それが……杏様のご反抗期なのです。ねぇ、杏様?」
杏がようやくタブレットをソファーに投げ出す。ああっ、こら。
杏はたたたっと俺の足下までやってきて、俺の服の袖をぐいぐいと引っ張った。抱っこをご所望のようだ。
俺はしゃがみ込んで、杏のことを抱き上げる。
ずっしりとした重み、そして何よりもかすかな温もりが……杏が帰ってきたのだということを伝えている。
目頭が熱くなった。また会えるなんて。
「だって、パパっておちごとばかりなんだもん。だからあんず、もうハルおにいたんとトシおにいたんの子どもになる!」
ぷんすか怒っている膨れっ面の杏。
俺は戸惑った。
「え、ええっ?」
「いいでちょ、ハルおにいたん!」
杏が打って変わって愛らしい笑顔で言うので、俺もつい笑みをこぼしてしまった。
もちろん、いいよ。
うっかりそう応えてしまいそうになったけど、はたと我に返る。ダメだ。木蓮さんのところに帰さないと!
「あ、杏? ダメだよ。木蓮さんが杏のパパなんだから」
「パパもいいよって言ってくれたよ?」
「え?」
玄水さんが咳払いをし、ささっと書状を持ってきた。俺の目に見えるように、羊皮紙を広げる。
曰く。
『晴将君、俊樹君。どうか、私のわがまま娘の面倒をまた見てもらいたい。例の件もある。しばらく人間界で育ててもらえないだろうか?』
俺は思わず二度見してしまった。なんだって!?
「晴将様。実は……杏様の御身は人間界の方がまだ安全なのです。あやかし界ですと、刺客が多すぎて」
玄水さんが申し訳なさそうな顔で、でもどこか優しい笑顔で付け加える。
「いかがいたしますか? お断りするなら、私から……」
「いいえ」
俺は杏の頬に自分の頬をくっつけ、即答した。
とびっきりの笑顔で。
「いいえ。もちろん、お預かりします。お世話させて下さい、杏姫のことを」
「ただいまー」
その時、玄関から俊樹が帰ってくる音が聞こえてきた。無造作に足音を立てながら、こちらにやってくる。
「晴将。引っ越しはおわ……」
俊樹が俺たちの姿を見て固まった。杏の姿を確認すると、その目にうっすら熱い涙が滲むところが見えた。
でも、素直じゃない俊樹だ。ぐっと唇を噛みしめ、すぐに涙を引っ込めた。
「……なんで杏が?」
「また、預かってほしいんだって。木蓮さん」
「はぁ?」
「俊樹様。こちら、木蓮陛下からの依頼書です」
俊樹がずんずんとこちらまでやってきて、玄水さんから先程の書状を半ば奪い取った。すべてを読み終え、理解したらしい俊樹は……ふっと三日月の笑みをひそかに浮かべる。
その笑みを俺は見逃さなかった。
「なるほど。杏姫のご帰還かよ。はぁー、やれやれ」
俊樹は書状をぽいっとゴミ箱に向かって放り入れる。ちょっと、こら!
「ガンガン稼がないとな。これから」
いつもの調子で、でもどこか上機嫌で、二階に上がっていく俊樹。
俺たちは顔を合わせ、くすりと笑った。まったく。本当はすっごく嬉しいくせに。
「待てよ、俊樹」
「トシおにいたん、まってー」
俺と杏は一緒に俊樹を追いかける。
似ても似つかない双子の俺たち。
でも一緒に、もふもふ狐の子を育てます。これからも。
ご拝読ありがとうございました!
3人の物語を書くのは楽しかったです。
本当にありがとうございました。




