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第一話 山村家と杏


「……気の毒ね。山村さんち」

「ええ。トシ君もハル君もまだ中学一年生なのにねぇ」


 両親の葬式で、親戚の人たちがひそひそと話している。

 俺たち双子は、俯いた。大好きな両親が飛行機事故でもう亡くなり、これからは兄弟二人で強く生きていかねばならない。


晴将(はるまさ)。……姉貴さ。退学中退するって」


 隣にいる双子の兄、俊樹(としき)がひそっと言う。

 俺は目を丸くした。


「えっ? な、なんで」

「俺たちを引き取って育てるためだろ」

「……。そんな……」


 五つ年上の姉、(かえで)は看護師を目指して四年制大学に通っている。ということは、看護師の夢を諦めてしまうということなのか。

 --俺たちのせいで。

 俺は再び俯き、きゅっと下唇を噛みしめた。姉には昔から迷惑をかけてばかりだ。

 だが、親戚に俺たち双子を引き取ってくれる人は当然おらず、また俺もそれは嫌だった。どうにか俊樹と二人でも生きていけないかと考えたけど、まだ中学一年生の俺たちには成人後見人が必要で。

 結局、姉に引き取られた。


『あんたたちのことは、大人になるまでしっかり私が面倒見るからね! 心配しないで』


 ヒマワリのような力強く明るい姉の笑顔。自分の不幸はおくびにも出さず。

 五年以上経った今も、強く印象に残っている。

 だから姉さんがまさかあんなことになるなんて--この時は思いもしなかった。



     ***



 大学に入学して、半年経った。

 俺は秋風が吹く大学のキャンパスをいそいそと歩く。春から始まった大学生活は思ったよりも暇だけど、その分、自由時間にたくさん色んなことが勉強できて楽しい。

 もちろん、まだ一年生だからなんだろうけども。

 今日も午後の五時まで図書室で勉強して、アパートに帰ろうとした時だった。スマホの通知音が鋭く鳴った。


『ハル。お疲れ様。よかったら今日、家で一緒に夕ご飯を食べない?』


 姉さんからラインが入っていた。

 俺は少し考える。ちょうど、お腹が空いているところだ。自分で作るよりも、姉さんの料理の方が上手いし、実家にお邪魔しようかな?


『今から行きます』


 即、ラインを返し、俺は実家へのんびりと向かった。





 両親が亡くなって、早五年以上経つ。

 今、俺はずっと家族で暮らしていた実家の傍近くのアパートで、一人暮らしをしている。実家から大学までは別に通える距離ではあるんだけど……ちょっと理由がある。

 姉さんが結婚したからだ。職場のいくらか年上の人と。お相手は子連れ再婚だった。まだ五歳の娘さんがいらっしゃって、三人で実家に住んでいる。

 ……正しくは、三人で住んでいた。今はもう姉さんと義理の姪だけしかいない。義理の兄は海外出張がどうだとかで、家を出ていってしまった。


「はぁ……」


 姉さんたちがいる実家に向かいながら、俺はそっと息をつく。姉さんの現状を思うと、ため息をつきたくもなる。

 だから、子連れの相手と結婚なんて反対だったんだ。どうして血の繋がらない娘のことをワンオペ育児しなくちゃいけないんだろう。姉さんだって働いているのに。

 義理の姪のことは可愛く思っているし、義理の姪自身にはなんの罪もないけど……ちょっとイラッとする。義理の兄に対して。

 姉さんにはもっといい人と結婚して、幸せになってほしかった。正直。

 ピンポーン。

 実家に到着してすぐ、俺はインターフォンを鳴らす。するとすぐ、ガチャッと玄関の扉が開いて誰かが俺に抱きついてきた。


「ハルおにいたん!」

「おーっ、(あんず)


 俺は小さな体を抱きとめ、破顔する。義理の姪、杏だった。

 背丈は一メートルくらいで、体重は十八キロくらいらしい。幼くても、もうずっしりと確かな重みがあって、ちょっと緊張する。絶対に傷付けたらいけないなって。

 大切にしたい。子どものことは。

 それにしても、また重くなったかな? 子どもの成長はぐんぐんと止まらないことを、俺は杏の成長を通して知った。


「はいって、ハルおにいたん」

「はは。お邪魔します」


 杏に手を引かれながら、俺は玄関に入る。履き古した白いスニーカーを脱いで、同じように可愛らしい赤い靴を脱いだ杏とともに、台所へ向かう。

 あっ。スリッパを履き忘れた。

 俺は少し廊下を引き返して、きちんとスリッパを履く。青い花柄の無難なスリッパだ。他にはピンクの花柄しかなかったから。


「姉さん」

「ハル。いらっしゃい」


 台所に顔を出すと、姉さんが笑顔で迎え入れてくれた。

 姉さんはテーブルに主菜を並べている。たくさんのうっすら赤いヤンニョムチキンと、瑞々しい豆苗トマトサラダだ。


「今日の夕飯もうまそう。ヤンニョムチキンなんて俺には作れないよ。さすが、姉さん」

「簡単よ? お肉に下味をつけて、片栗粉をまぶして焼いてから、コチュジャンとかウスターソースを混ぜたソースを絡めるだけだもの」

「片栗粉をまぶさなきゃいけない時点で、俺はもうめんどい」

「ふふ。確かにちょっと手間かしらね?」


 姉さんは優しく笑いながら、「さっ、椅子に座って」と俺を促す。

 俺は杏を先に正面の席に座らせてから、俺もその隣に座った。目の前に広がる大皿の御馳走に、胸が弾む。


「食べましょうか」

「うん」

「あいっ」


 俺の斜め向かい側の席に座った姉さんは小皿に主菜を取り分け、杏に渡している。

 俺はその間にも早速、ヤンニョムチキンにかぶりついた。--おおっ! 下味がしっかりついていてうまい!

 見た目こそ赤いけど、さほど辛くなかった。ピリ辛といった感じだ。杏も食べられるよう、辛さを調節したんだろう。そりゃそうだ。


「うまいよ、姉さん。控えめに言って最高」

「ありがとう。ハル」


 俺が笑顔で感想を伝えると、姉さんも嬉しそうに笑った。杏も、「おいちいっ」とスプーンフォークを振り回しながらにぱにぱと笑っている。

 すかさず、姉さんが「こら、杏」と少し声量を大きくした。


「食事中は、お行儀よくしないとダメよ」


 杏は叱られてびっくりとした顔をしている。ふてくされてしまい、むっと頬を膨らませていた。でも、ヤンニョムチキンはばくばくと食べているという。

 はは。子どもは正直だ。


「こら、杏。お野菜は?」

「いらない」

「ダメよ。もうっ、お野菜も食べないと」

「やだっ。ママなんてキライっ」


 姉さんは一瞬、悲しそうな顔した。俺はぎくりとする。

 も、もしかしてやっぱり傷付いたのか?


「ね、姉さん。子どもの言うことだから。本気じゃないよ」


 俺がフォローを入れると、姉さんははっとした顔をする。慌てて「分かってるわよ」と笑顔を浮かべたので、俺もほっとした。


「こら、杏。大好きなママに、そんなことを言ったらダメだろ」

「……」


 俺にも怒られたからか、杏は膨れっ面だ。ぷいっとそっぽ向く。

 まったく……すぐ拗ねる。義理の兄貴って、杏のことを甘やかしすぎていたんじゃないかっていうくらい。

 でも、ちょっと腹立たしくもある。姉さんはこんなにも一生懸命、杏の世話をして頑張っているのに。その思いが報われていないようで、もどかしい。

 まぁ、わがままな五歳児だと思ったら、目をつぶれるけども。

 杏は気にせず、ヤンニョムチキンに夢中だ。俺たちは苦笑いしながら、俺たちも食事を再開する。


「そういえば、ハル。……トシとは連絡とってる?」


 俺は少しぎくりとした。でも、表向きはなんとも思っていないような顔をして、努めて平静に返す。


「全然。一度、ラインは送ったけど、既読スルーだよ」

「……そう」

「まぁ、きっと元気にしてるよ。既読はつくんだし」

「そう、ね……」


 悲しげに瞳を揺らす姉さん。

 杏がそのことに気付いて「ママ?」と心配そうに声をかけた。姉さんははっと我に返った様子で、「なんでもないわ。大丈夫よ、杏」と優しく微笑み返す。


「……」


 俺は箸でヤンニョムチキンをぶつっと突き刺した。

 ……俊樹。俺の双子の兄貴。高校卒業後に就職して家を出てから、一度も会えていないし連絡も返ってこない。

 イライラする。姉さんにまた心配かけて。姉さんを悲しませるなと言いたい。


「ごめんね、ハル」

「え?」


 俺ははっとして姉さんのことを見る。

 姉さんは面を伏せたまま、申し訳なさそうに続けた。


「私のせいね。私があの人と結婚したから。二人まで縁が……」

「そ、そんなことないよ! 考えすぎだよ、姉さん!」


 俺は慌てて姉さんの言葉を遮った。

 確かに俊樹とはしばらく連絡がとれていないけど、『あの喧嘩』で家族の縁が終わったわけじゃないはずだ。


「俊樹は……ちょっと忙しいだけだって。あいつ、昔から連絡不精なところがあるし。仕事で疲れて、返信する気が失せてるだけだって。はは」

「……」


 姉さんの曇った表情は変わらない。俺は眉をハの字にした。

 正直な本音を言うと。姉さんは悪くない。でも、俊樹だって結果的に悪くなかった。悪いのは、あいつ--義理の兄貴だ。そうとしか思えない。

 ……いや、違うな。

 俺は俯いた。


「……悪いのは、俺の方だよ」


 ぽつりと呟くと、姉さんは「?」と不思議そうな顔をしていた。


『はぁ!? 晴将まで、あいつを認めるのかよ!』

『木蓮さんは、いい人だよきっと。姉さんが選んだ人なんだから。確かに最初は子連れなんてって偏見持ってたけど……姉さんが幸せになれるんだ。俺たちも応援しよう?』

『何が姉貴の幸せだ! あいつは…っ……!』


 俊樹はそこではっとした顔をして、口をつぐんだ。


『もういい』


 俺に背中を見せてそう吐き捨て、実家を出て行ってしまった。

 今でも考える。あの時、俊樹はなんて言おうとしていたんだろう。





「じゃあ、帰るから。戸締まりはしっかりな」

「ふふ。いつから私の親になったの?」


 俺が真面目に忠告しただけなのに、姉さんは可笑しそうに笑う。

 姉さんの中の俺は、きっとまだまだお子様なのかもしれない。もう十九歳なんだけどなぁ。


「杏も。またな」


 少し腰を屈めて杏の頭にぽんっと手を置くと、杏は嫌がった。まだ拗ねているみたいだ、叱りつけたこと。やれやれ。


「こら、杏。ハルおにいちゃんにちゃんとばいばいしなさい」

「むー……」


 杏は頬を膨らませたまま、渋々そうに手を振ってくれた。本当に渋々そうに。普段は愛らしいのに、拗ねるといつまでもこんな感じなんだよな。まったく。

 俺は姉さんと杏に見送られて、月明かりの下、実家からアパートまで帰った。

 警察から連絡がきたのは、その直後のことだ。


「--え?」


 俺はするりとスマホを落としそうになった。信じられない言葉を聞いたからだ。

 慌ててスマホを握り直すと、その手はぷるぷると震える。


「姉さんが……事故で死んだ……?」


 茫然と、呟いた。


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