つごもり様・その1
つごもり様
音もなく降り続ける雪をすりガラス越しに眺めていると、痩せこけた自分と視線が合った。
酷い顔をしている。
眼の下に深く刻まれたクマ。痩せこけた頬。青白い顔色。
金髪の中で一際光を反射する一房、あれは白髪だろうか。
年末、一通のDMが僕のSNSアカウントに届いた。送り主は「ツイタチ様」。
村上くんがフォローし、目視した人に罪悪感を抱かせて、破滅させるアカウント。
去年の11月に刑事2人と確認したあと、鍵をかけていたそれは、年末に突如その沈黙を破り、思わぬ形で僕の前に姿を表した。
長々と綴られたDMは、普段の投稿とは異なり、村上くんに宛てた返信のように丁寧な文章をしていた。
DMが届いた後の記憶が曖昧だ。
恐ろしくなって部屋中に当たり散らした後、弥勒に連絡した記憶はあるのに、どうやって家から外に出たのかすっぽり抜けている。
気がついたら黒塗りの高級車の後部座席に座り弥勒の部下に両手の傷を手当されていた。
いつどこで切ったのか覚えていない。
スッパリと切れた傷跡から、部屋を荒らした最中ではなくカッターか包丁で自分で切りつけたのだろうと推測できる。
手の内側だけに付けられたその傷は部屋を荒らした際につけたものではない。
ガーゼに滲む赤い血を見て何故か他人事のようにホッと安心感を覚える。
「バカなことをする」
右側のドアが開き、弥勒が覗き込んでくる。
手当をしてくれた部下が頭を下げてそのまま弥勒と入れ替わって外に出る。
外の道路は白く染まりつつあった。
「僕は、人間なんでしょうか?」
頭の中を渦巻いている疑問が口からこぼれ落ちる。
横に座っていた弥勒が、開いた窓の向こうの部下にタバコの火を付けさせながら「あぁ?」と返事を返した。
「何言ってんだ、お前」
呆れたような声色でタバコを咥え、空いた左手で僕の頬に触れ強くひねる。
両手よりも強い確かな痛みに、僕は視線だけ弥勒に向ける。
「だってDMの……」
そう呟いて、どこまで弥勒に話したかも覚えていなかった。
電話越しで「落ち着け」「大丈夫だ」と励まされたことは記憶にあるのだが。
連れて行かれた先は都内の料亭だった。
比較的新しい建物で通された奥座敷からは真新しい畳の匂いが香っていた。
弥勒が日本酒、僕はビールを頼んだ。
チリチリと痛む手でポケットからスマホを取り出す。
もはや息をするよりも素早くそのアカウントを開くことが出来る。
アカウントの鍵は開けられていた。
――――――――――――
1月1日
あけましておめでとー!!今年も一年人間讃歌!!
人間が楽しく幸福に生きていけるように頑張ります!!
1月1日
どうぞどうぞ参拝していってね!!今ならたんまりご利益あげちゃうよ!
――――――――――――
投稿内容のしょうもなさは何も変化していないようだった。
相変わらず反吐が出るような薄っぺらい人類愛を掲げている。
僕のSNSのホーム画面に戻り、DMページを開く。
一番上に着ていた返信画面をタップしこれです、と弥勒に向ける。
弥勒は外の雪のように白い煙を吐き出しながらスマホの画面を覗き込み、眉をひそめた。
「だから、俺には何も見えねえんだって」
相変わらず、弥勒には真っ黒な画面しか見えていないようだった。
見えないながらも不快感を覚えるようで、心做しか苛々している。
「大雑把に説明してくれ。……話せる所までで構わん」
以前弥勒は、ツイタチ様の投稿内容を誰かに朗読で聞かされても上手く伝わらなかったと言っていた。
何度一字一句間違えずに話をしても耳にノイズがかかるように内容を把握できなくなってしまうらしい。
簡単な説明を繰り返し彼の頭の中で再構築してもらうしか方法はない。
僕はDMの内容を何回かに分けて弥勒に説明した。
僕が投稿内容とアカウントに不安がっていると心配しDMをした事。
自身は「罪の神」であり、人に擬態しSNSではただ日常を呟いているだけだという事。
投稿内容には人を狂わせる力があってもツイタチ本人には何も意図がない事。
つみしろとツイタチ信仰の成り立ちと、禍津物と呼ばれる動物達の正体。
日吉という人物と伊吹……――――恐らく山上伊吹警視の事だろう、眷属にした神が何柱か人に擬態してこの世に顕現しているという事。
村上くんの事件に関して、そしてツイタチに対して、僕が何もしてないし、不安になる必要は何もない事。
最後に一文、僕に「なぜ人のふりをしているのか?」と尋ねた事。
――――貴方はなぜ人のふりをしているのですか?
投げかけられた言葉を頭の中で反芻する。
人のふりをしている?
僕が?
生まれてこの方、ずっと人間だったはずだ。
大阪の堺市で生まれ、明るくほがらかな――――大阪人を絵に描いたような両親と、ちょっぴり怖い姉が1人、ペットの猫と金魚。
幼稚園、小学校、中学校。高校から一人上京し、そのまま大学に通っている。
反抗期こそあれど一度も非行に走ることなく、何の不自由もない中流家庭で育ててもらった。
漫画やアニメにハマって自らも何者かになりたいとそのキャラの世界観に没入した経験はあるが、そのキャラになりきった記憶もない。
そもそもオタクと呼ぶには熱量も知識も足りない。
細い割にはそこそこ動けたので中学高校は卓球部に所属していた。
実力は足りなくとも結構熱心に練習をしていたし、中等部の頃堺市の大会で7位に入ったこともある。
勉強も決して賢くはなかったが、かといって授業についていけなくなるような事もなかった。
本当にどこにでもいるただの男だ。
特筆すべきエピソードはそれこそ僕が知る村上くんの日常ほど、何もない。
「僕は、人間なんでしょうか」
何度目かになるかわからない疑問が、頭の中を虫のように這いずっている。
「あのなあ、多聞……」
刺身を肴に日本酒を飲みながら、弥勒は僕に語りかける。
畳の匂いに混じって、灰皿のタバコが室内を流れる暖房の風に煽られて宙を舞う。
向かいに座る僕の鼻へ副流煙を届け、味に合わない苦みにすこし咽た。
「お前は人間だよ。それ以外の何なんだよ」
勘弁してくれよ、と呟きながら弥勒は長い指で眉間のシワを伸ばす。
「お前は自称神様の同類だって? 最近の中学生でも、もっとマシな夢を見るぜ」
「そりゃまあ、そうですけども……でも僕の知らん所でほんまの僕は別におるんかもしれない」
「それこそ妄想ってやつだぜ」
運ばれてくる料理を弥勒は酒を飲みながら黙々と口に運ぶ。
酷く腹が減っていたがどうしても何かを口にする気になれなかった。
ビール瓶の結露が机に溜まっていく。
あのアカウントは人間の姿をアバターのようなものだと言っていた。
本体と意識は繋がっているが知恵はなく、人格に至ってはほぼ別個体だと。
それが本当だとしたら僕は僕が意識しない所で、何かを忘れているだけなのかも知れない。
僕には「本体」がいるのかも知れない。
そうか。
だから僕は罪悪感を抱いているのか。
あの方のことを忘れ、あの方の呼びかけに応じなかったから。
「しっかりしてくれよ、多聞。そうやって、村上も呪われたんじゃねえか。お前まで飲み込まれてどうする」
弥勒は暖房の風に煽られてぬるくなってしまったビールを僕に差し出す。
僕は包帯で巻かれた手で受け取る。コップ越しのズシリとした水分の重みに、傷口が開くのを感じた。――――――たかが切り傷でこの痛みなら、骨折した指でナイフなど握れまい。ましては、臓物を掻き出し、切り分けるなど出来るはずもない。
村上くんはやはり、誰も殺していないのかもしれない。
弥勒は配膳で待機していた店員を傍に呼ぶと、新しく日本酒を注文する。
差し出されたビールを一気飲みして、僕もおかわりにハイボールをお願いした。
「やっとそのアカウントがどんなものなのか、俺にもわかるようになってきたけどよ……」
弥勒はおちょこに注がれた新しい日本酒を飲み干しながら箸でだし巻き卵を半分に割る。
どうやら弥勒はアカウントについて考えるだけでも気分が悪くなるようで、端正な顔をしかめながら巻き卵をおおきく咀嚼する。
喉仏を上下させ日本酒を流し込み口の中を空にすると、はあ、と深くため息を付き頭を垂れてうなだれた。
「……俺の、知り合いかも知れない」
思わず目を見開く。
弥勒が僕のスマホを見つめながらバツが悪そうに右手で頭をかきむしる。
「知り合い、ですか?」
「うん」
食べないならくれ、と僕の皿のだし巻き卵を箸で指す。
よほど、好みの味だったのだろう。
どうぞ、と差し出すと箸ではなく指で掴むと、今度はそのまま大きく口を開け丸ごと飲み込んだ。
「妹の彼氏の言動によく似てるんだよ」
弥勒の妹――――の彼氏。
「妹さんの……」
真っ先に思い浮かんだ顔がある。
サークルで一番可愛らしかった女の子。
弥勒と同じ栗毛色の髪をした碧い瞳。
僕も何度か会話をしたことがある。
一対一ではないが、飲みの席やサークル内の談話で、明るく柔らかな話し方をするが、自分の意見を主張することをあまりせず、常に聞き手に回っていた。
吉川さんの友達で、女優志望で、去年の夏に一緒に広島旅行に行くはずだった、そして村上くんが「ツイタチ様」以外にフォローしていた――――
「西千鶴さんですか?」




