八朔日の贄 その12
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まるで悍ましい化物を見るような弥勒の顔に、「私」は少々呆れながら吐き出す。
「朔日だよ、みーちゃん。村上が自らの身体に封じたんよ、俺はそこまでする必要ないって忠告したんじゃけど……」
「……ツイタチだってッ!?」
弥勒はもう一度両手で胸ぐらをつかむと至近距離で先程まで村上だった顔を覗き込む。
赤く光る瞳は時折弥勒の顔を捉えるものの、眼球の動かし方すらままならず、直ぐにあっちこっちに視線が逸れてしまう。
口の端からだらしなく滴り落ちる涎を見て、弥勒は「ふざけるな!」と怒声を響かせた。
「なにがどうなってやがる!?……――――村上は!?あいつは何処に行った!?」
「そこにはもういないよ。」
――――交わした約束から「私」はあえて嘘を付く。
村上は、そこにいる。
「ツイタチを野放しにはしておけないって。《《彼に全ての責任を背負わせ》》、《《同時に自らも全てを背負った》》。その代償でこの世の何処にもいなくなってしもうた。もう、どうすることも出来ん。」
村上は完全に死んだわけではない、《《その身の主導権をツイタチに譲っただけだ》》。
彼自身の魂は腹の底に閉じ籠もってしまった。意識はあるだろうし、痛みも続くはずだ。それでも彼はそうなることを望んだ。2つの命を喰い殺した咎を背負うためだけに。
――――ツイタチの罪を全部背負う代わりに、村上が犯した罪をツイタチに押し付けた。
ツイタチは村上の体を与えられたからとはいえ、村上が持つ支配の才能までは引き継げない。あれは魂の質がもたらす癖だ、似たようなものはあれど他人には真似できない。
ツイタチが持っていた罪悪感を増長させる力は斎藤の“知恵”によるものだし、仮にもし、村上の癖が漏れて交わったとしても以前のような脅威にはならない。
――――人を支配する力も、人に罪悪感を抱かさせる力も、もう何処にもない。
犯した罪の数は決して消えてなどない。
残されたのは罰を与えた結果だけだ。
「私」の嘘に納得がいかない弥勒は、掴んだ胸ぐらを揺さぶりながら喚き散らす。
「ふざけるな、ふざけるなァッ!!村上!!勝ち逃げするつもりかァッ!!!」
「みーちゃん、せっかく八尾虎が……――――多聞が治したのにまた傷をおってからに……治しちゃるけぇ、こっちおいで。」
「戻ってこい!村上!!俺を殺すんじゃなかったのか!お前が……ッ!!!」
どれだけ強く吠えた所で村上の意識が再び浮上することはない。
彼は自身という檻の中で、その命が尽きるまで償い続けるのだ。
興奮が冷めない限り、「私」の言葉は弥勒には届かないのだろう。
ふうとため息を付くと、気が済むまで好きなようにさせようと空を仰ぐ。
――――自分自身の瞳と視線が合うのは、なんとも奇妙な感覚だった。
弥勒はやがてどれだけ揺さぶっても、殴りつけても村上の様子が元に戻ることはないと悟ると、その場にへしゃりと座り込んだ。
翡翠色の瞳に絶望が影となって光を奪った後、村上の傍らで転がった拳銃に左手を伸ばすと自身のこめかみに突きつけて躊躇いなく引き金を引いた。
パン、という乾いた音が響き渡ったが弥勒の頭に弾が当たることはない。
「私」はかつて斎東多聞がしたように《《皮膚に当たるすんでで弾を手で受け止める》》と、弥勒に向かって投げてよこした。
かつんと軽く後頭部に当たった弾丸が床に転がる姿を見つめて、弥勒は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに悲鳴を上げて青ざめながら拳銃を投げ捨てる。
「ダメでしょ?危ないよ、そんなことしちゃあ……」
「あ、あ……」
振り返った弥勒がまるで化物を見る目で「私」の姿を見上げる。
ついでにボロボロになった右手を治してやると切り裂くような悲鳴を上げた。
彼から見れば丁度逆光になっている「私」の表情はあまり視えていないのだろう、安心させようと精一杯の笑みを浮かべたが唇が震える度にカチカチと前歯がぶつかる音が無情にも響いた。
弥勒は床を蹴り上げながら後ろへ下がる。
「私」はまるで小動物を思わせるような仕草に少々苛立ちを覚えながら近づいた。
彼の目の前でしゃがみ、頬に両手を添えて持ち上げて視線を合わせると、澄んだ翡翠色の瞳に「私」の満面の心配そうな顔が映り込む。
「死んじゃったらどうするの?痛い痛いなるよ?」
「ひ……ッ!」
幼子に言い聞かせるような柔らかな声色で囁くと、弥勒の体はより一層強張った。
「怖がらなくてもえかろうに……――――お前の飼い主だよ?」
「……――――」
己の生から逃げられないと悟ったのか、不意にその体から力が抜けた。
蜈蚣を模した入れ墨が刻まれた逞しい腕がだらりと弛緩する。
――――今更、一体何を怯えることがあるのだろうか。
「私」はこれまで散々、自らが神である、と彼に語りかけたと言うのに。
ここに至るまで、人の目では理解できない現象に散々立ち会ってきたにも関わらず、呆然とした弥勒の瞳には疑心と驚愕……――――そして畏怖が混じっていた。
やがて「私」が完全に人ではない事を悟ると、縋るような目で見つめた。
翡翠色の瞳に大粒の涙が溢れ己と、傷つけた者たちの返り血で汚れた頬を濡らす。
「……――――なせて……」
「うん?」
「死なせてくれ。」
弥勒の喉から聞いたこともないか細くか弱い声が漏れる。
「もう沢山だ……!!みんな……――――《《みんな俺の前からいなくなる》》!」
「…………――――」
「親父も、お袋も、ジジィも昨日……立川の兄貴や、織田さん、山口、ハヤト……上司も、部下も、千鶴も……――――あいつも、多聞も村上すらも!!誰もいなくなった!俺の周りにいる奴は!みんな俺を置いて行く!!!」
「……――――それは全部みーちゃんの自業自得でしょう?」
少々呆れた声色で返すと弥勒の顔が悲壮に歪む。
初めて見る表情はとても愛らしいが同時に気の毒でもあった。
「今まで散々、悪意をもって他者を踏みにじったけぇ、なにも残らんかったんじゃろ。」
「…………ッ」
「謝る機会は何度もあったでしょう?反省して、心を入れ替えるチャンスだって、何度も与えたでしょう?10年前には刑務所にも入ったし……――――一体、今まで何を学んだの?」
「……――――今まで《《全てを見逃しといて》》、今更俺に説教垂れるってのか!?」
「全てじゃなかったでしょ?そりゃあ、飼っとるんじゃけぇ、判定は甘くはなるよ。でも他は全部みーちゃんが自分で引き起こした結果でしょう?……――――因果応報って言うんだぜ、そう言うの。《《悪いことをしたら》》、《《ちゃんと謝らなきゃいけないんだよ》》。」
「謝った所でッ!!!何が残る!!?」
弥勒が吠える。
「俺に何が残ってるっていんだ!!?何も残らなかったじゃねえか!!」
「与えたでしょう?地位も名誉も、金も物も、尊敬も畏怖も。一人ぼっちは寂しいと《《欲しがったけぇ》》、《《妹だってあげたでしょう》》?」
「そんなもの……」
弥勒は口元に嘲笑を浮かべると吐き捨てる。
欲しい欲しいと口にしていたから与えたのに、その全てが要らなかったとでも言いたげな態度に思わず小首をかしげた。
「……――――じゃあ、何だ?お前は……俺が望んだらなんだってくれるのか?世界を寄越せって言ったら寄越すってのかよ!」
「欲しいの?いいよ。」
「なっ……」
あまり簡単なことではないが、どうしても望むのであれば手を焼いても良い。
「私」の答えが思いもよらないものだったらしく、弥勒は絶句する。
「良いよ。欲しいなら世界をあげるよ。そうじゃの、みんなが可愛いみーちゃんに傅くようになれば、法律も変わるじゃろうね。そうすれば、これからしでかす《《悪い事》》は全て合法になるじゃろ。その方がずっと《《扱いやすくて》》良いかも……」
「……――――い、いらない、いい!そんな事は……ッ!」
「そう?まー心配せんでも、これからの事は大丈夫。みーちゃんの事はちゃんと俺が責任もってお世話するけぇ、心配いらんよ。そうじゃのぉ……――――もう刑務所には入れちゃらん。会えなくなったら嫌じゃし……どうせ、ここまで促しても反省なんかせんじゃろ。そうだ、ついでにここ最近の罪もナイナイしようか。あの3人の死因もうまい具合に改変しちゃるけぇ安心しい。」
「…………――――俺から罪すら奪う気か……」
「何?その全部俺が奪ったみたいな言い方~!流石にちょっと酷くない?もー、可愛いんだから~!」
あまりにも自分勝手で可愛らしい答えに「私」が満面の笑みをこぼすと、弥勒は眉間に深く皺を寄せふうふうと怯えた吐息を漏らした。
そして、ふと何かを思い出したように、視線を脇に泳がせた後、今度は縋るように媚びを含んだ色を滲ませてで私を見上げる。
「……――――じゃあ、多聞は……あいつを……」
「あ?」
「《《アイツを生き返らせてくれ》》。」
「何言ってんの?」
「アイツを……ッ!!多聞を俺に返してくれ!!」
弥勒は「私」の両肩を掴むと唾が飛び散るのも構わずに訴える。
「アイツが……アイツに会えるなら……ッ!!俺は何も要らない!!このまま捕まって死刑になったっていい……――――いや、死ねずに生涯を牢獄で過ごしたって構わない!」
「ええー……知らんよ。アイツ、自分で怠って免許更新せんかったけぇ戻って来れんだけじゃし……」
「頼む、アイツを……――――俺の片割れを!!返してくれ!!」
自身は散々奪っておいて虫が良すぎる訴えに気がついているのだろうか。
そういう自分本位な姿が好きで千鶴に……――――龍首姫には《《真似させた》》のを思い出す。
血走った瞳に少々面倒くさそうな表情を浮かべた「私」の姿が映り込んだ。
涙と鼻水、血と汗でぐちゃぐちゃになっているにも関わらず、その全てが絵になるほど美しかった。
はあ、と軽くため息を付いて再びゆっくりと言い聞かせるように応える。
「ゲーム機ってあるでしょう?」
「……?」
「斎東……――――拘鞁羅八尾虎天王は、例えるならゲーム機の電源をスリープにした状態じゃ。自機が死んで『あーあ』って顔を上げようるんじゃないかな。」
「……なにを……」
「部屋を見渡すと干したままの洗濯物を面倒だなって思いながら手をかける。机の上には再びゲームと、放り投げた仕事の書類が山のように溜まったまま。」
「何を言ってんだ……?」
「つまり《《アイツにも日常があってそこに帰った》》ってだけの話。」
「じゃ、じゃあ、尚の事呼べるんじゃないのか!?」
生きているんだろう、と弥勒は「私」に詰め寄る。
説明が足りないばかりに妙な期待を抱かせてしまったらしい。「私」は再びため息を付きながら「いいや」と続ける。
「無理だよ。アイツは色々とサボってきたからね。ツケが回ってしばらくは戻ってこれん……多分三百年はこっちにこれんと思うよ。」
「さ……」
「それに……まあ仮に戻ってこれてもまるっきり同じアバターってのは無理じゃろ。どうしてもステータスに違いが現れる。同じように、《《みーちゃんが愛した斎東多聞を再現するのは無理》》なわけよ。同じ戸籍、同じ名前、同じ格好で帰ってきても、それは俺にとっては同一神物じゃけど、みーちゃんにとっては《《別の誰》》かだよ。」
「……――――ッ」
弥勒の瞳が絶望で泥のように濁る。
下手に希望を与えてもしょうがないのでありのままの真実を伝えたが、少々ぼかすべきだったのかも知れない。
弥勒は両手で自身の頭を掻きむしりながら俯いた。
汗ばみながら震える背中を優しく撫でるも、口から溢れるのはアイツの名前ばかりだった。
「多聞……ッ!多聞……ッ!」
「さっきからなんなん!?みーちゃんってば、俺を差し置いてアイツのことばっかり!!」
「私」が声を荒げるも弥勒は突っ伏したままうわ言のようにアイツの名前を繰り返す。
流石に面白くない。
「俺が!飼い主なのに!ずっと面倒見てきたのに!」
「お願いだ……多聞を……一度でいい、アイツを……何も要らない、何も要らないから……」
「ムカつく~ッ!たまにちょーっと餌を与えただけのアイツにばっか懐きよってからに!!……――――よし決めた。全部を消そう。」
「なっ……!」
最後の言葉は流石に耳に届いたのか、弥勒が顔を上げる。
その美しい顔は強張って笑っているように見えた。
「今……なんて……?」
「みーちゃんから《《斎東多聞の痕跡を消してあげる》》。」
「は?……まっ……」
「うん、それがいいや!こんな恋心あっても邪魔じゃろし、その所為で泣いたみーちゃん見るの嫌じゃし、何より腹立つ。」
「や、やめろ……」
弥勒は起き上がると両手を振り回しながら後ろに後退る。
「私」は手を伸ばしてその顔を正面から掴むと逃がすまいと自身の方へと引き寄せた。
記憶から奪っても、愛した人を村上に殺された事実は消えない。
憎しみが残っていた方が生きる活力を得ることだろう。
それに反省の機会を設けてやらねば、この筋金入りのならず者は、同じ事を何度も繰り返してしまう。
「下手に思い出されても困るし、ついでに10年くらいの罪も全部ないないしちゃろうね。」
「頼む、どうか、それは……――――」
「心霊探偵になりたいって言うとったね。ええよ、叶えちゃるわ。『八人塚岬』だっけ?事務所は岡山の旧八幡会でええよね?」
「やめてくれ!晦ッ……!!」
「10年程遡れば、今日起きた惨劇も《《いいよう》》に出来るじゃん。理由《死因》ならいくらでも上書きが効く……ちょっとばかし生き返らせても、誰も文句言わんじゃろ。」
「嫌だ……ッ!嫌だ嫌だ嫌だッ!」
「よかったねぇ、みーちゃん。新しい人生だよ。そうだ、みーちゃんは《《守るもん》》が要るよね?」
「晦!」
ふと、《《良い案》》を思いついて「私」はほくそ笑む。
「みーちゃんは寂しがり屋じゃけぇなあ……――――丁度ええのがおるんよ、ほら、この4階に。」
村上との約束も守れて、まさに一石二鳥だった。
こんな可愛らしい子を与えるのだ、情操教育にもいいだろう。
我ながらいい思いつきに気分が高揚する。
「……さい……」
「なぁに?」
子どものように泣きはらす弥勒の唾液で濡れて震える唇から、かすかな声が漏れる。
「……――――ごめんなさい……」
「ははっ。誰に謝ってんの?」
その声があまりにも可愛らしくて、つい笑ってしまった。
「私」は上空に浮かぶ一ツ目から瀬戸内の海を見下ろす。
ホテルの4階の角部屋のカーテンが開き、中から少年が空へ視線を向ける。
艶やかな鴉色をした髪を無造作に跳ねた短髪の、まだあどけない顔立ちをした少年……――――村上朔也は、青空に浮かんだ「私」の瞳を見て、思わず息を呑んだ。
「お兄ちゃん……」
「私」に怯えた朔也の唇が、助けを請うように二度と会えない兄を呼ぶ。
その呟きは同席していた仮初の両親の耳には届かず、窓ガラスに付着する白い露となって消えた。
「私」の瞳が、まるでこの世の終わりのようにも視えたのだろう。
それは違う、と慈愛を持って見つめ返す。
喰われ損なった、愛しき我が子よ。
――――お前の物語は、これから始まるのだから。




