八朔日の贄 その11
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本当は誰でも……――――どの家族でも良かった。
たまたま、見かけた事故が痛ましかったから手を差し伸べただけだ。
理由など、彼が求めるような答えは何もなかった。
正直に答えても良かったのだが、きっとどちらに答えても納得出来やしないだろう。ならば優しい嘘の方が良い。
村上は一瞬だけ目を見開いたが、「私」の嘘を見抜いたのか嘲笑するかのように眉を垂れ右の口角を釣り上げた。
「……――――二つ目の褒美ですが……」
村上は首を傾けて先程自身が撃った残骸へ視線を向けた。
「私」と同じ姿をしたツイタチは所々ノイズがかかったようにいびつに歪んでいる。真ん中でパックリと割れた頭部の中で、親指ほどの大きさの胎児が脳髄の海の中で浮いていた。
「彼に《《責任を与えたいのです》》。」
「……――――」
まだ、かすかに息がある……――――ピンク色が混じった泥の中で、順調に育てば消えるだろう尾がピクピク震えている。名と姿を借りた身としてあまり見ていて心地の良いものではなく、「私」は眉を顰ませた。その様子に気づく様子もなく村上は続ける。
「彼は俺と同じく人を救おうと奮闘しましたが、同時に多くの人を狂わせました。だが、今までその責任を負う必要が……――――いいえ、権利がありませんでした。責任を背負えるのは生きる者だけです。彼は死人にすらなれなかったのでしょう。」
「おや、蜈蚣だけじゃなく千鶴の記憶も見たんか?」
「はい、ついでに。本人には内緒にしておいてくださいね。多分、相当腹を立てると思うので……」
「それはええが……」
「《《人を裁けるのは人だけ》》です。神はそこまで干渉しない。ですが、人になり損なった、《《人ではない彼を裁けるのは貴方だけ》》なんですよ。晦彦様……」
「――――うーん……」
村上が《《何を望んでいるのか》》理解して「私」は彼に困ったような表情を向ける。
「君が《《そこまでする責任》》もないと思うけどなあ……」
「いいえ、晦彦様……――――」
村上は私の手を離し、立ち上がり数歩進んでツイタチの残骸に近寄ると、両手でその頭部から胎児をすくい上げる。
彼の指を隙間から脳髄が混じった血液が滴り落ちて私と同じ入れ墨に赤い雫が垂れた。
「俺は赦されぬことをしました。一人の少女の命を奪い、大勢の人を巻き込みました……――――それでも、俺達は何者かになりたかった。人に愛され、敬われ、崇拝される、絶対的な存在に。その醜い選民意識こそがすべての悲劇の始まりです。俺は……――――この連鎖を終わらせなければなりません。」
「……――――それで、残される者達は?」
「私」は立ち上がり、視線を村上に向ける。
「朔也は?生き残った鋒邦夫は?田所楠子は?留置所に収容された氷見京子は?……――――彼らだけじゃない、君を愛し、信じ、待ち続ける人々の事はどうするつもり?」
「……――――彼らには、本当に申し訳ない事をしました……――――ですが、俺も彼もこのままにしておいてはいけない。」
村上は強くしっかりとした声色で続ける。
「悪意を持って人を傷つけてはいけないが、善意の元で人を侮ってもいけなかった。それに気が付かず、ただ反省だけを促して、個々に持ちうる罪自体を見て見ぬふりをし続けた……――――その結果がこれです。罰を受けねばなりません。」
「それは君等だけじゃあない、《《みんなそう》》じゃない?」
「いいえ、これは、《《俺と彼の罰》》。《《俺達だけが背負える咎》》なんですよ。」
決意の固さに、ため息が漏れる。
良く磨かれた鏡のような黒い瞳に、ただそこに存在するだけの「私」の姿が映り込む。きっと信者たちも自分の姿を直視したくなくて、鏡に背を向けていたのかも知れない、と、思考の片隅で村で続く意味のない儀式に思いを馳せる。
これは、彼らに残された最後のケジメであり……――――機会でもあった。
「いいよ」と言ってしまった手前、今更断るわけにも行かない。
確かにこれは村上一人では成し得ない事だ、「私」が手を貸してやらねば達成しない。
「お力をお貸しください。」
「しょうがないなあ……」
気は進まなかったが、どうしてもと言うのであれば仕方がない。
「私」はいつでもどうぞ、と右手を頭上へと翳す。
薄い雲の合間から覗く青に一筋の赤い縦縞が亀裂のように走る。
瀬戸内海をなぞるそれは先程まで青空を揺蕩っていた大蜈蚣よりも長く、列島を覆い尽くすと、パックリと割れる。
――――そして、開いた隙間から「私」の瞳が覗いた。
あの日、村上の頭上に降り注いだものと同じ一つ目で静かに見下ろすと、彼は「嗚呼……」と感嘆の声を漏らした。
「美しいなあ……相変わらず……」
「じゃろ?」
褒められて悪い気はしない。
この行為自体に何も意味はないのだが、きっと彼が最期に見る光景に相応しいだろうと思ったからだ。「私」は上の目で村上を静かに見下ろす。小さく、か弱いながらも、懸命に、ただがむしゃらに生きた、一人の人間を……――――一切の光を拒絶していた黒い瞳に「私」が照らす赤い光が、彼の覚悟となって灯っている。
「……――――そう言えば、名前を考えたんよ。」
「名前、ですか?」
「うん、朔也の神としての真名……――――必要ないかもしれんけど……」
「へえ……」
「いくつかねぇ、候補があったんじゃけど……―――君との約束……あの子を人として生かすなら御蔵入りになりそうじゃ。折角じゃけぇ、たった今思いついたのだけでも聞いちゃあくれんか。」
「お聞かせください。」
「私」はかつて、母が……――――小江柘榴と初めて出会った日に向けられた眼差しを思い出し、それを真似て精一杯の笑みを浮かべて村上を見つめ、答えた。
「――――八朔日尊。」
村上が「えっ」と驚く表情を浮かべ「私」を見つめる。
その様子が微笑ましくて思わずふふっと笑みを零しながら続けた。
「君の名前の『八朔』と、ツイタチが与えられた本来の名前……――――『朔日』。”朔日”と書いて”サクヤ”ね……――――合わせて『八朔日』……――――君等からあやかってみたけど、どうじゃろう?」
村上は一瞬だけきょとんとしたが、すぐにいつもの困ったような笑みを浮かべて小首を傾げた。その顔はいつものような能面ではなく、半分は気恥ずかしさでもう半分は呆れているようだった。
「光栄……――――と答えねば、不敬にあたりますかね?」
「あれぇ?変だった?ウマシタチバナJrの方がまだえかったかね?」
「いいえ……――――いいえ、良い名だと思いますよ。」
本心です、と村上は笑う。
「八朔日……か……――――ならば、俺はその最初の贄となりましょうか。」
――――八朔日の贄。
村上は愛しい弟にもう、二度と会う事はない。
「私」の申し出を断ったのも、彼なりの意地なのだろう。
贄、というよりは礎だ。
彼の覚悟は新たに生まれる神の基礎となり、その生涯を支え、祝福をもって照らし続ける。
「私」は視線で「どうぞ」と促すと、彼は深く一呼吸を置いて、両手で掬い上げた胎児を躊躇わず口に含んだ。
村上は口の中に広がる血肉にむせ返りそうになりながら、眉間に皺を寄せ味わうように何度も歯で噛み締める。
あの日、彼が道を踏み外した日。
一人の少女を赦しを得て、畜生に成り下がった日。
二度と味わうことはなかった、この世で最も罪深い、人の肉の味。
――――全てはこの行為から始まり、そして終わるのか。
奥歯で形成されかけた骨を噛み砕き、溢れ出る血肉を舌でねぶる。
存在するはずであり、何処にも存在しなかった、誰からも忘れられた命を、確かにそこにあったと証明するかのように。
「私」としてはあまり見ていて気持ちの良い光景ではないので目を背けたくなったが、ぐっと堪えて正面から愚行を見つめる。
やがて口内で原型を留めないほど噛み砕くと、村上はごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。
そのタイミングで、私は振り上げていた右手の人差し指を拳銃に見立てて振り下ろし、「パン」と彼の心臓に撃ち抜く真似をする。
――――刹那、村上の心臓が大きく跳ねた後、一度その動きが止まる。
薄い唇を最大限に広げ陸に上げられた魚のようにパクパクと上下に開閉し、ズタボロの赤いシャツを爪が剥がれるまで掻き抱き、仰向けに倒れ込む。
「あがッ!!」
――――絶命の痛みを与えたのは、彼が罰を望んだからだ。
――――産みの苦しみを与えたのは、彼の決断が正しいものではないとわからせる為だ。
実際には彼はどこにも消えはしない。だが、自身が望んだ罪の重さがどれほどのものなのか、そしてそれがどれだけ愚かな行為だったのか、残される人々の悲痛な顔が脳裏に浮かび、どうしても味あわせてやりたくなった。
突き出した右手を握り締めると、村上の呼吸が完全に止まる。
元々輝きの乏しい硝子のような黒い瞳から完全に光が消え失せピクリとも動かなくなり、だらりと弛緩した手足がまるで人形のように見えた。
ありったけの苦痛を与えたつもりであったが、村上の最期の表情は安堵しきったように穏やかであった。
「私」はすべてを見届けた後、ひと仕事終えたかのようにふうと息を吐く。
その瞬間、背後でガンとなにか大きな物が倒れる音が響いて、汗だくの弥勒藤太が屋上に足を踏み入れた。
折角斎東多聞によって治されたにも関わらず、無我夢中で屋上のドアを殴り続けた結果、指の関節が逆方向に曲がり真っ赤に染まっている。
「私」は痛々しさに一瞬だけ眉を顰ませたが愛らしいその存在に大きく両手を広げた。
「みーちゃん!」
「村上ィッ!!」
弥勒は抱きつこうとした「私」に一切視線を向けないまま突き飛ばすと、横たわる村上に大股で近づいて胸ぐらを掴んで引き上げる。
そしてズボンのポケットの中にある千鶴と同じ翡翠色の瞳は限界まで広がり、激しい憎悪を含んで村上の顔を覗き込んだ。
「てめえは……――――てめぇだけは……ッ!!」
「ぁあ……」
――――引き上げられた村上の喉から、か細い声が漏れる。
黒い眼球がぐるりと一回転をして、再び生気を取り戻すと太陽光を反射して赤く煌めいた。
そして、弥勒の顔を捉えると大粒の涙を浮かべた。
「うぁ……ああ……わあっ……」
「な、何だ……――――?」
赤子のように声を上げて泣きわめき出した村上に、弥勒がぎょっとその身を逸らす。胸ぐらを掴んでいた指の力を少し緩め、まじまじと異様に泣き喚く村上を見つめ返す。
「ああ、ああ……う……――――」
「村上?」
「《《産まれたんよ》》。」
何が起きたのかわからない様子の弥勒に、「私」は腰を擦りながら応える。
「産まれたんじゃ。この”現し世”に……」
「何を……」
弥勒の目には頭上の「私」の姿は映らない。
《《映させたくない》》。
彼の人生には一切必要がないまま、穏やかに生を過ごして欲しいからだ……――――いかんせんきかん坊なので、難しいかもしれないが。
村上は弥勒から視線を「私」の瞳が浮かぶ空へと移すと嗚咽を出しながら手足をバタバタと動かした。手と足を認識していながらもどう動かして良いのかわからないのだろう、床板を蹴り上げながらあらぬ方向へ伸ばしては引っ込めている。
自身の身になにが起きたのか、全く理解が追いつかないだろう《《その子》》に、せめてもの祝福を込めて優しく語りかける。
「それが《《生》》だよ。そうやすやすと慣れないと思うけど……」
「何が、起きた!?村上……――――お前は……?」
再び弥勒は胸ぐらを掴んだ手に力を込めて村上の顔を覗き込む。
口を大きく広げ酸素を吸い込む村上の喉からは、赤子のような泣き声しか漏れない。
その様子を眺めて察したように弥勒は手を離して起き上がり、上半身を後ろに下げる。
――――《《村上ではない》》。
少なくとも、《《先程まで殴り合っていた村上ではない》》。
「だ、誰だ……?」
弥勒の顔が恐怖で引きつった。




