八朔日の贄 その10
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「私」を村上は極限まで目を見開いて見つめる。
驚くのも無理はないだろう、突然この場に現れたように見えた筈だ。
本当はずっと前から見届けていたのだが。
「ほんまよう似せちょるね。まさか入れ墨まで真似られるとは思わなんだわ……まあ、これはお父さんも同じもんを入れとったし、それを真似たんかもわからんけど……――――」
「貴方は……――――」
「久しぶり。」
村上は相変わらず呆然とした表情のままこちらを見つめていた。
滲んだ視界の向こうに映る「私」の姿は先程撃ち殺した男と寸分違わず全く同じ姿に息を呑む。
多摩と弥勒、自身の血、そして千鶴の体液でドロドロになった姿を見下ろすと大粒の涙をこぼし始める。
「貴方が、本物の晦彦様ですね……?」
「そうだよ。」
村上の薄い唇から、湧き上がる興奮を鎮めようとふうふうと息が漏れる。
「私」は目線を合わせるようにしゃがみこんでその顔を覗き込んだ。
人が鏡のようだと例えた黒い瞳に、父と母に似せて構築した「私」の顔が映り込む。
本格的に人の表情を真似ていると自負していたが、どうも彼の目を通して見る「私」の顔は人工物のような違和感が張り付いていた。
村上は2,3度、緊張を息と共に飲み込むと千鶴の瞳を抱きしめたまま、深々とその頭を下げた。
「……――――お会いしとうございました……」
「うん。」
14年。
村上が「私」に出会い、朔也が産まれて14年間。
雨の日も晴れの日も欠かさず信仰し続けてきた、唯一無二の神。
慈悲深さに感謝しながらも、残酷さに違和感を覚えつつも、ただ祈り続けた神。
村上は額を床に押し付けて嗚咽を漏らす。
「私」は泣きじゃくる村上に少々飽いて、立ち上がると地上の様子を伺った。
悪意を引き起こした蜈蚣も、罪悪感を増長させたツイタチを消し去り、ようやく人々は解放されたにも関わらず国道や商店街からは未だに悲鳴が飛び交っている。
「えらい騒ぎになってもうたの。どうしょうかねえ、ほんまに……――――」
「……――――|宇摩志多智花津隠里比古神様……――――」
「晦で良いよ、長かろう。うーん……――――普段は君らの営みに干渉するなんて野暮なことあまりしないんじゃけど……まあ、今回は特別になんとかしてあげようか……」
「……――――お救い頂けるのですか?」
「少しね?蜈蚣を駆除したけぇ、多分あまり怒られんと思う。」
「人は、災害に脅かされても、前を見て生きて行けますが……」
「うーん、でも来週の祭りがないと困るのは俺だけじゃないし……――――まあ適当に良いようにしとくわ。」
「私」の言葉に村上は強く瞼を閉じて盛大に眉間に皺を寄せた。
全てを救えない事に失望したと言うよりは「私」の都合で現実が書き換えられる事に、あくまで人間が神にとって矮小で都合の良い玩具に過ぎないと悟ったかのように……――――随分と心外である。
村上は「失礼します」と断りを入れてゆっくりと頭を上げ、両手で包み込んだ千鶴の眼球を差し出した。
「私」がそれを髪と同じ鴉色に塗られた爪を包み込むように受け取ると、ほっと安堵の息を漏らす。
「彼女は……俺を……――――人々を守る為に全てを尽くしました……」
「ほんまに……――――今回の生は《《慰安》》のつもりじゃったのに、無理をさせた……」
「彼女は……――――どうなるのでしょうか?」
「別に。」
村上からこぶし大の眼球を受け取ると、立ち上がって太陽に翳す。
翡翠色の瞳孔が宝石のように輝いて、深く澄んだ緑の虹彩が幾重にも光を乱反射した……――――そこに、もう彼女の意思はない。
あるのはほんの僅かに残った”知恵”だけだ。
「向こうへ戻って、黄泉で一度穢れを祓う。その後、またこっちに戻ってくるも良し。向こうで残りの休暇を終えるも良し……――――まあ千鶴はその気になればすぐ帰ってこれると思うよ。八尾虎……斎東多聞はちょっと難しいかな……――――アイツは怠けて免許の更新を怠ったけぇな、三百年は無理かもしれん。」
「……――――そうですか。」
「そんな悲観しなさんな。ほんまに君らの死とは概念が違うけぇ……――――言うほど悲しいもんじゃ、ありゃあせん。」
ちらりと視線を千鶴の眼球から村上に向けると、彼は真っ直ぐに背を伸ばして正座をし、少々納得のいかないと言わんばかりに不服の表情を浮かべて「私」を見上げていた。
無理はないだろう。
例えすぐにこっちに戻ってきたとしても、それはもう村上の知る「西千鶴」ではない。
例え再び”藤原蜜柑の妹”と言う、同じ名前、同じ境遇の同一の皮を用意しても、黄泉で祓った穢は残らない……――――それは村上から見れば別人なのだ。
―――――4月から2か月、ほぼ寝食を共にした女にはもう二度と会えない。
「あの蜈蚣は、あいつの息子を喰らった。その仇を討てたんじゃ。ええ人生じゃったと思うよ。」
「……―――――」
背後でがんッと何かを強く叩く音が響く。
振り返ると屋上のドアが何度も鈍い音と共に振動している。
――――千鶴が死んだ事で拘束していた氷が解かれた藤原蜜柑がすぐ後ろまで来ている。
弥勒は村上という単語以外聞き取れないほどもつれた怒号を上げながら、屋上の入口をこじ開けようと何度もドアを強く叩き脚で蹴り上げる。
すぐに開けてやってもよかったが、もう少しだけ村上と会話を続けるべく、壁越しに籠もって響くそれをあえて無視をする。
エレベーターはまだ動いていたはずだが、使用禁止にでもされたのか、内部の階段を駆け上がってきたのだろう。怒号の合間に荒い息が漏れている。
「……――――朔也は……」
「ああ。会いにいかんの?みーちゃん、引きつけとこうか?」
「いいえ、やめておきます……――――」
「なんで?」
「俺だけがのうのうと身内に再会する資格がない……――――それに、恐ろしいのです。今更、どの面を下げて会えばよいのか……」
「堂々と会えばえかろう、その為にここまで来たんじゃろ?」
「ええ。ですが、御使いや蜈蚣の目をあの子から背ける騒ぎが起きれば良かったんですよ。もう、十分過ぎる程、起きました……――――俺はあの子に幸福に生きて欲しかった。全ては《《それだけ》》でした。でも、結局俺がやった事はなにもかもが間違っていた。灯ちゃんだけじゃない、大勢の人を死なせてしまった。」
「君が最善を尽くそうと頑張ったことを、俺は知っちょるよ。」
――――ただ、がむしゃらに目の前の全てを救おうと足掻いたその人生を。
人より多く持って産まれたが故に、人の為を思って、自らを犠牲にして駆けずり回った姿を、「私」は知っている。
14年間、”朔也の兄”としてただ直向きに生きた、霊長の頂点という自覚すら手放した青年。
……――――その結果、大事な家族や友達を最悪な形で失ってしまったとしても、彼の善性は本物だった。
「確かに直情的だし馬鹿正直で、もっと他にやりようがあった事は否めはせんが……それでも君が全てを守ろうとした姿を俺は見てきた。」
「…………――――」
「よう頑張ったね、ほんまに。えらいえらい、いい子じゃねえ。」
「…………――――そうでしょうか。」
「私」は再び彼の前にしゃがむと、千鶴の眼球をパーカーのポケットにしまい込んで右手でその黒く切り揃えられた髪を撫でる。
村上は恥ずかしげに視線を少し泳がせた後、再び真っ直ぐ「私」の顔を見つめた。
「……――――褒美を……」
「うん?」
「もし、俺を憐れんで下さるなら、褒美を二ついただけますか?」
「いいよ。元通りにしてとかは嫌じゃけど……」
「いいえ、もっと小さい事です。一つ目は……――――弟を……あの子を救ってあげては頂けませんか?」
「朔也を?」
「はい。」
村上は真っ直ぐに「私」を見つめ、一度深く息を吸い込んで緊張を吐き出すように続けた。
「弥勒は……――――藤原蜜柑は俺が生き続ける限り、あの子に危害を加えようとするでしょう。あの村も、貴方がた神々と畜生の区別が碌につかないまま、あの子を贄として捧げようとするでしょう……――――そして、貴方がた神々もあの子を馳走として喰らおうとするのでしょう……――――どうか、それを止めて頂きたいのです。」
「どうして?」
「俺はあの子を守りたかった。目の前の全てを救おうとしましたが、結局の所、あの子が助かるなら見捨ててもよかったと、今もなお後悔すら抱く程、あの子が大事なのです。あの子が……――――朔也にどうか《《人として》》の幸福な生を与えてやっては頂けませんか?」
「うーん……」
村上は自身の髪に置かれた「私」の手を取ると、自身の眼前に祈るように両手で包み込んでその額を押し付け、瞳を深く閉じて強く縋る。
「あの子は……貴方様の子です……――――半分は人ではない……」
「その事じゃけどねえ……――――12月31日まで生き残れば、《《こっち》》に加えようと思うちょったのよ。」
ピクリと、「私」の手を握る村上の指先がかすかに震える。
「元々《《賞味期限》》を設けとったのね。御使いどもから生き残った個体は神として育成する……――――今まで実例は少ないっちゅーか殆どないけど……」
「……――――そう……だったのですか、構いません、それでも良い。どうか……――――」
人として、と村上の薄い唇が音もなく紡ぐ。
半分は嫉妬だろう。
特別な唯一無二に焦がれて、結局はただの人でしかない現実に対して。
残りの半分は本当にただの慈悲なのだろう。
神として選ばれた者の生が過酷なものであるという確信と、14年という短い月日に対する思い入れと。
実に矛盾した動機があまりにも人間らしくて微笑ましさを覚え、「私」は口元に笑みをこぼしその両手をしかと握り返した。
「……――――わかった。いいよ。《《俺のやり方》》でよければ、みーちゃんからの殺意も、村の思惑からも、御使い共からも、その生涯を責任もって守ってあげる……――――お父さんじゃしね、約束する。」
「……ッ!……――――ありがとう、ございます。」
「でも、あまり期待はせんといてね。御使いどもは、俺に絶対服従というわけじゃない。一度交わした約束を破るとまた反旗を翻す馬鹿も出てくる。」
「存じております。」
村上は一瞬だけちらりと未だに煙が立ち込める駐車場の方向へ視線を移す。
ここからの角度では見えないが、車から這い出た山上が地面に座り込み始末書の心配をしながら車体から立ち上る炎を眺めていた。
「二つ目の前に一つお伺いしてもよろしいですか?」
「なーに?」
「何故、弟の顕現先に俺の家を選ばれたのですか?」
あの日。
鞆の浦から帰る車で事故を起こした日。
「私」が村上を見初めた日。
ことの全ては、恐らく、そこから始まっていた。
「君が優しそうな子じゃったけぇ、かの。」
――――嘘をついた。




