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4.破綻自治体への左遷

 労働基準法が適用して貰えないブラックな職場に山口が勤務して8年が過ぎた。


 山口も入省1か月後には、眼鏡を着用するようになり、課長補佐に昇進した頃には、殺伐とした職場の光景が当たり前に思えるようになっていた。

 米川達、先輩職員に守られていた山口も過酷な職場で鍛えられ、少しだけ逞しくなった気がする。

 そんな山口が、さらに激務な大臣秘書官、それも与党の重鎮議員でもある河田代議士の大臣秘書官に抜擢され、真剣に転職を考えていた頃、事務次官の旭川に次官室に呼び出された。 

旭川事務次官は、8年前に山口を採用した人事課長である。その後、順調に昇進を重ね、事務次官に就任していた。小樽も、その頃には、昇進して大臣官房人事課長になっていた。

 

 旭川は、ソファーに座るように山口に促した。小樽が武闘派ヤクザとすると、旭川次官はフロント企業を経営していそうなインテリ系の経済ヤクザ風の人相である。

 旭川が、無理やり笑顔を作っても、目は笑ってない。銀行屋に見えなくもないが、官僚はヤクザに例えるのが好きな人が多い。畏敬されている幹部は、組長とか若頭と呼ばれ、あまり人望がない幹部は、頭取と呼ばれていた・・・。


 旭川次官も、そのことを知っていたから、マフィアとか指定暴力団の大親分とか、ゴッドファーザーと陰でキャリア組に呼ばれているのをあまり嫌がらなかった。

 

 しかし、止めておけばいいのに、調子にのって部下に媚びゴッドファーザーのテーマ曲、「愛のテーマ」をカラオケで歌うものだから、コルレオーネを略して、コルちゃんと陰で呼ばれていた。

 山口が事務次官である旭川に遠慮して、立っていると、旭川はソファーに座った。

人事課長の小樽は、それを見届けるとソファーにつき、続いて最下級の課長補佐の山口が着席する。

 「うちの村も因習だらけだな。自分が事務次官になったら村の因習を変えようと思って入省したつもりだったのだがね」

 「でしたら、お茶汲みと弁当取りを・・・」 

 旭川が山口の話を遮る。

 「無理。事務次官なんてね、まったく権力がない。他省庁と足並みをそろえる必要があるからね」

 「お茶汲みは、そのレベルの因習なんですか。今、民間で同じことをやったら大炎上ですよ。」

 「因習を改める方が、法改正より難しいとは思わなかったよ。次官になるまではね」

 旭川は、マフィア顔の割には腰が低い人物だと山口は思う。

 「それはさておき、山口さん。君、河田大臣に気に入られたみたいだね。厄介なことだけれどね・・・」

 「河田大臣は、私が好きなのではなく、若い女性はすべてお好きな紳士ですから」

 「山口さん、頼むから危ない発言を大臣にしないでください。それでね、話を戻すと河田大臣が厄介なことを頼んできてね」

 旭川は、小樽に目くばせした。小樽人事課長は、旭川に変わって山口に説明をする。

 「エース級の人材を自分の選挙区の北海道に欲しいと河田大臣が頼んできた。まあ、ごり押しだね」

 「それは、私に何か関係があるのでしょうか?私、一橋大学出身ですし、経済職ですよ。W合格組の米川先輩の方が・・・」

 旭川と小樽は、山口の素直な皮肉に苦笑する。東大相手には、細田はトリプルという言葉は使わない。

 「大臣ご指名の山口さんは、一橋出身ですから国土交通省のエースではありませんと、早稲田大学の政治経済学部ご出身の河田大臣に言うのかね。そんな失言で事務次官を辞職した愚か者の伝説は作りたくないね」

 「まさか、私は河田大臣への生贄ですか」

 旭川と小樽は首を横に振る。

 「不思議なものでね。自分が採用した人間は生贄には出来ないものだよ。小樽君も課長に昇進した最初の課の新人だろ、山口さんは」

 「冷血な我々にも、情が湧くから不思議なものです」

 淡々と小樽人事課長が答える。

 「山口さん、北海道の申路市を知っているかね?」

 旭川の質問に山口が答える。

 「確か、人口5千人でしょうか。サロマ湖の近くの自治体ですね。財政状況が悪いようですが・・・」

 申路市の財政状況は悪い。1千以上ある地方自治体の中で、山口が名前を覚える程度には、申路市は悪い意味で目立っていた。

 「観光やら、企業誘致やらいろいろ手を出していたのだけれど、来年には財政破綻するね」

 小樽がそう言うと山口が間髪入れずに言った。

 「ほら、やっぱり破綻自治体への生贄じゃないですか」

 官僚は減点方式で昇進する。手柄を立てたものが昇進するわけではない。マイナス評価がない人間が、昇進するのだ。財政破綻する自治体に派遣されれば、マイナス評価になる。

 「申路市長が河田さんに泣きついてね。大臣は、衆議院議員になる前に北海道で道議会議員をやっておられてね。申路市長は、大臣の道議時代のまあ、子分だね」

 「山口さんを札幌にある北海道開発局の部長にしたい。そこから、申路市の理事にでも出向して欲しい。1年で必ず本省に呼び戻します」

 山口は、旭川と小樽の顔を交互に見る。

 「次官、よろしいでしょうか?」

 「どうぞ」

 「課長補佐レベルの人事で次官が私に打診をされる理由をお伺いしてもよろしいですか?自治体出向は良くあることですよね」

 暗に人事課長の小樽が内示をすれば、よい案件ではないかと山口はかまをかける。

 「小樽君。説明をお願いします」

 「河田大臣は、財政破綻確実な申路市に国から人質を取りたいんだよ。最初の打診は、本省の課長クラスを副市長に出向させろという要求だった」

 「人口5千人の小規模自治体の副市長に課長クラスの40代の職員は出せない。40代の人間なら数十万人の政令市クラスだね。30代で副市長を出せば、よその省庁との関係が悪くなる。総務省が、申路市のケースを前例に若手を大量に副市長にねじ込むだろうね。申路市クラスでも、30代前半で市の部・課長クラスがギリギリだね。できれば、20代の子を送りたいところだけどね」

 「つまり、厄介な大物与党族議員の政治案件の人事ということですか?」

 旭川は静かに頷く。

 「そういうことだね。北海道のあの辺りは与野党がごちゃごちゃしているからね。国土交通省を政争の舞台にはしたくないんだよ。山口さん、あなたは総合政策局に異動する前に、河田さんの大臣秘書官をやっていただろう?」

 「セクハラ研修ですね」

 満面の笑顔で山口は答える。旭川は苦笑いをして、

 「あなたの大臣相手でも、物怖じをしないその豪胆な性格を河田さんがお気に入りでね。どうだろうか?」

 「私は、河田大臣をお気に入りではありませんけど・・・」

 「ぶっちゃけるとかなり損な仕事になるね」

 「しかし、課長クラスを派遣すると万が一の時に、本省に呼び戻せなくなる。下手をしたら、財政破綻後に市長に担がれる危険性すらある。30代の君なら、私が次官を退官していても怪我をさせずに呼び戻すことができる。課長補佐が出向先から戻れなくなったら大事件だからね。どうだろうか」

 「『わかりました、つつしんでお引き受けします』以外の回答が出来るのですか?」

 一呼吸して、山口はぽつりとつぶやいた、

 

 「ああ、退官して、河田大臣の選挙区から出馬するという代替案もありますね」

 はっとした顔で旭川が山口の顔を見る。

 「30代だと本当に出馬するよね。忘れてください。ジョークだから、イタリアン・ジョーク・・・。君達の世代は血の気が多いから、選挙に出馬しそうで怖いよ」

 山口は静かに頷いた。

 旭川と小樽は、深々と山口に頭を下げる。

 「国土交通省に、帰って来られるのですね」

 山口は小さな声で呟くと、一礼をして次官室を出た。


 国土交通省の山口望は、こうして北海道の申路市に出向することになったのである。

 山口は1週間だけ、札幌にある北海道開発局に勤務した。形だけは、開発局の部長となり箔付けをする。そして、部長として、北海道庁に挨拶回りが終わるとすぐに、申路市に出向するよう辞令が発せられた。


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