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1 ラース、邪神と戦う――【百年前】



 ラースはカピバラの姿で、自作の温泉にぬくぬくと浸かっていた。

 草はうまいし、空は青い。湯加減は完璧。

 ……そして、世界は滅びかけている。


「キュイキュイ(そろそろ、次の邪神が目覚める頃か……)」


 分かってはいたが、ラースは重たい腰を上げ兼ねていた。


「ラース、やっぱりここにいた! またカピバラになってるし」

「本当に困ったもんじゃのう」

「あのあの! 本当に、そろそろ行かないとマズイです!」


 口々に言われて、ますます面倒になった。

 この呪い、自分にとっては快適なのに、解かねば世界の危機だというのだ。

 まったく困ったものだ。

 どうしてこんなことに……。ラースは湯に潜って考えた。


 あれはまだ、ラースがただの王子だったころのこと。

 我が国で、邪神が目を覚ました――。




   ――百年前――



「ラースよ、邪神を打ち倒して参れ」


 陛下の命令を、ラースは静かに受け止めた。

 邪神には早急な対処が必要だ。だが、まさか一人で行けと命じられるとは。


 与えられたのは一振りの剣だけだ。かつて邪神討伐のために聖女が祈りを捧げた聖剣だそうだが、長い間しまい込まれたそれは、もはや廃品同然に見えた。


「ラース! 邪神退治を命じられたのだろう!」


 前方から笑いを含んだ声で呼びかけられ、廊下を歩いていたラースはピタリと足を止めた。

 やってきたのは半分血のつながった兄であり、この国の王太子だ。

 耳が早いというよりは、これは、彼が陛下に進言したことなのだろう。


「そなたになら楽勝だろう? 次期大魔法使いとも噂されるそなたなら!」


 ラースは静かに頭を下げたまま、内心で苦笑を堪える。

 兄は大魔法使いのことを、”魔法が少々得意な人間”くらいにしか思っていないようだ。

 あれは理を越えた者。只人にたどり着ける境地ではないのだ。


 ラースが無言でいることに、気まずさを感じたのか、兄はわずかに声を上ずらせた。


「はっ、せいぜい役に立つんだな!」

 一方的に言い捨てて、去っていった。


 部屋に戻り、ラースはコツリと窓に頭を押し当て、暗い庭を見下ろした。

 窓は鏡となってみすぼらしい王子の姿を映し出す。


 短いクルミ色の髪に、深緑の瞳。いつもろくに人と目を合わせることもできずに、半分伏せられたまぶた。十五歳には到底見えない、華奢な体と少女じみた顔立ち。


 人より成長が遅いのは、マナを身のうちに多く抱え込んでいる証拠だと、大魔法使いが言っていた。

 愛妾の子でありながら、王子としてこの城に留め置かれるのは、魔法の才があったためだ。


 だが、そのせいで母は離宮に追いやられ、ラースは王妃と兄に疎まれている。そして陛下にも――。


「陛下は、私に死んでこいというのだな……」

 

 


 ラースは剣を携え、夜明けとともに城下へ続く長い階段を下っていた。


「一人で行くつもりか、ラース、水臭いのう!」


 うしろからのんびりした声が聞こえて、ラースははじかれたように振り向いた。

 二十代ほどに見える青年が朝焼けを背に立っていた。

 水色の髪をゆったりと腰のあたりで結わえ、長身によく似合う紺色の長いローブをまとっている。


 声と姿こそ若々しいが、彼は二百年以上この城を守りぬいてきた大魔法使いだ。

 彼が愛用の革袋を肩にかけているのを見て、ラースは目を見開いた。


「グー、どうして……」

「邪神退治じゃぞ? そんな面白そうなことわしが見逃すと思ったか?」

 言葉通り、グースレウスの瞳はいたずら者のように輝いていた。浮き立ちそうになる心を、ラースは細い息とともに静める。


「だがグー、そなたがいなくては、この国の守りはどうなる」

「わしとおぬしが出向いて倒せぬなら、どのみちこの国はもうおしまいじゃ。だったら勝率の高い方をわしは選ぶ! このままじゃと、足手まといをたんまり連れて出撃せよなどと言われかねんからのう!」


 キッパリした言いぐさにラースは苦笑して、頷いた。

「違いない」

 わざわざ握手など交わさない。二人はそうやってひっそりと出発した。


 グーの言う通り、兵士をどれだけ引きつれようとも、邪神の前では無意味だ。

 彼らは恐怖を糧にする。心の弱いものが近づけば、たちまち精神を蝕まれて、良くて廃人。悪ければ、邪神の手下となって味方を襲ってしまう。


 その光景は人々の恐怖をあおる。そして邪神は、さらなる力を得るのだ。


 邪神はサルに似た姿をしていた。毛皮の代わりに黒炎をまとい、金色の目を怪しく光らせている。

 恐ろしく強い相手だった。


 実際、グーの助力がなければラースは今頃、あたりの景色と同じように、焼け焦げた残骸になっていたことだろう。


 ラースとグーは土くれを飛ばし、氷を突き立て、風を刃として少しずつ邪神を削っていった。

 そうしながら、聖剣を振るう機会を探っていた。グーの見立てでは、加護はまだ残っているそうだ。だが、同時に「一度振るえば砕ける」とも言っていた。

 

 好機は一度だけ。


 邪神はグーとラースの攻撃を受け、肩で息をしている。

 体の半分を削り取られもなお、彼は戦意を失うことなく怒りの咆哮を上げた。

 

 突如轟音が鳴り響き、辺りに強風が吹き荒れた。むき出しの顔や手に、ピリピリと痛みが走ったものの、邪神の放ったいかずちは、グーの魔法の盾によって防がれた。


「さすがだな、グー!」

 ラースも負けじと手の平にマナを貯め、邪神の腹めがけて氷の槍を打ち込んだ。「ギャッ!」と倒れこむ邪神の足元に、グーがすかさず木の実を投げつける。


縛樹(ばくじゅ)よ、思う存分絡みつくんじゃ!」

 グーが命じると、木の実は大地を割って芽吹き、瞬く間に蔓を伸ばして邪神に巻き付いた。


「今じゃ、ラース!」


 邪神は狂ったように暴れ、蔓を引きちぎり口から炎を吐いて焼き払った。

 だが、一手遅い。

 ラースはすでに邪神の首に狙いを定めている。


 深く息を吸い込み、止める。

 同時にラースは剣を振るった。


 ――倒せる!

 そう思った瞬間、聖剣に亀裂が入り、砕け散った。

「――あっ!」

 ほんのわずかな焦りを糧にして、邪神はラースの細い首に手をかけた。

 

「おのれ許さんぞ! 人間の分際で……我を、ここまで追い詰めるとは!」

「いかん! ラース、しっかりせい!」


「呪ってやる! カ……バラとなって彷徨うがいい!」


 今なんて? カピバラ?

 次第にぼんやりする意識の向こうで、ラースは考えた。


 カピバラというのはアレのことだろうか。温泉に入ってぬくぬくしている大きいネズミのことか?

 ああ、それもいいかもな。カピバラになってのんびり暮らすのも。


 輝かしい凱旋など、想像もできないラースにとっては、そちらの方がよほど魅力的に思えた。

 




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