第22話 じゃあさ、ウチの家来ない?
いきなり火車さんに、部屋に行きたいなんて言われたが……俺はそれを、断った。
はぁあ、ここで断っちゃうのが俺が男としてダメなところなんだろうか。いや、そんなほいほい女の子招き入れるのもチャラいし。
それに、久野市さんの存在がある。こんなときに居るなんて、じゃ……タイミングの悪いことだよな。
「そっか、親戚の子……それじゃ、仕方ないね」
「そ、そうなんだ。悪いな」
火車さんには悪いことをした……異性の部屋に行きたいと本人に言うだなんて、よほどの勇気がいるだろうに。
今度、なにかお詫びしないとな。
さて、そろそろ俺のアパートと、火車さんの家との分かれ道であるが……
火車さんは、いつもの分かれ道で止まる。が、なぜか俺の手を握っていた。
「ひ、火車さん!?」
学校では一番話す女の子で、昼メシや放課後はほとんど一緒にいる。友達だ。
だけど、こんな風に手と手で触れあったことなんてないし、手のひらから感じるあたたかさと柔らかさに、緊張してしまう。
「ねえ、親戚の子って、いつまでいるの?」
「それは……わ、かんない、かな」
「そっか。じゃあさ、ウチの家来ない?」
「は?」
ぎゅ、と握る手に力が入る。それは火車さんから加えられた力。
しかも、俺の部屋がダメなら自分の家だなどと。これは、完全に誘われているのでは?
彼女はうつむき、表情は見えない。
「や、その……いきなり家は、まずいっていうか。
ほら、親戚の子の世話、しないといけないから。だから今日は……」
「……ちっ、めんどくさいな……」
「え、なんか言った?」
「ううん、なんにも」
今、なにか聞こえたような気がしたんだけど……気のせい、だろうか。
顔を上げた火車さんは、にっこりと笑顔を浮かべていた。いつも見せてくれる、笑顔……
……の、はずなんだけど。
「そっか、ごめんね。引き止めちゃって」
感じた違和感、それを考える間もなく、火車さんは手を離す。
ぬくもりが消え、手が自由になった。なんだか寂しいような、そんな気もしてしまう。
もう、火車さんは俺を引き止めるつもりはないようだ。
「いや、俺こそごめんな。せっかく誘ってくれたのに」
「ううん」
「今日はホントに、都合が悪いだけで……今度絶対、招待するから」
「うん、楽しみにしてる。じゃね、バイバイ」
「あぁ、また明日」
火車さんは笑顔を浮かべたまま、俺に手を振る。俺も手を振り帰しつつ、反転して……アパートへの道へと、歩き始める。
……はぁあ、柔らかかったな火車さんの手。それに、俺の部屋に来たいとか、自分の家に案内しようとするとか。やたらと積極的で……あぁ、明日から今までと同じ態度でいられるだろうか。
今はとにかく、久野市さんだ。ちくしょう、彼女さえいなければ、火車さんが部屋に着ていたのかもしれないのに。
一刻も早く、久野市さんには出て行ってもらわないと。俺は別に変なことを考えていない。これは久野市さんのためだ。
いつまでも俺の部屋に住まわせるわけにもいかないし、今後のことをちゃんと考えないと……
「おっと」
「……っ」
なにかにつまずいてしまったようで、バランスを崩す。前方に倒れそうになり、お辞儀をするような格好に……倒れてしまいよう、足を強く踏みしめる。
その、直後だ……頭の上を、風が横切った。ぶわっ、と強い風が、不自然なほどに。
それだけじゃない……チリッ、と髪の毛に、不自然な感覚があった。
反射的に足を前に出したことで、前方に倒れるのは防ぐことができた。けれど、頭の上……いや、正確には背後だ。背後に、なにかとても嫌な予感がある。
それを確認するのが怖くて。けれど、確認しなければならないという気持ちもあり……そう考えるのもほんの一瞬のこと、俺はすぐに振り向いていた。
……そこには、火車さんが立っていた。そこに不思議はない。今、彼女に背を向けたばかりなのだ。背後に火車さんがいるのは、むしろ当然だ。
問題なのは……彼女は帰るために背を向けているのではなく、俺の方に体を向けていたこと。そして、その手に……
「……火車、さん……?」
……ナイフと思われる、刃物を持っていたこと。
「ちっ、あーあバレちゃった。運がいいねぇ木葉っち」
「は……え?」
「いや、運が悪いのかな、この場合」
俺を見る火車さんの目は、これまでに見たことがないほど冷たくて……声の調子はいつも通りなのに、本当に火車さん本人かと疑いたくなる冷たさがあった。
手にはナイフを持ち……手の中で、くるくると回して遊んでいる。
信じたくはないが……今、あのナイフで俺を、刺そうとした? 運がいいって、俺があそこでつまずかなければ、あのナイフで切られていたってことか?
火車さんは、なおも冷たく俺を見て、そして笑う。
「せっかく、楽に逝かせてあげようと思ったのにね!」
次の瞬間、ナイフを持つ手が迫る。
「うぉあぁ!?」
迫る刃に、俺は情けなくも腰を抜かし、その場に尻をつく。寸前、目の前を刃が掠めた。
今、体勢を崩してなかったら……俺は、また……!
「ったく、逃げんなよな。せっかくひと思いにヤッてやろうって、せめてもの慈悲くらいはあんのにさ」
「じ、慈悲……? ヤる、って、お前、そのナイフ……もしかして、俺を……」
「あぁ、その命貰い受ける」
……ほんの数分前まで、笑いあって、一緒に下校していた友達。学校でも一番仲が異性と言える。そんな相手が。
今、なんでか俺を殺そうとしている。今まで見たことがない目で、俺を見下ろしている。
「あんまり時間をかけて、誰かに見られても面倒だ。だから……」
「っ……!」
「もう、逃げるなよ木葉っち……!」
周囲には今、誰もいない。でも、大声を上げれば誰か助けてくれるだろうか。
いや、たとえそれで誰かに気づかれても、誰かがここに来る前に俺は……死ぬ。腰が抜け、情けなくも足が震えて動けない。
逃げるなと言われても、俺はもう……
……無慈悲に、ギラリと光る刃が、俺を殺すために……振り下ろされる。