《後編》「デートの次は……」
湖畔でも花畑でもなく。崖から少し離れた森の中。
ロランに抱き抱えられてすすむ。
「ごめんなさい、手を繋げなくて」
「大丈夫。あとで繋ぐから。ああ、そこがいいかな」
そう言ってロランは倒木に腰かけ、私を膝の上に降ろした。
「ここ?」
「そう。少しでも近づいていたいから」とロランは私の手、頭とキスをする。それから
「手を繋いでもいいかな」と嬉しそうに尋ね、私がうなずくと指を絡めて手を繋ぎ、また甲にキスをする。
「でもね、ロラン。私は怒っているのよ。どうして何も話してくれなかったの?」
止まないキスに鼓動が高まるばかりだけれど、大事なことだ。ここまで来た理由の半分は、怒っていると伝えたかったからなのだ。
「ごめんよ、僕は普通に過ごしたかったんだ。同情されたくなかったし、優しくされる理由は同情かもしれないと疑いたくなかった。間違っていなかったと思っているよ。おかげで君と楽しい時間が過ごせた」
「でも!」
「だけどね」とロランが珍しく話を遮った。「どうしても君とデートがしたくて、打ち明けるかどうかをすごく悩んだ」
ロランは私を抱きしめて肩に顔をうずめた。
「『僕は生け贄になるからその前にデートをして』と頼んだなら、僕の願いは叶っただろう?そうしたら満足して旅立つことができる。でも君は?きっと僕のことを引きずるだろう。それは嫌だった」
ロランの身体を抱き返す。
「自分勝手ね。生け贄のことを知らなくても、私は十分にショックを受けたわ」
「……うん。ごめん。僕もどうするのが正解か分からなかった」
「正解なんて、簡単よ。私はロランが好き。あなたに好きと言ってもらいたかった。その一言を言ってくれるまでは絶対にデートなんてしないと意地をはっていたのよ」
ロランはゆっくり離れると私の目をまっすぐに見た。美しい緑の瞳。
「ラアラ。僕は君が好きだよ」
「ええ。私もよ」
「キスをしても?」
「待って」
ポケットからブローチを取り出して、胸につける。緑の鳥のブローチだ。
「お願いします」
目を閉じて、ロランを待った。
◇◇
ロランに抱えられて崖に戻ると、虹色のドラゴンが待っていた。ロランと私はその前に並び立つ。手を繋いだまま。
「お待たせしました」とロラン。
「私も一緒にお願いできますか」と私。
「ラアラ!?」ロランが叫ぶ。
「ダメだというなら、諦めるわ。おとなしく帰って適当な人と結婚して平凡でつまらない人生を送ります」
「ダメだ!」
「ロランではなくてドラゴン様の意見よ」
「だって」ロランがまた泣いている。「君には幸せになってほしいんだ」
「だったらあの日、庭の案内を買って出るべきではなかったわ!」
周りで侍従たちや兵士までが泣いている。
と、
「ちょっと待ったー!」
と背後から叫び声が轟いた。振り返るとそこには──。
「父上!」
「陛下!」
そう、何故か国王がいた。
「父上!どうしてこちらに!」とロラン。
「ラアラが出発したあとに、やはり、これは良くないと思って追ってきた」
確かに国王は簡易な旅装でちょっとばかり薄汚れている。その両脇には兵士がふたり。私と同じように馬で来たのだろうか。
「国を守るためには一族から生け贄を出さねばならぬ。だがたった17歳の他所の娘が息子のために必死になっているのに、私が何もせずに父親だなどと言えるのか」
陛下はロランの向こう側に立った。力強い目でドラゴンを見上げる。
「我が国を守って下さるドラゴンよ。若くはないし美貌も衰えたが、私が生け贄になるのではダメだろうか」
「父上!」
「陛下!」
と声が上がる。
「幸い優秀な宰相や大臣たちがいるし、王太子ももう一人前だ。私が引退しても国は大丈夫。後の事は頼んできた」と陛下。
と、ドラゴンがうなり声をあげた。怒っているようにも聞こえるし、許可をくれたようにも見える。
すると
「あなたは何歳?」と女性の声が尋ねた。
ドラゴンではないようだけど、そちらから聞こえたようだ。
「45歳だが」と陛下が答える。
「年をとりすぎね。生け贄の年齢が決まっているのは、きちんと理由があるの」
「どちら様がお話をなさっているのでしょうか」とロランが聞いた。
するとドラゴンが頭を下げて顎を地につけた。長い首をキラキラと輝く塊が滑り落ちてきて、地面に着地した。
それはドラゴンと同じように七色に光る、人のようないきものだった。姿は二本足で立つ人間なのだが、顔らしき所には黒一色の一対の目がやや離れぎみにある。ドラゴンとお揃いだ。鼻の辺りは緩やかな起伏があるような、ないような。そして口の辺りがかぱりと開き
「私は」と先ほどまでの声がした。
「前回の生け贄のカサンドラ姫よ」
え、と叫ぶ声が幾つも上がる。ロランを見ると、顔を強ばらせていた。
「生け贄は食べられると思っていたでしょう?私もよ。『生け贄』としか伝承されていないものね。でも違うの。『生け贄』の役目は庭師兼彼の世話係りよ」
カサンドラ姫の説明に、ドラゴンが、ガウと吠えた。
「よく考えてみれば、当然よね。王家と国を守る善良なドラゴンが、人を食べるはずがない。この巨体で百年に一度、ひとりを食べても腹の足しにはならないし」
ドラゴンがガウガウとまた吠える。
「遥か昔に、他のドラゴンに襲われて死にかけていたところを、私たちの祖先が助けたそうよ。それから彼は私たちを守り、私たちは一族から庭師を出す。それが長い間に忘れられて『生け贄』となってしまったみたい。人を贈らなくても滅ぼす気持ちなんて、彼には微塵もないわ」
それから、カサンドラ姫は多くのことを説明した。
ドラゴンは谷底に美しい庭園を持っており、一年を通して私たちが知るような花、知らないような花が順番に絶えず咲き、天国のような美しさだという。
だけどそれを維持するには知識と技量を持ってのお世話が必要不可欠で、残念ながらドラゴンでは出来ないのだそうだ。だから庭師が必要で、そのために王族が人を派遣する仕組みができたという。
生け贄の条件に優秀な頭脳とあったのは、このためらしい。
それからもうひとつ。巨体すぎるドラゴンは、自分の身体に手も頭も届かない場所がたくさんある。ほうっておくと鱗が汚れでくもってしまう。だから定期的に水洗いが必要で、それも派遣された人の仕事だそうだ。
どちらにしても、『生け贄』なんて言葉は不釣り合いの、のんびりとして平和な生活を送れるという。
「だけど、この通り」とカサンドラ姫は両手を広げてくるりと一回転をした。
「彼と共にいると魔力に当てられて、少しずつ人でなくなっていくの。それにつれて彼の言葉がわかるようになるし、長命になるのだけど、こんな姿になるし、彼、もしくは彼の巣から長く離れられなくなるの。そちらのお嬢さんは」と彼女は私を見た。「『私も共に』とのことだけれど、これになる覚悟はある?一瞬で食べられて終わりより、よほど大変よ。自分が人でないものに変わっていくのを長い間、耐えなければならない」
「覚悟は徐々に」と私は正直に答えた。「それでもロランと一緒にいたいし、それが辛いならばロランだけにそんな思いはさせたくないです」
「僕だってラアラにそんな思いをしてもらいたくない」とロランがまた泣いている。
「いや、頼むから私を」と懇願する国王。
ドラゴンが、ガウガウゴウゴウ吠えた。カサンドラ姫は彼を見上げてうなずくと、
「今までの生け贄で、待ったをかけた人はいなかった。みな普通に自分の元にやって来たって言っている」と通訳をした。
「不行儀でごめんなさい」と私。
ドラゴンが咆哮する。だけど笑っているように聞こえた。
「先ほど新たな庭師を迎えに行ったはずの彼がひとりで戻ってきて、おかしなことになったと言うの。それで私たちは話し合ったわ」とカサンドラ姫が言った。
生け贄に年齢制限があるのは、二十歳ぐらいまでにドラゴンとの生活を始めれば、そのあと120年ほど生きられるからだそうだ。
最初の20年は前回の庭師から仕事を教えてもらう期間で、最後の20年は次の庭師のために教える期間だという。
だから国王では年をとりすぎていて適さない、と言ったようだ。
「つまり」とカサンドラ姫。「私の命はあと20年ほど」
ドラゴンが首を下ろす。彼女はその頬を優しく撫でた。
「彼はね、そちらのお嬢さんの熱意を見て、最近感じていたことが分かったと言うの」カサンドラ姫は目を拭う。「私と一緒にいたい、という気持ちだって。他の人じゃ嫌、世話をするのもそばにいるのも私がいいそうなの。彼自身、永い時を生きすぎて終わりの時が近づいているらしいのよ。最期はふたりきりがいいと言っているわ」
ドラゴンを見上げる。黒い目がこちらを見下ろしているように思えるけれど、本当のところは分からない。代わりはいないと気づいたばかりの大切な人を見つめているのかもしれない。
ガウガウとドラゴンが言った。
振り返ったカサンドラ姫は、
「バカね」と笑った。「人なんて恋しくないわ」
ガウガウ。
「まあ」
ふふふと彼女は笑う。表情は分からないけれど、嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。
「私たちは必要ないということかな?」とロランが尋ねる。優しい声だ。
ガウ、とドラゴン。
「ええ」とカサンドラ姫。
「安心して。最期まで国のことは守るそうよ。それが10年後なのか100年後なのか分からないけれど」
ガウガウ。ゴウゴウ。とドラゴン。
「まあ」とカサンドラ。「私が先に死んだら、一緒に永い眠りに就くと言っているわ」
ロラン、陛下、私の三人は顔を見合わせた。
「では、素晴らしきお二人よ」と我が国の王が威厳を持って言う。「一日でも長く、幸せな日々を送れることを願っている」
◇◇
私たちはロランの馬車に乗り、麓の町に向かうこととなった。
恥ずかしながら一日半の乗馬でお尻の痛い私は、ロランの膝に横座りしている。陛下の前でどうなのだと思うけど、陛下がそうしたほうがいいと勧めたのだ。
「20年後か。それまでにドラゴンの守りがなくても問題ない国にせねばならないな。今までが甘えすぎていたのだ。引退なんてしている場合ではないぞ」
と国王が言う。
「そうですね、父上。あの親子のせいで国が滅びたなどと後ろ指を指されないよう、頑張りましょう」とロラン。
「……駆けつけた私にも責任が」と私。
私がデートをさせてなんて願わなければ、あと100年ぐらいは安泰だったのかもしれないのだ。
「だけど後悔はしていないわ。私はただの令嬢だから、国よりも好きな人が大事だもの」
ロランがはははと笑う。
「僕は傾国の美男と言われないように、必死にならないといけないね」
帰り際にふと思い立って、生け贄の条件の美貌はなんのために必要なのかを尋ねた。その答えは、ドラゴンがきれいなものが好きだから、だった。
「ねえ、可愛いラアラ」とロラン。「帰ったらぼくが頑張れるように助けてくれないかな」
「ええ、何をすればいい?」
勢いこんで尋ねた私の頭に、ロランはチュッとキスをした。
「まずは僕と植物園デートをしてほしい。憧れなんだ」
「そうね。私も」
「植物園の売店で売っているフィッシュアンドチップスは最高だぞ」と陛下。「私も即位前は、亡き妃とよくデートをしたものだ」
「分かりました。フィッシュアンドチップスですね。絶対に食べます」と私は力強くうなずく。
「デートの次は……」と笑みを浮かべたロラン。
「『デートの次は』?」
尋ね返しながら、胸が高まる。
「僕と結婚してくれるかな?王宮の庭を散策したときから好きだったんだ」
「喜んで。私だってあの時からあなたが好きだったのよ」
「席を外したほうがいいかね?」と陛下。
「ええ、今すぐに」とロラン。
「そんなことをするはずなかろう!」笑う国王。
「それなら少しの間、目を瞑っていてくれませんか。生き延びたお祝いに」
「それも無理だが、眠くなってきたな」と陛下は目を瞑る。
ロランは頭、手の甲、額、鼻と順にキスを落としていく。
瞼、頬。
それから──。
私はチュッとロランの唇にキスをした。
驚いた顔をした彼は、それからとても幸せそうに笑ってくれたのだった。