(6)
「ソウセキだ……!」
食堂とつながった厨房の覗き窓から顔を出すと、ソウセキが所在無げに薄暗い店内をきょろきょろしているのが見えた。
「おばあちゃん、私、お料理置いてきちゃうね……!」
おばあちゃんが冷ましてくれた料理を、慎重に手に取った。
こそこそ、足音を立てないようにして、テーブルの上に魚料理を運ぶ。ソウセキは気付いていないみたいだ。お皿を置き、そのまま背を向けて戻ろうとすると……。
「何してるニャ。さっきからどうして、こそこそしているニャ」
ソウセキに、後ろから声をかけられた。気まずい表情で振り返ると、ソウセキはなんだか少し怒っているみたいだった。
「なんで、テーブルに一人分の料理が載っているニャ? 夏芽と皐月さんのぶんもあるのは匂いでわかっているニャ。どうして一緒に食べないニャ?」
「え……。だって、猫って食べられるところを人間に見られるの、嫌なんじゃないの? 半野良の子とか、食べものをあげてもくわえて逃げてっちゃうし」
「そんなの猫によるニャ」
ソウセキは「心外だ」というようにふんぞり返って私を見上げている。
「夏芽ちゃん。猫又さんは、何て言っているの?」
おばあちゃんが私の肩に手を置いて、後ろから話しかける。
「おばあちゃん。えっとね、ソウセキが、みんなで一緒に食べたいって」
首だけ振り向いて答えると、おばあちゃんはぽん、と手を合わせて嬉しそうな表情になった。
「あら本当? 実はおばあちゃんもそのほうがいいと思っていたのよ。猫又さんともお話してみたかったし」
「でも、おばあちゃんにソウセキは見えないんじゃ」
私だけがソウセキと会話していたら、おばあちゃんはさびしい気持ちになってしまうのでは、と心配だったのだが。
「夏芽ちゃんが通訳してくれれば大丈夫だよ。さ、そうと決まれば、冷めないうちにおばあちゃんたちのぶんも運んじゃいましょ」
あやかしも神さまも大好きなおばあちゃんには、無用な心配だったようだ。よくよく考えれば、いまだに見えないあやかしたちに料理を置き続けているんだし、見える見えないはおばあちゃんにとって大きな問題ではないのかもしれない。
明かりをつけて、お盆に載せたふたりぶんの食事を運んでくるのを、ソウセキは椅子の上で丸くなって待っていた。テーブルの上に乗らないんだから、きっと飼い猫のときから躾をちゃんとされていたんだろうな。
きっと高さが足りないだろうから、と、おばあちゃんが座布団を大量に持ってきてくれる。椅子の上に高く積み上げると、ソウセキは
「お殿様みたいだニャ」
と満足そうだった。
おばあちゃんがソウセキの隣に座り、私はその向かいの席にお盆を下ろした。
「ソウセキちゃん、前足がべたべたになっちゃうだろうから、骨を取ってあげるね」
おばあちゃんはかいがいしく、ソウセキのお皿の世話を焼いてあげている。
「ありがとうニャン。皐月さんは吾輩が生きているときも、こうしておやつをくれたニャン。忘れてないニャン」
ソウセキの言葉を伝えると、おばあちゃんは「どういたしまして」と隣の席に手を伸ばした。ソウセキは、自分から撫でられるようにおばあちゃんの手に頭を擦り付けた。
「ふふ。なんだかあったかい感じがする。夏芽ちゃんはソウセキちゃんを撫でられるのね。うらやましいわあ。ソウセキちゃんの毛並みはどんな感じなの?」
「三毛猫で毛は長めで、もっふもふ。ああでも、身体はかなりでっぷりしているけど」
「余計なこと教えるなニャン!」
そんな会話をしている間に準備が整ったので、ふたりと一匹で「いただきます」と手を合わせる。
「おばあちゃんが冷ましてくれたから、安心して大丈夫だよ」
と声をかけると、ソウセキはお皿に顔をつっこむようにして食べ始めた。私とおばあちゃんは、お箸を持ったままその様子を見守る。なんだか緊張してしまって、自分の食事が進まなかった。
「……おいしいニャン」
夢中で食べていたソウセキが顔を上げたときには、餡で口のまわりがべったりだった。
「薄味なのに、ぜんぜん物足りなくないニャン。上品で優しい味付けだニャン。……皐月さんみたいだニャン」
ソウセキの感想を聞いてほっとし、私も食べ始める。お箸を入れると身がほろほろとほぐれ、餡にとろりとよく絡む。
「おいしい~。薄味の餡が脂ののった白身魚によく合うね! 野菜もしゃきしゃきしてて、食感の違いが楽しい」
「餡の具は、季節の野菜がなんでも入れられるからねえ。冬だったら、かぶや大根、白菜なんかを入れてもいいし」
「そうなんだ。……家でも作ってみようかな」
そんな言葉が、するっと口から出たことに驚いた。
「あっ、ええと、もっと上手くなってからね! もちろん」
おばあちゃんは、私が何に驚いているのかなんて知るわけもないけれど、嬉しそうに「うんうん」とうなずきながら私を見ていた。
「やっぱり、みんなで食べるとおいしいわねえ。ずっとひとりで食事していたから、にぎやかなのは嬉しいわ」
おばあちゃんの言葉に、はっとした。お母さんの食事も食べず、食卓にも着かないで、両親はどんな気持ちでふたりきりの夕食を過ごしていたのだろう。
不登校になる前も、夕飯の席で学校のことを聞かれるのが嫌で、さっさと食べてすぐ部屋に戻っていた。学校で食べるお弁当も、一緒に食べるクラスメイトとの会話に気を遣いすぎて、味を感じなかった。
誰かと囲む食卓がこんなに楽しくて、こんなにおいしく感じるなんて、いつぶりのことだろう。
今までの食欲を取り戻すように、私はご飯もお味噌汁もおかわりしてしまった。
「ごちそうさまニャン。とってもおいしかったニャン」
全員の食事が終わったころ、みんなでお箸を置いた。私とおばあちゃんには食後の緑茶、ソウセキにはお皿に入れた水を持ってくる。
ソウセキはなめた前足で顔を洗っていて、べたべたになった口のまわりがあっという間にきれいになっていた。
「ソウセキちゃん。味の濃さは大丈夫だったかい?」
おばあちゃんは、皺の多い手で湯飲みを包み込みながら、ソウセキがいる方向に優しげな眼差しを向けている。
「おばあちゃんが、高血圧のおじいちゃんのために考えた料理なんだよ。塩分少な目だから、玉ねぎを抜けばソウセキにも食べられると思って」
「こんなにおいしいものを食べたのは、猫又になってから初めてニャン。皐月さんの旦那さんは、どうしたんだニャン?」
「何年も前に亡くなって……。私がこの町から引っ越してからだったの。だから最期にも会えなかった……」
「そうだったのかニャン……」
私がおばあちゃんを気にしてか細い声で答えると、ソウセキは顔を曇らせた。やっぱり、普通の猫と比べてもだいぶ表情豊かな気がする。言葉をしゃべっているからそう思うのだろうか。
「夏芽。吾輩やっぱり、自分の飼い主に会いたいニャン。吾輩も、後悔していることがあるニャン。飼い主に吾輩の姿が見えなくても、謝りたいんだニャン……」
テーブルに手をついてうつむいたソウセキは、もうすでに『ごめんね』の体勢になっていた。
「もとの家に行ったこと、ないの?」
「一度だけ、猫又になってすぐのときに行ったことがあるニャン。でも、飼い主が悲しんでいるのを見ていられなくて、それからは……。だから夏芽にもついて来て欲しいんだニャン」
「私、飼い主さんにうまく説明できるかな……」
「大丈夫だニャン。飼い主ならきっと信じてくれるニャン」
おばあちゃんに事情を説明すると「行っておいで。お店のことは気にしないでいいから」と言ってくれた。
「うん、わかった。明日一緒に行こうか」
ソウセキと時間を約束すると、その日はどこかに帰っていった。野良猫みたいにどこかに寝ぐらがあるのかもしれない。
私はその日、おじいちゃんの仏壇の部屋にお布団を敷いて寝た。
最近は悪夢を見たり、夜中に息ができなくなって目が覚めることが多かったけれど、その日は朝まで目覚めずにぐっすり眠れた。
夢の中に、おばあちゃんとソウセキが出てきたような気がした。




