(7)
どこに連れて行かれるのかと思ったら、図書館の裏だった。もう少し早い時間だったらベンチも人で埋まっていただろうけれど、今日のお祭りも終わりが近づいているのでぱらぱらとしか人がいない。
彼の隣に腰かけると、改めて自分の汗臭さが気になってしまう。天狗さまは気にしたそぶりもなく、お面を少しだけ上にずらしてポリポリときゅうりを食べている。
「あ、あの、うどんとぜんざいです」
間が持たなくて、きゅうりを食べ終わった彼に矢継ぎ早に料理を差し出す。わんこそばじゃないんだから、と自分で自分にツッコミを入れたい。
天狗さまは、ぜんざいを膝に置いてうどんをすすっている。背筋がぴんとしていて姿勢がいいし、うどんの食べ方もなんだか上品だ。
じっと見ていたら、彼が私の視線に気付いて、箸に絡めたうどんを差し出してきた。
「あっ、違うんです! 食べたいわけじゃなくて、見てただけだから!」
慌てて言い訳をしたのだが、見ていただけなんて余計あやしい。
「ど、どうぞ食べてください……。あの、おいしいですか?」
うどんを食べ終わってぜんざいに箸を伸ばしている天狗さまに尋ねると、こくんとうなずいてくれた。
目の前で彼に自分の料理を食べてもらうのは、初めてだ。好きな人に料理を食べてもらうのって、なんだか恥ずかしくて、でも胸がぽかぽかあたたかくなるような、こんな気持ちになるんだ。
四品あった料理も、黙々と箸を進める天狗さまにかかれば、あっという間だった。
全部食べ終わると、天狗さまは立ち上がってゴミ箱にカラの容器を捨てに行く。そして、振り返って私に頭を下げた。このまま帰るつもりなのだろう。
まだ、何も話せていない。彼の正体が天狗だと気付いたことや、私のせいで彼が顔を隠していること。お嫁さんにして欲しいと言ったことや、今の私の気持ちも、何にも――。
もう、会えないかもしれない。そう思うと、彼に駆け寄って浴衣の袖をつかんでいた。
「もう少し、お話できませんか……」
お弁当を渡したときと同じように、天狗さまは固まっていた。
「話したいことがあったのに、緊張してダメで……。でも、もしかしたら、今日が最後になるかもしれないから……」
彼はじっと私の言葉を聞いてくれた。心臓がばくばくして、彼を見ていられない。
うつむいた私の手を取ると、天狗さまは
「しっかりつかまっていなさい」
と言って、私をぐいっと引き寄せた。
このパターンは、稲荷大社に送ってもらったときと同じ――。
「えっ。だ、ダメです。私、汗臭いからっ」
これから何が起こるのか察してしまって、両手で彼の身体を押し返してしまう。だって、この状態で密着するだなんて、そんなの無理。
天狗さまはしばし黙っていたが、もう一度私の手をそっと取る。
「大丈夫。何も気にすることはない。いいね?」
こんなふうに好きな人に言ってもらえて、嬉しくない女の子なんているのだろうか。ダメなんて、言えるはずがない。
「は、はい……」
私が真っ赤になりながらそう答えると、彼は満足そうに再び私を抱き寄せた。
浴衣の懐からヤツデを取り出すと、それをぶんっと振る。ポニーテールがほどけてしまいそうなくらいの風が私たちを取り巻いて、ぶわり、と身体が上空まで浮かび上がった。
「や、やっぱり……!」
二回目といえ、このジェットコースターのような感覚には慣れない。
ぎゅっと天狗さまにしがみつくと、
「口を閉じなくてもいいから、下を見ていなさい」
と言われた。
言われたとおり下を見ると、濃紺のビロードを広げたような真鍋町の夜景が、視界いっぱいに広がっていた。
「わあ……」
空から見た夜の夏祭りは、至るところが提灯のオレンジ色にが照らされて、とても綺麗だった。
「あの大きい光は、山車かな。ちゃんと四つ見える!」
商店街を越えると、暗いたんぼ道の中にぽつぽつと民家の光が見える。都会の夜景に明るさは適わないけれど、ひとつひとつの灯りの中に町の人たちの暮らしが見えるようで、私はこっちのほうが好きだ。
もしかして、ゆっくり飛んでくれているのかな。
この前は景色が流動体に見えるくらい早く飛んでいたけれど、今日は自転車くらいの早さだ。
ほたる亭を飛び越えて、さらに山の上までのぼっていく。山のふもとにはあった灯りが、のぼっていくにつれ徐々に減って行き、やがて真っ暗になった。
裏口に流れている川の上流、まだ川になるまえの沢の近くに、私たちは降りた。
真っ暗で怖かったけれど、天狗さまがいつの間にか、鬼灯の形の提灯を持っていた。橙色のぼんやりした光が辺りを照らすと、気持ちが落ち着いてくる。
「虫の声が、山の下で聞くより大きいですね」
でもまったくうるさいとは感じない。それ以外には葉擦れの音しかしないので、むしろ耳に心地いいくらいだ。
天狗さまはしばらく立ち止まっていたが、私の目が暗闇に慣れるころに歩き始めた。
「見せたいものがある。少し歩くが大丈夫か」
「あ、はい」
木と草が生い茂った沢沿いを、天狗さまのうしろについて歩いていく。
背の高い草が多いから歩けるのか不安だったけれど、彼は歩きやすい地面を選んで歩いてくれている。まるでけもの道のような、草むらにぽっかりとできた人ひとりぶんくらいの細い隙間。
もしかして、ふだん天狗さまが歩いている道なのだろうか。歩いた跡ができているということは、何度も何度も通うような、お気に入りの場所に連れて行ってくれるのだろうか。
ぼんやり考えていたら、足を止めた天狗さまの背中に顔をぶつけてしまった。
「わっぷ! ……ごめんなさい!」
「いや」
歩いていた道は途切れ、私たちのまわりに円形状の広場ができている。
天狗さまが、すっと沢のほうを指差した。
何だろう、と思ってそちらを向いた瞬間、目の前にいくつもの幻想的な光が飛び込んできた。
「わあ……!」
たくさんの淡い黄色の光が、ちかちか瞬きながら沢の周囲を飛び回っている。
「蛍……! こんなにいっぱい……! もっと近くで見ても大丈夫ですか?」
天狗さまがうなずいてくれたので、蛍が手に届く距離まで近づいてみる。
細い葉っぱの上に器用に止まった蛍が、じっとしたままお尻だけをふわぁ、ふわぁ、と光らせている。
「昔は真鍋町でも、田んぼに行けば蛍が見られたって、おばあちゃんが言ってました。今でもまだ、いたんですね……」
蛍が光るのは、求愛行動なんだっけ。人間の愛の告白も、このくらいシンプルだったら良かったのに。
でも、おかげで伝える勇気が出た。天狗さまにとってただの町の子どもでしかなくても、彼からもらったたくさんの優しい気持ちを、私も彼に返したいから。料理を通して、たくさんの人から気持ちをもらってきたみたいに。
私の近くでじっと見守っていてくれる彼を、振り返る。
「天狗、さま」
初めて彼を『天狗』という名前で呼ぶと、天狗さまはびくっと肩を震わせた。
「私が子どもの頃、天狗行列を見て泣いたから、顔を隠して、声もなるべく出さないようにしているんですよね。私が怖がると思って……」
肯定しようか否定しようか、迷っているみたいだった。そんなところにも彼の不器用な優しさを感じてしまう。
「もう、こわくないです。だからもう、お面を外して、声を出してください。私ちゃんと、天狗さまとお話しがしたい」
じっと見つめると、天狗さまがふっと息を吐いた。緊張の糸がほどけて、彼がやわらかな口調で問いかける。
「気付いていたのだな。本当にもう怖くないのか?」
「あれは、天狗行列の天狗のお面が怖かっただけです。天狗さまが怖かったわけじゃないです」
「そうか。でも、私の顔も大差ないかもしれないぞ」
「大丈夫です。天狗さまが優しいってわかっているから、どんな顔でも怖くないです」
ためらいがちに、彼がお面を外す。それでも長い前髪が顔にかかっていたので、近付いて、前髪をかき上げる。天狗さまは一瞬驚いたように身を引いたが、されるがままになってくれた。
「……やっぱり、ぜんぜんこわくないです」
赤くて長いお鼻と、ぎょろっとした目が出てくるかも、という覚悟はしていたのだが、想像したよりもずっと優しげできれいな顔がそこにはあった。
白くてつるっとした肌、すっと通った鼻筋、涼しげな瞳は今までの印象よりも若く見える。
「浴衣も、本来の服装じゃないんですよね? もし良かったら、天狗さまが一番楽な格好になってくれませんか」
「……わかった」
どろん、という効果音が出そうな煙と共に、天狗さまの服装が変わる。
紺色の浴衣は白地の着物と赤い袴に。猫のお面は消えて、頭の上にはとても小さな黒い帽子のようなものが載っている。胸のところについている、ふわふわしたぼんぼりのようなものは何だろう。
そして、背中に生えた黒い羽。
本当はヤツデで風を起こさなくても、この羽で飛べたのかもしれない。




