(1)
お盆が、夏祭りが近づいてきていた。
彼の正体を知ってから、気持ちが堂々巡りする日々を過ごしている。
しょうがないよね、神さまのことを好きになっても、本当にお嫁さんになれるわけないし、と納得しようとする自分。それでも望みはあるんじゃないかって、どこかで期待してしまう自分。
彼が天狗さまじゃなかったら、こんなに悩むこともなかったんだと思うけど、私はあの人が天狗なことも含めて好きになったんだと思う。
そばにいると落ち着いたり、見守ってもらっている感覚だったのは、彼が町を守る天狗さまだからだ。
「夏休みが終わったら会えなくなっちゃうのに、こんな気持ちのままは嫌だな……」
嫌と言っても、神出鬼没な彼に会える方法もわからないし、どうしようもないんだけど。
悶々としたまま数日がたったとき、意外なニュースが舞い込んできた。
「えっ、夏祭りでほたる亭が出店を出すの?」
午前中の町内会に出席してきたおばあちゃんが、ちょっと困ったような表情でそんなことを報告してきた。
「そうなんだよ。急に代理を頼まれてしまってねえ。四日間全部じゃなく、中日の二日間でいいらしいんだけど」
数年前の夏祭りから、商店街にある老舗旅館の一階がイートインスペースとして提供されるようになったらしい。土間なので、テーブルと椅子を置けば休憩所がわりにもなる。
「本当は商店街の中でカフェをしているお店が出店する予定だったらしいんだけど、店主が手を怪我してしまったみたいでねえ。ふだんお世話になっている町内会長さんに頼まれたら断れなくて……。夏芽ちゃん、手伝ってくれるかい?」
私はおばあちゃんの困り顔を笑顔にしたくて、思いっきりぶんぶんとうなずいた。
「うん、もちろん。もともとお祭りにはおばあちゃんと行こうと思っていたけれど、こういうのもいいね」
大変そうだけど、ふだんのほたる亭には来てもらえない子どもたちにも食べてもらえるし、やりがいがありそう。
もしかしたら天狗さまが食べに来てくれるかも、というほのかな期待もあった。
「メニューはどんなものがいいかねえ」
「夏祭りっぽくて、ふたりでスピーディーに作れるものがいいよね」
お昼の営業のあと、食堂のテーブルの上で、ノートを片手に話し合う。
「やっぱり甘味は外せないし、白玉だんごの冷たいぜんざいはどうだろう」
「焼そばがありならうどんもありだよね。汁があるとこぼれるから、ぶっかけうどんがいいかも」
「粉モノはあってもご飯モノが少ないから食べたいな。肉巻きおにぎりなら食べやすそう」
など、次々に案が出てきた。ほとんど、私が「これが食べたい、あれが食べたい」と言っているのを、おばあちゃんがノートにわかりやすくまとめてくれただけだが。
ほたる亭は昔から変わらない味がいいところだけど、新しいものを作るのってわくわくする。こういう機会でもないと新メニューに挑戦できないし、声をかけてもらえて良かったかも。
「これだけ候補も出たし、町内会長さんにどれがいいか相談してみるよ」
ノートと外出時の巾着を手に持って、おばあちゃんがお店のガラス戸を開ける。
「外は暑いし、私が代わりに行こうか?」
心配になってそう声をかけた。
おばあちゃんの夏バテはまだ続いていて、食欲のなさも依然変わらずだった。さっき席を立つときに、ちょっとふらついていたのも気になる。
「大丈夫大丈夫、すぐそこだし。おばあちゃんにとっては外に出ないほうが身体に毒だから」
「うん……」
ついでにおしゃべりしてくるのも楽しみにしているだろうし、気分転換になるならいいかなと思って送り出したのだが……。
私は直後、これを後悔することになる。
「夏芽ちゃん、いるかい!?」
私が食堂の中を掃除していると、町内会長さんが血相を変えて飛び込んできた。
六十歳を越えてもいつも日に焼けていて、たくましく元気な人なのだが、テーブルに手をつきながら肩で息をしている。
「ど、どうしたんですか?」
掃除の手を止めて走り寄るが、すでに私は全身の血の気がひいていた。頭も手のひらもつめたいのに、心臓だけがバクバク鳴っている。
嫌な想像が頭の中を駆け巡る。余計な心配であって欲しいと、そう願う私に容赦ない現実の言葉が浴びせられた。
「さ、皐月さんが、倒れて……」
時間が、止まったかと思った。
息をするのも忘れていて、転びそうになりながら駆け出す私の手を、町内会長さんがつかむ。
「きゅ、救急車は呼んだから! 夏芽ちゃんはお店の戸締りをしてから来てくれ!」
「とじ、まり」
「うちのかみさんが見てくれているから。大丈夫だから」
相当、ひどい顔をしていたのかもしれない。地面が揺れていると思ったけれど、もしかしたら身体がガタガタと震えていたのかも。
肩を揺さぶられて、「落ち着いて」と何度も声をかけられた。
頭が真っ白なまま、裏口と表口の戸締りもし、レジの鍵とガス栓も閉めた。こんなときでも、手だけは無意識に動くんだなとぼんやり思う。
町内会長さんの家に着くと、ちょうど救急車が到着したところだった。
「おばあちゃん!」
担架に乗せられているおばあちゃんに駆け寄る。
「夏芽……ちゃん」
おばあちゃんは目を開いて、弱々しく私の名前を呼んでくれたけれど、また目を閉じてしまった。もしかしたら、意識を失ってしまったのかもしれない。
救急隊員の人に促されて、私と町内会長さんが救急車に乗る。
「はい、息苦しそうにしていたと思ったら、急に胸を押さえて倒れて……」
倒れるところを見ていた会長さんが、隊員の人に説明をしている。私はただ、意識のないおばあちゃんが苦しそうに呼吸を繰り返しているのを見つめているだけだ。
手を握ってあげたいのに、こわくて身体が動かない。
「夏芽ちゃん、お母さんに電話しなくて平気? 俺のほうからかけようか?」
「大丈夫です、電話します」
あわてて手ぶらで来てしまったけれど、ポケットの中に携帯電話を入れていて助かった。
とにかく心細くて、この前は電話で話すのがあんなに怖かったお母さんなのに、今は早く繋がってくれと思ってしまう。
『はいもしもし。夏芽が携帯から電話くれるなんて珍しいね。どうしたの?』
普通のトーンのお母さんの声に安堵して、目から涙があふれてきてしまった。
「お、おばあちゃんが、た、倒れて。今救急車で」
『ええっ?』
ひっ、ひっと泣きじゃくりながら過呼吸になりかけている私を、お母さんがなだめる。
『夏芽、落ち着いて。今そこに大人の人はいるの?』
「ちょ、町内会長さんが」
『替わってもらえる?』
無言で会長さんを見ると、目線でうなずいて電話を替わってくれた。
こんなときに、まだ自分が子どもだということを実感する。何もできないことが悔しいけれど、そんな甘えた立場でいられることにほっとしていた。私はなんて情けない人間なんだろう。この場でおばあちゃんの身内なのは、私だけなのに。
おばあちゃんが死んじゃったらどうしよう。
誰かに訴えて、「そんなことないよ、大丈夫だよ」って言って欲しかった。でもこの場でそんな言葉を口にできないこともわかっていた。
ただ、おばあちゃんが助かりますように、重病ではありませんようにと繰り返し祈っていた。救急車がいつ病院についたのか、どうやって病室まで行ったのか、よく覚えていない。




