(4)
「お、おいしいっ。あんこの甘さが上品!」
ぷるぷるの寒天に黒蜜が絡みつくと、高級ゼリーも目じゃないおいしさ。アイスで口の中が冷えたら白玉を食べて、酸味が欲しくなったらフルーツを食べて、何個でも食べられてしまいそう。
「おいしいねえ。夏はプリンやゼリーもいいけれど、やっぱりあんみつは特別な甘味だねえ」
「うん。私もそう思う」
この、一見雑多なものが載ったスペシャル感は、他のスイーツにはなかなか出せない。
あの子も気に入ってくれるといいな……。
そう思ったとき、仏壇の部屋の方角でガタッと物音がした。
思わず勢いよく立ち上がろうとした私の腕を、おばあちゃんがつかむ。
「夏芽ちゃん。そーっとだよ、そーっと」
「う、うん」
そうっと、足音を立てないように仏壇の部屋に近付く。柱の陰からのぞくと、座敷童がちょこんと正座して、あんみつを食べていた。後ろ姿だから表情はわからないけれど、一心不乱に食べている様子を見ると気に入ってくれたみたいだ。
座敷童の着物が目に入る。最初の日はあっという間だったから、紺色の着物だということしかわからなかったけれど、今日は帯の色や着物の柄までちゃんと確認できた。
紺色の着物によく映える、淡い黄色の光――。
その柄を見た瞬間、さびついていた缶の蓋がやっと開いたように、あの子との思い出が頭の中に流れ込んできた。
『じゃあ、私があだ名をつけてあげるよ!』
名前がないというあの子に、私が名前をつけたんだった。
あの子に着ていた着物の柄が、あの子にぴったりだと思って、それで――。
「――ほたるちゃん」
やっと思い出したその名前が、口から自然に出ていた。
ほたるちゃんが、驚いた顔で振り向く。ふくふくした色白な顔も、赤いほっぺも変わってない。無口だけど、それ以上にたくさん気持ちを伝えてくれる大きな瞳も。
「ごめんね、ずっと忘れていて。ほたるちゃんはずっと私のことを見守ってくれていたのに」
ふたりで宝物をしまった缶には、ほこりが全くつもっていなかった。缶の蓋があっさり開いたのも、きっとほたるちゃんが頻繁に開けてくれていたから。
「待って、逃げないで。自分勝手だけど、謝りたいの」
立ち上がろうとしたほたるちゃんの腕を、そっとつかむ。細くてやわらかい、子どもの腕だった。成長してしまった私とは、もう違う。
引っ越してからほたるちゃんのことが見えなくなってしまった私を、どんどん自分の殻に閉じこもる私を、ほたるちゃんはどんな気持ちで見ていたのだろう。
最初はきっと、声をかけてくれたのかもしれない。それでも気付いてくれなくて、目の前で何度も手を振ったり……。私が帰省するたびに、少しだけ期待をして迎えるけれど、私の瞳にほたるちゃんは映らない。
いつしかそれにも疲れて、じっと見守るだけになって。そうしたらだんだん寂しくなって、私の姿が見えると避けるようになった。
きっと、そうだったんだよね。
「寂しい思いをさせて、ごめんね。もう忘れないから。だからまた、一緒に遊ぼう……?」
「なつめ……」
ほたるちゃんの瞳が、潤んできらきらしている。私に向かって伸ばされた、もう片方の手。
今は、ほたるちゃんをすっぽり包めるくらい大きくなったんだよ。そんな気持ちを込めて抱き締めようとすると。
「なつめの、ばーか!」
思いっきり、デコピンされた。
「ええっ……?」
私が呆然としている間に、ほたるちゃんはまた走って消えてしまう。ちゃぶ台の上に、きれいに完食したガラスの器を残して。
「そうだった……。あの子はツンデレだった」
上手だね、すごいね、と褒めるたびにぷいっとそっぽを向かれていたことを思い出す。
「ふふっ」
なんだかおかしくなって、声に出して笑ってしまう。
本当に、あやかしも神さまも、一筋縄じゃいかない子たちばっかりだ。
その日の夜。
私が布団の中でうとうとしていると、ちいさな足音が枕元に近付いてきた。
(ほたるちゃんだ……!)
そう思ったけれど、起きているのがバレたら逃げてしまうだろうから、そのまま寝たふりをしている。
「なつめ、あんみつおいしかった。これはおれいの加護」
ひんやりとした指先が、おでこに触れるのを感じる。そして、ほんのりあたたかいものが、おでこに吸い込まれていく感覚。
「まだわすれているもの、にげずにむきあって」
ほたるちゃんの歌うような声と、身体がふわふわする感覚で、私はそのまま眠りに落ちてしまう。
まだ忘れているものって、なんだろう。
そうぼんやり思ったときには、意識はもう夢の中だった。
*
翌朝、私はおばあちゃんに『ほたる亭』の由来を聞いた。
白いご飯とお味噌汁、昨夜の残りのきんぴらごぼうとひじき煮の朝ごはん。おばあちゃんの夏バテはなかなか良くならないみたい。
私が何か洋風の朝ごはんを作ろうか、と提案したのだけど、あんまり量を食べられなくてもったいないから、と却下されてしまった。
「そうそう。座敷童の着物の柄がほたるだっていうことを、おばあちゃんが小さいころ、ひいおばあちゃんに話してねえ。座敷童は家を守ってくれるあやかしだからってことで、あやかってこの名前にしたんだよ」
お店を始めたのがひいおばあちゃんなので、何気にほたる亭は昔からある店なのだ。
「そうだったんだ。ほたるちゃんはいつからこの家にいるんだろ」
「この家を建てたのがおばあちゃんの生まれた頃なんだけど、物心ついたときにはもういたから、建ててすぐ住み着いたんじゃないかねえ。ずっといてくれるってことは住み心地がいいってことだろうから、おばあちゃんも嬉しいよ」
「そうだね、ずっといてくれたらいいなあ」
座敷童が出て行った家は衰退する、という話もあるらしいけれど、そんなことは関係なしに、この家がほたるちゃんにとって居心地のいい家であれば嬉しい。家族の一員というか、恥ずかしがり屋な小さい妹、くらいの感覚になってきた。
それにしても、昨夜ほたるちゃんが言っていた言葉が気にかかる。忘れたまま逃げていることなんて、私には心当たりがないんだけど……。
「ああ、そういえば。もうすぐ夏祭りだから、夏芽ちゃんの浴衣を新調しようと思っていたんだ。小学生の頃着ていた浴衣は、もう小さくなっちゃったから」
「ほんと? 嬉しい」
「呉服屋で布地を買ってきて作るから、好みの柄や色があったら教えてくれないかねえ」
「う~ん、どうしよっかな。昔は私、どんなのを着てたっけ」
「写真があるはずだよ。ちょっと待っててね」
ちょうど朝ごはんを食べ終わったところだったので、洗い物は私がして、おばあちゃんにはアルバムを探してもらうことにした。
「あったあった。これこれ」
お茶碗を片付け終わった私が麦茶をふたりぶん注いでいると、おばあちゃんがアルバムをちゃぶ台の上に広げた。
「このページがちょうど、夏祭りに行ったときに撮ったものだね。引っ越してからすぐの頃から、小学校低学年だねえ」
「紺色にほたる柄!」
きっとほたるちゃんとお揃いにしたくて、引っ越す前に作った浴衣なんだろう。
「こっちは、高学年かな。落ち着いたピンク色に朝顔の柄だね」
「あ、こっちは覚えてるかも」
ピンク色の浴衣がいい、と言ったのは、雑誌で見るような鮮やかなパステルピンクの洋柄の浴衣のことだったんだけど、おばあちゃんが用意してくれたのは渋めの和柄のピンク。
最初はがっかりしてしまったんだけど、これが着るとしっくりくるし、家族にも褒められるしで、すっかりお気に入りになってしまった浴衣だ。
「気に入っていたから、もう着られないのは寂しいな」
「だったら、似たような色の布地を探すかい?」
「それ、いいかも! あ、こっちの写真は何だろう。私、泣いてる……?」
写真に写った私はお母さんに抱かれているんだけど、思いっきり顔をゆがめて大泣きしている。浴衣を着てはいるけれどまだ昼間らしく、景色が明るい。
「ああ、それはお祭りが始まる前の天狗行列を見に行ったときだね。たぶん保育園の頃だと思うよ。夏芽ちゃん、天狗が怖いって言って泣いちゃったんだよ。近くに連れて行こうとしたら、大泣きしちゃってお母さんにしがみついてねえ」
おばあちゃんの声は、ぼんやりとしか私の頭に入ってこなかった。私の目は、写真の光景に釘付けになっていたから。
私とお母さんの後ろの天狗行列。時代劇のような恰好をした男の人たちが、提灯や太鼓を提げながら歩いている。その先頭にいるのは、長い鼻で赤い顔の天狗だった。
山伏のような恰好も、赤ら顔のお面もあの人とは違う。でも、底の高い下駄と、帯の背中側に刺してあるヤツデは、見覚えのあるものだった。
「天狗さま……だったの?」
「夏芽ちゃん?」
呆然と写真を見つめる私を、おばあちゃんが心配して覗き込む。
初めて会ったときも、彼は夏祭りで売っていたお面をつけていた。再会して最初の日は何もつけていなかったけれど、私に彼が見えることがわかってからは、うさぎや狐のかわいいお面をつけ始めて……。
もしかして、私が天狗が怖いと言ったから。だからかわいいお面で顔を隠していたの?
私がお嫁さん宣言をしたあの日、『雨、きらい』と言った私に、何か言いたそうなそぶりをしていたのも。
彼が天狗さまで、雨を降らせていた本人だったから――。
「おばあちゃん……」
心配そうな顔で私を見つめるおばあちゃんの肩に、私は寄りかかった。
私は、考えることから逃げていた。
彼がすごい神さまだってことは、なんとなくわかっていた。ミヅキとミモリの反応や、風を操れること。だけど深く考えないようにしていた。
だってもし彼の正体がわかってしまったら、私の恋なんて叶わないって、証明することになってしまうから……。
「夏芽ちゃん、どうしたんだい……?」
おばあちゃんが、優しく背中をなでてくれる。
「ごめんね、何でもないの。ちょっと昔を思い出しちゃっただけ」
泣き顔を見られたくなくて肩に顔をうずめたのだけど、おばあちゃんにはバレているかもしれない。
「そうかい。たまには子どもに戻って、おばあちゃんに甘えてくれてもいいんだよ。十五歳って言っても、夏芽ちゃんはまだまだ子どもなんだから」
「……うん」
優しくしてくれたのは、いつも見守ってくれていたのは、私が町の子だったからなんだね。
あなたは町を守る、天狗さまだから。




