(5)
それは、十年ほど昔のこと。その頃は子ガッパだったかがちゃんは、きょうだいたちとの喧嘩に負けてきゅうりを奪われ、お腹をすかせていたそうだ。
「その年は、水不足できゅうりが不作でのう。貴重な食料だったんじゃ。オイラは一番きょうだいの中でも一番年下だったから、身体の大きな兄に力で負けて、たった一本手に入れたきゅうりすらも取られてしまった……」
ふらふらしながらさまよっていたかがちゃんが辿りついたのは、民家の庭。縁側の窓が開いていて、畳の部屋には妙な白い階段があった。両端にはくるくると回りながら光る、提灯も飾ってある。
「その上には、いろんな道具やら、果物やらがあってのう。その中になぜか、ナスときゅうりもあったんじゃ」
ナスときゅうりには折った割りばしが四本ずつ刺さっていたけれど、お腹をすかせたかがちゃんは、疑問に思うことなくそれを食べてしまった。
満腹になってお腹をさすっていると、子どもの足音がしたので、急いで外に出る。白い階段が何なのか気になっていたかがちゃんは、そのまま縁側でこっそり様子をうかがうことにした。
「ああーっ! おうまさんがない! わたしの作った、きゅうりのおうまさんだけない!」
きゅうりがないことに気付いた小さな女の子が、火がついたように泣き出す。
すぐに大人たちがやってきたが、「精霊馬がない。きゅうりの馬だけ」とざわざわしていた。
「あとで知ったんじゃ。その日はお盆で、白い階段は祭壇だった。女の子はその年おばあさんを亡くしたばっかりで、早く帰ってこられますように、と願いをこめてきゅうりの馬を作ったんじゃ」
きゅうりで作る精霊馬は、亡くなった人が帰ってくるときのもの。少しでも早く家に帰ってきて欲しいから、足の速い馬を模している。ナスの精霊馬は牛で、亡くなった人があの世に戻るときのもの。たくさんお土産を持ってゆっくり無事に戻れますように、という意味がある。
「オイラがきゅうりだけ食べてしまったから、女の子のおばあさんが帰ってくるための乗り物がなくなってしまった。おばあさんが亡くなってからずっと寂しい思いをしていた女の子に、オイラはひどいことをしてしまったんじゃ……。しかも、それだけで終わらなかった」
ざわざわしている部屋に、同じくらいの年ごろの女の子が入ってくる。
「おねえちゃん! おねえちゃんの作った、うしさんはのこってる! おねえちゃんが、おうまさんだけかくしたんだ!」
年の近い姉妹が、手分けして精霊馬を作った。そこまでは微笑ましい話だったのに、その片方がなくなったことで、姉妹の片方に濡れ衣がかかってしまった。
「そんなことしてない!」
姉は怒りながら訴えるけれど、泣いている妹には届かない。大人たちが妹ばかりなだめているのを見て、姉のほうもとうとう泣き出してしまった。この場にいる全員に、自分が悪者にされたと思ったのだろう。
「オイラのせいで、姉妹の仲を壊してしまったんじゃ」
それ以来、かがちゃんはきゅうりが食べられなくなってしまった。最初は仲間も心配してくれたけれど、頑なに理由を話さないかがちゃんにしびれを切らして、冷たく当たるようになってしまった。
最初は食べられないだけだったきゅうりも、仲間外れやひとりぼっちというトラウマが加わり、次第に見るのも怖くなってきた。
これがかがちゃんの、長い長い十年に渡る、きゅうりにまつわる物語。
「そんなことが……」
実際に命日におじいちゃんを見ている私には、「精霊馬なんて気休めだから」と慰めることができなかった。
作らない地域もあるというけれど、その女の子にとってはきゅうりのお馬さんが心の拠り所だったのだろう。
「十年前ってことは、今はその女の子も大人になってるよね? 高校生くらいかな」
「そうだニャ。昔のことなんて、きっともう忘れてるニャン? 確認しに行けば、カガミも気が楽になるニャン!」
かがちゃんは気にしてずっと覚えているけれど、子どものころの出来事なんて徐々に記憶が薄れているものだ。ソウセキの言う可能性もじゅうぶんにある。
「かがちゃん、その女の子の家って覚えてる?」
「えーっと、あのへん」
かがちゃんが指差したのは、ほたる亭から数軒隣の、つまりはとってもご近所さんだった。
*
おばあちゃんに事情を話すと、「じゃあ、お野菜をおすそわけに行ってくれるかねえ」とナスときゅうりを持たせてくれた。
これで家にお邪魔するきっかけはできたけれど、問題はどうやって昔のことを聞き出すかだ。私が精霊馬の事件を知っていたら不審に思われるだろうし。
訪問する立派な日本家屋の前でう~んと考えていたら、ソウセキが勝手にチャイムを押してしまった。
「あっ、こら! まだ準備できてないのに!」
「そんなに待たせたらカガミのお皿が干からびるニャン!」
きゅうりが視界に入らないように遠くから見守っていたかがちゃんは、すっかり身体も髪の毛も乾いている。お皿用の水を水筒に入れて持ってくれば良かったのだけど、そこまで気が回らなかった。
ソウセキと押し問答していると、すりガラスの引き戸の向こうに人影が見えたので、あわてて姿勢を正す。
「はーい。……あれっ?」
出てきたのは、高校生くらいの明るそうな女の子。私を見て不思議そうな顔をしている。
「こ、こんにちは。ほたる亭の皐月おばあちゃんの孫の、箸本夏芽です。祖母に頼まれて、お野菜のおすそわけを持ってきました」
考えていた挨拶を、なんとか噛まずに言えた。
「え~っ、ありがとう! わあ、ナスときゅうりがいっぱい!」
ビニール袋の中身を見せると、女の子は大げさに喜んでくれた。
「え~っと、どうしよう。母がスーパーに出かけているから、帰ってくるまでちょっと待っててくれる? もしかしたらお返しに渡すものがあるかもしれないし」
「は、はい」
展開的には願ったり叶ったりだが、玄関先で少し待たせてもらうことになった。女の子が飲み物を用意しにキッチンに消えたので、上り框に座る。ソウセキは私の膝の上、かがちゃんは立ったままぼうっとしている。
年齢的に、この女の子が姉妹のどちらかなのではと期待が持てる。かがちゃんをじっと見つめると、
「たぶん、この人が妹のような気がする。雰囲気が同じだから」
と不安な顔で告げられた。
「元気そうだったし、明るい子だったし、良かったニャン!」
「でも、まだ忘れていると決まったわけじゃないし」
「じめじめするなニャン! 余計匂いが生臭くなるニャン!」
「そんなわけないじゃろ!」
ふたりがキーキー言いあっていると、女の子が戻ってきた。
「アイスコーヒーで良かった?」
氷のたっぷり入ったグラスに、なみなみと注がれたアイスコーヒー。ストローが浮いてくるくる回転していた。
「は、はい。ありがとうございます」
「あっ、お砂糖だけ入れちゃったんだけど、甘いの大丈夫だった?」
隣に座った女の子に前のめりで訊かれたので、こくこくと頷く。
「そうだよね。私も苦いのダメなんだ~。ていうか夏芽ちゃんって、私と歳同じくらいだよね? 高校生?」
「はい。一年生です」
「あ、じゃあ一個下だね~。でも、中学校って一緒じゃなかったよね?」
「小さいころに引っ越しちゃって、夏休みの間だけおばあちゃんちに帰省してて」
「ああ、そうなんだ」
隣で同じアイスコーヒーをおいしそうに飲んでいる女の子以外には、家の中に人の気配はない。この子が妹だとしたら、姉のほうは今日は留守なんだろうか。
「あ、あの。先輩は、きょうだいとかっているんですか?」
「私? お姉ちゃんがいるよ。ふたつ上で大学生だから、今は家を出てひとり暮らししているの」
「夏芽ちゃんは?」
「私はひとりっこです。きょうだいって憧れていたからうらやましいです」
「そうだねえ。小さいころは喧嘩もいっぱいしたけれど……」
そこで女の子の言葉は終わってしまった。これだけでは、今の姉妹仲がどうなのかはわからない。
どう話を続けていいのかわからずそわそわしていたら、女の子のほうが気を使って会話を繋げてくれた。
「ナスときゅうり、ありがとうね。こんなにたくさんもらっちゃっていいの?」
「はい、おばあちゃんと私だけだし、食べ切れないので」
ソウセキが、私の膝に爪を立てる。痛い、何をするの、という抗議を込めて見つめると、
「今、話を振るチャンスだニャン!」
と無茶ぶりされた。かがちゃんも期待と不安の混じった眼差しを向けてくるし、私が何とかするしかないのだけれど、こんなときに役立つコミュニケーション能力なんてあいにく持ち合わせていない。
「ナ、ナスときゅうりの組み合わせって、なんだかお盆を思い出しますよね~。そういえば、もうすぐお盆だな~」
なんとか知恵を振り絞った結果がこの台詞だった。少しわざとらしかっただろうか。冷や汗をかきながら女の子をちらっとうかがう。
「ああ、お盆の精霊馬ね!」
女の子は気にしたそぶりもなく、話に乗ってくれた。
「精霊馬といえば、昔、不思議なことがあったんだよね」
「えっ、どんなことですか?」
「私が小さいころ、ちょっと目を離したすきに、精霊馬のきゅうりがなくなっていたの。縁側の窓が開いていたから、猫でも入って持ってたんじゃないかってことになったんだけど」
「へ、へえ~」
「その精霊馬は私が作ったものだったから、ショックでわんわん泣ちゃったんだ。そうしたらお母さんが、もしかしたらお腹をすかせた河童が食べたのかもしれないね、なんて言うんだよ」
「ご、ごほっ」
飲んでいたアイスコーヒーが、変なところに入ってむせてしまった。ソウセキの背中の毛も立っているし、かがちゃんも硬直している。
「大丈夫? ごめんね、いきなり河童なんて突拍子もないこと言われたら驚くよね」
「い、いえ……」
むしろ本当のことだからびっくりしてしまったのだけど、女の子は申し訳なさそうに背中をさすってくれた。
「なす……のほうは無事だったんですか?」
咳が落ち着いてから、もう少し突っ込んだことを聞いてみる。
「うん。なすの牛は姉が作ったの。だからね、そっちだけ無事なのが悔しくてつい、お姉ちゃんがきゅうりの馬を隠したんでしょって言っちゃったんだ」
「そ、そうなんですか」
「うん。年の近い姉妹だったから、私、なんでもお姉ちゃんと張り合ってて。こういう喧嘩っていっぱいあったなあ。だいたい、私が泣いたり拗ねたりして困らせるだけだったけど」
女の子は、照れくさそうに頬をかいた。
「今でも喧嘩とかってするんですか……?」
緊張しながらそう尋ねたのだが、「まっさか~」と笑いながら否定された。
「お姉ちゃんのありがたみがわかるようになったし、成長するにつれて姉妹喧嘩は減っていったなあ。精霊馬事件も、親戚が集まったときの鉄板ネタになってるしね。今でもお姉ちゃんにからかわれるんだよ~」
「そうなんですか」
気の置けない姉妹仲がうかがえて、胸がほっこりする。
かがちゃんの様子が気になって目を向けると、神妙な顔で遠くを見つめていた。
「あっ、車の音がするから、母が帰ってきたみたい」
そのあと、帰ってきたおばさんにお返しのトマトをいただいて、女の子の家をあとにした。
手を振って見送ってくれた女の子が帰り際に言った、
「あとね。もし本当に河童がきゅうりを持って行ったなら、私のきゅうりがお腹をすかせた子の役に立てたってことでしょ。それってなんだかいいなあって思うんだ」
という言葉を聞いたら、なぜだかまぶたが熱くなってしまった。
あやかしと神さまの存在を知らなくても、見えなくても。この町の人とみんなは一緒に生きているんだなって、そう思えた。




