第四話 旅立ち(その二)後宮の美女をめぐる男たちの死闘
大広間は黒装束の兵士で埋まっていた。エダマはかつて国王ブルーノの座っていた椅子に身をしずめた。
奥のドアが開き、覆面を被った数人の衛兵が一人の女を引きたててきた。兵士たちの喚声が湧き起こる。王宮の奥には、かつてブルーノによって国中から集められた後宮の美女たちが軟禁されている。女はその中の一人だった。
「今夜の獲物はこの女だ。我ぞと思う者は進み出い」
エダマは片手を振り上げた。兵士たちは急に静まり返った。女は、両手を封じられ、恐怖に震える目で兵士たちの群れを見ていた。結い上げた髪、胸元の大きく開いたドレスは肌に密着し、見事な体の線を映し出している。エダマは座ったまま、女の尖った顎を手で掴み上げ、その顔を兵士たちの方に向けさせた。
「さあ、進み出る者はおらぬのか?」
兵士たちは互いに顔を見合わせていた。女一人を賭けて、二人の男に闘わせるのだ。もちろん、勝った者はその場で女を自由にできるのだが、敗者はその場で殺される。命を賭けたゲームである。ルールは簡単。裸になり大広間の中央で格闘する。敵に後ろを見せたら負け。武器を使うことは禁じられているが、それ以外ならどんな手を使っても自由だ。
兵士たちは、目を見開き女を物色している。命を賭けるほどの価値があるかどうか。大きな胸、鋭くくびれた腰、裸足の足はすらりと長く伸び盛んにばたばたと動きまわり無駄な抵抗を続けている。覆面の衛兵に締め上げられる度に乳房がドレスの下でたわみ、いまにも弾け出しそうに揺れている。
一人の兵士が声を上げて進み出た。続いて、もう一人。広間の中央に円形の人垣が築かれる。二人の男は鎧を解き裸になり、互いに掴みかかった。どしっと、肉体のぶつかり合う鈍い音がする。両手を組み合わせ力比べ、頭突き、殴り合い。足を振り上げ蹴りを出す。その足をすくう。床にもつれ合う筋肉の塊。汗と血が飛び散る。両者とも必死だ。敗者には死あるのみ。勝者には名声とすこぶる上等な褒美が与えられる。
「ふッ、ふッ……。感じるか? 見よ。ああして二人の大男が命賭けでおまえの体を求めて闘っている。体の芯からじんわりとこみ上げてくるものがあるだろう。どうだ?」
エダマは、女の頬を撫でながら残忍そうな笑いを漏らしている。女は哀願するような目でエダマを見た。黒い大きな瞳が揺れる。
「おまえの見るのは、わしではない! あの二匹の美しい獣どもだ」
エダマは、女の顔を兵士たちの群れに向かって突き放した。
片方の男が床に押し倒された。相手はその男の顔を拳で殴る。二発、三発と殴られたところで床の男が何かを相手の顔めがけて吹き出した。相手は自分の目を押さえてそり上がった。小さな含み針だ。目に刺さっている。
床の男は飛び起きて相手を殴り倒した。腹に膝を入れ、顔を殴りまくる。相手はぐったりと伸びて動かなくなった。男は肩で息をしながら人垣に向かって剣を要求する。
「要は勝ちゃいいのさ。へッ! さあ、おれは勝ったんだ」
そう言いながら、床に血の混じった唾を吐き出した。誰かが剣を渡す。男はとどめを刺した。剣で相手の男の心臓をえぐる。相手は痙攣して息絶えた。
勝った男が、エダマに向かって歩み寄った。歯の折れた顔でにやりと笑う。
「この男の首をはねよ! すぐにだ! 武器を使ってはならぬとの掟を破った罪は死に値する」
エダマの片手が振り上げられると、覆面の衛兵たちが男に組みつき、ねじ伏せて首を切り落とした。それを見とどけると、エダマは立ち上がった。女に目をやる。女は目の前で展開された流血惨事に立ちすくみ声もない。
「美しさとは残酷なものよ。今日は、おまえのために二人の兵を失った」
エダマは、その女の腕を掴み、覆面の男たちの手から解き放した。女は、再び哀願するような目で彼を見た。無言で助けを請うている。エダマは、彼女の美しい顔に見覚えがあった。彼は、国王の後宮にも出入りしていた。男ではないからだ。その当時、後宮の女人たちは、彼を目の端にも入れない様子で無視していた。女ではないからだ。エダマは、自嘲的な笑いを漏らした。
「ついてこい」
エダマは、先に立って歩き始めた。女は、従うしかなかった。後から、覆面の衛兵が槍を構えたままそれに続く。大広間の出口の警備兵は直立不動でエダマに敬礼した。
後に残された兵士たちは酒と肴を持ち寄り酒宴を始めた。大声で笑い、囃し立てる声が響く。二人の死んだ男たちの体は床の上に放置されたままだ。兵士たちの誰も、それに対して違和感を覚えていないようだ。その大広間は、かつての国王ブルーノの謁見の間であり、色鮮やかに着飾った人々が華やかな儀式に興じていた場である。今は、その面影も無い。
エダマの向かった先は、地下牢の一室だった。近づくにつれて、獣の咆哮のような音が聞こえる。女は、エダマの後で怯えたように足を止めた。
「何をしている。あの大広間に戻りたいのか?」
エダマの言葉に女は強くかぶりを振った。大きな鉄格子の前でエダマは立ち止まった。
「ザルバ、どうだ。手懐けられそうか?」
鉄格子の前で彼らを迎えた男に、エダマは尋ねた。ザルバと呼ばれた男は、肩をすくめて見せた。顔に、例の幾何学文様を掘り込んでいる。
「手懐けるなんざ、とんでもねえ。ばけものでさ。昨日も二人食われちまったよ」
「無理か。しかし、魔王さえ復活すれば、いかなる化物でも意のままに操ることができよう」
エダマは、残忍な笑いを漏らした。
「今日の夕飯だ」
彼は、そう言って、連れてきた女を顎で示した。ザルバは、女の高価そうなドレスに目をとめて、驚いた顔を見せた。
「へっ。いいんですかい。後宮の女人でしょう。こんな上玉、餌にはもったいないんじゃないですかい」
「構わぬ」
エダマは、覆面の衛兵に目で合図をして、くるりと背を向け、もときた道を戻って行った。エダマの背後で女の悲鳴が響きわたる。歩を進めると共に、その悲鳴はしだいに遠ざかってゆく。エダマは、歩きながらあの少女のことを考えていた。先日、魔法使いのシャールによってさらわれてきた少女。魔王アーサー復活のために生きた子宮を提供させられた生犠。あの少女も用済みになると同じような運命を辿るのだろうか?
ふとそんな心配をしている内心を覗いて、エダマはおかしさを憶えた。エダマには男性の象徴が無い。十三才の時、ブルーノの小性となるため自ら望んで去勢したのだ。貧しさから抜け出したい一心だった。もう三十年も前のことだ。貧しい山村で、彼の一つ違いの妹は病に倒れ、医者にかかる金も無いまま汚い藁むしろの中で消え入るように息を引き取った。少年は貧しさを呪った。貧しさというものを造り出したこの世界を呪った。その後の三十年間は、復讐を心の奥底に刻み続けた年月だった。
あの少女が妹に似ているのかもしれない。エダマは、そう思った。あるいは、全然似てないかもしれない。それにしても、何故こんなにも気にかかる?
エルドールのエドガーとはどんな男なのだろう? エダマは、そう思った。常にエリザベスという妹を連れ歩き、少年の姿で現れるが、どんな年老いたエルフよりもさらに長い年月を生きてきているという。彼に較べたら、このおれの一生なんてほんの一瞬に過ぎないのかもしれない。その長い、気の遠くなる程に長い年月を、一体何を見、何を考えて生きてきたのだろう。マスター・ゼーダは、彼のことをひどく恐れている。昔、二人の間に何か事件があったのだろうか。エドガー、一度会ってみたいものだ。巧妙に張り巡らされた死の罠にも一切かからず、この呪われた国のどこかに潜み続けている歳をとらない少年。
アンナは、また同じ夢を見ていた。薄暗い水のしたたる洞窟の一室で、彼女に剣を振り上げる栗色の巻毛の少年の夢。このところ眠ると必ずその夢を見た。その度に汗びっしょりで跳ね起きる。なんてことだ。夢の中で悪夢にうなされるなんて。
眠らなければいいや。どうせ夢の中だもの。アンナは、そう思って膝を抱えて部屋の隅の模様女を見た。
模様女は遊んでくれない。退屈だ。この部屋から出ちゃいけないんだったら、誰か遊びに来てくれないかな。ルドルフは、まだ、だろうか。あの変な二人組の男の人でもいいや。誰か一緒に遊んで欲しい。
エダマによって地下牢に置き去りにされた女は、衛兵たちの手によって鉄格子の中に押し込められた。
彼女は、城下に屋敷のある大臣の娘だった。妾の子として生まれ、顔立ち、体付きの美しさから目をかけられブルーノの後宮に入った。ブルーノとは数度、床を共にした。
少女時代より、城下の屋敷の一室に半ば軟禁状態のままで成長した彼女にとって、後宮の生活は興味深いものだった。たくさんの女たち。毎日、美しくめずらしい衣装に身を包み、めずらしい食べ物を口にする。時折入ってくる外国の王室の情報に噂話の花を咲かせ、ごくたまに国王陛下の外遊につき従って、船遊びや狩りなどを楽しむこともあった。ここラトザールは美しい国だった。
彼女の父親の大臣はつい先日の側近エダマの反乱で殺された。国王ブルーノは監禁され。彼の後宮はエダマによって外界より封鎖された。城下を荒しまわった兵士たちも王宮の奥深くの後宮まで乗り込んでくることはなかった。しかし、難を恐れた数人の女性たちは後宮を脱出した。恐らく、城下で殺されただろう。彼女は後宮に留まった。父親の大臣が殺された今となってはどこにも行くあてがなかったのだ。王宮の様子は一変した。異形の兵士たちが歩きまわり、毎日のようにそこかしこで血が流される。
彼女は、鉄格子にしがみついて泣いていた。覆面の衛兵が去り、ザルバが去っても、彼女の身には何事も起きなかった。地下牢に下りてくる時に聞こえた咆哮とエダマの会話から、彼女は、猛獣の檻に入れられたものと恐怖していた。違ったのだろうか? それとも、これからまた別の檻に移されるのだろうか?
灯りの届かない地下牢の奥に目をやった彼女は、暗闇の中に光る二つの点を見て、金縛りにあったように体が動かなくなった。その光は、次第に大きくなってくる。灯りの届く範囲に姿を現したそれは、巨大な魔物だった。大きさは、人間の背の高さのゆうに三倍以上はあるだろう。音をたてないようにそろそろと動いている。その様子は、何物かを警戒しているようにも見えた。しかし、鉄格子にしがみついている女に見えたのは、ぎらぎらと光る目と頭の角、そして、彼女の体を一飲みにしてしまいそうな巨大な口だけだった。
彼女は、悲鳴を上げることも忘れて、その場にへたへたとしゃがみ込んだ。両手で顔を覆う。いやだ! 近寄らないで! 彼女は、心の中で絶叫した。
魔物とそれを影で見ていたザルバの目の前で、突然、彼女の姿が消えた。
テレポートの魔法として“RULOR”が良く知られている。ある場所から別の場所へと瞬間的に移動するものだが、それには強い魔力を必要とし、洞窟の地下深くでしか効果がない。しかし、極めて希にではあるが、魔力を使わずに地上にあってもテレポートする能力を持った者があることが知られている。彼らはその他様々な不思議な能力を持ち、一般にサイキックと呼ばれている。しかし、噂だけで、彼らサイキックが公の記述に記された前例はまだ無い。彼らの能力は魔力と異なり、潜在意識的なものであり、本人の危機に際して無意識のうちに発揮されるといわれるが、もちろん、誰もそれを確かめた者はない。従って、この女がサイキックであると確かめることは誰にも出来ないが、少なくとも今、彼女が確かに空間を越えたことは事実だった。
女は不思議な部屋に出た。不思議な模様が壁や天井を埋めている。部屋の中央に篭が置かれ、その中に裸の少女が座っている。
「あなた、だれ?」
その少女が叫んだ。
「どうして服を着てるの? どうして急に現れたの? それって、新手ね。びっくりしちゃうわ」
女は、戸惑った。一体どうしたのだろう。何が起こった。どうしてわたしはこんな所にいるのか。この不思議な部屋はなんだ? この少女は何者?
「……わたしは、ヨーコ。お願いわたしをかくまって。逃げてきたの」
ヨーコは、ようやく口を開いた。
「あなた、わたしのお友達なのね。それって、新しい遊び?」
少女は、嬉しそうに笑っている。
「遊びじゃないわ。逃げてきたのよ。お願い、助けて」
ヨーコは、不安そうに辺りを見回した。
「じゃあ、どこから逃げてきたの。そこから教えて。ねェ」
少女は、まだ笑っている。
「後宮から……」
「“こうきゅう”ってなに?」
「王様のいるところよ」
「すごーい! あなたって、王様なのね」
少女は、喜び篭の中で飛び上がった。
「違うわ。陛下は捕まったのよ。みんな殺されたわ。わたしの父上も」
「“ちちうえ”って、お父さんのことね。わたしのお父さんも殺されたのよ。お母さんも。魔物に殺されたんですって。へんなの」
少女は、平然と笑ってそう言った。
「……あなた、それで平気なの? 悲しくないの?」
ヨーコは、少女の様子に驚いた。
「どうして? これって夢なのに。あなたも夢でしょう?」
夢……。確かにこんなこと信じたくない。でも、これは現実だ。ヨーコは、そう思った。
「ごめんなさい。これって現実よ。信じたくなんかないけど、すべて、事実なのよ」
「……?」
少女は、無邪気な表情で首をかしげている。ヨーコは、少女に歩み寄りその体に触れようとした。
「その子に触れてはいけません!」
突然、部屋の奥から声がする。声の主は体じゅうに模様を彫り込んだ裸の女だ。部屋の壁と同じ模様。その壁をすりぬけて二人の男が部屋に入ってきた。やはり、裸だ。ヨーコ目がけて駆け寄ってくる。ヨーコは悲鳴を上げ、その場に気を失って倒れた。
エダマ=ルンカは、夜中に起こされた。マスター・ゼーダの奴隷が、一人の女を部屋に運んできたのだ。異国の言葉でエダマに事情を告げて、そのまま立ち去った。エダマは女を見た。
「……これは、地下牢に置いてきた後宮の女」
それが何故、結界を越えて地下迷宮に入り込んだのだ。あの結界は、エダマとマスター・ゼーダの奴隷たちしか知らない特別の方法でしか破れないはずだ。
「おそらくは、サイキックでございましょう」
エダマの背後でしわがれた声がする。魔法使いのシャール=ザマだ。
「シャールか。どうして、ここへ?」
「迷宮の結界が一瞬乱れたのを感じ、もしやと思い、飛んでまいりましたが。よもやこんな小娘だったとは」
シャールは、女の体の前でしゃがみ込んだ。
「後宮の女人となると潜在的なサイキックでしょうな。魔力とは別の不思議な能力を持った者たちです。しかも、この娘、あの結界を破ったとなると相当な力の持ち主に違いありますまい。これは、とんだ拾い物をしましたな」
シャールは、愉快そうにくっくっと笑った。