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第一話 空の器(その一)初めての冒険

 「では、冒険者メルフィーヌの門出を祝して乾杯!」

 ドワーフ族の戦士が髭の中から声を張り上げた。


 「声が大きいってば。騒ぐと、また追い出されちゃう。この居酒屋より安くで泊まれるとこないんだからね」

 魔法使いの帽子を目深に被った女がたしなめるように言う。


 「いいじゃねえか。メルフィーヌにとっちゃ、明日はめでたい初冒険だぜ。俺たちも思い出すぜ。初めての日をよ。期待と緊張と恐怖で胸が震えたもんだぜ。ま、メルフィーヌちゃんの乳房はいつでも重さで震えてるけどな」


 「そういうセクハラ発言はやめなよ。おっさん」

 ホビットが、テーブルの下からジョッキを持つ手だけをのぞかせて言った。


 「おっさん呼ばわりされると傷ついちゃう年頃なんだよな。ガラスのハートってやつ」


 ガハハと笑うドワーフに、メルフィーヌも調子を合わせるように曖昧な笑顔を作った。


 メルフィーヌ=ダルネは、十八才の新米冒険者だった。同じ年頃の女の子たちは、村の集会所でおしゃべりやおしゃれに明け暮れているのに、彼女は、王都カトマールで冒険者としての修行を積み、こうして、居酒屋で、むさ苦しいという表現がぴったりの仲間たちの愚痴や冗談を聞くのが日課だった。


 明日は、彼女の初冒険の日。もっと緊張してもいいと思う。恐怖をおぼえてもいいと思う。冒険者の仕事はいつでも危険と隣合わせだ。命を落とす可能性もゼロではない。それなのに、彼女の胸の中には別に気掛かりな事があった。つい先ほど、ベン=シュワルガーが、彼女に目配せを送った後、無言で席を立ったのだ。


 ベンは、上背のある茶色の髪、茶色の髭の男で、子どもの様な目をし、いつも夢物語のようなことばかりしゃべっていた。


 頃合いを見計らって、メルフィーヌは席を立った。女魔法使いが見とがめるような視線を送ってくる。


 ”やっぱり、気づかれちゃってるかな。構うもんか。”

 メルフィーヌは、そう思いながら、ベンの後を追った。


 ベンは、二階のベランダで待っていた。歩くと木のきしむ音がする。


 春の宵、風が心地良かった。


 いつもの抱擁、いつものキス、ベンの大きな手はメルフィーヌの髪を優しく撫で、髭がくすぐったかった。


 この村に身を落ち着け、小さな店でも出して、平穏に暮らしたい。愛撫の手を休めると、ベンがそう言った。


 メルフィーヌは、彼の言葉に驚いた。いつも夢物語ばかり話している男がそんなことを言い出すなんて、信じられなかった。


 無言のままの彼女に、ベンは言った、一緒についてきてくれないかと。


 メルフィーヌは、整った顔立ちと解けば腰下まで届く長い漆黒の艶やかな髪の美少女。彼女のひときわ目立つ紺玉のような瞳と凛とした意志を宿す眉は、見る者に鮮烈な印象を残さずにいられないだろう。こんな居酒屋でたむろするのは似つかわしくない容貌だ。彼女自身もいつまでもこんな生活を続けるつもりはない。でも……


 考える時間が欲しい。メルフィーヌはそう答えていた。




 「あんたさ。冒険者に向いてないよ」


 翌朝、質素な朝食の席で、女魔法使いが、メルフィーヌにいきなりそんなことを言った。


 「今さらだけど、どうして冒険者になろうなんて考えたの? あんたくらいの器量があれば、町でお金持ちの男を捕まえるくらいわけないだろうにさ。わたしが、あんたなら間違いなくそうするね」


 「未知な世界でわたしの力を試したいと思って……。一番それっぽいのが冒険者だと思ったの」


 メルフィーヌはそう言った。落ち着いた声の中にも張りのある心地良い声だ。


 いつだって心が叫ぶのだ。自分には何かが出来るはずだと。でも、その何かが分からない……


 「なんだいそれ? これから私たち、命の取り合いにいくんだよ。いかつい男でさえ、初めての時は、前日から、ガクガク足を震わせて、洞窟に入る時は小便漏らすのが普通なんだよ。あんた死ぬの怖くないのかい?」


 「別に、死ぬって決まったわけじゃないし。例え命を落としてもそれが冒険者の本望だって……」


 「なにきれいごと言ってんの。まるでこれから遠足にでも行くような顔してさ。死の恐怖に打ち勝つからこそ冒険なんだよ。死ぬのが怖くない奴は、冒険者じゃなくて、ただの殺戮者か頭空っぽの馬鹿のどっちかだよ」


 「わたしの父が冒険者で……」

 メルフィーヌは、そう言いかけたが、言葉を詰まらせた。父について知っていることが悲しいほどに少なすぎるのだ。国王陛下に謁見を許された冒険者。知っていることはそれだけだ。名前は、カルザック=ダルネ。彼女が赤ん坊の時にこの世を去っている。どうして死んだのかさえ知らない。


 「その話は前もきいたよ。で、父親の後を継いで冒険者になるったって、なんのコネもないんでしょ。せめて、親衛隊に口をきいてくれる知り合いの一人でもいればさ、って、そんないつもの愚痴言ってる場合じゃなくて、なんか違うんだよ、あんた。私たちと根本的に違うものを感じるんだ。ああ、じれったいね。上手く言葉で表せないけど、あんたは、こんなところにいちゃいけない気がする」


 メルフィーヌは、曖昧な笑顔を作るしかなかった。






 初めての経験だからって、愛想笑いでごまかせるわけはなかった。魔物相手ではなおさらだ。女魔法使いの言った通り、命の取り合いなのだ。



 メルフィーヌは、肩で息をつきながら洞窟の中で目を凝らしていた。まだ暗闇の中に魔物の追手が潜んでいるような気がする。


 彼女は残り少ない魔力を細い指先に集中させるため、そっと目を閉じた。歯が小刻みにふれ合い、耳障りな音をたてている。


 “LIGHT……”震えの止まらない唇から、ようやく呪文を絞り出すと、柔らかな魔法の光が暗い洞窟の中を照らし出した。


 冷たく静まりかえった洞窟の中には、すでに魔物の気配はない。足元の水の流れが、深い闇へと続いているだけだ。


 「……」


 メルフィーヌは、安堵のため息を漏らし、彼女の体を包む光の輪を見つめた。


 魔物を倒すわけでも傷ついた体を癒すわけでもない。ただ暗闇から逃れるためだけの光に過ぎなかったが、今の彼女には何よりも必要な物に思えた。何故なら、




 つい先ほど、メルフィーヌと四人の仲間たち、冒険者グループがダンジョンの中で全滅したからだ。




 洞窟の入口付近の弱い魔物をあっさりと蹴散らして油断した時、罠にかかったのだ。床に巧妙に仕掛けられたその罠は彼らを洞窟の奥深く地下迷宮へと送りこんでしまったらしい。


 たちまち、恐ろしい見たこともない魔物の一群に襲われた。魔物は耳まで裂けた口から炎を吐いていた。


 最前列で闘っていた三人の戦士が次々と傷つき倒れても、未熟なメルフィーヌにはどうすることもできなかった。



 気がつくと、暗闇の中で彼女一人だった。


 「やっぱり、わたし、冒険者に向いてないのかな」


 声を出すとなんだか落ち着く気がする。


 誰もいないダンジョンの中、誰も彼女の声を聞いていない。だけど、居酒屋でたむろしている時だって同じだ。誰も新米の愚痴なんか聞いてくれない。ベン以外は……


 「だからって、いきなりプロポーズっぽいこと言われても困るのよ。心の準備ってものがあるでしょ」


 あれ? どうして、わたし涙?




 こんな状況でも、彼女は絶望してはいなかった。諦めていなかった。と、言うより、彼女は諦めるということを知らないのだ。


 それが、どれだけ重要なことなのかを彼女はまだ知らない。この先、何度も絶望的な状況に陥る壮絶な人生が彼女を待ち受けていることを若い彼女は知るよしもない。絶望の淵から立ち上がることは、決して簡単なことではない。それでも、彼女は何度でも立ち上がる。それが、メルフィーヌという女性なのだ。



 メルフィーヌは、いつしか歩き始めていた。岩肌と朽ちかけた迷宮の柱を縫って氷のように冷たい水の流れが続いている。その水の流れの上流に向かって、地上に向かって……、自ら信じる方向へと……。


 次第に、水の流れは急になる。彼女の胸に希望の光が芽生えた。急勾配の登りの中で、いつしか呼吸の乱れも忘れていた。


 大きな地下ホールに出た。天井が見えない。


 メルフィーヌは、目の前に立ちはだかった滝に歩みを止めた。地中の滝だった。深い暗闇の中から滝は一直線に流れ落ちている。ホールの中は水煙に霞んでいる。


 引き返すしかない……、背後に獣の低いうなり声を聞いたのは、その時だった。


 彼女は、反射的に右に飛んだ。左手に取り直した盾を獣の毛むくじゃらのぶ厚い腕がかすめた。鋭い爪が暗闇の中で不気味に光る。


 ワーベアだ。闇の力に身を染めた狂気の熊男である。


 メルフィーヌは、反撃に移った。背後は壁、逃げ場はない。しかし、硬い針金のような毛に覆われた獣の皮を、彼女の貧弱な武器はかすることさえできなかった。


 ワーベアの第二の攻撃はメルフィーヌの盾を払い飛ばした。そして、立て続けに大きな鋭い爪がメルフィーヌの体を襲い、彼女の左脇腹をえぐった。


 致命傷。メルフィーヌは、直感的に死を覚悟した。傷みは感じない。


 彼女は、坤身の力を振り絞り、熊男の懐に飛び込んだ。しかし、彼女の最後の攻撃も効を奏することはなかった。メルフィーヌは、その場にくずれ折れ、勝ち誇ったワーベアは、この美味しそうな獲物にとどめを射すため腕を振り上げた。


 闇を切り裂くような爪を目の前にしても、メルフィーヌに恐怖はなかった。ただ、こんな場所でこんな形で死んでゆく自分自身が無性に腹立たしく思えた。


 その時、信じられない光景がメルフィーヌの薄れゆく視界に映った。


 ワーベアの太い腕が根元から切り落とされて、宙を舞っている。


 魔獣は、断末魔の叫びをあげる間もなく、地響きと共に倒れた。その獣はすでに死んでいた。


 続いてメルフィーヌの目に映ったのは細い人影だった。彼女よりも年下にしか見えないような少年の姿だ。黒いフード付きの外套にすっぽりと身を包み、獣の死体の後ろからメルフィーヌを見おろしている。


 手にした剣身は妙に透き通った輝きを放っている。その剣を鞘に納める時、マントの下でロードの記章が光った。特に優れた熟練の冒険者に与えられる最高クラスの称号だ。


 「ルーイ、どんな様子?」


 人影がもう一人、闇の中から現れ、若いロードに呼びかけた。


 「ひどい怪我だよ。すぐに、手当をしなくちゃ。エドガー、手伝って」


 “手当”という言葉に、初めてメルフィーヌは、身を切り裂くような激痛を覚え意識を失いかけた。


 「大丈夫、すぐに良くなるからね。ゆっくりと息をして。ぼくを見て。そう、いい子だ。ゆっくりと息をするんだよ」


 ルーイと呼ばれた少年は、優しくメルフィーヌに語りかけながら、彼女の身につけている物を脱がせ、裸にした。メルフィーヌの受けた傷は内臓にまで達していた。断続的に鮮血が吹きこぼれている。ルーイは、その傷の上に両手を組み合わせた。“MACURE” 呪文を口にして、傷を撫でた。


 「よかった。きれいな体に傷が残らなくて」


 撫でられているメルフィーヌの体からはすでに跡形もなく傷が消えていた。


 「しばらくは痛みが残るけど、やがて消えるはずだよ。内臓の治癒には時間がかかるんだ。間に合ってよかった。ぼくを呼んだのは君だね」


 すでにメルフィーヌの体は半身を起こせる程に回復していた。“呼んだ覚えはないけど……” 彼女はもうろうとした意識の中で、視線をさまよわせながら、そう考えていた。


 若いロードは頭をすっぽり覆っていたフードを彼女の目の前で外した。プラチナブロンドの柔らかそうな髪の少年だった。瞳は灰色で、どことなく人間離れした氷の煌めきのように冷たい美貌の持ち主だ。


 「ルーイ、どさくさに紛れてどこを触っているのよ」


 また、人影が現れた。一人、二人、……全員で六人、冒険者のグループだ。全員同じ黒いコートに全身を包んでいるので顔は見えない。コートの袖口と裾には見慣れない模様の色鮮やかな刺繍が施されている。


 ルーイは、赤くなって、声の主をきっとにらんだ。彼は、メルフィーヌの胸の豊な二つの山に触れながら言い返した。

 「ふーん、シュンラの洗濯板みたいな体とは、ずいぶん違うなと思ってさ」


 「誰が、洗濯板ですって! それに、いつあなた私の裸を見たことがあるっていうのよ!」


 「おやめ、ルーイ、シュンラ。彼女の出血が多過ぎる。城に帰って療養させないと」

 エドガーと呼ばれた少年が、二人を制した。


 「シュンラ、彼女を連れて、すぐに城まで飛んでおくれ。緊急事態コード・ガンマを発動させてもいい。出来るかい?」

 エドガーはそう言った。


 「わたしを誰だと思っているの? お安いご用よ。ただし服だけは着せてね。そんな格好のままでは恥ずかしくてとても連れて歩けそうにないわ」


 メルフィーヌの肩を支えて横に立ち、フードを外したシュンラは、すらりとした長身に金髪のエルフの女の子だった。鮮やかな緑色の瞳がメルフィーヌの顔をチラリと覗き込んだ。そして、メルフィーヌの手をとって、テレポートの呪文を唱えた。“RULOR”


 たちまち、眩いばかりの光が二人を飲み込み、メルフィーヌは手足の感覚を失った。薄れゆく意識の中、メルフィーヌは思い出していた。燃え盛る炎の中で女魔法使いが叫んだ言葉。


 「あんたは、こんなところにいちゃいけない! 逃げて!」


 メルフィーヌの体は吹き飛ばされるように宙を浮いていた。もう、遅い。メルフィーヌは、運命の触手にしっかりと絡みつかれていた。

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