最終話 家族
西の果てにある、迷いの森の奥深く。誰も辿り着けないその場所で、わたしの新たな生活は始まった。
無口で不器用な旦那様と、意地悪で生意気な鴉との奇妙な共同生活は、慣れないことの連続で失敗続きではあったけれど、初めて経験することも多くて、毎日がとても刺激的だった。
中でも一番驚いたのは、
「どうした姫様、また焦がしたか」
かまどの火加減が難しくて、どうしても焦げ付いてしまうベーコンエッグを前に途方に暮れていたら、後ろから小さな影がわたしの手元を覗き込んだ。
くるりと毛先に癖のついた黒髪に、同じく大きな黒い瞳。小柄な少年はわたしと同い年か、少し年下に見える。
「かまどの女神が泣いてるな」
けたけたと意地悪く笑う彼は、イールの使い魔である、あの生意気な鴉だ。もともと情報収集のために、イールの魔法で人間の姿に化けることも多かったと言うが、最近はもっぱらこの姿で村や町に薬草を届けに回っている。
初めは『西の魔法使い』と言う名前の印象が最悪すぎて、なかなか話を聞いてもらえなかったけれど、聖堂での一件がどこからか漏れ広まったようで、今では少しずつイールの薬草が受け入れられている。
なにより、マキアスの働きも大きかった。
薬草を届けたとき、モーリスおじいさんはかなり危ない状態だった。正直、薬草が効くかも分からなかったけれど、どうにか峠を越えたと報告を聞いた時は安堵から涙が出た。
それ以来、マキアスには薬草を育てて各所へ配る手伝いをしてもらっている。
鴉を通じて聞いた話では、不思議なことに王侯貴族には薬草の効き目が薄いらしい。その理由は誰にも分からない。薬草自体には何にも問題がないのに、事実として、古狸……じゃなくて、高齢者からどんどん亡くなっているという。
「国王も、そろそろ危ないらしいぞ」
「あら、そう」
あまりにも軽い口調で近況を伝えてくる鴉に、わたしの返事もあっさりしたものだった。
知らない町で知らない人が死んでも、誰も気に留めないように、とうに彼らへの情を無くしたわたしにとっては、まさしく他人事であった。
王も重臣も床に伏し、この国は少しずつ立ち行かなくなっている。国の中枢がほとんど機能していないから、民はこれからもっと苦労するだろうけど、そこは乗り越えてもらうしか無い。
無責任かもしれないが、わたしたちは人と深く関わることはしない。知恵と知識を授けることはあっても、そこから先は彼ら自身でどうにかするしかないのだ。
魔法使いが人と深く交われば、彼らはやがて、自分の力で立つことを投げ出してしまうのだと言う。
イールは、きっとこれまでの長い時間の中で、そんな風に堕落していく人々の姿を何度も見てきたのだろう。
だから、手を貸すことはあっても深入りはしない。
そんな姿が冷たく突き放しているように見えて、誤解を招いてしまっているのは残念ではあるけれど……
「料理なぞ、そなたには百年早い」
「余計なお世話だわ」
「ふん」
パチン、と鴉が指を鳴らせば、焦げ付いたフライパンがあっという間に綺麗になった。消し炭同然だったベーコンエッグは、かまどの火にくべられている。なんたる屈辱。
「そも、必要なかろう。食材の無駄だ」
呆れた口調でぶつけられる正論が、グサリと胸に突き刺さる。鴉の言う通り、彼らは魔法でなんでも出来てしまうのだから、わたしが下手な料理やらなにやらで世話を焼く必要はまったくないのである。
だけど、それでは離宮に引きこもっていた時と何も変わらない。
新しいことには挑戦したいし、自分にできることをひとつでも増やしたいのだ。
「そなたは主の呪いを解いた。それだけで十分であろう」
「それはわたしの手柄じゃないわ」
大昔、イールが自分自身にかけた不老不死の魔法の解除に、わたしが必要だったと言われても、わたし自身は何もしていない。占い風に言うなら、たまたまそういう星の巡り合わせに生まれたと言うだけだ。
求められるまま結婚して、共に暮らして、今に至る。
特別な魔法の儀式なんて何もしていない。
だから、呪いが解けたと言われてもピンと来ないのよね。
「なんと言うか、こうーー髪とか血をね、いっぱい抜かれることを覚悟していたのだけど」
「阿呆めが」
鴉が呆れたように眼を眇める。思い返せば、初対面の第一声も「阿呆」とかそんなだった気がするわ。腹の立つ鳥ね。
「そなた、主をなんだと思っておるのだ」
「そう言われましても……」
魔法や呪いに今まで縁のない人生だったんだもの。ちょっとくらい偏見が入ってしまっても仕方ないじゃない?
もちろん、一緒に暮らし始めた今では、イールがそんな血生臭いことをわたしに求めていないことはちゃんと理解している。
「ただ、実感がないのよ」
右手に握ったままのフライパンを見下ろして、わたしは肩をすくめた。
「あーあ、わたしも魔法が使えたらいいのになあ」
「ならば主に習うといい。才能があれば、かまどの火加減くらいならなんとかなるだろうさ」
「本当?」
目を輝かせるわたしを、鴉は鼻で笑う。
「ああ。ーー才能があればな」
憎たらしい笑顔で念押しされてイラっとした。
「もう! 可愛くないんだから!」
顔は可愛いのに、性格は本当に可愛くない!
その柔らかほっぺをつねってやろうと伸ばした手をヒラリとかわされて、わたしは更にムキになる。そうしてフライパンを片手に部屋の中で鴉を追い回していたら、いつの間にか帰宅していた魔法使いが、無言でわたしたちを眺めていた。
「イール!?」
慌てて、振り回していたフライパンを背中に隠したわたしは、旦那様へとびっきりの笑顔を向ける。灰かぶりは、特大の猫だってかぶるのだ。ーー今更だけど。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
イールの口の端がわずかに上がるのを見て、わたしはちょっと照れくさくなる。
森の中の魔法の塔で生活するようになって、わたしは初めて、「おかえりなさい」と「ただいま」を経験した。
実は、まだちょっと慣れていなくて背中がムズムズするの。贅沢な悩みよね。
「聞け、主。なんと、主の姫は今日もまたフライパンを焦がしたぞ。懲りないものだ」
「そうか」
「鴉ぅ……」
息をするように告げ口する鴉をギロリと睨みつけていたら、イールが背を屈めてわたしの手に触れた。
「マディナイ、怪我は?」
「……ないわ。あの、失敗ばかりでごめんなさい」
確かに鴉の言う通り、ちっとも上達しない料理のせいで食材を無駄にしてばかりいることは、反省しなければいけないだろう。
落ち込むわたしの頭を、大きな手が優しく撫でた。
「問題ない。あなたは、あなたのやりたいことをすれば良い」
「主は甘いな」
鴉が笑う。わたしもその意見には頷くしかない。イールはとにかくわたしを甘やかすし、すべてを肯定してくれる。
結婚式での誓いを守ろうとしてくれてるのだろうか? そう言えば彼は、一度懐に入れた人間にはとことん甘いとかなんとか。
「鴉の言うことは気にするな」イールが耳元に唇を寄せて囁く。「どうも、あれはよほどあなたを気に入っているらしい」
まあ、嫌われてる感じはしない。と言うより、自惚れでなければ、わりと好かれていると思う。
ちょっとーーいや、だいぶ皮肉屋で意地悪だけど。
「気を引きたいのかしら? 子どもね」
「おい、聞こえておるぞ」
鴉の不機嫌な声が飛ぶ。可愛らしい顔を歪めてこちらを睨んでいるけれど、ちっとも怖くなくて笑ってしまった。
◇◇◇
ーー西の最果て、迷いの森の奥深く。
緑の蔦に覆われた魔法使いの塔には、今日も笑い声が響いている。
ここにはいつも、誰かの温もりがある。
わたしを迎え入れてくれる。
「おかえり」と「ただいま」があって、誰かと囲む食卓がある。
離宮では一度も経験したことのない日々に、胸がいっぱいになる。
それから、ほんのり面映い。
わたしと、魔法使いと、鴉。はたから見たら奇妙な組み合わせかもしれないけれど、かまわない。
きっとこれが、『家族』というものなのだから。
了
お読みいただき、ありがとうございました。
本編では書ききれなかった小話を、おまけとして更新する予定です。
もう少しだけ、お付き合いいただけますと幸いです。




