第一話 灰色姫
わたしは、とある小さな島国の王女である。名前はまだない……ではなく、ちゃんとある。マディナイと言う。
マディナイとは我が故国の最も古い言葉で「かまどの女神」を指している。
厨の守神で、大層縁起もいい。
仰々しい女神の名も一国の姫が冠するのであればその身に相応しいのかも知れないが、残念ながらわたしはプリンセスとは名ばかりの廃棄品に等しかった。
最も地位の低い側室から生まれた、無価値な娘。それが、わたしと言う存在だ。
裏寂しい西の離宮に追いやられて育ったわたしに、王宮での立場など当然あるはずもなかった。
「かまどの女神と言うには、あまりにもみすぼらしいわ」
藍鼠色の髪はまるでかまどに頭を突っ込んだかのようだと、腹違いの兄姉には散々嘲笑われた。
「お父様も、分不相応な名前を付けたものね」
「いや、あの子をごらんよ。かまどの灰を被ったようなあの頭にはぴったりじゃないか」
「ああいやだ、なんて汚らしい色」
「おまえなんて、“灰かぶり”で十分だ」
その蔑称が、王宮でのわたしの名だった。
頼るべき母も既に亡く、父である国王に見向きもされない王女の扱いなど惨めなものだ。
なんの後ろ盾もないわたしは周囲に蔑まれ、それでも裸で城の外に放り出されるよりは遥かにマシだと自分に言い聞かせ、華やかな宮殿の影に隠れてひっそりと生きてきたのである。
そんな生活に転機が訪れたのは、十四歳になった秋のことだった。
わたしの輿入れ先が決まったと言うのだ。
突然のことに少し驚いたけれど、貴族や王族の婚姻とはそんなものだと覚悟していたし、やっとこの日陰者の生活から抜け出せるのだと喜んだのも束の間。
「西の森の魔法使い様が、王家の末姫様を是非にと仰っておいでです」
さもめでたい事であるかのような、嘘だらけの笑顔を貼り付けた宰相の隣で、父であるはずの国王陛下もまた、偽りに満ちた情を滲ませて頷いていた。
「まだ幼いおまえを嫁がせるのは心苦しいが、どうか分かっておくれ」
いつの頃からか西の森に棲みついた魔法使いには、恐ろしい噂が絶えない。
曰く、ひどく醜い顔をしており、その素顔を見て生き延びた者はいない。
曰く、人を呪い殺す魔法に精通している。
曰く、嵐や日照りなどの厄災を呼び寄せることが出来る。
曰く、何百年と生きており、そもそも人間ですらない……
数え上げたらキリがない、とにかく胡散臭くて物騒な話が次から次へと出てくる人物なのだ。
そのくせ何が本当のことなのか、誰も知らない。
知る術もない。
西の魔法使いは滅多に姿を見せないことでも有名だ。
なぜわたしは、そんな恐ろしい男の元へ嫁がなくてはならないのだろうか。
目の前が真っ暗になった。
これではまるで生贄のーー
(……いいえ、まさにその通りなのだわ)
わたしは、怪物への人身御供として厄介払いされたのに違いなかった。
大理石の床を踏み締めて、奥歯を噛んで踏ん張っていないと卒倒してしまいそうだった。
「……はい、お父様」
しおらしく頷いて見せたわたしの腸は煮えくりかえっていた。それはもう、グッツグツに。かまどの火力は全開だ。
ろくに顔も合わせたことのない父親だったけれど、そんな男でも、まだほんの少しは親子の情があるのだと心のどこかで期待していたのだ。
己の甘さが、愚かさが、ただ腹立たしかった。
◆
子どもたちが寝物語に読む本には大抵、西の森に棲む悪い魔法使い、あるいは魔女が登場する。
言うことを聞かない子は西の魔女に食べられると言う子どもだましの内容から、過去に実際に起きた流行病の元凶が実は西の魔法使いの呪いだと言うものまで様々だ。
悪いものは全て、西からやってくると信じられている。
この国で、西は鬼門なのだ。
そしてわたしは相変わらず、朽ちかけた西の離宮に押し込められている。
魔法使いは支度金としてたっぷりの金貨を置いて行ったらしい。そのお金で、崩れかけの寂れた王女宮には過剰とも言える警備兵が配置された。
万が一にも生贄であるわたしが逃げ出したら一大事だから。
けれど支度金と言いながら、行商を呼んでわたしにドレスやアクセサリーを買い与える素振りはまったくなかった。精々、まだ新品同様の姉のお下がりを侍女が運んでくる程度だ。残った金貨のほとんどは、父王や兄姉の懐に転がり込んでいるのに違いない。
しかしそれも今更な話だ。荒れた離宮や粗末なドレスばかりのクローゼットを見れば、管理費や品位維持費なんかも掠め取られてるのは分かりきっている。
ここに残っても、森に行っても、そう大差は無いのかもしれない。
でも、だからと言ってただ大人しく生贄になるのは業腹だ。
一矢報いてやりたい。
もはや彼らは、わたしにとって家族ではなく憎むべき敵なのだ。ーーもっとも、あの人達と家族として過ごしたことなど一度としてないのだけれど、今となっては未練も抱かずに済んでちょうど良い。
さあ、どうしてくれようかしら。
意趣返しをすると言っても、こうして部屋に閉じ込められている状況では手も足も出せない。
わたしがここを抜け出してしまえば、生贄を受け取り損ねた魔法使いはきっと彼らを酷い目に遭わすだろう。
問題はどう抜け出すかだ。
部屋には鍵、警備は過剰、日課である散歩に出ても常に数名の侍女がくっついてくるし、少し離れた先には護衛騎士も控えている。もし侍女を振り切れたとして、わたしの貧弱な足ではとても騎士からは逃げ果せない。
「うーん」
わたしは腕を組んだ。
部屋には鍵。
窓の外には兵士。
散歩には侍女が四人。
その後ろに騎士が二人。
「……大袈裟でしょう。」
王宮でこんな厳重に守られたのは、生まれて初めてだ。
しかもこの警備の厳重さが、王女としてではなく生贄として価値があるから、と言う皮肉さには思わず笑ってしまう。
ああ、ホントに憎らしいったら無いわ。
西の魔法使い?
怪物?
なにするものぞ。
もし逃げ切れたら万々歳。捕まったら……まあ、その時はその時ね。父とは名ばかりのあの男の、慌てた顔くらいは見れるんじゃないかしら? そしたら少しは胸がすくかもね。
わたしは大人しく市場に運ばれていくような、聞き分けのいいお姫様(家畜)じゃないのだ。
ーーさて、どうやって逃げようかしら?
◆
それからの日々は、なかなかにスリリングだった。
散歩と称して、見慣れた庭をぐるぐる歩き回った。
枯れた噴水、石畳の剥がれた道。
花壇だけは庭師のおじいさんが丁寧に手入れしてくれているおかげで、どうにか体裁を保っている。
……もっとも、王族の庭と思わなければ、だけれど。
以前見かけた東の塀の穴は、ご丁寧にみっちり埋められていた。
腹立たしいこと、この上ない。
なんでこんなとこだけ、しっかり予算使ってんのよ。いつもみたいに職務怠慢で見逃しなさいよ。
しかしこの離宮、ボロさにかけては他の追随を許さない。
東の塀の穴がダメでも、壊れた北の門扉がある。鍵が閉まらないどころか、鉄柵が外れて子供なら余裕で通り抜けられるのだ。
浮き立つ足取りで向かいながら言うのも変な話だけど、防犯意識のかけらもないわね。恐ろしいわ。
果たして辿り着いた北門は、ちゃんと壊れていた。
壊れてはいたのだが、門扉を塞ぐように大きな岩がどしりと構えていて、わたしの期待を粉々に打ち砕いてくれた。
あれでは通り抜けられないし、わたしの非力な腕では、あんな大きな岩をとても動かせやしない。
愕然と立ち尽くすわたしの背後で、警備兵のひとりが「申し訳ありません」と言った。
「門扉が壊れていたため、応急処置としてあのような不恰好な姿となっております」
淡々と告げる警備兵に、「ああ、そう……」と気の抜けた返事しかできない。
くっ、余計な真似を……!
八つ当たりだと分かってはいても、職務を全うする警備兵をじっとりと睨め付けてしまう。
黒く重たい前髪が目元を隠した兵士だった。輿入れが決まってから増員された警備兵のひとりで、一日中わたしの部屋の前に立ち、外出するときも無言で後ろをついてくる。
そういえば、声を聞いたのは今日が初めてかもしれない。
「見栄えなど気にしないわ。……ご苦労様」
労いの気持ちなんて一欠片もこめずに呟いて、わたしは踵を返した。抜け出せないなら、もうこんなところに用はない。
東の壁も、北の門もダメ。
わたしの逃亡計画は、はやくも暗礁に乗り上げつつあった。




