第五十一話 「ナティア防衛戦 第一撃 戦場」
地鳴りが、街全体を震わせた。
空気が一瞬で張り詰め、北東側の城壁がまるで巨大な拳で叩かれたように揺れた。
「来るぞ――!!」
見張り台の兵士の叫びが、胸の奥を鋭く刺す。
北東の森の端から、黒い煙の帯がゆっくりと広がっていく。
エルドの森が波打つように揺れ、その“黒”が迫ってきているのが分かった。
(……始まるんだ)
喉がひどく乾くのに、息だけが熱い。
城壁の上から見える景色は――現実なのに、どこか遠い。
フォレストゴブリン。
グラットゴブリン。
ルーガウルフ。
シェードビートル。
そして、その間を割るように中型のバーグオーガ。
それらが塊になって押し寄せてくる光景は、ただの“魔物の群れ”じゃなかった。
黒い波。
地面を削る奔流。
(怖い……でも)
足が震えているのに、前へ出ようとする。
逃げたら、僕は僕じゃなくなる。
「大砲、発射――っ!!」
ハルドさんの声と同時に、腹の底を殴られたような衝撃。
炎の弾が空を裂き、爆風が森を揺らした。
「命中! 続けていけるぞ!!」
バリスタの巨大な矢が、ゴブリンの群れをそのまま貫く。
だが、黒い波は止まらなかった。
倒れた魔物を踏み潰し、別の魔物がそいつらを踏み台にして進んでくる。
(……本当に、止められるのか)
胃の奥がきゅっと痛む。
「槍壁、構えッ!! 押されるな!!」
縦盾と長槍を構えた兵士たちが、一斉に城壁前に広がる。
地鳴りはさらに強くなり、空気が震えた。
ガルドさんが隣で剣を肩に担ぎ、にやりと笑う。
「ビビってるか?」
「……はい」
「上等だ。怖くなきゃ命なんざ張れねぇ。人間はな」
その声に、少しだけ呼吸が戻った。
「前方三百! 接敵十秒!!」
兵士の声が掠れて震える。
どこかで誰かが小さく呟いた。
「くる……くるぞ……!」
森の奥から、魔物が一気に距離を詰めてきた。
叫び声、足音、咆哮が混ざり合い、空気を震わせる。
ドガァァァンッ!!
衝突した瞬間、盾がきしむ音、槍が折れる音、魔物の牙が砕ける音、悲鳴、血の匂い――
世界が“戦場”に変わった。
前線の槍壁が押され、後衛の弓矢が雨のように降り注ぐ。
中型の咆哮が響き、目の前の兵士が吹き飛ばされた。
(怖い……嫌だ……でも)
足は、勝手に前に出る。
「遊撃隊、動くぞ!!」
レントさんの叫びが耳を突き刺した。
心臓が跳ねる。
側門が開き、血と土の匂いが混ざった空気が流れ込んでくる。
(……もう、戻れない)
剣を握る手が汗で滑った。
「アイザック! ズレたところだけ叩くんだ! 突っ込むなよ!!」
「は、はい!!」
怖い。
死ぬほど怖い。
でも走る。
城壁の下の前線へ――戦場の渦へ。
一体のグラットゴブリンが飛び出してきた。
牙を剥き、腕を振り上げ、涎を垂らしながら僕に飛びかかってくる。
「っ……!」
剣を構えたのに、腕が思うように動かない。
(嫌だ……怖い……死にたくない……でも……!)
背後の兵士が叫んだ。
「危ない!!」
その瞬間、身体が勝手に動いた。
気づいたら兵士の前に飛び出していた。
「うあぁッ!!」
ゴブリンの腕を剣で受け止める。
衝撃で手が痺れる。
それでも腕を振り上げ――
斬り上げた。
ゴブリンが崩れ落ちる。
(……倒した……?)
手の震えが止まらない。
(怖い……でも……やれた……!)
ほんの少しだけ息が戻った。
だが、戦場全体は悪化する一方だった。
バーグオーガの咆哮。
土煙と血の匂い。
折れた槍。
転がる影。
城壁へ押し寄せる黒い波。
その奥――
森の影の向こう。
黒煙の中で、異様に濃い魔素が揺れていた。
(……あれは……?)
胸の奥が、ぞっと震えた。
(始まったんだ。本当の“戦い”が)




