第三十四話 「“二人目の弟子”としての始まり」
朝の光が、やわらかく部屋に流れ込んだ。
昨日、ギルド中が沸き返った“師匠宣言”の余韻が、まだ身体の奥に残っている。
シルファの弟子になった。
カールアの“弟弟子”になった。
その事実がじんわりと胸に広がり、
胸の“核”が、いつもより静かに、でもはっきり脈打っていた。
(……僕、本当に……弟子になったんだな)
半分くらい夢じゃないかと思っていたが、
身体に残る疲労と、わずかな緊張だけがその現実を教えてくれる。
風灯り亭の食堂へ降りると――
ラナ、エマ、リオの三人がすでにテーブルに料理を並べていた。
「おはよう、アイザックくん!」
「弟弟子……じゃなかった、弟子入りおめでとう!」
「なんか今日の朝ご飯、多めに盛っちゃった!」
リオが照れ隠しに笑いながら皿を押しつけてくる。
「弟弟子って呼び方、慣れないよね……」
「ね、ね! なんか言いにくくて!」
「あの、無理に呼ばなくていいからね!?」
朝からこんな調子だ。
昨日の盛り上がりが嘘じゃないと実感できて、自然と頬が緩む。
ラナが料理を置きながら、ふっと言った。
「昨日……ほんとにかっこよかったよ。
シルファさんの弟子……誇らしいくらい」
「うん、あれは……なんかすごかった……!」
エマまで目を輝かせている。
(……そうか。みんな……見てくれてたんだ)
弟ができて、妹ができて。
弟弟子になって。
なんだか、守りたいものが一気に増えた気がした。
街へ出てギルドへ向かう道を歩くと――
空気が昨日までと少し違っていた。
「……あれアイザックじゃないか?」
「昨日の、あの子だよな……?」
「シルファの弟子って噂、本当だったんだ……」
道端で荷物を運ぶ商人、井戸端で話す奥様方、
子どもたちまで好奇心たっぷりにこちらを見てくる。
小さな男の子が木の棒を剣に見立て、ぶんぶん振りながら言った。
「お兄ちゃん、昨日の動きすごかった! かっけー!!」
「ひゃっ……!?」
言われた僕より、母親の方が慌てて頭を下げる。
(なんだろう……恥ずかしいけど……悪い気がしない)
そんな気持ちのままギルドへ入ると――
「おはよ、アイザックくん!」
ミーナが両手をぶんぶん振ってくる。
「今日はね、もうギルド中がそわそわしてるんだよ。
“シルファさんがまだ街に滞在してるらしい”って!」
「うん……なんか、外もにぎやかだったね……」
ミリエルがひょこっと顔を出す。
「アイザックくん、今日から本格的に“弟子修行”なんだよね?
がんばってね……! 私たちも応援してるから!」
その声にレントたちパトロール・ファングまで振り向く。
「おい弟弟子! いや、なんか違うか」
「アイザックでいいですよ!!」
ロッカはすでに腹を抱えて笑っている。
「まあなんだ。昨日のあれ見せられたらな。
お前が弟子になるのも、納得だわ」
壁際で腕を組んだガルドは、ちらりとこちらを見て、ぽつりと呟いた。
「……覚悟決めた顔してるな。
昨日の“覚悟”が腹に落ちたんだろ」
(ガルドさん……)
昨日言われた言葉が、静かに胸に残っている。
そんな中、凛とした声が空気を切った。
「来てたんだね、アイザック」
振り向くと、カールアが立っていた。
その顔は、昨日よりもずっと“先輩”だった。
「師匠がね、街の外で待ってる。
――エルドの森の、少し開けた場所。今日の稽古はそこだって」
ギルドの空気が、ピンと張りつめる。
「……街の外か」
「ナティア近郊で、あの“剣”が稽古してるとか……すげぇ絵面だな」
「エルドの森って、この前死律の精霊が現れた……あの森だよな?」
ざわつく冒険者たちをよそに、
僕は深く息を吸い、カールアの後ろへついて歩いた。
ミーナとミリエルが慌てて手を振る。
「アイザックくん、気をつけてね!」
「無理はしすぎないでね! 終わったら、感想聞かせて!」
「うん、行ってきます」
胸の核が、じんわりと熱を帯びる。
ナティアの北門を抜けると、
清々しい風が頬を撫でていった。
エルドの森は、僕にとって何度も足を運んだ場所だ。
冒険者になってからの鍛錬で、自分だけの“お気に入りの場所”もある。
でも今日は、そこではなかった。
カールアが森の奥へ続く獣道を歩きながら言う。
「今日は、君のお気に入りの場所じゃない。
師匠が“揺らぎの流れ”を見て選んだところだよ」
(な、何で知ってるのカールアさん!? 僕のこと、つけてたのかな……)
「揺らぎの流れ……?」
「霊素や魔素、精霊素……そういうものの“線”のこと。
師匠は、それがよく見えるから」
「精霊素ってなんですか!?」
「ふふ、師匠に教えてもらうまでの秘密だよ」
(この世界には魔素、霊素、そして僕の“第三の力”……それ以外にも、まだ何かがあるのかな)
やがて、木々がふっと途切れる場所に出た。
そこは、自然にできた小さな広場のような空間だった。
大きな岩がいくつか転がり、苔のついた倒木が横たわっている。
森のざわめきと、小川のせせらぎ。
鳥の声と、土の匂い。
でも――何よりも。
(……魔素と霊素の流れが、綺麗だ)
ルファスのときに見た、あの澄んだ流れ。
デゼルのときに感じた、濁りと空白。
それらとは違う。
けれど、“律”の気配がよく分かる、落ち着いた場所だった。
その広場の中央に、ひとりの女性が立っていた。
シルファ。
昨日と同じように簡素な装いなのに、
森の空気の中にいると、さらに“線”のブレなさが際立って見える。
「おはよう、アイザックくん」
「おはようございます、シルファさん。
それと……カールアさんも、案内ありがとうございます」
「今日は見学と、ちょっとだけ補足役ね」
カールアが肩をすくめる。
シルファは、森の空気を胸いっぱいに吸い込んでから言った。
「街の訓練場も悪くないけれど――
君の“核”を見るには、こっちの方がいいと思ってね」
「……僕の、核を……?」
「うん。ここは、エルドの森の揺らぎが素直に流れ込む場所。
死律の波も、まだ薄く残っている」
胸の奥で、核が小さくざわめいた。
(……やっぱり、まだ“何か”が残ってるんだ)
まずは“立ち方”だった。
「アイザックくん。
君は剣を抜く前に、ほんの少し足の向きを直した方がいいよ」
足の位置を、そっと触って直される。
土の感触が、足裏からじかに伝わってきた。
「ここ。重心が半歩分、前に寄りすぎる。
それだと、踏み込みが“守るための一歩”じゃなくて、
“衝動の一歩”になってしまう」
その言葉に胸がどきりとする。
(……昨日、僕は衝動で踏み込んだんだ)
デゼルの前で。
怖くて、でも守りたくて。
気づけば踏み込んでいた、あの一歩。
でもそれを責める言葉じゃない。
“次に進むための言葉”だった。
後ろで、カールアが腕を組みながら補足する。
「アイザック。
師匠の指導はね、“剣を抜かないうち”が一番きついよ」
「そうなんですか?」
「そう。剣を抜く前の動きで、全部の実力が見えるから。
重心、呼吸、視線、指先の震え方まで」
シルファは小さくうなずいた。
「剣を抜かなくても、人は斬れるからね」
森の空気が、すっと引き締まる。
重心、視線、呼吸。
立ち方、歩き出し、止まり方。
ひとつひとつが丁寧に、そして容赦なく矯正されていく。
「視線を上げて。
相手だけじゃなく、“その先”を見るつもりで」
「息を吐くタイミングを、半拍ずらして。
君は最初に力みすぎる癖がある」
「そのままだと、“守りたいとき”に足が出遅れるよ」
言葉は柔らかい。
でも、逃げ場はない。
それでも――不思議なくらい心地よかった。
“ちゃんと見てもらえている”感覚。
“この一歩にも意味がある”と教えられている感覚。
胸の核が、時おり小さく震える。
そのときだった。
「……っ」
胸に“ざわり”と冷たい風が走った。
まるで森のどこかから、死んだ空気の波が押し寄せてくるみたいに。
「アイザック?」
カールアが眉を寄せる。
シルファは、僕の胸元を見て目を細めた。
「……死律の波だね」
静かな声が、森に溶ける。
「デゼルが残した揺らぎが、まだ森の奥に残っている。
君の核は、それに反応している」
「僕……また、呼ばれてるんですか?」
つい、そんな言葉が口をついて出た。
ルファスに、デゼルに、レーヴェに。
“律”の側から、何度も視線を向けられてきた気がしていたから。
シルファは首を横に振る。
「違うよ。これは“呼ばれている”んじゃない。
君の核が、世界の揺らぎを覚えていく途中なんだ」
「覚えていく……?」
「命を救いたいっていう君の想いは、
世界の“理”と、いずれぶつかる。
そのとき、ただ感情だけで剣を振るっても、誰も守れない」
淡い青灰色の瞳が、まっすぐ僕を射抜く。
「だから今、身体に叩き込む。
どこに立てば守れるのか。
どの一歩が、誰かの生と死を分けるのか」
森のざわめきが、一瞬だけ遠のいたように感じた。
(……守るために、立つ場所)
昨日、ガルドさんに言われた言葉がよみがえる。
『やっと“覚悟”が腹に入ったか』
今、その覚悟に、少しずつ“形”が与えられていく。
ひと通りの立ち方、歩き方が終わったころには、
額にじんわり汗が滲んでいた。
剣を一度も抜いていないのに、
森を一日中走り回ったような疲労感がある。
「……はぁ……っ」
僕が息を整えていると、シルファは静かに空を見上げた。
木々の隙間から差し込む光が、彼女の横顔を照らす。
「……世界の律は、今も揺れている。
大戦の名残も、生命の律も、死律の波も、消えてはいない」
それは、過去を見てきた者の声だった。
「だけど――」
彼女は僕と、隣のカールアを順に見て、微笑む。
「揺らぎを抱えて前に進む子が増えるなら、悪くない。
弟子をふたり持つ理由は、ただそれだけだよ」
カールアが、ふっと笑う。
「弟弟子。
不思議とね……君なら、そう思えるんだよ」
僕は、胸の核に軽く手を当てた。
(僕は……“救いたい”)
その想いは昨日と変わらない。
だけど今は、それを形にするための道が、森の中にまっすぐ延びている気がした。
シルファが、まるで区切りを告げるように言う。
「今日はここまで。
明日から――剣と霊素と、少しだけ魔素の扱いも教えよう。
君が“創命”を為せるように――鍛錬を、本格的に始める」
エルドの森の風が、やわらかく吹き抜けた。
ナティアでの日々は、
またひとつ、新しい色を帯び始めていた。




