第三十三話 「一閃の剣シルファと、“先輩弟子”カールア」
朝の光が、まだ少しだけ眩しかった。
昨夜の宴の名残りなのか、身体の奥にふわふわした熱が残っている。
ギルド長への報告を終えてから、双子誕生の知らせ、肉を初めて食べたこと、みんなに祝福されたこと――あれは、夢じゃなかったんだろうか。
(……弟と妹ができて、ギルドのみんなに祝われて。
ガルドさんにも少し認められて、カールアさんの“師匠”が来る、って言われて)
思い出すたび、胸の核がくすぐったく震える。
そんな浮ついた気分のまま、僕はいつものようにギルドへ向かった。
◇
ギルドの扉を開けた瞬間、空気がいつもと違うのが分かった。
「おい、本当に来るのかよ……」
「外の訓練場、もう人だかりらしいぞ」
「いやいや、ナティアみたいな辺境に、あの“剣”が来るわけ――」
ざわざわとした声。
依頼掲示板の前に人が集まっているわけでもないのに、ギルド全体が落ち着かない。
ミーナがカウンターから身を乗り出した。
「アイザックくん、おはよ! 今日、なんかギルドすごくない?」
「うん、なんか……祭り前みたいな空気だね」
「まさにそんな感じなの。みんな“とんでもない人”が来るって噂してて……」
そこへ、ひょい、とロッカが顔を突っ込んできた。
「おう、主役も来たな、兄貴!」
「昨日から主役扱いされてるけど、なんでロッカさんはそんな元気なんですか?」
「細けぇことはいいんだよ。それより――噂、聞いてねぇのか?」
ロッカは声を潜め、妙にわくわくした顔で続ける。
「今日な、“一閃の剣”がナティアに来るらしいぜ」
「一閃……?」
「そんな顔すんなよ。お前、カールアの師匠が来るって聞いたろ?」
胸が、ひとつ跳ねた。
「……まさか」
「そう。“一閃の剣”シルファ。
ルミナルド大陸でもS〜SSランクの化け物みてぇな剣士だ。
ぶっちゃけ――この辺で名前出したら、普通は“冗談やめろ”って笑われるレベルだな」
ギルドのあちこちで、ささやき声が交錯する。
「本当に来るのか……?」
「大戦で名前が出てた四人のうちのひとりなんだろ?」
「いや、そこまではどうか知らねぇけど……Sランク上位なのは間違いねぇよ」
ミリエルが心配そうに僕を見上げた。
「アイザックくん、大丈夫……? なんか、とんでもない人みたいだけど……」
「だいじょうぶ。たぶん今日は、挨拶だけ……だといいなぁ」
自分で言っておいて、ちょっと不安になる。
そのとき。
「アイザック、来たね」
涼やかな声が、騒がしいギルドの喧噪をすっと切り裂いた。
振り向くと、カールアが立っていた。
「カールアさん」
「外の訓練場に来てくれる? ――師匠が、君に会いたいって」
ギルドの空気が、一段階、さらにざわついた。
「お、おい……“会いたい”って……」
「カールアの師匠が、ガキ……じゃなくて新人指名ってマジかよ」
「昨日死律の精霊とやりあったって噂の……?」
僕は、ごくりと喉を鳴らす。
(逃げるわけには、いかないよな)
胸の核が、静かに熱を帯びた。
ギルドの裏手にある訓練場は、人だかりで埋まっていた。
冒険者だけじゃない。
ギルド職員、街の人、風灯り亭のラナたちまで来ている。
「おーい、アイザックく〜ん!」
「がんばれ〜! よく分かんないけど!」
「弟と妹に、かっこいいとこ見せなきゃね!」
ラナ、エマ、リオが手を振っている。
なんかもう、全部丸聞こえだ。
訓練場の中央――
そこに、ひとりの女性が立っていた。
白銀と綺麗な金色を混ぜたような髪が、陽光をはね返すように揺れ。
その瞳は、淡い青とも灰ともつかない色で、じっとこちらを見ている。
派手な装飾はない。
ただ、腰に下げた一本の剣と、立っているだけで“線”がブレない姿勢。
(……強い)
一目見ただけで分かった。
彼女は――“シルファ”だった。
カールアが前に出る。
「師匠。連れてきました」
「うん、ありがと、カールア」
シルファは柔らかく微笑み、僕を見つめた。
「君が、アイザックくんだね」
「は、はい。アイザック・ヴァーンです」
膝が笑いそうになるのを、必死でこらえる。
シルファの視線が、すっと僕の胸元へ向かった。
視線、というより――揺らぎに触れてくるような感覚。
「……なるほど。
ルファスの金と、デゼルの影。
それから――“外側”の揺らぎ」
その一言に、周囲の空気が凍りついた。
「ルファス……?」
「死律のデゼルって、さっきの報告の……」
「あの二体と同じ呼び方するってことは……」
ギルド長でさえ、無意識に息を飲んでいるのが分かった。
シルファは、そんな周囲の騒ぎを気にする様子もなく、軽く首をかしげる。
「まずは――少しだけ、剣を見せてもらってもいいかな?」
訓練場の中央。
互いに数歩の距離を置いて向かい合う。
「本気でいっていいよ。
ただし、私が“終わり”って言ったら、そこで止めてね」
シルファは鞘から剣を半分ほど抜き、またゆっくり収めた。
抜かれてすらいないのに、肌が粟立つ。
(やっぱり……とんでもない人だ)
僕は剣を抜き、軽く構えた。
魔素で身体をなぞり、霊素で周囲の揺らぎを感じ取る。
胸の核が、小さく震えた。
「いきます!」
一歩、踏み込む。
間合いを詰め、一太刀――
振り下ろそうとした瞬間。
「――はい、一本」
シルファの声と同時に、僕の手から剣が消えた。
「えっ」
気づけば、僕の剣は彼女の左手に収まっている。
彼女は自分の剣は抜いてすらいない。
訓練場が、ざわぁ……とざわめいた。
「な、何が起きた……?」
「見えなかったんだけど……」
「俺、瞬きしてねぇぞ……?」
シルファは少しだけ首をかしげた。
「ごめんね。
つい、普段通りにやっちゃった」
「い、いえ……今ので、だいたい理解しました……」
(桁が……違う……)
情けなさと、変な清々しさが同時に込み上げてくる。
シルファは受け取った僕の剣を返しながら、穏やかに続けた。
「でもね――悪くないよ」
「え?」
「核の揺らぎも、身体の線も、剣に混ざる“第三の色”も。
まだまだ荒いけれど――伸びる。
“律の外側”に手を伸ばす者の動きだ」
律の――外側。
昨日、デゼルが呼んだ言葉がよみがえる。
『まさに“律外の子”』
シルファは、ふっと表情を引き締めた。
「改めて名乗るね。
一閃の剣シルファ。ルミナルド大陸で、Sランク……一応、SSとも言われてる剣士だよ」
その一言に、訓練場の空気が弾けた。
「やっぱり本物かよ……!」
「ナティアにSSクラスとか、意味わかんねぇ……」
「そんな人が、なんでここに……?」
シルファは小さく息を吐く。
「理由は――二つ」
僕を、そしてカールアを順に見て。
「ひとつ。
私は、世界の“揺らぎ”を見てきた。
大戦の名残、律の歪み、守られなかった命。
私ひとりの剣じゃ、到底、全部は守れない」
その声には、静かな疲れと、揺るがない意志が混ざっていた。
「だから、弟子を取ることにした。
“揺らぎ”を持つ者だけをね」
カールアが一歩前に出る。
「私が、その一人目です。
私は――剣の才を買われました。
師匠の“型”を受け継ぐ器として」
シルファが微笑む。
「カールアは、剣の才が突出している。
だから彼女には“線”を継いでもらっている。
でも――」
再び、僕を見る。
「君は、少し違う。
剣だけじゃない。“律の外側”に触れる核を持っている。
命の重さに、誰よりも敏感で――それでも剣を振るう覚悟を選んだ」
胸が、熱くなる。
デゼルの前で、震えながらも剣を振るったあの瞬間。
守るために、傷つけることを選んだあの感覚。
「カールアと君。
二人は、同じ弟子だけど、役割が違う。
ひとりは“剣の線”を継ぐ弟子。
もうひとりは、“創命の揺らぎ”を抱えたまま前に進む弟子」
シルファは、静かに告げた。
「――私は、複数の弟子を取るつもりだよ。
世界を守るには、ひとつの剣だけじゃ足りないからね」
ギルドが、再びざわめいた。
「弟子を……二人も……?」
「カールアだけでも凄いのに、あのガキも……?」
「ってことは、あいつ……マジで“律外の子”ってやつ……?」
胸の奥で、何かが決定的に変わる音がした気がした。
「アイザック・ヴァーン」
名前を呼ばれる。
「私の弟子にならないかい?」
世界の音が、一瞬遠のいた。
ミーナとミリエルが、息を呑む気配。
ラナたちが「ひゃっ」と変な声を上げる。
ガルドは、黙ったまま腕を組み、こちらを睨んでいる。
(……僕が、シルファさんの……弟子に?)
怖さもある。
でもそれ以上に――胸の核が、強く、熱く、うずいた。
(進め、と言われた。
見守る、と言われた。
選べ、と告げられた)
ルファス。デゼル。レーヴェ。
そして今、シルファ。
“律”の端にいる存在たちが、僕を見ている。
「……お願いします」
気づけば、頭を下げていた。
「僕を――強くしてください。
守れるように。
“救いたい”って想いを、ちゃんと形にできるように」
しばしの沈黙の後。
からん、と軽い音がした。
シルファが鞘ごと剣を少し持ち上げ、コツンと僕の肩に当てる。
「――よし。
今日から君は、私の“二人目の弟子”。
律の外側に手を伸ばす、“創命の揺らぎ”の弟子だ」
訓練場が、爆発した。
「マジかああああ!!」
「ナティアから、シルファの弟子が二人も!?」
「ギルドの看板が勝手に豪華になるな……!」
ガルドは深く息を吐き、苦笑いを浮かべる。
「……ほんっと、俺の想像の外側ばっかり行くガキだな。
――やるなら、とことんやれよ」
◇
「というわけで」
人だかりが少しずつ散っていき、訓練場の隅で、僕とカールアとシルファの三人だけになった。
シルファが軽く伸びをしながら言う。
「私は、ずっとナティアに居続けるわけじゃない。
だから――日々の鍛錬は、カールアが担当する」
「えっ、カールアさんが……?」
「いやなら、師匠との一対一でボコボコにされたい?」
「ぜひカールアさんでお願いします」
即答だった。
カールアが、ふっと笑う。
「……弟弟子、か」
小さく、ぽつりと呟いたその声には、少しだけ複雑さと、大きな嬉しさが混ざっていた。
「正直ね。
師匠の弟子は、ずっと私ひとりでいいと思ってた。
誇りでもあったし、重さでもあったから」
彼女は、真っ直ぐ僕を見る。
「でも――君が師匠の弟子になるなら、話は別。
“核”を見たあの日から、いつかこうなる気もしてた」
(あの日……特別昇格試験の時か)
カールアは肩をすくめる。
「剣に関しては、私が“先輩”。
遠慮なくしごくよ。
師匠が相手だと、君、たぶん一週間で心折れるから」
シルファがくすくす笑う。
「そんなひどくないよ」
「昨日、死律の精霊とやりあったばかりの人間を一瞬で丸裸にした人が何を言ってるんですか」
思わずツッコんでしまう。
でも、そのやり取りが――少しだけ嬉しかった。
(弟弟子。
弟と妹ができて、弟弟子にもなって……
なんか、急に“繋がり”が増えたな)
胸の核が、静かに、でも確かに熱を帯びる。
シルファは空を見上げた。
「……世界の律は、今も少しずつ揺れている。
大戦の爪痕も、死律の波も、消えてはいない。
だけど――」
こちらを向き、穏やかに微笑む。
「揺らぎを選ぶ子どもが増えるなら、悪くない。
私が弟子をふたり持つ理由は、ただそれだけだよ」
ただそれだけ。
だけど、その言葉は――あまりにも大きかった。
ギルドに戻ると、案の定、大騒ぎだった。
「弟子入りおめでとー!」
「おい、これからは“師匠持ち”の新人様だぞ?」
「サインくださいって言われる日も近いぞ、アイザック!」
ミーナとミリエルは、さっそく「先輩弟子のカールアさんに負けないようにね!」と笑っている。
ラナたち宿屋組も、にこにこと言った。
「今日から“弟弟子様”だね!」
「え、じゃあご飯ちょっと多めに盛らなきゃ」
「それただのサービスだよね!?」
ガルドは、いつもの壁際で腕を組み、ぼそっと呟いた。
「……弟だの弟弟子だの。
お前、どんどん“守るもの”増やしてんな」
「……はい」
「だったら――強くなるしかねぇな。
中途半端な覚悟で、シルファさんの弟子は名乗れねぇぞ」
「分かってます」
胸に手を当てる。
(僕は――“救いたい”)
その想いを、またひとつ形にするために。
“律外の子”として。
シルファの“二人目の弟子”として。
そして、誰かの兄として。
ナティアでの日々は、また新しい色を帯びて動き出した。




